第1章 第2節 「七刄会総会と総裁」

文字数 25,659文字

 平成17(2005)年5月──。
 七州仙台はなんと言っても、5月初頭の新緑の季節で決まりだ。暖かな陽光と木々新緑のきらめきは感無量である。中央診療棟と一般診療棟との渡り廊下で、葦原は窓の外に覗くその新緑の一部になったようにうっとりと光合成していたが、間もなく40歳の男がヒマそうにしていたことにバチが当たったのか、胸元のPHSが鳴った。外来業務中の押切副部長からだった。
「葦原、臨時手術(リンジ)が来るぞ。十二指腸出血で、PDになりそうだ」
 その患者は吐血で近くの総合病院に救急搬送されたが、どうやら血管奇形が背景にあるせいで内科的止血が困難のため、こちらに搬送して手術になるという。
「承知しました。いろいろやっておきます」
 電話を終えて、外科医局に戻る道すがら、大和部長に呼び止められた。
「葦原、臨時だって? 病院見学の学生を入れてやってくれ。今日はオペがないからって見学を断って、消化器内科に押し付けたんだが、せっかくだから外科(うち)に戻してもらう」
 市民病院では医学生の研修病院探しのための見学は随時受け入れている。ただ、外科は手術のない日に来られると全くアピールポイントがないので、そういう日の見学は受け付けていない。今日は予定手術を入れない特例の日だった。
「承知しました──七大からですか?」
「いや、事務方は、東京の大学とか言ってたな。断ったから、詳しい話は全然だ……えーと、クシ・ツクル君だ。男で、仙台出身……あと30歳手前だとか」
「おっと、だいぶ年食ってますね」
 医学部現役合格・現役卒業者が25歳になる年に研修医になることを考えると、4~5年は足踏みしている計算だ。
「あれだろ。親がこの辺で開業してて、その跡継ぎとして何浪もしてやっとこさ、東京の私立の医学部にでも入ったパターンだろ。ようやく卒業して、地元に戻って来ようってところだ」
 大和先生はニヤリとして言った。親が医者で、子どもがなんとなく医者になろうとする場合、こういう多浪多留(スベったりダブったり)の果て、30歳前後で医者スタートというのは珍しくはない。生まれ故郷に戻って、親が達者なうちはその地域を所掌する大学医局に入って修行を積み、人脈を育み、いずれは親のあとを継ぐことになる。開業医(クリニック)の数だけこのパターンの医者はいるだろうから、それはどうでもよいのだが……。
「それで外科になりますかね」
 何浪もしてようやく医学部に入ったり、他の学部から、あるいは一度社会人を経験してから医学部に入り直したりして医者になるということは珍しくはないものの、そういう医者が外科に進む可能性は少ない。血を観る科は血の気が多いというか、外科は体育会系というより軍隊系、論理的というより物理的、手取り足取りというより殴る蹴るで教え、育つ──というのが医学部の臨床実習くらいでバレてしまうからか、ある程度の年齢になってから医師免許を取得するものに外科系診療科はあまり人気がないのだ。
「さあなあ。ま、東京からせっかく来てくれたんだから、七刄会の巧さを魅せてやってくれ」
「承知しました」
 大和先生と解散して間もなく、連絡を受けて、救急外来に搬送されてきた患者を引き継ぎ、術前の準備を進めていった。総合医局で手術部からの連絡を待っていると、消化器内科の若手が学生さんを連れてきたので、引き取った。
「えーと、クシくんね。外科の葦原です。今日はよろしく」
 クシです、よろしくおねがいします、と学生さんは挨拶をした。ちょうど、手術部からも連絡が来た。
「じゃ、手術(オペ)室に行こうか」
 手術部更衣室で一緒に着替えていると、長野が来た。
「葦原先生、俺、入ります」
「よろしく。あれ、宮田は?」
 長野と2年目研修医の宮田は基本、ペアで動くことになっている。外科の研修中は手術室入室が最優先だ。
「狩野の患者に中心静脈カテーテル(シーブイ)を入れさせてもらってます。あと2件やって、終わったら来ると思います」
「1年目たちは?」
「外に出てるみたいです。七州厚生局から研修医対象の説明会があるとか」
 なんだそりゃと思いつつ、見学の学生さんの手前、研修医制度に寛容な態度をとることにした。
「研修医も忙しいんだな、了解。そうそう、こちらは見学で来た学生さん。えーと、クシくんだ」
「お邪魔しています」
「よろしくね──手洗いしようか」
 長野は手洗いをやらせながら、学生さんの相手をしはじめた。
「クシくんは外科志望?」
「いえ、こちらの全体的な研修環境を見ておきたくて、外科も申し込んでいたんです」
「なるほどね。スパルタ外科ならお断りってか……ということは、内科志望?」
「研究医志望です」
「ケケケケ、ケンキューイ!?
