第10回 奇跡を妬む 摂理を嘆く

文字数 8,208文字

 死んだ人間の体に魂魄を呼び戻し、蘇生させる仙薬。
 ジョイドの手の中を、セディカはほとんど呆然とみつめた。
「マジで天命だってか?」
「一応、遺体を守ってたのは井戸龍王の独断らしいよ。でも、龍王が自分からやらなければ、結局天が命じたかもしれないとは思うな。こんなものが出てきたんじゃ」
「あの井戸に龍王がいたのか」
「誰かさんの孫が来てるって聞いて、怖がって隠れてたみたいね」
「……祖父(じい)さん」
 トシュは頭痛を(こら)えるように額を押さえている。
「それで? 偽物はどうしろって?」
「俺らで決めろってさ」
「は?」
 奇妙な笑みを濃くして、ジョイドは口を(つぐ)んだ。
 ややあって、トシュの眉と唇が別々の表情を作る。本心は見るからに、緩んだ口元ではなくて、寄った眉根の方だろうが。
「親切だなおまえの伝手(つて)は」
 それに対する返答はなかった。
「どうする?」
 ジョイドがそう問うたのは、相談よりも質問であったらしい。
 先ほどのように額に手をやって、しばらく、トシュは沈黙した。セディカには何も言いようがない。わからないなりにも考えることには意味があるかもしれないが、求められもしないうちからそれを喋っても邪魔になるだけだ。
 誰も口を()かない空間が、段々と居心地の悪いものになってきた頃、
「——〈神前送り〉だ」
 トシュが小声ながらきっぱりと言った。
「処刑?」
 思わず呟いたのは、止めていた息を吐き出せるようになったような、一種の解放感ゆえだった。といっても、ぎょっとしたのも事実である。
 そう来るとは思わなかったとばかり、トシュだけでなくジョイドも目を円くした。それから緊張がほぐれたときのように微笑む。
「比喩じゃねえんだ、文字通りさ。神の前に送り込む術だ」
「その先の処遇は神に(ゆだ)ねるってこと。ちゃんと届くかとか、受け取ってもらえるかは腕次第だし、送った後にどうなったかは知りようがないけどね」
 解説に回るジョイドに、何だかほっとした。いつものジョイドがやっと戻ってきたような気がして。
「でも、誰に送る気?」
「そこだよなあ。〈慈愛天女〉の前に送り込んだんじゃ、赦してくれって言ってるようなもんだし」
 そういう理由で〈慈愛天女〉を却下してよいのだろうか。
「〈冥府の女王〉の前じゃあ、だったら普通に殺せって話だしな。……〈武神〉の前に送り込んでやろうか」
「本気で言ってんの?」
 ふと皮肉げになったトシュに、ジョイドは不謹慎な冗談を聞いたような、本人が言うなら笑うところかと迷うような顔をした。トシュにとって〈武神〉とは、第一に〈世界狼〉の仇敵であるはずだ。〈世界狼〉を拘束すべしと判断した〈武神〉は、この偽国王のことはどう判断するのかと——まさか、神に対して喧嘩を売るつもりでもないと思うが。
 別に本気でもなかったのだろう、それからしばし、トシュは首をひねった。
「……()(つけ)ってできねえかな?」
「気付?」
「いや、〈侍従〉気付で〈天帝〉宛に」
「……本気で言ってんの」
 これは知らない神らしい、と思ってから気づく。いや、〈侍従狼〉のことを言っているのだ——〈天帝〉の足元に侍る、二頭の狼。〈世界狼〉の子供を数え上げていた中に出てきていたし、それから昨日までのどこかで、徒然(つれづれ)を慰める物語の中にも出てきたはずだった。どんな話を聞いたのだったかは特に覚えていないけれど、二頭いることは後から聞いたと思う。
「……気付って」
「委ねるって意味なら〈天帝〉が一番妥当なんだよ、送りつける腕さえあればな。自分にそこまでの腕があるとは思っちゃいねえが、〈侍従〉なら、何て言うんだ——勝算があるんだわ。で、〈侍従〉から〈天帝〉に回してもらえば」
「それはわかったわよ」
 わかったから、呆れたのだ。何が気付だ。
 ジョイドはと見れば、一本取られたように苦笑している。
「〈武神〉の後だと真っ当に聞こえるなあ。できると思うよ。呪文でも呪符でも印でも」
 よし、と満足げに、得意げにトシュは頷いた。セディカはいささか、気が抜けたのだったが。
