楽天地から徒歩一分。花壇街とは何ぞや ⑤

文字数 1,869文字


 小学生の頃、花壇街と言えば小さな飲み屋やバー、クラブといった名前のお店が多い場所、と言う印象です。トルコ風呂(現在のソープランド)やピンク系風俗店もいくつかありましたが、古くからあるお蕎麦屋さんや中華料理店、洋食屋さんも混在している場所でした。
 如何わしい裏通りを抜けて歯医者へ通っていたお話はしましたが、昼間だったこともあり怖い思いをしたことはありません。しかし高校生になり、塾の帰りなど夜にもこの辺りを通る機会が増えると、ある意味、怖い体験も。

 当時は、夜になると「立ちんぼ」と呼ばれる街娼が立っていました。中には女装した男娼も何人か……。彼女(?)たちはからかい半分なのか、声を掛けてくるんですよね、「お兄さん、遊ばない?」って。
 初めて声を掛けられたときはただただビックリ。無言で通り過ぎた後に、(あれっ、今のは男の人だった気が……)と気づく感じでした。みなさん、それなりにきれいですが、やっぱり近くで見れば気付くし、声を聴けば分かります。
 その時だけでなく、男娼から声を掛けられる率はその後も続き、そのうち遠目でも(あっ、男の人だ)と判別できるようになってしまいました。(^^;)

 ちなみに、立ちんぼさんは年々多国籍化して、十数年前にはフィリピン、ロシア、ルーマニア、ブラジルと多様化時代へと突入。なぜ分かるかと言うと、みんな声を掛けてくるときに国を名乗るんです。その方が食いつきがいいんですかね?
 この辺りで生まれ育った者は、軽くあしらって歩いていくのですが、ここへ呑みに来て酔った男性諸氏は立ち止まってお話してしまうのかもしれません。
 そんな光景も、2007年に行われた大掛かりな一斉摘発をきっかけに不法滞在者の取り締まりが厳しくなり、今ではすっかり見掛けなくなりました。
 夜の錦糸町に詳しい方ならば「そんなことないんじゃないの?」と突っ込まれそうですが、今はあくまでも花壇街のお話。ピアきんしちょうやダービー通りの話もちゃんとやるので、しばしご猶予を。

 現在の花壇街は、相変わらず飲食店が多いものの、ピンク系は激減しました。力屋の近くに数件残っているだけで、それらに代わって肉バルやもつ鍋、串焼き屋などが出来て印象が変わりつつあります。
 一方で多国籍化は年々進み、韓国パブが増えた後はフィリピンパブの隆盛期があり、現在はロシア・ルーマニア系も参戦。迎え撃つ日本勢は、鎌倉野菜を使った店やウニ料理専門店、秋田料理の店など独自色を出しながら戦国模様を見せています。また、新しい流れとしてマッサージのお店が増え、こちらも韓国系が一時増えたものの今はタイマッサージが主流です。

 働く人がいればその人たち向けの食事も、ということで、どこの地域にもある韓国料理店だけでなく、フィリピン・ロシア・タイ各料理のレストランもあります。中でもタイ料理のお店は、マッサージ店と共に錦糸町全域で見かけるようになりました。
 ちなみに、北口のアルカタワーズにはIT関連企業があり、インドの方も多く勤めているのでインド料理のお店がたくさんあります。住んでいる人が増えるにつれ、故郷の味を求める声も高まるのでしょう。
 ここ十年ほどで(欧米系の方はほとんどいませんが)国際色豊かと言えるような街へと変わった錦糸町。ダイソーでは色々な国籍の方が買い物をしていたり、それぞれの国の食材を扱ったスーパーが賑わっていたりと、観光客ではなく生活している方が多いのもここならでは、と感じています。


 最後に、花壇街を語るうえで避けては通れない、ラブホテルの話。
 立ちんぼさんがいるからラブホが流行るのか、ラブホがあるから立ちんぼさんが増えたのか、それが問題だ……とは誰も思っていないけれど、物心ついた時には花壇街の裏手にすでに多くのラブホテルがありました。
 もちろん、その頃にはそこがどんな所なのかは知る由もありませんでしたが。
 立ちんぼさんを見かけなくなった今でも、同町内には十六件のラブホがあります。単に「みんな好きなんだなぁ(^^;)」と言うだけのことかもしれませんが、ラブホの隣にマンションがあるのも花壇街が持つ懐の深さ。
 夜の顔と、食・住が隣り合わせの街、それが花壇街なのです。
 

 このラブホは四ツ目通りを挟んで第三象限の歓楽街へと続いています。
 花壇街に植え付けられた《負》のイメージは、実はこの競馬・歓楽街ゾーンが原因なのです。
 それでは、いよいよ錦糸町の最深部をご紹介していきましょう。

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