三月の物語 月白《げっぱく》の結月鷹《ゆいげつよう》、その進化の時

文字数 13,414文字

 ここは祈祷師、昇龍(しょうりゅう)  導光(どうこう)の屋敷。


  導光(どうこう)の一日は朝四時に起床。


 そして、裏庭にある井戸で(みそぎ)を済ませ、
屋敷の一階、一番奥にある祈祷の()に移り、
祭壇の前に座して《神》に祈りを捧げる
ことから始まります。


 まだまだ寒さの続く三月のある日のこと。


 いつものように、朝早く裏庭にある井戸で
(みそぎ)を行っていると。。。


 一羽の鷹が、尋常ではない勢いで導光の
目の前に舞い降りてきたのです。


 鷹は、すがるような眼差(まなざ)しで導光に語り
かけます。


「私の名は『結月鷹(ゆいげつよう)』。


 月の加護を受けし、

(たか)霊獣(れいじゅう)でございます。


 どうか。。。どうか。。。

 私がお(まも)りしている

お方をお救いください。」


 あまりにも真剣な鷹の表情。


 そして、訴えるような眼。


 これは間違いなく何かが差し迫っていると
察した導光は鷹に応えます。


「承知いたしました。


 詳しい事情をお伺いいたしましょう。」





 そのころ。。。


 一人の男性が、寒空の下、誰もいない公園
のベンチに横たわり、両手で顔を(おお)いながら
声を押し殺すようにむせび泣いていました。


 いつ命を絶ってもおかしくないほどに
その男性の表情は絶望と(むな)しさでやつれ、
悲嘆にくれたその姿は声をかけるのもはばか
れるほどでした。


 一ヶ月前にやっと見つかった再就職先。


 二年前まで勤務していた会社を追われてか
らずっと仕事を探し続け、今度こそは同じ過
ちを繰り返すまいと自らに誓い、日々懸命に
働いていた矢先、ある事情で解雇されてしま
ったのです。


 彼の名は「菅原(すがわら)  正義(まさよし)」。


 嘘やごまかしが大嫌いな真っすぐな性格の
持ち主。


 理不尽な目に会っている人を見ると、
どうしても放っておけず、助けずにはいられ
ない性格。


 それは、相手の置かれている状況や、
相手の心情を自分のことのように(とら)えられる
からこそ。


 それゆえ、自らの中にある正義の心に反す
る生き方ができず、今まで何度も追い詰めら
れ、苦境に立たされてきました。


 今回の解雇も、そんな彼を敵視する社内の
一部の卑怯(ひきょう)な人間たちにより(はか)られたもの。


 そこへ、『結月鷹(ゆいげつよう)』に(いざな)われた導光が
やって来ます。


 「正義」の嘆き悲しむ姿を見て、一刻の
猶予もないと悟った導光は、彼をなだめる
ようにゆっくりと落ち着いた声で語りかけま
した。


 「あなたは、

「菅原  正義」さんですね?」


 その問いかけに驚く「正義」。


 「どうして私の名を?


 あなたはどなたですか?」


 「私は、昇龍(しょうりゅう)  導光(どうこう)と申します。」


 「正義」にそう答えると、導光は、頭の中
で言葉を整理し、「正義」に理解してもらえ
るように、事の次第を順を追ってゆっくりと
説明しました。


 「あなたに信じていただけるかどうか

わかりませんが、あなたをずっと見護(みまも)って

いたある存在が、あなたの転機を知らせに

私の元にやって来たのです。


 今、私の(かたわ)らには一羽の鷹がおります。


 それは『結月鷹(ゆいげつよう)』という名の月白色(げっぱくいろ)

鷹の《霊獣》。


 これまでずっとあなたに降りかかろうとし

た災いの数々を先んじて振り払ってくれてい

た、あなたの《守護獣(しゅごじゅう)》なのです。


 あなたが日々の生活をできる限り苦労なく

送れるよう尽力してくれてもいました。


 あなたの身を案じ、その『結月鷹(ゆいげつよう)』が

私の元に救いを求めてきたのです。」


 ところが、導光のその言葉に「正義」は
憤慨(ふんがい)します。


 「ふざけるのもいい加減にしてください。


 いったい何が言いたいのですか?


 そんな話を私が信じるとでも?