 長野と一緒に葦原もたまげた──研究医志望というのは非常に珍しい。研究医とは、基礎医学の道に進んで研究に専念する医者のことだ。そして、研究医は尊い。いま治らないものに挑戦する。しかも、医師として社会通念上、期待しうる待遇も約束されてはいない。早い話、稼げないし、モテない。ゆえに尊い。
「あれ、学生さんは七大でしたっけ?」
 長野が小声で訊いてきた──葦原も小声で答えた。
「東京の大学だって」
「えっ、理科Ⅲ類(りさん)?」
 長野が今度は大きな声で言ったのも仕方ない。研究医志望と聞くと、ふつう、旧帝大を想定するし、東京の旧帝大となれば、東京大学医学部イコール「理科Ⅲ類」まで一直線で想像してしまうものだ。
「いえ、違います」
 当然、聞こえていた学生さんは直接否定した。
「だよな、わるいわるい」
 長野が謝るのを横目に、葦原は気まずく感じた。医者の業界で、出身大学を訊くというのはだいぶナイーブなことである。そもそも、東大医学部卒見込みがここに来るわけがない。
「さあ、手洗いに集中して」
 手洗い完了後、滅菌ガウンを着せて、手術室に入る。押切副部長も来た。
 膵頭十二指腸切除術(PD)──押切執刀、葦原第一助手、長野第二助手、クシ第三助手──が始まった。
「夜に間に合わせないとな」
 押切先生はそう言うが、今からでも押切先生となら夜の予定に余裕で間に合うだろう。葦原は前立ちをしながら、学生さんに手術の要点などを解説していった。
「クシくん、ちゃんと見えるように動いていいから。よく見えないと飽きるし、飽きると眠くなるし、寝ると怒られるしで、外科が嫌いになっちゃうし」
 手術は滞りなく、順調に進んでいった。途中でやってきた狩野、宮田には救急外来からの外科コンサルトに回ってもらった。
「じゃ、このへんでいいか──葦原、長野、あとは頼む。学生さんもおつかれさん」
 病巣の切除、残存臓器の再建を終わらせて、押切副部長は手をおろした。伊野に代理させている午後の外来に戻るのだろう。
「はい。おつかれさまでした──じゃ、長野」
 長野が執刀医の位置に立ち、閉腹の段取りをしながら、学生さんに話しかけた。
「それにしても、クシくんは研究医になるんなら、研修しないってのもアリだよね」
 平成16(2004)年にスタートした卒後臨床研修制度は必修とされ、診療に従事する医師は2年間の臨床研修を修了しなくてはならないと規定された。そうしなければ、大雑把に言って、保険診療ができない。ただ、普通の医者をやらないなら確かに初期研修はいらない。
「研究室でお世話になった先生に、一度は医療の現場に立って、臨床志向(クリニカルマインド)を身につけておいたほうが研究の目的を見失わないよって勧められたんです」
 医学生は医学部のカリキュラムで研究室実習と言って、各講座に出入りして研究に触れる──そのときのことを言っているのだろう。
「ほお……俺らなんかは日々の診療を科学的に検証するための研究志向(リサーチマインド)を持とうって吹き込まれて研究させられたものだが、その逆で、臨床志向(クリニカルマインド)と来たか」
 研究に活かすために臨床を見てこいというわけだ。よい心がけだ。病院内外に治らない病気で苦しんでいる人がいる。それを救うために研究をするのだ。マウスの遺伝子をいじっているだけだと忘れがちな視点だ。
「なるほどね。で、この辺で研修するの? 東京にはくさるほど病院あるでしょ」
 長野の言い草も下品だが、七州の人間にすれば、東京にはくさるほど病院がある。狭いエリアに大学病院が乱立していて、軽症患者の経過観察入院を大学病院で行うことすらあると聞く。
「地元はこっちなので、この辺で臨床研修をと考えまして」
 大和先生が、この学生さんが仙台出身だと言っていたのを思い出した。
「賢明だな。研修中は誰かに世話してもらったほうがいい」
 研修医はプライベートに余力を残して働けるほど甘いものではない。親の居る地元で研修できるなら、それに越したことはない。里帰り出産ならぬ、里帰り研修といったところか。
「クシくん、もう少しで手術も終わりだし、それで今日は解散でいいんだけれど、なにか訊いておきたいことはないかい?」
 葦原は学生さんに尋ねた。
「じゃあ、参考までに──先生方は、どうして消化器外科を選んだんですか?」
 葦原は思わず長野と顔を見合わせた。たまに勘違いされるが、七刄会外科は消化器外科ではないし、消化器外科と呼んではいけない。これは七刄会90年の歴史を思い知らせてやらねばならない。
「ごほん、長野くん」
