第2話 聖堂のドン・キホーテ

文字数 4,365文字

 その日は、とても良く晴れた朝でした。しかし、司祭の心はどしゃ降りでした。
 司祭にとっては、とても気の重い一日の始まりだったのです。
 この日、司祭はある男のために、結婚式を挙げる約束をしていたのでした。

 結婚式で元気がないのは、花嫁の父親か元恋人と相場が決まっていますが、今回ばかりは違いました。
 司祭は悩んでいたのです。
 この司祭の仕事は、ちょっと普通の司祭とは違っておりました。彼は普段、処刑台に上がる罪人のため、彼らの罪が許されるよう、祈りをささげるのを使命としていました。
 しかし今回は、そんな大変な仕事をしている司祭でさえも困りはてる難題でした。何せ、普通の結婚式でさえないのですから。

「ああ、こんなことなら、きちんと言ってあげるべきだった」
 今回の花婿は、彼の仕事場の顔なじみ、処刑器具を動かす死刑執行人でした。そして、花嫁は。
 それを考えると、思わず司祭は手を組んで、許しを乞うてしまうのでした。
「主よ。やはり私は悪い人間です」



 最初は、処刑人の冗談だとばかり思っていました。
 しかし、しばらく話す内に、司祭は自分の大きな勘違いに気づきました。
 処刑人は本気でした。冗談などではありません。
 本心からギロチンを愛し、ギロチンを妻にしたいと思っていたのです。

 そうです、ギロチンです。

 あの皆から恐れられる、首切り処刑人。苦痛を少しでも和らげる、心優しき処刑道具。

 そうなのです。人は心優しい、だの、素晴らしいだのとほめてみたり、時には口汚い言葉でののしったりします。それでも皆、本心では、きちんと分かっているのです。
 ギロチンは道具なのだと。
 なのに、処刑人には、それが分からないのです。
 何度も何度も説明しました。これほど必死になったのは、久しぶりのことだったでしょう。
 でも、分かってもらえなかったのです。

 そして、今日の日を迎えました。

 司祭は、あまり自分のために祈ったことがありませんでした。司祭は負けず嫌いでしたから、神にすがるのは、恥ずかしいと考えていました。 ですが、今日ばかりは神にすがりたい気分です。
 司祭は、どんよりとした目で、教会の聖堂へと向かいました。

 まず、聖堂に入った時です。司祭はそのまま、くるりと背を向け、帰ろうと思いました。ですが、周囲の目がそれを許しません。
 扉からあふれんばかりの見物客をかき分け、輪の中へと入りました。

 そこで、司祭は気を失わんばかりの衝撃を受けました。

(何ですか、あれは!)

 花嫁のことは承知していました。花嫁が人間でない事も、ギロチンと呼ばれる処刑道具でしかないことも、良く知っておりました。
 ですが、今、神聖な教会に置かれた品は、そんな可愛らしい姿ではありませんでした。
 花嫁の横で、呆けた顔をしている花婿を捕まえ、司祭は噛み付かんばかりの勢いで訊ねました。

「な、何なんです、これは!」

 男はきょとんとして、首を傾げました。元々、反応の鈍い男ではありましたが、この鈍感さには苛立ちが募るばかりです。司祭は怒りを隠し切れませんでした。
「何です、この派手な布は!」
 司祭が指差したのは、花嫁にかぶせられたけばけばしい色調の布でした。いいえ、問題は黄色の布に書かれた文字です。
 教会では許されないような、汚らわしい言葉がつづられています。
 デザインのようにして誤魔化してありましたが、司祭にはきちんと読めました。司祭は身分の低い人でしたが、そこは聖職者、それなりに読み書きは出来たのです。
 ですが、男には読めなかったのでしょう。
「これはヴェールですよ。町の帽子屋に頼んで、特別にあつらえてもらったもんで」
 困ったように、頭をかき回すだけでした。せっかくなぜつけた髪が台無しです。
 司祭は、ぎろりと入り口の方を見ました。多くの人の中には、町の帽子屋の姿もありました。仲間とげらげら笑っています。

 司祭はだんだん情けなくなってきました。それでもまだ、けわしい顔をつくって、けばけばしい布の下からだらしなく伸びた布を指差しました。

「では、これは何ですか?」

 それは、非常に意味ありげなものでした。黄色の、透けるような布で作られたものを、ギロチンの下の部分に巻いてあるようです。しどけなく崩した、腰帯のようにさえ見えました。
「これは、花嫁衣装ですよ。町の服屋に頼んで、特別にあつらえてもらったもんで」
 なぜ、司祭が怒っているのか分からないのでしょう。処刑人はおろおろとし始めました。
 司祭はかぶりを振って、入り口を見ました。多くの人の中には、町の服屋の姿もありました。仲間とひそひそと笑い合っています。

 司祭は、逃げ出したくなってきました。それでも、これだけは聞かねば、と背筋を伸ばし、ふるえる指を伸ばしました。
「じゃあ、これは一体、どういうつもりです?」
 真っ赤な毒々しい紅が、いたる所に点々とぬりつけてありました。
「これはお化粧でしょう。俺には良く分かりませんが、そこにいるご婦人方が施してくれたんで」
 司祭は、もはや顔を上げられませんでした。小馬鹿にしたような笑い声が、教会中に満ちあふれていきます。