 本当に私のことを守ってくれていたと言う

なら、私がこんな目に会わないよう助けて

くれるはずでしょう。


 私が今までどんなにひどい仕打ちを受けて

きたか。


 今度こそはそうならないように絶対に沈黙

を守ろう、見なかったことにしよう。


 いくらそうしようとしても。。。


 私には、私にはできなかった。





 私には。。。


 私にはどうしても見て見ぬふりができない

のです。


 私は、身に覚えのない言いがかりをつけら

れている人を見ると放っておけない。


 悪くもない人を悪いと平気で言える人間

たちを許すことなど絶対にできない。


 できないんです。


 正しいことをしているだけなのに。。。


 理不尽な目に会っている人をただ助けた

かっただけなのに。。。


 その結果が。。。


 その結果がこれですよ。


 いつも、いつも結局損をしてばかり。


 貧乏くじを引きっぱなしなんだ。


 私が人をかばっても、

私がいくら人を助けても、

私のことは誰もかばってくれない。





 誰も助けてくれないんだ。



 別に見返りなんて求めてない。


 ただ助けたくて。。。助けたくて。。。


 助けているだけなんだ。


 だけど。。。



 本当に私を守っていたというのなら、

こんな風になる前に助けてほしかった。


 どうしてもっと早く

助けてくれなかったのですか。


 どうして()しき者たちを

(ばっ)してくれないのですか。


 そういう者たちを

ただのさばらせている

だけじゃないですかっ!」


 身につまされるような心の叫びを吐露(とろ)する
「正義」に対し、『結月鷹(ゆいげつよう)』は何も返す言葉
もなく、しばらくの間黙っていました。




 そして。。。





 『結月鷹(ゆいげつよう)』は静かにうつむきながら
語り始めたのです。


 「「正義」さま。

 あなたをお(まも)りしていたのは

私だけではございません。


 月に宿る鹿の精霊(せいれい)、『月鹿(げっか)』と

(うさぎ)の精霊、『月兎(げっと)』もまた、

ずっとあなたをお護りしていました。


 もう昔のこと。


 あなたは覚えていらっしゃらないかも

しれませんが。


 あなたが六歳の時。


 赤い車に引かれそうになったあなたを助け

たのは『月鹿(げっか)』なのです。


 『月鹿』はその車の前に立ちはだかり、

二本の長く鋭いその角で、力の限り車を

押し返しました。


 ビックリしたあなたは頭から後ろに倒れて

しまわれた。


 その時。



 あなたが地面に打ちつけられないよう、

あなたの下敷きになって助けたのは

月兎(げっと)』。


 『月鹿(げっか)』の二本の角はその衝撃で

粉々に砕けてしまい、下敷きになった

月兎(げっと)』も大怪我(おおけが)をしたのです。


 それでも彼らは、

「「あなたが無事でよかった。」」と、

傷だらけの自分たちよりも

あなたを心配していたのです。


 もしかしたら、あなたもその時、

一瞬、鹿(しか)(うさぎ)の姿を見たのではないので

しょうか?


 それでも。。。


 それでも私の申し上げていることが

嘘だとおっしゃるのですか?」


 『結月鷹(ゆいげつよう)』のこの言葉にハッとする
「正義」。


 六歳の彼にとっては、あまりにもショック
で、忘れようとしても忘れられない幼き日の
衝撃の出来事。



 (あれは赤いスポーツカーだった。


 ものすごいスピードでこちらに向かってく

るそのスポーツカーを見て足がすくんでし

まい、


((もうダメだ。。。))


 そう思った時。

 
 自分の前に突然鹿が現れ、その長く鋭い

二本の角で車を払いのけた。


 そして、地面に倒れる瞬間、まるで大きな

クッションの上に勢いよく寝ころんだような

感覚を覚え、ふと見ると、私の下にいた

一羽の(うさぎ)がにっこり笑って、

「大丈夫だからね。」


 そう言ってくれた。)


 「正義」は、その時の出来事を
今でもはっきりと覚えていたのです。


 『結月鷹(ゆいげつよう)』の言うとおりでした。


 (果たしてこんなことが本当にあるの

だろうか。。。)