「偽物はそれでいいとして。じゃ、本物だな」
 終わったわけでも何でもなかった本題に、当然ながら戻ってきて——不意打ちを食らったかのように、頬が強張るのを感じた。

 寝間着に着替えたばかりだったところを着替え直す破目になったが、それはどうでもよい。覗き込んでも仕方がないから、セディカは後ろに下がっていた。仙薬を国王に飲ませようと、ジョイドと一人二人の僧侶が苦心している。口に含ませたところで、亡骸(なきがら)が自分から飲み込むはずもない。
 だが、やがて、成功したらしい。
 ざわめきに顔を上げれば、院主や僧侶たちや、トシュとジョイドに見守られながら、国王が身を起こしていた。陛下、と呼びかけて、何か尋ねたり教えたりしているらしいことはわかったけれども、はっきりとは聞こえなかった。
 周りを見回して、国王がセディカをみつけた。察して、僧侶たちが左右に避ける。
「娘よ、そなたを覚えておる」
 国王が言った。
「太子に告げてほしいとは申した。(かたき)を討ってほしいとは願った。だが、よもや我を生き返らせてくれようとは」
 感謝に、感激に震える声に、こちらも覚えがあった。
「娘よ、……娘よ、これほどの恩に、いかにして報いることができよう」
「……畏れ多いことでございます」
 そうとだけ答えて、セディカは頭を垂れた。
「どうして俺らに直接言わんで、うちのお(ひい)さんにまとわりついたのか、問い(ただ)したいとは思ってたんだわ」
「控えなさい」
 トシュが横で怖いもの知らずな口を利いたのは、咎めずにはいられなかったが。
「そなたが……そなたたちが……覚えがある。この娘の守り人、確かに……だが……」
「無理に思い出そうとなさいませんように。生きた人間には認識していられないこともあるのかもしれません」
 ジョイドがやんわりと止める。
 国王はしばし、頭を押さえていた。それから、次は院主に目を向ける。
「院主よ、この三年を差し引いてもしばらくであった。……大恩あるこの寺院を(ないがし)ろにした罰であったのやもしれぬ」
 声も言葉も、大分しっかりとしてきた。
 院主の返事が聞こえなかったわけではないが、右から左へ流れていって記憶に(とど)まらなかった。セディカが気に懸けるべきことでもないだろう。
「主人からも聞いていますが、直接お話を伺うことはできますか」
「無論だ」
「では、お嬢様は今度こそお休みに」
 ジョイドの言葉で我に返る。退出の許可を求めるところまで、そのまま従者よろしく続けてくれたから、セディカは口を開く必要もなかった。無論構わぬと許可が出たから、一礼し、本堂を後にする。
 気づくとトシュもついてきていた。そういえば、部屋まで送るというようなことを、国王に向けてか僧侶たちに向けてか、言っていた気はする。
「……もう、亡霊は怖くないわよ」
 その亡霊は生き返ったのだから。
「そいつは結構だ」
 その返事は優しげだったが、特に安堵したようでもなかった。
 セディカは今少し、自分を省みる。
「わたし……変だった?」
「一応、驚いてるとか信じられないとかで通る範(ちゅう)だと思うぞ。大体、みんな国王陛下に夢中で、おまえを気にする余裕なんてねえだろ」
 ということは、変ではあったらしい。心ここにあらずだったぞ、というだけなら——よいのだけれど。
 借りている部屋の前に来た。足を止めたトシュは、数秒間の逡巡の後に、中に入ってもよいかと問うた。
 セディカは無言で先に入ると、扉を開いたまま待って——トシュが動かないので、(いぶか)しげに目を向けた。入っていいんだな、と念を押されて頷けば、やっと扉をくぐってから、閉めるぞと断ってその通りにする。
 それから振り向いたときには、ここまで来ておいて前置きはいらないよなと言わんばかりの顔になっていた。
「見当違いだったら詫びるが、セダ。王が生き返ったことに、思うところがあるんじゃねえか」
 それは即ち、見抜かれているということである。
「……思ったってしょうがないじゃない」