 長野も汲み取って、学生さんに講釈しはじめる。
「クシくん、うちは消化器外科って言わないんだよ。うちは、外科。ジャスト、外科」
「でも、お腹を切るのは消化器外科ですよね」
 理解していただくにはまだ言葉が足りない。葦原は長野に促す。
「長野くん」
「クシくん、手術をするのが外科なんだよ。外科の定義にこれ以上もこれ以下もない。その外科から、頭だけを切る外科とか胸だけを切る外科が独立していったからといって、うちらがお腹を切る外科を名乗ることはないんだよ」
「そう、我らが絶対的な外科の総本家だ。七州のメスはすべて七刄会より発する、だ」
 葦原が付け加えて言ったのは、七刄会が外科の本流であることを誇示する決まり文句だ。七大ひいては七州地方の大学医学部の外科系教室は全て、我らが七刄会から派生した分家のようなものなのだ。
「一般外科とか総合外科ってことですか」
 葦原はガクッとこれみよがしにうなだれた。まだ足りないか──長野にさらに促す。
「長野くん」
「クシくんね、うちは一般外科とか総合外科という言葉も使わないんだ。一般だの総合だの、専門科の残り物の寄せ集めのような相対的な呼び方は勘弁してほしいな。俺たちは、外科なんだ」
「大学には総合班ってのがあるけれどね」
 葦原はそう補足したが、なお、学生さんは納得できていないようだ。
「すみません、質問の仕方を間違えました。先生方はどうして、外科を選んだんですか」
「長野くん」
「これは最近の研修医にもよく訊かれますから任せてください──クシくん、外科ってかっこよくない?」
「はあ」
「あらら、ピンと来ないか。外科を見てかっこいいと思う人間は外科になるんだよ。理屈じゃないんだ」
「そう。外科はかっこいい。現代の武士、ラストサムライだな」
「えーと、それは外科系を選んだ理由ですよね。手術する科はいくつもあるじゃないですか。整形外科でも心臓外科でもなくて、その、外科を選ばれた理由はいかに」
 学生さんが知りたがったのは外科系の中でも、七刄会外科を選んだ理由だったようだ。
「長野くん」
 手術帽とマスクの間から覗く長野の目が困ったようにしかめられた。
「それを聞かれると困っちゃいますね。なんとなく、外科をやるなら七刄会、って思ってましたから」
「長野もまだまだだな。それだと、60点だ」
 顔をしかめた長野に代わり、葦原が答える。
「クシくん、それは、七刄会(うち)こそがスタンダード・オブ・サージャリーだからさ」
「スタンダード・サージャリー?」
「ノンノン。スタンダード・オブ・サージャリー。外科ってなあにと聞かれたら、これだよって言われるものをやっているのが俺たちさ」
 長野はうんうんとうなずいたが、学生さんは首をさらにかしげた。
「うーん、違いがわかりませんね。なんか、同じ話ばかりされているような」
「そうだな──長野、代わってくれ」
 あとは体表の閉創だけとなったので、葦原は執刀医ポジションに移った。
「よーし、クシくん、前に来て。糸結び、やろうぜ」
 医学生は大学5年生の間、臨床実習(BSL)で大学病院の診療科・部署を全部回る。研修病院見学をする医学部6年生なら、すでに外科で糸結びを学んでいるはずだ。
「あ……あの、自信がありません」
 言われるままに患者を挟んで葦原の対面に立った学生さんは困ったような顔をした。
「大丈夫。七刄会・イズ・スタンダード・オブ・サージャリーの一端をお披露目しよう」
 創の両端をくぐった糸を学生さんに持たせ、糸結びをさせる──が、自分で言った通り、確かに全然なっていない。想定内だ。まずは姿勢からだな……葦原は糸結びの指導を始めた。
「そうそう……糸のテンションは保つが、糸で組織を引っ張らない……この空間での糸全体の絶対位置は保ったまま……結び目だけが針穴に寄っていく……創縁もほら、しっかりと寄り合う。グッドグッド」
「うわっ、できた!」
 学生さんは、信じられないという顔をした。
「そうです、こういうふうにやりたかったんです」
「喜んでくれて、なによりです」
「できるものですね。僕でもできるんですね。こんなふうにうまくやれたことはありません」
「やればできるよ。喜びすぎじゃないか」
 学生さんが感激したことに、むしろ葦原はなんだか気恥ずかしくなった。大したことではない。基本を教えてやっただけだ。
「……外科の先生って、教えてくれないじゃないですか。見よう見まねで糸結びしてみても、すぐに糸切って、なにがどうダメかも教えてくれなくて、自分たちでやっちゃって。訊けば、見て盗め、の一点張りで」
