第十五話 守り刀

文字数 4,811文字

 熱が下がったようだ。夜が明けたのか。一人で起き上がれそうだ。ゆっくりと寝返り、体を横向きにしてみる。何だろう、誰かに見られている気がする。早起きの父さんが心配して様子を見に来てくれたのかな。でも、いつもと人影が違う。ずいぶん大きな黒い影。誰だろう。優しい目でおれを見つめている。少し寒い。朝の冷気か。もう夏も終わりだ。

榧丸(かやまる)、久しぶりだな。病の具合はどうだ。また痩せたのではないか」
薄暗がりの中、よく目を凝らすと、あぐらをかいた大きな男が榧丸を見つめている。

「あっ、その声は竜兄(たつにい)か。いつから、そこにいたんだ。会いたかった」
顔がはっきりと見えないが、夜着を掛けて寝ていた榧丸は、寝筵(ねむしろ)に手を付いて上体を起こすと、無我夢中で竜ノ介に飛びついた。

「おっと、思ったより元気だな」
竜ノ介は榧丸の勢いで、そのまま仰向けにひっくり返り、大の字に寝転がる。榧丸は(おお)いかぶさるように、しがみついた。

「やっと会えた。竜兄だ」
榧丸は竜ノ介の胸に頬を乗せて、手を伸ばして太くてふさふさとした眉を何度も、指でなぞるように撫でた。竜ノ介はされるがままになっている。

「おい、子犬か何かと間違っていないか」
「子犬じゃない。大きな犬だ」
「おまえは、犬にじゃれつく子猫ってところか」
竜ノ介が(たくま)しい両腕で榧丸を包み込む。

「あやまりたいことがある。せっかく会いに来てくれたのに、竜兄の刀はいつ出来上がるかわからない。おれは一年前から具合が悪くて、刀鍛冶の修行を休んでいる。数日前からは熱が出て、頭が割れそうに痛くて伏せっていた。鍛錬(たんれん)場へ行くこともできない」
竜兄の胸に額を押しつける。

「何だ、そんなことか。刀なんて、いつでもいいよ。急ぐことはないさ」

「だって、竜兄は立派な武士になったんだから、腰に差す名刀が必要だろう。
 昨年の六月二十三日に八王子城が落城した後、韮山(にらやま)城と津久井城も落城した。
 小田原城は二十二万の大軍にとり囲まれても、ずっと籠城し続けると思っていたよ。どんな敵だって城下を囲み、高くそびえる土塁の総構(そうがまえ)を超えることはできない。だから、七月五日の小田原開城には驚いた。悲しかった。
 八王子城で戦った武将たちの首を小田原城内にいる子息たちに送りつけたり、舟で連れてきた小田原城に立て籠もっていた武将の妻子を、(みじ)めな姿にして浜辺に(さら)したり。それで、小田原城主の北条氏直は、豊臣秀吉に城を明け渡すことにしたんだろう。
 北条氏政と弟の氏照様は切腹して介錯された。氏照様の首を小姓の山角(やまかく)牛太郎が抱えて逃げようとして捕まった。その話しを聞いた家康が、情の深い忠義者の若衆だと感心して、家来に召し抱えたとか。
 中山勘解由の戦ぶりに、前田利家と上杉景勝が惚れ込んだって。一騎当千の勇者を無駄死にさせてはいけないと、降伏するように言ったけど、勘解由様はそれを断り、最後まで戦い八王子城で散った。
 小田原城にいた中山助六郎は、父親があまりにも見事な武将だったから、徳川家に召し抱えられた。今では徳川秀忠に中山家の高麗八条流馬術を伝授していると、父さんが言ってた。よかったな。竜兄は助六郎様の家来だから、馬術の稽古もしているよね。竜兄の騎馬武者姿を見てみたいな」

「ははは、おれは相変わらずだよ。門番をしている」
「そうかい。出世して忙しくておれのことは、すっかり忘れていたんだろう」
「まさか、かわいい弟を忘れるわけがない。いつだって想っていたよ」

榧丸の柔らかい唇に触れる物がある。それは人差し指だった。

「竜兄の指、妙に冷たいな」
その指をくわえて舌でちろりと舐めた。

「へへへ、くすぐったい」
「竜兄、嘘言うなよ。美丈夫だから、皆に好かれていて友だちが多くて女にもてる。楽しく暮らしているんだろう。おれのことなんて忘れて当然さ。でも、おれは忘れないよ。いつも想っていた。竜兄の無事と幸せを祈っていたよ」