 いきなり目の前に現れた見知らぬ導光と
いう人物。


 そして今、この人物を通して語られる目に
見えぬ≪鷹なる存在≫の切なる訴え。


 「正義」は、この不思議な状況にいったい
どうすればよいのか頭が混乱してしまってい
ました。


 ひとつ言えるのは≪鷹なる存在≫の言葉が
真実であるということ。


 それも「正義」にしかわからない過去の
出来事だということ。


 そんな「正義」を見つめながら、
結月鷹(ゆいげつよう)』は、その鋭く威厳のある眼差(まなざ)しに
涙を浮かべ、こう切り出したのです。


「あなただからこそ。


 それでもあなたであればこそ。


 あなたのように

清らかな魂をお持ちなら、

きっと乗り越えてくださる。


 それを信じ、その一心で

ずっとあなたをお護りしてきました。


 おっしゃるとおり、

あなたが窮地に(おちい)っている時、

私は何もできませんでした。


 今の私には、

あなたに降りかかる災いを

払いのけることで精一杯なのです。


 でもこれからは違います。


 あなたのおかげで今日、この日。


 やっと私は≪進化の時≫を迎えることが

できるのです。


 今、あなたは人生の中で

非常に大きな《転機》を

迎えようとしていらっしゃいます。


 (あるじ)が《転機》を迎える時。


 それは、あなたが生まれた時から

ずっとあなたを護っていた

あなたの《守護存在》も

≪進化≫を迎える時。


 あなたは今まで

けっしてご自分に嘘をつかずに

生きてこられました。


 人の痛みがわかるあなたは、

そのためにずいぶん傷つき、

他人の犠牲になってきたことでしょう。


 人々の罪をおひとりで背負い続けた

その生き方こそが、あなたの魂をさらに

高め、この《転機》を導くきっかけとなった

のです。


 ようやく今までの努力が実り、

あなたの魂が新たなる姿へと今、

≪進化≫を遂げようとしています。


 それは、同時にこの私にとっても、

生涯にたった一度だけ与えられた

機会でもあるのです。


 あなたを幸せにしたいと願う、

この私の≪進化≫をどうか、

どうか許可してください。


 私が無事に、≪進化の時≫を

迎えることができれば、

今までずっと行き詰っていた

あなた自身の道を光で照らし、

何の障害もなく前進させる

ことも可能です。


 災いを退けると同時に

幸福を引き寄せ、大願成就に導く

ことができるのです。」


 『結月鷹(ゆいげつよう)』の訴えるようなその言葉に、
先ほどまでの絶望の表情から希望の光を
見出したような表情へと変化した「正義」
を見た導光は、

(きっとうまく行く。。。)

 そう確信し、『結月鷹(ゆいげつよう)』から一本の羽を
受け取りました。


 「「正義」さん。


 これは『結月鷹(ゆいげつよう)』の羽。


 月白色(げっぱくいろ)に輝く美しいこの羽が、きっと

あなたの心からの願いを叶えてくれるで

しょう。


 鷹は古くから存在し、我々人間を正しき

方向へと(いざな)ってくれる、とても聡明(そうめい)な鳥なの

です。」


 「本当に。。。本当に。。。


 そんなことがあるのですか?


 あなたのその言葉、信じてもいいのでしょ

うか?」


 「はい。 信じてください。


 信じるべきかどうか、その問いに対する

あなたの答えは、もうすでにあなたの心の

中にあるのではないでしょうか?」


 導光の、その力強い返事。


 そして、後押ししてくれるような助言の
言葉に「正義」は心を決めたようでした。


 「わかりました。 導光さん。


 あなたを信じます。」


 「「正義」さん。 


 私が申しあげている言葉はすべて

結月鷹(ゆいげつよう)』の言葉。


 私を信じる、ではなく

結月鷹(ゆいげつよう)』を信じてあげてください。


 私はただの仲介役に過ぎません。


 あなたを心配しているのは、

今、ここにいる『結月鷹(ゆいげつよう)』なのです。」



 導光に促された「正義」は、

 「はい。 そうでしたね。


 『結月鷹(ゆいげつよう)』とおっしゃった。。。


 私をずっと守ってくれていたという。。。


 『結月鷹(ゆいげつよう)』、私はあなたを信じます。


 どうか、私を助けてください。」





 自分の存在をやっと信じてくれた
「正義」。


 その「正義」の嬉しい返事に安堵(あんど)した
結月鷹(ゆいげつよう)』は≪進化の時≫を迎えるにあた
り、「正義」に非常に重要な提案をします。


 「「正義」さん。


 私は今、あなたが最も必要な四つの

【幸福の力】のうち、あなたが一番ほしい

幸福の形に合わせて≪進化≫を遂げることが

できます。


 求められる幸福によって

私の≪進化≫の形も変化するのです。



 その四つの【幸福の力】とは、



 ひとつめ、

澄財鷹(ちょうざいよう)

 (けが)れのない、澄んだ美しい財に

恵まれる力。


 ふたつめ、

事成鷹(じせいよう)

 最高の仕事に恵まれ、その仕事で

大成功を収める力。


 みっつめ、

愛恵鷹(あいけいよう)

 運命の人と出会い、結ばれ、

最高の愛に恵まれた人生を送る力。


 よっつめ、

永縁鷹(えいえんよう)

