プロメテウスの怨念

文字数 1,008文字

 この十年、彼はこの世の中のありとあらゆる存在を、そして己自身をも恨み続けて居た。
 そして、ただひとつのとある希望だけに縋り生きて居た。

 だが、それすらも、今は失われた。

 押し寄せた波の傷跡も乾ききっていなかったあの朝。
 警察が咎めなかったその罪は、突如として咎められた。
 捻じ曲げられた“正義”によって。

 まだ“特例”など無かった頃。
 まだ、息をする余地があった頃。
 彼はその息の根を止められた。

 遠のく意識の向こう側に聞こえてきた、口汚い罵詈雑言を聞きながら、何処へともなく連れて行かれた。
 そして、薄い闇の中に放り込まれたまま、其処が何処かと教えられた時には、二度と戻れない場所だった。
 
 長い間、彼を守っていた存在は彼を裏切り、彼は絶望のまま筆をとり、その通りにしようとした。
 だが、それは失敗に終わった。
 それその物としては。

 彼を憐れんだ男は、彼に生きる道を与えた。
 そして、彼はその為に生きると決めた。
 互いの思惑が一致していないまま。

 だが、今となっては、それすらももはや叶わない。
 外に出る事も叶わなければ、縋り続けた希望も叶わない

「見たところ異常はないし、今言えるのは、精神的な原因、くらいかしら……もし、これが不可逆的な物であるとすれば、その原因を突き止めなきゃいけないし……」
 白衣の医者は首を傾げていた。
 彼を苦しめてきたそれが、もう二度と戻らないのであれば、彼は自由になる。
 だが、その原因を医者として証明する事が出来ない。
「この前の髄液中の所見にも“異常”はないし、さっきのCTでも中枢神経系に見た感じの異常は無いし……睡眠リズムも、ちょっとレム睡眠が短めだけど、眠れていないわけじゃないから大丈夫か……」
 端末機(タブレット)の画面を閉じ、医者は彼を見た。
「鎮痛剤の服用は大分減ってるけど、その影響はあるかもしれないから、これまで通り傷跡が傷む時にはまず温めて、出来るだけ鎮痛剤を使わない様に。ただ、気圧の変動で痛みを感じる様なら、梅雨明けまでは続くでしょうし、また受診して。今は三半規管に作用する薬は出していないから」
「分かりました。朝早くからありがとうございました」
「いいえ、私は当直番で暇だったし……とはいえ、そろそろ申し送りね」
「では、失礼します」
「お大事に」
 彼は立ち上がり、白い廊下へと進み出た。
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