第64話 最善と幸せ

文字数 553文字

「わたしは自分がそうであったように、船でそなたたちを産み、育ててきた。だが、海での生活は幼いそなたたちには過酷なものであったかもしれない」
 思いがけない台詞に梨華はまばたきした。
「そなたたちを海で……船で育ててきたのは、何があっても守り抜けるという自信があったからだ。だが、現実はこの通りだ。水軍の長などと言っても、わたしは自分の娘さえ守ってやれなかった……」
「だから、それは母さまが悪いんじゃないわ! あたしが勝手にやったことよ」
 思わず梨華は叫んでいた。こんな気弱な母の姿は初めてだ。母はいつだって凛として、幾多の困難を乗り越えてきたのに。
 熱にうなされる娘の額を冷やす布を何度も替えながら、阿梨は一晩中考え続けていた。何が梨華にとって最善──幸せなのか。
 明確な答えなど得られぬまま、阿梨は意を決して切り出した。
「もし梨華が望むなら、船を降りて静かな暮らしもできるのだよ。たとえば春麗(しゅんれい)おばあさまのいる江林(こうりん)村とか」
 春麗おばあさまとは父方の祖母で、江林村は海龍一族──羅紗水軍の本拠地だ。
「それに、そなたは羅紗の国王の孫。王都の宮廷で何不自由ない生活もできる身だ」




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登場人物紹介

阿梨(あり)


羅紗国の王女にして水軍の美しき長。結婚して母となっても、変わらず颯爽と水軍を率いている。

勇駿(ゆうしゅん)


公私共に阿梨を支える夫。阿梨と子供たちをこよなく愛している。

梨華(りか)


双子の妹。母譲りの容姿と武術の才能を持つ。勝気な性格でいつも兄を振り回している。

勇利(ゆうり)


双子の兄。学問には秀でているが、ちょっと気弱。常に妹に押され気味。

勇仁(ゆうじん)


勇駿の父。以前は長の補佐として采配をふるっていたが、今は孫たちの教育がもっぱらの生きがい。

アディーナ姫


タジク国第一王女。二つの国の絆を深めるために海を渡る花嫁。金髪と緑の瞳の、美しく優しい姫君。

寄港地のフローレスでひと時の自由を願う。

ケイン


荒事屋。名の通り、目的のためなら荒っぽい手段も辞さない裏社会の人間だが、殺しはやらないのが信条。

ラルフ


ケインの相棒。孤児だった自分に手を差し伸べてくれたケインに恩義を感じ、行動を共にしている。

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