七、

文字数 3,142文字

 発表会が終わった。それと同時に、女装生活も終わった、母の舞台が終わり、着替えをしに光太郎の控え室まで戻ろうとしたとき、彼女たちに捕まった。
「ひびき? マジでひびきなの?」
 七海が訊く。他の二人も響の体をじろじろと見るものだから、気持ち悪いやら恥ずかしいやらで、下を向いた。光太郎はそれを庇うように、響の前に立った。
「ひびきじゃない。キョウだ。ひびきが熱で出られないから、代役で他の場所でダンスを習ってる、双子の兄のキョウが特別出演したんだ」
 真っ赤な嘘を飄々とした顔で喋る光太郎。だが、ここで本当に「実は女装してました」と言ったら、やっぱり問題になる。ここは光太郎の放った嘘を突き通すしかない。
「そう、ひびきのやつ、本番に弱くてさ。前から母さんとは話してたんだ。もし、熱が出たら、俺が出るって」
 そう言って、目の前の美少年は少し困った顔で笑った。汗の水滴がついている茶色い髪を耳にかける。その仕草が妙に色っぽく、女子三人組はほっぺたをピンクに染めた。
「じゃ、じゃあ、舞台の上で彩先生が出てきたときは、何を話してたの?」
 湊が質問すると、今度は響が適当にごまかした。
「ああ、あれはちょっとした演出だよ。パンフレットにも、母さんが踊るなんて書いてなかったでしょ? 事前に話もなかったと思う。ちょっとしたサプライズだよ」
 にっこりと、白い歯を見せると、湊の目にハートが映った。吹っ切れたようにフェロモン垂れ流し中の響の頭を光太郎は軽く叩き、「おいおい」と笑って見せた。


 一足早く、若葉の車で帰ってきた響は不安だった。母に怒られるだろうか。本当に縁を切られてしまうなんてことがあるかもしれない。そしたら、身寄りのない自分はどうなるのだろう。どきどきしていると、ほろ酔いの彩が帰ってきた。どうやら機嫌はよさそうだ。
「おかえり」
 小声で近寄ってみると、母は笑顔で「ただいま」と返してくれた。ふらつく足取りで、自分でタオルなどを洗濯機に入れると、水をコップ一杯のみ、イスに座った。響もなんとなく正面のイスに座る。
「まったく、あんたって子は。とんだ発表会になったわよ」
 口では怒っているが、酔っているせいなのか笑顔だ。どっちを信じればいいのかわからず、響は困り果てた。
「ジュースちょーだーい」
 いつもなら「自分でどうぞ」と言うところだが、今日はグレープフルーツジュースを響が注いでやった。コップを手渡すと、一気にそれを飲み干す。そして、ゲップ。
「最悪! もう本当に最悪だわ!」
 ゲップが出るやいなや、急に大声を出す。拳をテーブルに叩きつけると、彩はテーブルに突っ伏した。
「私の作品に出てくるはずだった登場人物たちは、勝手に物語のドアを開けて、別の世界で自由に踊りました」
「え?」
 ろれつの回らない彩の言葉がよくわからなくて再度聞き返すと、彩は静かに言った。
「あんたたちの言いたいこと、踊りで何となくわかったわ。無理やり人を踊らせても、本当に好きな気持ちがないと、それはただの動きでしかない。芸術にはならない。昔ロイも言ってた」
 飲み終わったコップの縁を指先でなぞりながら、彩は寂しそうな顔をした。
「結局、何も訊けなかったな。踊りが終わると、もう客席にはいなかったし」
 コップは水に濡れた指先で触られているので、ウワーンと独特の音色を出す。その音を、彩は何度も何度も繰り返し出した。
「ロイは日本にまだいるの?」
「今晩発つ予定よ。今度はもう、会えないかもしれないけどね」
 遠くを見つめる母の目には、何が映っているのだろう。飛行機に乗るロイの姿だろうか。それとも、違う他の何かだろうか。