「まあねえ、それも大事なんだけれどね」
 葦原は苦笑した。学生さんの言わんとすることはわかる。外科の伝統的な指導スタイルは「見て盗め」である。それは、見どころのあるものを拾い上げる上では役に立つこともある。ただ、医学生や外科志望ではない研修医には無意味どころか逆効果だろう。
「葦原先生はどうして教えてくれるんですか」
「そりゃね、我々がスタンダード・オブ・サージャリーだってのを示したくてさ。どの外科系診療科よりも我々が一番教えるのも巧いってのを自負してるからさ」
 学生さんの目が輝いた気がした。葦原はまた一針通し、糸を持たせて、結ばせた。
「よーし、グッドグッド」
 学生さんの指先の動きは拙いが、コツを掴んだようで、しっかりと糸結びしていく。教えて育つのを見るのは気分がよいものだ。七刄会(うち)は実際のところ、よく教えるし、葦原もちゃんと教えてもらってきた。葦原は基本的な手技などの言語化できる領域なら医学生でも研修医でもさっさと教えてしまってよいと考えている。もちろん、外科の世界は、教えられたことを真似しただけで一人前になれるほど甘いものではない。それをものにするには地道な反復練習と、この道で生きていくという覚悟が必要だ。そうできたものが、さらなる高みを目指すのに言語化しづらいスキルを「盗む」ようにすればよいだけだ。
「終了です。みなさん、ありがとうございました」
 手術は無事に終わった。長野には患者と一緒に病棟に戻ってもらった。
 更衣室に戻ると、着替えの済んだ学生さんが床に座り込んでいた。
「大変だったか、クシくん」
 いきなり外科見学に戻されて、そこから5時間立ちっぱなしとなれば疲れもするだろう。
「はい。でも、なんというか、大変だけれど、外科ってなんだかいいですね」
「けれどはいらないんだぜ。大変で、かつ、なんだかいいのが外科なんだ」
「なるほど。これがスタンダード・オブ・サージャリーなんですね」
「そうとも言えるな」
「先生方は、外科がスタンダード・オブ・サージャリーだってのを最初からわかって、進まれたんですか?」
 鋭い質問だった。外科に入ってみてそうだと実感したが、入る前はせいぜいそれを予感したくらいのものだろう。その予感こそが葦原が外科に入ったきっかけだった。それを話すにはもう少し時間が必要だが……。
「クシくん、この後、飯でもどうだ?」
 身支度と病棟回診を済ませ、病院前でタクシーに乗り込んだ。国道286号から愛宕上杉通りを北に向かい、並木通りに面する老舗迎賓館の『上杉館(じょうさんかん)』に到着した。七刄会含め、七大医学部各教室の催しものの多くはここが会場とされることが多い。開会時間が近いとあって、ぞろぞろと七刄会会員が集まってきている。
「葦原先生、お待ちしておりました!」
 エントランスから駆け寄ってきた女性がそう言った。
「ややっ、楡井医伯監(いはくかん)どの。ご無沙汰です。あいかわらずおきれいで」
「ありがとうございます。葦原先生が出られてから大学は火が消えたようで、寂しいかぎりです」
「またまた──それにしても、こんな美人さんをお外で待たせる不届き者はいったいどこのどいつですか」
「君島先生ですよ」
「おっと、さっきの言葉はなかったことに」
「内緒にしておきますね。そちらは研修医の先生ですか?」
「いや、東京から研修病院の見学に来た学生さんで、クシくん。さっきまで一緒にオペに入っていた」
「それは羨ましい。よい経験をしましたね。今日はゆっくりしていってくださいね──葦原先生、それでは後ほど」
 目当ての人物が見えたようで、楡井は到着したタクシーに向かった。その後ろ姿を(ほう)けるように見ていた学生さんに声を掛けると、我に返って、言った。
「……すごい美人さんですね。まるで、女優さんじゃないですか」
「東京でもなかなか見ないレベルなんじゃないか? でも、美人なだけじゃないんだな。学術も手術も一流でらっしゃるザ・才色兼備さんだ」
 楡井恭子。七刄会医伯監。93年七大医卒、99年七大院卒。中部班Sキャリア。七州大学医学部外科学講座講師。中部班最高研究責任者。見目麗しくスタイルも抜群なので、医局内外にファンも多い。ちなみに七刄会史上初の女性「Sキャリア」であることや、とてつもなく気が強いことは内緒だ。
「そんな方が、こんなところでなにを?」
「もっと偉い人が来るので案内するわけですよ──ほら、あそこのタクシーから降りてきたのが岩手国立大学医学部消化器外科学講座教授の君島慎蔵先生だ。うちの医局のOBなんだ」