 多くの良縁に恵まれ、いつまでも

円満な関係を築く力。


 この四つの【幸福の力】のうち、

あなたが今、一番ほしいものを

一つお選びください。


 あなたの願いに合わせ、

私はいかようにも変わりましょう。


 私は月の加護を受けし鷹。


 そして今日は《満月》。


 月の力も最大となる日です。


 私は今からその力に後押ししてもらうため

月へ行ってまいります。


 本来なら四つの【幸福の力】すべてを

あなたにお渡ししたい。


 ですが、

ひとつひとつの【幸福の力】が

あまりにも強大なため、

あなたにお渡しできるものは

たったひとつだけ。


 私が月から戻ってきたら、

あなたの答えをお聞きします。


 どれにしたいかよく考え、

お渡ししたその月白色(げっぱくいろ)の羽の先で

あなたの左の手のひらに

選んだ【幸福の力】の

ひと文字を書いて下さい。


 よろしいでしょうか?」


 『結月鷹(ゆいげつよう)』がそう尋ねると、

「正義」は。。。


 「はい。」


 そう答え、『結月鷹(ゆいげつよう)』の方を
真っすぐ見つめ、うなずきました。


 導光には「正義」の出す答えがすでに
わかっていました。


 そして。。。

 これから彼が歩むであろう新たな人生が
彼の背後にはっきりと視えたのです。


 (素晴らしい。


 なんと素晴らしい人生なのだ。)


 一方の「正義」は、一点を見つめ、
じっと何かを考えているようでした。


 導光は心の中で
「正義」に言葉をかけました。


 (「正義」さん。

 
 本当によく耐えてきましたね。


 あなたは素晴らしい人だ。


 これから幸せな人生を歩めますよ。


 きっと。。。)





 時間にして三十分ほどでしょうか?


 月に向かっていた『結月鷹(ゆいげつよう)』が
二人の元に戻ってきました。


 息を切らしながら。


 それでも導光には、『結月鷹(ゆいげつよう)』の表情が
先ほどとは打って変わって穏やかで、喜びに
満ちあふれているように視えました。


 「「正義」さん。


 四つのうち、

どれにするか決まりましたか?」


 『結月鷹(ゆいげつよう)』が「正義」にそう尋ねると、
「正義」は、「はい。」とはっきり答えます。





 「私は。。。私は。。。」
























 「みっつめの【愛恵鷹】を選びます。」


 「本当にそれでよろしいのですか? 


 あなたに今一番必要なのは

仕事や財ではないのでしょうか?」


 「私も初めはそう思いました。


 でも、これからの人生、

共に手を取り合って生きていける

生涯のパートナーがいてくれたら

どんな試練や苦労にも

耐えられる気がするんです。


 お互い助け合い、信頼し合い、

そして理解し合える、そんな最愛の

パートナーと巡り会い、

一緒に幸せな人生を歩んでいきたい。


 私が心から一番望んでいるのは

そんな運命の人と出会うことです。」


 一切の迷いもない力強い「正義」の
その言葉に『結月鷹(ゆいげつよう)』は、


 「わかりました。


 それでは先ほど私がお願いしたように、

その羽の先で左の手のひらに「愛」という

文字を書いて下さい。」

 そう「正義」に言いました。


 「正義」が《愛》という文字を

書き終わると。。。


 『結月鷹(ゆいげつよう)』は真っすぐにはるか上空へと
飛び立って行ったのです。


 キラキラと輝く光に包まれた『結月鷹(ゆいげつよう)
は、自らが放つ光の(おび)で空中に《ハート》の
形を描きました。


 それはまるで空というブルーの
キャンバスの上に(かたど)られた美しき心の形。


 そして。。。


 『結月鷹(ゆいげつよう)』はまるでトルネードのように
クルクルと回り始めたと思いきや。。。





 (くれない)(あかね)濃紫(こむらさき)(すみれ)(あい)瑠璃(るり)、若草、
萌黄(もえぎ)、山吹、(だいだい)亜麻色(あまいろ)、金そして銀。


 誰一人として見たことがない、目を見張る
ような美しき色合い。


 まるで色彩の魔術にかかったかのように
色鮮やかに様々な色に変化する『結月鷹(ゆいげつよう)』。



 「成功ですっ!」


 導光は叫びました。


 「『結月鷹(ゆいげつよう)』が、『結月鷹(ゆいげつよう)』が

みごとに進化を果たしたのです!」


 『結月鷹(ゆいげつよう)』が二人の元に戻ってきた時、
月白色(げっぱくいろ)だった『結月鷹(ゆいげつよう)』は、金と銀の光で
(おお)われた薄紅(うすべに)色に変化していました。