「まいったな。確かに、おまえのことを忘れていた日もあった。実は好きな女がいたが、やっぱりおまえが一番だ。これは嘘ではない。こうして約束通り、座間まで会いに来たのだから、許しておくれ。ずいぶん髪が伸びたな。手触りのいい綺麗な髪だ」

大きく無骨な手で頭、首筋、背を優しく撫でてくれるから、何だか心地よくなってきた。体が溶けていくようだ。また眠くなってきた。

「ところで竜兄は、中山家の(やかた)の門番ということか。館は何処にあるんだい。今日はここに泊まるのかい」

 
 榧丸は再び深い眠りに落ちていた。目覚めた時には、すでに朝日が狭い部屋の隙間(すきま)から差し込んでいる。いつもと違い、難なく起き上がることができた。めまいも無い。

「竜兄、何処へ行ったの。そうか先に鍛錬場へ行ったのか」
母の形見の藍色の小袖を羽織り立ち上がる。髪を束ねる事も無く、ふらつきながら壁を伝って庭へ出る。頬に秋の気配を感じた。


「おっ、榧丸だ。久しぶりだな。体の具合はどうだ」
「病が治ったのか。だが、まだ顔が青白いぞ」
「髪が伸びたな。美人の幽霊みたいだ」

小屋の前では兄弟子たちが、榧丸を物珍しそうに見つめて、口々に声をかけてきた。榧丸は何も言わずに恥ずかしそうに微笑む。

 鍛錬場から、慌てて源治郎が出て来た。

「昨夜までは熱にうなされていたが、今日は具合が良さそうだな。でも、まだ無理するな。寝ていろ。あとで、婆さんに粥を持って行かせるから」

「もう熱は無いよ。咳もあまり出ない。それより今朝は、やっと竜兄が会いに来てくれたね。もう、なかにいるのかな」

「何のことだ。誰も来てやしないよ。お前の部屋に竜が立ち寄ったのか。この(あたり)にお役目でもあって、朝早くやってきたのかもしれないな。それはよかったな」
源治郎が目を細める。

「うん、二年ぶりに会えて嬉しかったよ。しばらく、ここで父さんの仕事を見ていてもいいかな」
小屋へ入ると壁ぎわに置かれた木の道具箱の上に腰掛けた。

 源二郎は、刀の焼き入れのための土置(つちおき)を始める。燃えにくい粘土と砥石(といし)の粉を混ぜ合わせた秘伝の薄茶色の焼刃土(やきばつち)を、細い小さなへらを滑らせるようにして、刀身に塗っていく。土の置き方に変化をつけて刃文(はもん)を描く。硬く仕上げる刃には薄く、それ以外には柔軟な鉄にするために厚く焼刃土を重ねて塗った。いつも朝一番に行う仕事。榧丸はそれを見るのが好きだった。相模川支流の小川のせせらぎと、小鳥のさえずりに心が和む。今朝は榧丸の咳が響く。

「まだ、咳こんでいるな。早く部屋へ戻れ。気になってかなわん。それから、わしの部屋に(ほお)の木の(さや)に入った短刀がある。一昨日、おまえが眠っている時に、訪ねてきた客人が持って来た短刀だ。ひょっとすると、そのおかげで病が治ったのかもしれない。よく見てごらん。また、詳しい話しは夜だ」

「わかりました。でも、久しぶりに父さんの刀の焼き入れを見たいから、もう少し、ここに居させてください」

 炎で焼かれて赤くなる刀身の色を見やすくするために、弟子たちは開け放たれた戸を閉め、小屋を暗くする。火床(ほど)に風を送る(ふいご)の音が激しく、かたかたと音を立てる。炎の色はめまぐるしく変わり、刀匠は炎と向き合い真剣勝負をしている。やがて、炎を封じ込めた赤く光る刀身(とうしん)が現れた。

 源二郎が、炎から引きずり出した赤い刀を右手に(かか)げ持ち「やあー」と勇ましい雄叫(おたけ)びを上げて湯の入った細長い桶、湯船に入れる。すると刀が生き物のように「きー」と何度も鳴いた。それは人の声にも似ている。刀に魂が吹き込まれた瞬間だった。

 今朝は竜兄に会えた。久しぶりの刀の焼き入れも見た。満ち足りて晴々とした気分となった榧丸は鍛錬場を出た。屋敷の敷地内にある厨房(ちゅうぼう)へ行くと、飯炊きの老婆が榧丸に(かゆ)を作ってくれた。熱いから少しずつ、ゆっくりと口に入れて飲み込む。滋味豊かな味噌の味と雑穀が、とろりと五臓六腑に染み渡る。久しぶりに食べ物が上手いと感じた。