 君島先生は当代総裁よりも先輩の、いわば雲上人だ。そんなVIPはVIP候補生に任せることにして、葦原らは中に入った。学生さんは受付で医学生マークのついた名札をつけられた。
「葦原先生、これはなんの集まりなんですか」
「七刄会年次総会。七大外科学教室の同門会さ」
 七刄会年次総会は3つの会によって構成される。全会員(OB含む)が参加する年次総会(同門会)、各専門班に分かれて行われる同専会、それから会場を替えて各学年医局同期で行われる同期会である。ただし、今年はその前にもう1つイベントがある。
「いやー、今年はすごいことになってるな」
 年次総会の会場はいつもは上杉館6Fの大会場「北極星の間」だが、今年はその上の7F大々会場「銀河の間」になっている。なぜなら今年は、七刄会創立90周年記念に加えて、総裁の七州大学病院長就任祝賀会が行われるからだ。間に合うようにと駆けつけたつもりだが、会場はすでに葦原ら下っ端医局員の立錐の余地もないほどに人でごった返していた。
 17時30分、七州大学病院長就任祝賀会──。
「偉い人ばかりだな」
 祝賀会には学内・学外関係者が多数列席した。七州大学総長、大学院医学系研究科長(医学部長)、学際医科学研究所長、各診療科教授などの学内関係者を始め、日本外科医学会理事長などの関係学会トップ、七刄会にゆかりのある他大学の教授、七州厚生局長やせんだい市保健所長など行政関係者、せんだい市民病院長や七州災害医療センター病院長、5つある県立医療センターの各病院長など市内・県内の大規模病院のトップ、県や市、地域医師会長など、見渡す限りお偉いさんばかりだ。県知事や市長の姿も見えた。
 祝賀会はVIP来賓の挨拶続きで、当然下っ端は立位のまま、乾杯に至るまでにも相当の時間を費やし、研修医執刀の手術中よりも疲れるようだった。
「おなか減りました」
 学生さんがそう言うのも仕方ない。周りに酒や料理はあるものの、乾杯後も次々にお偉いさんのお祝いの言葉が続くとあって、下っ端医局員が図々しく飯を取って食う雰囲気ではなかった。ようやく我らが総裁が挨拶に立った頃には1時間以上も経っていた。
「ここからだとなにも見えないですね」
 学生さんがそういう通り、せっかくの我らが総裁の晴れ姿も、遠くてよく見えなかった。実際、その後もほとんど歓談らしい時間もないままに祝賀会は終了した。
「次はちゃんと食えるから、行こう」
 同門会のため6F「北極星の間」に移動した。ここからは七刄会内部の行事なので、外部のお偉方は帰っていったが、七刄会出身の他大学医学部教授などは引き続き参加した。
 19時、同門会──。
 全体記念写真の撮影後、七刄会年次総会同門会が始まった。真田医局長の司会のもと、総裁教授のご挨拶、関係者のスピーチなど和やかに進行し、君島先生の挨拶による乾杯後、和気あいあいとした歓談の時間となった。七刄会創立90周年記念祝賀会でもあり、料理もいつもよりも豪華だ。ようやく仰ぎ見た我らが総裁の堂々たる姿に葦原の疲れも吹き飛んだ──途端に、空腹を思い出し、学生さんと待ってましたと飯と酒を躰に入れはじめた。これまでは大学スタッフとして同門会運営の裏方として参加してきたが、今年からは学外転出に伴い、ゲスト待遇だ。すれ違う大学スタッフの面々はみな、「葦原先生が居なくなってから大変ですよ」と声をかけてくれて、嬉しさ半分、寂しさ半分だった。
 医局出身者による医学部教授就任祝賀会も併せて行われた。今回は、大量3名もの医学部教授を輩出することになった。名門医局(教室)とは、単に医局員や関連病院が多いということだけに裏付けられるのではない。その医局出身者イコール門下生が何名、他大学の教授になったかが問われる。それは実際、教室主宰者である教授の退官時の成績にすらみなされる。なぜなら、教授になること自体は、前任教授退官間際の粛清じみた人事の果てに、悪目立ちしなかっただけの人間にも棚ぼた的に巡ってくることもあるようだが、その教授に盤石な教室運営を行う実力がなければ、自分の門下生を他大学の教授には仕立てあげられないからだ。そして、それができなければ、いかに教授とはいえ、各種学会や中央省庁の学術関連委員会・研究班などの重要ポストも年功序列や持ち回り以上には手に入れられず、お山の大将で終わってしまう──もちろん、我らが七刄会総裁にはまったくもって無縁の話だが。
「なんだかすごいですね。学会でもないのにこれだけ大勢集まって……」
 葦原の(そば)と料理コーナーを往復している学生さんがそう言った。確かに年次総会には多数の医局員が詰めかける。現役外科医だけで300名以上、OBを含めればもっとだ。