 「「正義」さん。


 私はあなたが心から求めていた

愛恵鷹(あいけいよう)】へと、今、無事に≪進化≫を

遂げました。


 そしてあなたには

同時に他の三つの【幸福の力】

すべてが授けられたのです。」


 『結月鷹(ゆいげつよう)』のその言葉に驚く「正義」。


 そして。。。


 「えっ、どういうことですか?」

と尋ねます。


 「実は、私はあの時。


 月に宿る《神々》の元に向かい、

他の三つの【幸福の力】もあなたに授けられ

るよう《神々》に懇願(こんがん)していたのです。


 あなたの日頃の行い、そしてあなたの

お人柄をずっと月から見ていらした

《神々》は(こころよ)く承諾してくださいました。





 あなたはこれから幸せな人生を

歩むべきお方です。


 あなたのおかげで私も念願であった

≪進化の時≫を無事に迎えることが

できました。


 感謝いたします。


 私の目に狂いはなかった。


 あなたを信じ、護り続けてきて私は本当に

幸せです。


 『月鹿』と『月兎』もたいへん喜んでおり

ました。


 これからもあなたのことをずっとお護り

いたします。


 助けがほしい時は、今あなたが手にして

いる私の羽を空にかざし、私の名をお呼び

ください。


 すぐにあなたの元に参ります。


 姿は見えずとも、必ずお救いいたします。」





 なんと嬉しい言葉でしょう。


 これほど心強く、信頼できる存在が
他にいるでしょうか?


 感無量の「正義」。





 今までずっと
独りでこらえてきた。


 どんなことがあっても
泣き言を言わなかった。


 絶対に負けまい。


 泣くまい。


 誰にも頼るまい。


 そう心に言い聞かせ、
一人で耐え抜いてきた。


 長い間張りつめていた「正義」の心は、
結月鷹(ゆいげつよう)』のこの言葉で、ようやくその
緊張が解きほぐされ、けっして泣くまいと
誓ってきた「正義」の目には、いつのまにか
喜びの涙があふれていました。


 「「正義」さん。


 私たち人間はそんなに強くはない。


 我慢することはないのです。


 (つら)ければ

人に助けを求めればいい。


 悲しければ

思いっきり泣けばいい。


 そして嬉しいときは

思いっきり笑う。


 でもあまりに

嬉しいことがある時、

人は笑顔ではなく涙を浮かべる。


 《喜びの涙》。


 涙はけっして恥ずかしいものではなく、

美しいものでもあるのですよ。」


 導光はこう言って
「正義」を(なぐさ)めました。


 「はい。


 ありがとうございます。


 何と言っていいのか。


 あまりにも不思議で。」


 「正義」は涙を
両手で(ぬぐ)いながら答えます。


 そして『結月鷹(ゆいげつよう)』に向かって、


 「名を『結月鷹(ゆいげつよう)』と

おっしゃいましたね。


 あなたのおかげで、私は自分を疑わずに

信じることの大切さや(とうと)さを知りました。


 今までは、本当に自分はこれでいいのか

悩んでばかりで。


 理不尽な目に会うたびに

自分に自信がなくなっていきました。


 でも今は、自分を信じて

ここまでたどり着けて

本当によかったと思っています。


 何より私のことを

理解してくれている存在が

いてくれたんだ。


 それがわかっただけでも

心が洗われた気がします。


 これからもよろしくお願いします。」


 そう言葉をかけました。


 あまりにも重すぎた心のつかえが
すっと消えていき、「正義」は、やっと
試練から解放された安堵(あんど)感と清々(すがすが)しさを
感じている自分がそこにいることに
気づかされたのでした。


 その「正義」の姿を見つめ、『結月鷹(ゆいげつよう)』は
これから「正義」がどのような人生を歩んで
いくのか、その鋭く先見(せんけん)(めい)のある眼差(まなざ)しで
予言します。