「しょうがねえはしょうがねえが、思っていけねえことはねえし、言っていけねえこともねえだろ。相手を選べばいいだけの話だ」
 そこまでは(よど)みなく言ってから、詰まり、目を()らし、頭に手をやって、かりかりと()(むし)る。
「だから、その、な。……ジョーの前では言わないでやってくれねえか」
 思いがけない頼みに、セディカはまともにトシュの顔を見上げた。
「おまえに供養を手伝ってもらった、あいつの身内っていうのがな。若いうちに……死ぬような年齢じゃないうちに死んでんだ。死人を生き返らせる仙薬なんて持たされて、(たま)ったもんじゃなかったと思うんだわ」
 ——ああ、だから、と。
 得心が行った。
「言うなら俺の前にしといてくれ。今ここで言えってんじゃねえし、絶対に言えとも言わねえが」
 視線が戻ってきて、セディカのそれと重なる。真()で、いたわりが窺えた。
 ジョイドのためなのだ。ジョイドをこそ、思いやったのだ。自分自身が気遣われていると考えるよりも、そう考える方が受け入れやすかった。ひねくれたことだと自嘲する。最初からずっと助けられているのに、未だに素直に受け取れないのか。
 それから——目を伏せた。(うなが)されたからといって、察しはついているようだからといって、本当に吐き出してよいものか、迷いはあったので。だが、
「……どうして、陛下はいいの?」
 そんな(ささや)きが始まりになった。
「どうして陛下はよくて、お母様はいけないの?」
 トシュが片膝をついて、頭をセディカと同じ高さに持ってきた。聞き取りにくかったのかもしれない。
 が、セディカの声が少しばかり大きくなったのは、その耳に届けようと意識したためではなかった。
「死んだ人は戻ってこないって、戻ってこないから、だから受け入れてきたんじゃない。なのにどうして陛下は、陛下だけ」
 たちまちに涙が熱く盛り上がり、こぼれ落ちる。
(ずる)い……! 狡いわよ! じゃあなんでお母様は生き返らないの? 誰かが急に生き返らせに来てくれないの? 陛下はそうだったじゃないの!」
「うん。……不公平だよなあ」
「天命って何。生き返らせてもらえる理由って何。なんでお母様には、お母様は、天命を負ってなかったお母様が悪いの?」
 何故、母にはその理由が与えられていないのか。国王には与えられている理由が。国王とて、天から慈悲深くも与えられただけではないのか。同じ慈悲が、何故——母には、下りない。
「陛下は横死なさったわ。酷い殺され方だったわ。だからなの? 不当な目に遭ったから正してもらえたの? じゃあお母様は? 西国の血を引いてるからって、診に来てくれなかったお医者様は酷くなかったの? 結婚前にお母様がかかってたお医者様を、うちに入れるような身分じゃないって呼んでくれなかったお父様は酷くなかったの?」
「マジか」
 トシュが呟く。
「それとも本当は生き返れるの? 生き返れたの? あたしが知らないだけなの? あたしが知らなかったからいけないの? ちゃんと調べればわかったはずなの? 誰かに訊けばよかったの、頼めばよかったの、あたしがわかってなかったせいなの?」
「死んだもんは生き返らんよ。それが原則だ。神の奇跡で、天の領分で、だから逆にジョイドも握り潰せねえのさ。横領して自分の身内に飲ませるわけにもいかん」
 今度は長い返事があった。
「おまえが間違ってたんでも足りなかったんでもねえよ。人間の意志で死人をほいほい取り返せるようじゃ、〈冥府の女王〉がお冠じゃ済まねえわ。……何も悪くねえのに、なんでおまえはお母様と引き離されちまったかねえ」
「お母様」
 少女は両手で顔を覆った。
「お母様、お母様」
 奇跡。母の身には起こらない奇跡。母ではない死者の身に起こった奇跡。
 もう泣きじゃくるしかできなくなった少女に、青年はしばらく、言葉をかけなかった。抑えていたものをわざわざ促して言わせておいて、感情的で理屈に合わないと非難することも、論理的に添削して悦に入ることもなかった。
 部屋の外までは届かないようにと押し殺しながらも、少女は泣きに泣いた。あふれにあふれ、流れに流れた涙が、けれども、やがては鎮まっていく。それはそれでやるせない気もしたけれど、自分が落ち着いてきたことは、自分で感じ取れてしまう。