「どうってことないよ。医局の集まりってやつさ」
 葦原は少し衒ってそう言ってみたが、その辺の医局の集まりではこうはいかないだろう。
「葦原先生、医局ってなんですか?」
「ん?」
「基礎医学講座には医局はありませんよね」
「まあな──」
 確かに、研究医志望の学生さんが実習で出入りするような基礎医学の講座には医局はない。医局は多数の医者を抱える臨床医学講座ならではの組織体だ。
「医局というのは、病院で医者が飯を食ったり休んだりする控室、オフィス、ラウンジのことだが、それが転じて、この業界では大学医学部教授を主宰者とする医師の職能集団(ギルド)のことを言うんだな。公的には「教室」と名乗ったほうがいいんだろうが、内輪ではもっぱら医局とばかり言う」
 そう言っていてふと、海外の学会で以前、医師の適正配置に関する国際シンポジウムに登壇した真田先生が七大外科医局のことを英語で「|Surgeons' Bureau of Shichishu University《サージャンズ・ビューロー・オブ・シチシュー・ユニバーシティ》」とか「The Bureau(ザ・ビューロー)」と訳して紹介していたのが格好良かったことを思い出した。
「医局って、大学内部の組織ですよね。葦原先生やここにいる方々、ほとんどは大学を離れているでしょうに、大学の医局所属なんですか?」
 学外転落した身には突き刺さる言い方ではあるが、学生さんに罪はない。
「それこそ医局だ。医局ってのは大学を離れてこそ意味がある。医者が大学病院の中で働くだけで、世の中の患者に必要な医療が完結するはずがない。患者側の病状と事情に応じて病院を使い分ける必要がある。その際に、病院同士の連携がスムーズにいくのは、同じ医局からその人事で派遣された医者が各地の病院に出入りしているおかげなんだ」
 学生さんはうなずいたが、いまいち納得していないようだった。
「でも、医局が重要な役割を果たしているとはいえ、大学に所属していない、もう大学や大学院を卒業した人たちが、その後も大学の指示・人事に従って大学の外で働きつづけるなんて、とても不思議です。好きなところで好きに働きたいでしょうに」
「そんなことないよ。大学医局は日進月歩の医療に食らいついていくための生涯教育の場でもあるんだから」
「生涯教育ですか」
「ああ。それに、医者をやっていれば、すがるものが欲しくなるものだよ。特に、外科は侵襲(リスク)を取って治療効果(ベネフィット)を得るのが生業(なりわい)である以上、不可抗力なアクシデントも確率的にはありうる。でも、万が一のときには大学医局がついていてくれるって思えるから、俺たちは津々浦々で安心して働けるんだ。実際、そういういざってときに信頼できるのは同じ医局の医者だけだよ。病院って上層部がてんでバラバラだからさ」
「病院長が内科医だと、外科医は困るってことですか?」
「それなら、同じ医者だからまだいいよ。もっと上の話さ。公立病院なら市町村議会とか、民間病院なら経営者とか、要は医者じゃない人間が医者じゃない論理で現場にあれこれ口出ししてくるんだぜ。そういうのを突っぱねるためには同業者の一致団結は必要不可欠なのさ」
「それじゃ、医者が自ら、医局を求めてるわけですか」
「ああ。医療という不確実なものを担っていく上で逃れようのない当事者意識が、自然発生的に医局という共同体を作ってきたんだと思う。医者はだから、医局の命令というより、医局を形成する医者の本能に従っているんだな。うちで言えば、県下50以上の関連病院で現役300名以上の外科医が安心して働ける環境を確保するために医局が機能してくれているんだ」
「そんなにたくさんの病院と医者を……医局が医療の世界でそこまで役立っているなんて目からウロコです。そこまでいくと、医局ってなんだかもう、公的機関みたいですね」
「公的? まあな。全国に国立大学医学部があって、独法化されるまでは国立大学の教授も職員もみな公務員だったからな。いまも昔も厚生省の横槍とか自治体からの足かせとかもあるし。うん、医局ってのは十分、公的機関だな。でも、大学医学部が乱立する東京だともっと違うのかもなあ。医局無所属(フリーランス)の一匹狼で働く医者も多いんじゃないか。そういう医者は自由にやれているように見えるかもしれないが、その働きには限界があると思う。一方で、医局に属するってのは人事からなにから、色々と面倒も多いが、そういう医者の集まりでやれることってすごく多いと思う。医局は医者個人のためのものではないんだ。こういう集まりも仰々しく思えるかもしれないが、同門会という共同体を感じて働くのにはいいもんだ」