 翌日、ポストカードが届いた。冬だと言うのになぜか青い空、青い海、ハイビスカスの咲き乱れるリゾートの写真が裏面にある。
こんな変なポストカードを送ってくるような知り合いはいないはずだ。宛名を見ると、下手なひらがなで「かとうさいさま」と書かれていた。響が訝しげに差出人を見ると『Roy Wilson』からだった。
彩は発表会の後処理のため、今日も外出だ。一人でこのミミズ文字を解読する勇気もない。響は急いで光太郎と壮次の家に電話した。
三十分後、二人は自転車に乗ってアパートの前まで来た。その気配に気づいた若葉も、お菓子を持って光太郎たちと一緒に響の部屋を訪れた。
「ダンスの発表会も終わったから、久々に遊ぼうぜ!」
 壮次は遊ぶ気満々で、携帯用ゲームを持ってきていたが、響はそれを見ずに先ほど届いたロイのポストカードを三人に見せた。
「きたねー字だな」
「お前よりはマシじゃないか?」
 光太郎が壮次に突っ込みを入れていると、若葉もつられて笑った。
「一生懸命書いてるのはわかるけど……これじゃ、読めないね」
「そういうことだから、このポストカードをみんなに解読してもらいたい」
響が音頭を取ると、一斉にテーブルを囲んだ。
「最初のは『こんにちは』だよな。でも、昨日会った相手に『こんにちは』って変じゃないか?」
「まあまあ。ロイは喋るのはうまいけど、書くのは下手なんだよ」
 響が笑いながらいない相手をフォローする。
「『danceとてもすばらしかた。とくにこおたろときょのdanceがよかた』……どうやら『う』と小さい『つ』が使えないようね」
「『きょ』って、俺のことだよね?」
 響が全員に確認すると、笑い声で肯定された。
「お、次は響のことが書いてあるぞ……多分」
 断言できないのがつらいところであるが、さっそく下の行を解読していく。
「『きょはわたしのむすこですか? むすこならsuccessorにしたい。でもわからない。さいのへんじまちます』」
「『successor』って、何?」
 壮次が光太郎に訊くが、光太郎もわからないようで若葉の方を向く。若葉は「『後継者』って意味だよ」と教えてくれた。
「結局、響の父親がロイかどうかってことは、彩先生しかわからないんだな。でも、その彩先生は認めてるんだろ?」
 光太郎が言うと、響はうなずいた。
「でも、ロイが気づいていないなら、俺は後継者にならないと思うよ。母さんは俺をロイに取られないようにするために、女装させてたんだから」
 あっさり言ってのけると、残るは最後の一行だ。若葉がゆっくり読みあげる。
「『さい、わたしもきみのことがすきだた。いまはもおおそすぎる。きみはもうわたしをこえるちからをもつ……コ、コレ……です』ごめん、この単語読めない」
 若葉は一度区切ると、最後の一文を読み上げた。
「『きみのおもうみちにすすみなさい see you again Roy』」
「うーん、なんだかよくわからない文章だったな」
 光太郎が呟くと、壮次が身を乗り出して首を振った。
「よくわからないどころじゃない! 日本語カタコトどころかガタガタすぎだよ」
「だけど、ロイはもう、母さんのことを恋愛対象としては見ていないんだな。自分と同等のchoreographerだって言ってくれてる。母さん、そこは喜ぶと思うよ」
「なに、そのコレオグラファーって? さっきの単語?」
 若葉が訊ねると、響はこくりとうなずいた。
「うん、母さんの持ってる本、この単語がつくタイトル多いんだ。それで覚えた」
「どういう意味なんだ?」
 壮次とじゃれていた光太郎が訊くと、響は笑顔で言った。
「『舞踊創作家』。母さん、一人前だって、やっと認められたんじゃないかな」
 響は正面の窓から、冬の空を見た。灰色で、いつ雨が降ってもおかしくない。だけど、今の響の心の中は、曇りどころか暖かい光がさしていて、なんだかぽかぽかする。
 彩が帰宅するのを見計らって、響はそ知らぬ顔で無造作にロイからのポストカードをテーブルに置いておく。
 彩はそれを読んで、密かに涙を流していた。

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