 「「正義」さん。


 あなたは間もなく一番望んでいた

運命のお方と出会うことになります。


 そのお方とは、あなたにとって

何らかの記念日の日に出会うでしょう。


 一見とても不愛想な方ですが、

将来は公私ともにあなたを支えてくださる

一番の理解者。


 そのお方と一生幸せな人生を歩んで

いかれることでしょう。


 心配していた仕事の件も、もうじき解決

いたします。


 多くの協力者に恵まれ、共に大業を成し

遂げるでしょう。」


 その『結月鷹(ゆいげつよう)』の予言に導光も黙って
うなずきます。


 そうです。


 導光にも「正義」のこれから歩むだろう
人生がすでに視えていたのです。


 その予言を聞いて「正義」は、


 「いやぁ、本当にそんな人生を

歩むことができたら私は幸せだろうなぁ。」


 自信なさげにつぶやきました。


 そんな「正義」を『結月鷹(ゆいげつよう)』は
微笑ましく見つめています。





 そして。。。


 「そろそろお別れの時間です。


 「正義」さま。


 私はいつもあなたのことを空から

見護(みまも)っています。


 どうか生涯のパートナーとなる方と

幸せな人生を歩んでくださいね。」


 「導光さま。


 私の切なる願いを聞いてくださり、

ありがとうございました。


 あなたが助けてくださらなければ

私は無事に≪進化の時≫を迎えることが

できなかったかもしれません。


 あなたは、救われるべき方々を

救うのが使命であるお方だと

お見受けいたします。


 どうか、「正義」さんのような

救われるべき方々を、これからも

お救いください。


 私はこの世のすべての方々に

幸せな人生を歩んでいただきたいと

思っております。」


 『結月鷹(ゆいげつよう)』のその言葉に
導光もうなずきながら答えます。


 「『結月鷹(ゆいげつよう)』さま。


 承知いたしました。


 私もこんな素晴らしい≪進化の時≫に

立ち会うことができてとても光栄です。


 あなたのおっしゃるとおり、

一人でも多くの方々に

幸せになっていただきたく、

私も日々精進してまいります。


 どうかお元気で。」


 『結月鷹(ゆいげつよう)』は導光を真っすぐ見つめ、
その言葉にうなずきます。


 そしてしばらく「正義」をじっと
見つめていると、


 「お二人とも、どうかお元気で。


 またいつかお会いいたしましょう。」


 そう言うと、薄紅(うすべに)色に変化した
大きな羽をはためかせ、真っ青な冬空に
向かって飛び立っていきました。


 (『結月鷹(ゆいげつよう)』。。。


 ありがとう。)


 「正義」は心の中でそう叫んでいました。





 気がつくともう十一時を過ぎていました。


 「もうこんな時間ですね。


 「正義」さん。


 これからの、あなたのご成功、

ご幸福をお祈りいたします。


 一時はどうなるかと思いましたが、

無事に【幸福の力】を授かれて

本当に良かった。


 私もこのような場には時々

立ち会うことがありますが、

あなたのようにすべての力を

授かれる方はほとんどいません。


 それは、きっと。。。

(ほか)方々(かたがた)の痛みや苦しみを

自分のことのように(とら)え、人を救うために

正々堂々と行動を起こしてきた

あなたのその行いが招いた奇跡。


 自分が不利な立場に追い込まれる

ことを知りながら、それでも

弱者を放っておけない。


 真の強さを持っているあなただからこそ

授かれた力です。


 真の強さを持っているが(ゆえ)

人一倍苦しんでしまった分、

これからはたくさんの幸福や幸運に

恵まれることでしょう。


 あなたはもう、あなたのままで十分です。


 そのままのあなたで生きていって

くださいね。


 きっと今日にでも、もうすぐすばらしい

何かと出会えますよ。」


「すばらしい何かと出会う。。。


 それは今日、出会ったばかりの

結月鷹(ゆいげつよう)』とあなたのことですよ。


 私にとってこの出会いは一生の宝と

なるでしょう。


 けっして忘れません。


 導光さん。 心に響くようなお言葉

ありがとうございます。」


 その「正義」の言葉に、導光は
ニッコリと笑いながらうなずきました。


 (もうすぐですよ。「正義」さん。


 もうすぐ出会えます。)


 そう心の中で「正義」に問いかけながら。







 導光にお礼をし、公園で別れたあと、
朝から何も食べていなかったことを
思い出した「正義」は、通りすがりの
カフェに入りました。


 角にある窓際の席に座り、メニューを
見ていると、


 「いらっしゃいませ。ご注文は?」


 注文を聞きに来たのは、少しふてくされた
表情の女性店員でした。


 「ホットコーヒーと

ミックスサンドイッチをお願いします。」


 「正義」がそう答えると、その女性店員は
いかにも面倒くさそうに「正義」と目を合わ
せようともせずさっさと立ち去っていきます。


 (感じの悪い店員だな。)


 そう思い、窓の外を見ようとした時。


 その窓のカーテンの下の方に何かが
あるのに気づきます。


 手に取ってみるとそれは年代物の万年筆。


 「すみま。。。」


 店員に声をかけようとしましたが、
あいにくあの感じの悪い女性店員しか見当た
らず、


 悩んだ挙句、仕方なく、


 「あの~、すみませ~ん。」


 そう言ってさっきの感じの悪い
女性店員に声をかけました。


 「はっ?」


 いかにも嫌そうな表情でこちらに
近づいてくるあの女性店員。


 「あの~。 これ。


 そのカーテンの。。。」


 万年筆がどこにあったか説明しようとする
と、その女性店員は、いきなり「正義」が
持っていたその万年筆をサッと取り返すと、

 「これっ。。。

 いったいどこにあったんですか?」


 ふてくされた表情から一転、
その表情からニッコリ笑顔が飛び出して
きたのでした。


 (うわぁ。


 なんてコロコロ表情が変わるんだ。


 この人!