「医局って、なんとなくおっかないものだと思ってましたので、見直しました」
 学生さんは納得したようで、また食事を取りに行った。学生さんの手前、多少は色を付けて話したところもあるが、概ね言うべきことは言えたかなと思っていると、デザートを葦原の分まで取って戻ってきた学生さんが不思議そうな顔をして言った。
「葦原先生、あの辺に座ってる方々はどういう人なんですか」
 総会は立食形式だが、正面ステージの前にいくつかある円卓に着いている人達もいて、その辺り一帯は下っ端医局員の喧騒とは一線を画す(おごそ)かさを漂わせている。葦原は、聞こえるはずもないが、小声で言った。
「あの辺はみんな、教授だな」
 七刄会出身で医学部教授になった人や、来賓の他科教授、名誉教授などが座っている。そう言って、教授のポストは教授「席」と謂うが、助教授や講師、助手といった教員ポストは「枠」と謂うこと、その逆はないことにふと思い至った。
「葦原先生もいずれはあそこへ?」
 葦原は吹き出してしまった。手を振って否定する。学外転落してしまった葦原には、大学がひっくり返りでもしない限りそういうチャンスが回ってくることはなかった。
「俺は単なる医局の歯車だよ」
「医局の歯車、なんですか」
「ああ。俺は論文も書いてないし、毎日、手術をするだけの外科医さ」
「それじゃ、教授になれないんですか?」
「まあな。外科の世界も、ペンは剣よりも強しで、論文を書いている医者のほうが手術をしている医者よりも出世するものなんだよ」
「ふうん……だから、たとえばあそこの年配の方は座れないんですね」
 葦原はまた吹き出してしまった。学生さんが指さしたのは藤堂先生だ。挨拶させておく暇がなかった。
「こら。あれはうちの副院長先生だぞ。外科のトップだ。まだお若いんだぞ」
「あ、すみません。知らなかったもので──でも、年を取ったときに良い席に座りたければ、偉くならないといけないってことですね」
 座っている教授の中には確かに、藤堂先生より若い人もいるだろう。医者の業界では上下関係は絶対だが、唯一、教授職だけは年功を超える。
「人聞きのわるいことを言いなさんな。大学の中で出世したかったらってだけの話だ。それにほら、あそこのテーブル、あれは医局の大ベテランの先生方のテーブルだ」
 葦原の示した先には医局定年を迎えたベテラン医局員の方々が座っている。彼らも今日の同門会のメインゲストで、後ほど永年勤続表彰が行われる。院卒後奉職30年の定年まで医局人事を離脱することなく、陰に陽に津々浦々で七刄会を支えてきた方々であり、頭が下がる。その中には以前、医局長室で取り沙汰された尾関先生もいた。葦原がいずれ座るとしたらあそこのテーブルだろうが、それにはまだ20年もある。
「そして──ほら、あそこを見ろ。立っているのはうちの総裁だ」
 年次総会ホストである我らが総裁はひっきりなしに来賓からの挨拶を受けている。ずっと立ちっぱなしだ。のんびり座って過ごしていることなどない。
「総裁?」
「七州大学医学部外科学講座教授、第七代七刄会総裁、外神悠也先生、我々のボスだ……こらこら、指をさすな」
「七刄会総裁……挨拶のときは遠くて見えませんでしたが、オーラがすごいですね」
「そうそう。偉い人ってのは、あのようなお方のことを言うんだぜ」
 遠くから来てもらった学生さんに、我らが総裁まで見させてやれたとなれば、外科見学の一環として充分すぎるだろう。時計を見るともう20時半。慣れない病院に見学に来て、しかも長時間の手術に入り、飲酒もすれば、学生さんも限界だろう。年次総会もそろそろお開きになる。
「クシくん、今日はこのへんでお開きにしようか」
 葦原はエントランスまで送った。
「東京に戻っても元気にやれよ。卒試と国試、落ちんなよ。あと、研究やるって話だけど、外科も向いている気がするぞ。糸結びがしっかりしてたからな」
 そう言いながら、葦原は反省していた──年を食っていても、ちゃんと見どころのある医学生もいるではないか。
「今日はありがとうございました」
 葦原はタクシー代を渡した。遠慮されるが、受け取らせた。
「気をつけて帰れよ。来年、また会えるといいな」
「はい、わかりました。それでは失礼いたします」
 そう嬉しそうに返事をして、医学生は帰っていった。
 21時、同専会──。