「不公平でも狡くても何でもいいから、生きててほしかったよな」
 頃合いを見計らって、トシュが再び口を開いた。セディカは手と袖で顔を(ぬぐ)う。まだ時々しゃくり上げずにはいられなかったが、(たかぶ)っていた神経は平常に戻りつつあった。
「よくもまあ、王の前でぶちまけないでいられたな」
「……陛下が悪いわけじゃないもの。陛下も、殿下も」
「辛抱強くて物わかりがいい」
 半ば感心したような、だが、これは苦笑いだろうか。
 死んだ父親を取り戻した太子にも(ねた)みの気持ちがあると、うっかり覗かせてしまったことに後から気づいたけれども、そこには言及されなかった。
「それでいて、吐き出していいところではちゃんと吐き出せてんだから言うことねえな」
 両の手が動いた。指を折り、腕を振って、印を結んでいるのだとわかる。
「〈慈愛天女〉の加護がおまえにあるように。ま、俺なんぞが口を利いてやらんでも、お母様の言いつけを守ってりゃあ十分だろうがな」
 母の言いつけとは何のことか、一瞬、わからなかったけれど。
 本当の意味を知っても、習慣を絶やさず唱え続けている、食前の祈りではなかった守護呪のことだと——理解して、また少し、涙がこぼれた。

 もう大丈夫だと言うセディカの自己判断を尊重して、トシュは本堂でなく、今一つの寝室の方に引き上げた。ジョイドは先に戻っていて、紙の上に筆を走らせている。
「この時間にやらなきゃならんのか、それは」
「呪符の下描きをね。気付なんて変則的なもの、一発で描く自信はないから」
「……すまん」
「呪文も一応覚えとくでしょ?」
 差し出された別の紙には、〈神前送り〉の呪文が書きつけてあった。打ち合わせもしていないのに当然のように出てきたが、あるとないでは大違いのフォローである。どの神を対象とするかによって細部が変わってくるし、直接的には〈侍従狼〉の前に送りつけながら〈天帝〉への仲介を頼むような芸当を、どういった文言で実現すればよいのか、提案したトシュ自身は見当もついていなかったので。
 呪符や呪文さえ正しければ、〈侍従狼〉であれば応じてくれるだろう、という確信はある。狼の——縁で。
 全く以て、自分の力など大したものではない。ただただ、恵まれているだけだ。偉大な父親と、有能な相棒に。
「国王陛下はどうなった?」
「聞くことは聞いたから、後は院主さんに任せた。追加情報は特にないよ。亡霊だった間のことは、あんまり覚えてられないみたいね」
「覚えてないんじゃ、セダに絡みやがったことに文句言うわけにもいかんな」
「セディの方は? 大丈夫?」
「ん、とりあえず落ち着いた」
 簡単に答えて、手元に目を落とす。よく見れば下の方には、同じことを印を用いて行うときの手順も書いてあった。呪符を上手く使えなかった場合に、呪文なら唱えられると決まっているわけでもないのだから、手段は多い方がよい。何でもわかるんだなと舌を巻きながら、上の方から読み込んでいき——。
「マオが死んだとき——誰彼構わず頼るってことを知ってたら、何かは変えられたかもしれない」
 前置きも何もなく、唐突にジョイドが口にした。
 トシュは眉を寄せた。その話題に触れないで済むようにと、先んじてセディカを(なだ)めてきたものを。
 マオ。今は亡き——ジョイドの恋人。
 つい午前中に、神琴の奉納によってその魂の平安を祈願した相手も、マオだ。死んだ恋人の供養と言えばセディカが気にするだろうから、身内だと漠然としたことを言って()()()したのだろう。
 仙人にとっても、仙人を目指す方士にとっても、恋とは扱いにくいものだ。色欲ゆえに神通力を失ったという話が幾らでもある一方で、節度ある正しい交わりは両者を高めるともされており、僧侶や尼僧と違って結婚も認められている。とはいえ、仙人即ち不老不死になろうとする方士が、方士ではない恋人を持つことはあまり推奨されない。普通に考えて、恋人の方は老いて死ぬからだ。