 源二郎の部屋へ入ると、枕元に置いてある短刀を手にして鞘から抜く。

「ああ、美しい。直刃(すぐは)清々(すがすが)しい。刃縁(はぶち)が冴えている」
さぞや名のある刀匠の物だろうと思い、銘を確かめたくなった。刀身から目釘(めくぎ)を抜いて()(はず)す。

「天正十七年 竜 為榧丸」

 榧丸は息を飲む。短刀の(なかご)には、文字の大きさが不ぞろいな銘が切られていた。まさか、これは竜兄が初めて作刀したやつか。不出来だからと言って、おれには見せてくれなかった短刀。榧丸は喜びとも悲しみとも怒りともつかぬ気持ちで、胸が苦しくなり、柄を元に戻して鞘に収めた短刀を、胸に抱き寝筵の上に倒れ込んだ。

「かやまるのためだと。二年前おれのために作刀したというのか。それなら竜兄から手渡してもらいたかったよ。どんなに嬉しかったことか。竜兄の馬鹿野郎」
夜着を被ってうずくまった。


 夜になると、源二郎が芋粥と白湯(さゆ)を持って部屋へやって来た。

「具合はどうだ」
「もう大丈夫。明日から小屋へ手伝いに行くよ」
「まだ、しばらくはのんびりしていろ。こんなに痩せちまって、力も無いのに刀鍛冶の手伝いはできないだろう」
親指と人差し指の二本で手首を掴む。

榧丸は無言でうなずきながら指を振りほどき、箸で粥に浮かぶ里芋をつつく。細い首と肩を黒髪が覆っている。

「実は一昨日、おまえに会いに若い尼僧(にそう)が訪ねてきた。熱でうなされている時だったから会わせなかったが、また来るそうだ。相模国(さがみこく)下溝(しもみぞ)の天応院の貞心尼(ていしんに)という。その時、この短刀を榧丸に渡してくれと言った。受け取った時は気づかなかったが、昨夜よく見たら竜が作刀したものだった。(なかご)に切られた下手くそな銘は初めて見たが。貞心尼は竜のことを、よく知っているに違いない。気になるから明日、天応院を訪ねて話しを聞いてみようと思う」

「父さん、おれも一緒に行きたい」
「下溝は近いが、まだ出かけるのは無理だ。とりあえず、わしが行ってくるから、大人しく待っているのだ」
「わかったよ。待っているから、早く話しを聞かせてよ」

 おれは大切にされている。でも、いつまでも小さな子ども扱いされているような気がして嫌になる。長い一日を榧丸は一人過ごしていた。落ち着かない様子でぐるぐると庭を歩きまわる。そして短刀をじっと見つめるばかり。
 
「竜兄の短刀を見ていると心が落ち着くよ。地鉄(じがね)は細かい板目肌。青竹のように真っ直ぐな刃文。刃の中に生気が見える。竜兄らしい刀だな。魂込めて作ったんだろうな。見れば見るほど、短刀に見られているような気さえしてくるから不思議だ」
短刀に話しかけていた。


 日暮れ前に源二郎が、顔を曇らせて帰って来た。

「榧丸、残念な知らせだ。貞心尼は亡くなられたそうだ。寺で聞いたところによると、貞心尼とは北条氏照様の娘の波利姫だ。八王子城に居たという姫は生きていたのだな。北条氏滅亡後、中山助六郎の室となったが、お優しい姫だったのだろう。すぐに戦乱の世をはかなんで出家されたとか。無理もない。落城の時に、さぞやおつらい思いをされたのだろう。そして昨日、同じ寺の尼僧の目の前で相模川に身投げされたという。今、大騒ぎになっている。まだご遺体は見つかっていないとのこと」

「何だって。何故(なぜ)、八王子城の波利姫が竜兄の短刀を持っていたんだ。そういえば、竜兄は好きな女がいたって。まさか波利姫か」
父と子は互いに顔を見合わせ、しばらく沈黙した。

「竜の短刀は銘以外は見事な出来映えだ。初めて作刀したとは思えぬほど。もっと褒めてやれば良かったと、後悔している。引き留めるべきだった。足軽なんぞにならなければ、名を残す刀匠になったかもしれない。最初で最後の竜の刀は、おまえのための守り刀だ。おそらく、竜は小田原城へは行っていない。中山勘解由の家来として、最後まで八王子城で戦ったに違いない。この短刀は竜の形見の品」
淡々と語っていた源二郎の目から突然、止めども無く涙が溢れ出した。

「父さん、泣くなよ。まさか、そんなわけない。竜兄は昨日、おれに会いに来たんだぞ」
榧丸は初めて大声で父親を怒鳴りつけた。
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