 まるでカメレオンみたいだ。)


 「このカーテンの下に落ちていま

したけど。」


 「見つけてくれてありがとうございます。


 ずっと探していたんです。


 これ。


 見つかってよかった。


 この万年筆、父の形見なんです。


 もしこのまま見つからなかったら

どうしようかと思ってて。


 ありがとうございました!」


(笑うとまるで別人だな。


 いつも笑顔なら可愛いのに。


 なんであんなふてくされた態度を

とるんだろう。)


 ほどなくして、

 「お待たせしました。


 ご注文のホットコーヒーと

ミックスサンドイッチです。」


 カメレオン店員が注文の品を
持ってきました。


 「あれっ? 


 ケーキは注文していませんけど。」


 「正義」は注文していないケーキを
見て、そのカメレオン店員に言いました。


 「あっ、 これは父の万年筆を

見つけてくださったお礼です。


 そのチーズケーキは叔父の手作りで

私の一押しなんです。


 とっても美味しいですよ。


 実は、このカフェのオーナーは

その私の叔父で、今ここでアルバイトを

しているんですけど。。。


 それも今日が最後で。」


 「えっ? 


 辞めるんですか? 


 このお店。」


 「はい。


 仕事が見つかったんです。


 仕事が見つかるまで、ここでアルバイト

していたんですけど。


 

《あさって》から

新しい職場で働くことになったんです。」


 「あっ、そうなんですか。


 うらやましいです。


 実は、私も今、仕事を探していまして。」


 「あらっ、

お客様なら絶対に大丈夫ですよ。


 きっといい仕事が見つかると思いますよ。


 

《あす》にでも見つかるんじゃない

ですか?」


 「まさか。


 絶対にそんなはずないですよ。」


 「この世の中に絶対にないなんて

ことはないものですよ。


 万年筆、ありがとうございました。」


 (うらやましいな。


 どんな仕事が見つかったのかは

わからないけど。


 いつもあの笑顔なら

これからうまくいくんじゃないかな。)


 空腹だった「正義」は、一気にコーヒーと
サンドイッチをほおばり、

 カメレオン店員一押しのチーズケーキを
一口食べてみました。


 (ほんとだ。 美味しい。

 
 そういえば、もうずっと長い間、

何を食べても美味しいと思ったことが

なかった気がするな。


 食べるものの味やおいしさも

ろくに感じることができなくなるほど

私は。。。


 私の心はあまりにもすさんでいたのかも

しれないな。)


 ケーキを食べながら、
自然と笑顔になっている「正義」を
そのカメレオン店員は
微笑(ほほえ)ましく見つめていました。


 う~ん。。。


 その笑顔、何かありそうですね。





 家に帰るともう夕方。

 (今日は本当に

いろいろなことがあったな。


 これから私は自分の望む人生を

歩んでいけるのだろうか。


 いや。


 もう疑うのは止めよう。


 自分を信じて進んでいくだけだ。)


 疲れてしまったのか、いつの間にか
「正義」はそのままソファで
寝てしまっていたのでした。





 次の日の朝。 十時ごろ。


 突然、「正義」の携帯が鳴りました。


 知り合いからの電話ではなさそうですが。


 (いったい誰からだ?)


 「もしもし、「菅原」ですが。」


 「もしもし、

「菅原  正義」さんでしょうか?


 私、株式会社藤島商事で採用を担当して

おります「佐藤」と申します。


 以前、当社にご応募いただいていた

営業職の件でお話がございまして。


 今、お仕事の方は。。。」


 電話の相手は、「正義」が以前応募した
会社の人事担当者からでした。


 「実は、できましたら当社で営業職として

ご活躍いただきたいと思いまして。


 つきましては、本日の午後にでも当社に

お越しいただき、再度お話をさせて

いただきたいのですが。」


 「正義」はビックリしました。


 携帯を握る手が震えているのが
わかります。


 この会社は、六ヶ月前に応募し、
不採用となったところ。


 急ぎその会社に出向くと、
その人事担当者は、ここに至った経緯を
誠実に「正義」に説明してくれたのです。


 話によれば、
ぜひ「正義」を採用してほしいと
営業部の社員全員が懇願していたにも
かかわらず、

人事部長の一存で別の応募者を
採用したということでした。


 人事部長と知り合いだった前任者は、
営業経験など全くなく、

コネで入社した挙句、結局会社に
大きな損害を負わせ、人事部長と共に
懲戒解雇されたということです。


 「急で申し訳ございませんが、

それでは

《あす》からの勤務、

よろしくお願いいたします。」





 こんなことが
本当にあるのだろうか。



 「正義」は、まだ記憶に新しい
昨日の出来事をふと思い出しました。


 (これは。。。


 『結月鷹(ゆいげつよう)』の言ったことは

本当だったんだ。)