 もはや、がまんの限界でした。司祭は決して身分こそ高くありませんでしたし、それなりに柔らかく考えられる人でしたが、これだけは許せなかったのです。

 司祭は、彼なりに教会を愛していたのです。
 誰にも信じてもらえずとも、司祭にも神を愛する心がありました。そして司祭は、神の前で約束をすることの意味を、決して軽々しく考えてはいませんでした。
 だからこそ、ここは決して汚されてはならぬものだったのです。

 笑い声を振り切って、司祭は教会の奥にある部屋へと閉じこもってしまいました。幾度か戸を叩く音がしましたが、怒りのあまり、立ち上がることさえ出来ませんでした。
 町中の皆が、自分を馬鹿にしているような気さえしました。

 司祭にだって、最初は希望があったのです。

 でも、聖職者になった彼が見たのは、汚い人間同士の争いばかり。そして、ちょっと世渡り下手だった若い日の彼は、うっかり上司の機嫌を損ねてしまい、今の有様です。
 今では、処刑という血なまぐさい場でしか働けず、人々からさげすまれる日々です。こうして帰る教会があっても、誰も祈りになどきません。
 皆、公開処刑は大好きでした。それでも、処刑そのものには皆、反対だったのです。いいえ、汚らわしいとさえ思っていました。
 教会の人間だってそうです。
 今回の式について、司祭は上役に相談しました。その答えはこうです。
「そりゃあ、良い。ギロチンと人間の結婚式。大いに結構だ。ほれ、最近は死刑廃止論が盛り上がってきとるじゃろ? 風刺としては、最高じゃないか」
「風刺? 違います。彼は本気なんです」
「何を馬鹿なことを。本気でギロチンと結婚したい奴はおらんだろう? 大体、政府は気に入らん人間を、片っ端から首をはねる。こんな状況はいかんよ。ギロチンが心有る人間だったら――ギロチンだって、話せたらきっと嫌がるだろう。そうしたことを表したジョークなのだよ。君は、そんなことも分からないのか」
 司祭は、とても嫌な気持ちになりました。
 彼はきちんと学校を出ていない、そのことをいつも突付かれ、馬鹿にされてきたのです。この時も、上司の目には、はっきりとその気持ちが表れていました。
 確かに、司祭は上役ほど学がないかもしれません。ですが、この国の多くの人間はそうなのです。それが、えらい人には分からないのです。

 そんなことを考えている内に、部屋の中にも真っ赤な日が射し込んでいることに気づきました。もう夕方になっていたのです。
 ようやく怒りを静めた司祭は、少しだけ冷静になりました。
 外もすっかり静かになっていました。
 司祭は、部屋の戸に手をかけ、外へ出ようとしました。しかし、なかなか開きません。思いきり力を入れると戸は何とか少しだけ開いたのです。司祭はそのわずかな隙間から、はい出るようにして外へ出ました。

 そうやって部屋を出た司祭の前には、信じられないような光景が広がっていました。

 男が、扉に寄りかかったまま眠っていたのです。大きな花婿の大きな身体は、司祭のいた部屋の扉を半分ふさいでいました。だから、なかなか開かなかったのです。
「……司祭様」
 司祭はびっくりしましたが、それは寝言でした。彼はうなされているようでした。
「俺、やっぱりあいつを妻には出来ないんでしょうか」

 司祭は、自分が恥ずかしくなりました。

 聖堂の中では、花嫁が静かに、伴侶と司祭の訪れを待っていました。
「お待たせしました」
 司祭は良く通る声で言うと、しばらく花嫁を見ていました。司祭は考えていたのです。どうすれば良いのか、と。



 しばらくして、司祭は花婿を起こしに行きました。

 まず、途中で逃げ出したことをあやまり、改めて結婚式を挙げることを告げました。



 花婿がたどりついた場所には、白い衣装をまとった花嫁がいました。苦肉の策で、シーツを被せ、カーテンをはかせた程度ですが、それでもずいぶん大人しくなったように見えました。
「そして、これを」
 それは、教会の修道女に声をかけて、作ってもらったブーケでした。教会の庭に生えていた花を、先ほどのヴェールと黄色の布で包んだものです。
 短い時間で作ったものなので、少しみすぼらしくも見えましたが、引き受けてくれた修道女の心遣いがつまった、可愛らしいものに仕上がっていました。
 男も、ブーケを抱いた花嫁を見上げて、うっとりとしていました。
「司祭様、これは?」
「すみません。普段、教会では、あのような衣装は禁じられているのです。でも、せっかく皆さんが作ってくださったものですから、どうやって生かそうかと考えて、こうしたのです」
「ああ、それで、閉じこもってしまわれたんですな。皆がいる前では、とても言えないから」
 合点したように頷く処刑人に、司祭はあいまいに笑いました。

 それで良いのです。たとえそれが不幸だとしても、男は何も知らないのです。

 おそらく神は、彼に一番素敵な贈り物をされたのでしょう。

 彼の伴侶と共に――

「健やかなる時も、病める時も」
 ぼうっとしていた花婿に、司祭はゆっくりと問いました。
「死が二人を分かつまで、変わらぬ愛を誓いますか?」
 処刑人は、しばらく戸惑っていましたが、やがて大声で宣言しました。
「はい。絶対に、こいつを幸せにします」
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