第2幕
文字数 1,914文字
「…‥蔦彦?」
慣れ親しんだ三次元の空間が、降って湧いた想定外の約束事で歪んでいく感覚を味わいながら、晶は呆然と呟いた。
一体何処に消えてしまったのだろう。
蔦彦が瞬間移動した先は、地球の裏側であるブラジルか、はたまたアンドロメダ大星雲か。
思わずそんな妙ちきりんな妄想に取り憑かれそうになったが、蔦彦が口にしていた言葉をふと思い出し、肩先から通学用のリセバッグを下ろすと、それを胸の前で掻き抱いた。
まさかアンドロメダ大星雲まで転送されはしないだろうが、野放図に生い茂る濃密な緑達が織りなす空間は、日常ではない何処か別の異空間へと連れ去られるのではないかと思わせる要素を、充分に秘めていた。
そうして、そんな特別な空間が迎え入れるのは、まだ大人になる前の細身の肢体と、魔法の効力に対する純粋な信仰を併せ持った少年達だけであり、そしてまた、野良猫でさえ素通りするようなそんな狭苦しい空間に、好き好んで身を投じようと考えるのも、冒険好きである少年達に限られていた。
晶は、通学用のリセバッグを盾代わりにして、滴るような緑が渦巻く空間へと踏み込んでいった。
連続して腕に当たる蔦の葉はざわざわと鳴り、額や鼻の頭には、蜘蛛の巣がもそもそと引っ掛かってくる。
密生した蔦や針葉樹から放たれる、鼻腔をツンと刺激してくる青臭い匂いに、むせ返るような思いがした。
そうやって、蔦彦の姿を見失ったと思われる辺りまで進んでみたものの、一体何処に姿を隠せる場所が存在するのやら、皆目見当が付かない。
濃密で深遠な緑の海の中で、晶が危うく溺れそうになった時、何処からともなくしなやかな腕が伸びてきて、晶の右肘を掴み、緑の海の裏側の世界へと、力強く引き入れたのだった。
身体が引っ張られていく間、晶は思わず瞼を閉じていた。
露を降り零す蔦の葉の群生が、全身をぱしぱしと連打していったからだ。
その衝撃が止み、ゆっくりと目を開けた時にぼんやりと確認出来たのは、ひんやりとした薄暗い洞窟のような所にいるという事実だった。
目の前には、蔦彦が静かに控えている。
けれど、それは安心材料になるどころか、黒いベール越しに相手を透かし見ているようで、それが本人かどうか、確認しきれないもどかしさに襲われた。
「ここは、一体何処なんだい?」
晶の不安げな声が、石造りの壁に反響して、輪を掛けて不安げに響き渡った。
「ここはね、その昔、隠れキリシタンが祈りを捧げるために使っていた小部屋があるんだけど、そこへと通じる入り口なんだ。
だけど、普通に学校生活を送っていたら、講堂の裏手に隠し部屋があることなんて、気付かずに過ごしてしまうものなんだよ」
蔦彦の声音は落ち着いていて、古びた石造りの壁面に、柔らかく染み渡っていくようだった。
それにつられて、晶も次第に落ち着きを取り戻していった。
「そうかも知れないな…‥。
それにしても、凄いよな。こんな伝説の秘境みたいな所、一体どうやって見付けたんだい?」
「残念ながら、見付けたのは僕じゃないんだ。
栄えある第一発見者は、この学校の二十五年前の卒業生…‥それが誰かを明かしてしまうと、僕の父親ということになるんだけど、当時彼が受けた授業の中で、隠れキリシタンの存在を知った時、この学校の何処かにも、彼らが使っていた隠し部屋があるんじゃないかと考えたんだ。
その頃十四歳だった父親は、後に登山家になるくらいの型破りな人物だったから、昔から冒険の類いが好きでね、誰も関心を向けないような場所を、あちこち探検して回ったんだ。
その結果、こんな妙な場所を探り当ててしまったというわけなんだ。
だけど、僕にとっては、父親から受け継いだ大いなる財産なんだけどね」
蔦彦は軽く微笑むと、左手の親指を立てて、ある方向を指し示した。
晶がそちらに目を向けると、幅の狭い急勾配の螺旋階段が、墨色の闇に呑まれている地下深くへと続いていた。
どうやらそこを降りて行けという合図らしい。
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・・・ 少年宇宙へようこそ~ハーモニーが奏でる宇宙〈全10幕~第3幕~〉~へと続く ・・・
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