 だが、そうしたことに悩むより前に、ジョイドの恋人は世を去ってしまった。強大な妖力を秘めていようと、強(じん)な肉体を自分自身は持っていようと、ジョイドにも、またトシュにも、死病を治すことはできなかったので。
「でも、あのとき何もしなかったことを気にして、今、俺を甘やかしてくれる人もいるからね。悪いことばっかりじゃないのよ、俺は。失ったものも得たものもある」
 柔らかい顔をこちらへ向けて語るジョイドに、無理をしている様子は見受けられなかった。だが、ふと視線を外した(わず)かな間だけ、一切の表情が消える。
「全てを失ったのはマオだけだ」
 トシュはしばらく、その横顔をみつめた。それから浮かべたのは微笑である。
「素直に王を助けてやろうってんだから、おまえはいいやつだよ」
 セディカが泣き叫んだことは、ジョイドの中にも渦巻いていそうなものなのだ。国王には与えられた奇跡が、母には、恋人には、何故与えられないのかと、天を憎んでもおかしくないのだ。
 それでも、手を差し伸べることを選ぶ。(やまい)で我が子を亡くした医者が、同じ病の子供を救うように。恋人を亡くした悲しみなど、自分自身が死んでいく苦しみの足元にも及ばないのだからと。
 自分が功徳を積むことで、その功徳を言うなれば恋人の供養に当てたいのではないか、ともトシュは思っていた。それが全てということではないとしても、一つには。だから揺らぐことはないし——だから必ず、付き合うことにしている。
 と、ジョイドはトシュを睨んだ。話を逸らされたか、話が通じなかったときのように。
「あのね、わかってないと思うから言うけど。俺は、マオのときにはどこからも出てこなかった、死者を蘇らせる仙薬なんてものを任されたから、気持ちの行き場がなくなってるわけじゃないの」
 仙薬を手に帰ってきてから初めて、はっきりと顔が(ゆが)む。
「おまえが試されてるからだよ。どうするべきか言わないでおいて、おまえがどう出るか試してる。……おまえが判断を誤るのを待ってる」
 まじまじと見返したのは、何をわかりきったことを、と思ったためだった。
 父親譲りの強大な力を(たの)んで、いずれ問題を起こすのではないかと警戒されるのは、今に始まったことではない。口実を作って早いうちに討ってしまおうと考えている者も、口実すら作らずに討とうとした者もいる。
 わかりきっていることだ。一々口にするまでもない。
 ……が、確かに、だからこそ、口に出して互いの認識を共有したことはなかったかもしれない。
 悟って、今度は苦笑した。つまり、まさかわかってないわけじゃないだろうねと、言われたのだ。マオのことで俺を気にしてる場合じゃないよ、と。
「〈神前送り〉はいい案だろ?」
 そう返せば軽い瞠目の後に、認めざるをえないという具合の困った笑みがやってきた。
「そうね。胸が空いた」
 神に委ねる。神に決めさせる。自分では裁かない。自分では答えを出さない。
 はっきり言って、意趣返しだ。謙虚なわけでも何でもない。
 ジョイドは一つ、息を吐いた。
「下描きくらい何枚でも描くし、事情が変われば何回でも直すよ。呪符本体を何枚も描くのは実力的に厳しいけど」
「全部おまえにやらそうとは思っとらんぞ」
「俺は全部おまえにやらせる気だよ、明日は」
 そんなことを言うが、誇張である。偽国王との直接対決は任せるだろうけれども、周りのことは気にかけてくれるはずだ。
 真剣なまなざしがトシュを射た。
「明日。間違っても、死んじゃ嫌だよ」
 まっすぐに見返してから——歩み寄り、右手を伸ばしてその肩をつかむ。
「マオにおまえを託されてんだ。勝手にいなくなりやしないさ」
 そうでなくたって、赤の他人の事情に首を突っ込んで、自分の命を落とすつもりはないけれど。
「おまえはマオのことだけ(いた)んでりゃいい」
 目を細めた相棒は、気持ちでどうにかなるものではないと呆れたのかもしれないし、マオを持ち出せば黙ると思って、と諦めたのかもしれないし——決意は決意として、受け入れたのかもしれなかった。
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