 そして次の日。


 株式会社藤島商事に初出勤した
「正義」は、営業部に配属になり、
営業部の社員全員の前であいさつをする
ことになりました。


 控室で待っている間、人事担当の
「佐藤」さんがやって来て、実はもう一人
今日から入社する人がいるので、その人を
紹介してくれるということでした。


 「どうぞ、お入りください。」


 そう言われて
「正義」が待つ控室に入ってきたのは。。。





 なっ、なんと、
あのとき、カフェで出会った
カメレオン店員さんでした。





 そうです。



 ふてくされた態度で
注文を聞きに来たあの女性店員。


 まさか、お互いこんな形で再会するとは
夢にも思っていませんでした。



 お互い?



 いいえ。。。


 彼女の方は、もしかしたらこの出会いに
気づいていたのかもしれませんよ。


 みなさん、覚えていますか?


 あの時『結月鷹(ゆいげつよう)』は
確かこう言っていましたよね。


 「「正義」の運命の人は、一見不愛想、

 そしてその人とは「正義」にとって

何らかの記念日の日に出会う。」と。





 そうなんです。



 あのカフェでお互い出会った日。



 それは、実は
「正義」の誕生日だったのです。


 自分の誕生日すら
まったく忘れてしまっていた「正義」。


 それほど「正義」にとっては、
今までの状況が差し迫ったもの
だったのでしょう。


 「正義」の運命の人。


 それは、あの不愛想なカフェの女性店員。


 名前は「鷹野(たかの)  笑美子(えみこ)」。





 こんなことってあるんですね。



 はい。 あるんですよ。





 部下からの絶大な信頼と持ち前の
誠実な性格をバネに、「正義」はその後
営業成績をグングン上げ、会社を引っ張
っていくほどの存在になりました。


 ついにはこの会社で知り合った多くの
人々と共に会社を盛り上げていくことに。


 そして、彼の(かたわ)らには
彼自身のことも、彼の仕事のことも
理解してくれる生涯のパートナーが
いました。


 「鷹野  笑美子」さん。


 笑顔が美しいという名前。


 自分の笑顔がどれほど素敵なのか、
多分気づいていないのでしょう。


 私たちはみな自分の長所や
素晴らしいところに気づいていない
ことが多いのです。


 当然のように持っているものの
良さに目を向けず、自分にないものを
持っている周囲の人々を(うらや)んだり、
(ねた)んだり。


 人の良い面は見習い、自分の良い面は
存分に生かしていきましょうね。




 その後の「正義」の人生は、ここで
申し上げなくても想像がつくでしょう。



 「正義」が生まれた時から
ずっと護ってくれていた大きな存在。


 『結月鷹(ゆいげつよう)』をはじめ、
月鹿(げっか)』と『月兎(げっと)』。


 彼らとは血縁で結ばれていた
わけではありません。


 《ご先祖様》でもなく、《神々》でもあり
ません。


 この世には血縁をはるかに超えた
(つな)がり、(きずな)が必ず存在します。


 その三体の《守護存在(しゅごそんざい)》の願いは、
ただただ(あるじ)である「正義」を幸福にする
こと。


 そのためなら自らを犠牲にすることすら
いといません。


 おそらく私たちをいつも視ているのは、
なにも目に見える存在だけではないので
しょう。


 (誰もかばってくれない。


 誰も助けてくれない。)


 そう感じることって、人生の中で
たくさんありますよね。





 でもそんな時。



 ただ目に見えないだけで
きっとあなたの(かたわ)らにも
いつも見護ってくれている存在がいて、
実はそっと寄り添ってくれている
のかもしれません。


 導光も言っていましたよね。


 「私たち人間はそんなに強くない。


 我慢することはないのです。


 (つら)ければ

人に助けを求めればいい。」と。


 助けを待つだけでなく、
助けてほしいと訴える。


 これも大切なことです。


 すべて一人で解決しようとせず
人の手を借りることも必要なこと。


 助けてくれる人はきっとどこかに
存在します。


 そして、

 自分が立ち直ることができたらその時は、

どうか助けを必要としている人に
手を差し伸べてあげてください。


 自分が助けを必要としている時は
人を助けることはできません。


 人に手を差し伸べてあげられる時は
自分が助けを必要とはしていない時です。


 助けてあげられる時は助けてあげる
ものなのです。





 「働く者となれ。」



 働く、

それは(はた)(らく)

という意味にも捉えられます。



 あなたが誰かのそばで誰かを助ける
ことで、その誰かは楽になる、楽しくなる。


 自分は誰かの支えになっている、
自分がいることで誰かが笑顔になっている、

そんな自分という人になってみるのも
いいのではないでしょうか?
   
                                      終

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