 館内各広間に分かれて、同専会が始まっている。中部班は3F「天璇(てんせん)の間」だ。同専会では学内、学外の中部班スタッフが集い、近況報告やら、関連病院全体の外科症例を集積して行っている臨床研究の途中経過やらを話し合う。
 七刄会外科の各専門班は市内外・大中小零細各規模の学外関連病院を任地として割り当てられている。中部班ではせんだい市民病院、みやぎ県北医療センター石巻病院、仙台警察病院などで、それぞれの外科役職を務めている面々が参加している。葦原の学年では現在、牛尾がAキャリア・七大病院診療講師、葦原がBキャリア・市民病院外科主任医長、蛇塚がCキャリア・仙台警察病院外科主任医長として参加している。藤堂副院長、大和部長、押切副部長ら医伯監お三方も、伊野ら医伯正トリオもいる。中部班講座スタッフとしては楡井医学部講座講師が参加している。この面々が、七大のみならず宮城県ひいては七州地方肝胆膵外科最高峰の陣容といっても過言ではない。なお、総裁や真田先生も中部班出身なのだが、ここには参加はしない。
 現中部班最高執刀責任者の針生先生が牛尾を紹介した。
「皆さんも御存知の通り、この春から牛尾が大学病院診療講師となり、今後の中部班を率いていくことになります。私共々、ご指導のほどよろしくお願いいたします」
 紹介された牛尾が挨拶に立った。
「牛尾です。この度、七州大学病院外科診療講師を拝命いたしました。針生先生、歴代の医伯監の先生方の築き上げてきた七刄会中部班の伝統を損なうことのないよう、誠心誠意、肝胆膵外科領域の発展に貢献するよう努力します」
 針生先生が続けて言った。
「牛尾は秋から半年、オランダのフローニンゲン大学医学部内視鏡外科センターに臨床留学させていただくことになりました」
 牛尾はオランダに行くのか──Aキャリアが確定した診療講師は半年間の海外臨床留学に出て、当該領域の最先端医療を学び、七刄会に持ち帰ってその領域の水準向上をもたらしている。葦原がもし中部班Aキャリアになっていたら自分がそれを担うはずだった──と思った矢先、牛尾が改めて言った言葉に葦原は度肝を抜かれた。
「同施設は腹腔鏡下膵頭十二指腸切除術──LPDで世界の注目を集めております。私もLPDを本邦に普及させていくべく、勉強してまいります」
 驚いた葦原と、牛尾の視線がぶつかった。海外でPDを腹腔鏡でやるという試みがあることは葦原もトピックとしては知ってはいたが、革新ではなく曲芸だと思っていた。針生先生は腹腔鏡下膵

部切除術の七刄会先達者(パイオニア)ではあるが、その次の段階としては飛躍しすぎている。病巣切除後の臓器再建こそが手術の成否を決めるPDは、単に膵臓の切除する部位が尾部から頭部、左から右へとずれただけのものではないのだ。
「肝胆膵領域も今後はより積極的に低侵襲手術の恩恵を取り入れる時代です。藤堂先生が腹腔鏡下胆嚢摘出術(ラパタン)を七刄会外科にもたらし、その発展・普及にご尽力されたように、私も次の七刄会中部班の方向性を担うものとして、頑張ってまいります」
 七刄会中部班現役最長老の藤堂先生へのおべっかを交えながら朗々と話す牛尾は、次期中部班最高執刀責任者としての自信に満ちあふれていて、まるで見知らぬ人間のようだった。
「ラパロでPDなんて無茶だろ」
 小声でとなりから話しかけてきたのは蛇塚だった。
「なあ。びっくりだよ」
「というより、そもそも、うちの学年のAキャリアはお前だと思ってたけれどな。そっちのほうがびっくりだ」
 葦原は、いやいや、と手を振った。
 蛇塚圭史。七刄会医伯正。90年山形国立大学医学部卒、96年七大院卒。中部班Cキャリア。医学部卒後、地元宮城に戻って実地修練後に入局。中部班同期同専として、大学院・市民病院・大学病院で切磋琢磨し、3年前に診療医員から学外転落。
「蛇塚の新しいところはどうだ」
 蛇塚は今期から市内中規模(Cランク)病院の仙台警察病院にいる。七刄会人事には「同期同格」──同期同士は同格の肩書・職責を担う──という原則があり、葦原も蛇塚も施設は違えども外科主任医長、要は中間管理職というやつで、共通の面倒があるはずだ。
「うちは野戦病院さ。その分、初期研修医には人気らしいぜ。経験が積めるってな」
 市内大規模(Aランク)病院は多忙とはいえ、それなりに症例の種類や数は絞られるが、市内中規模(Cランク)病院は軽いのも重いのも来てしまうから、てんやわんやだと聞く。
「そんだけ忙しかったら、いろいろと嫌になったりしないか?」
 葦原は例のミッションを遠回しに切り出してみた。
「ははーん。葦原、お前、大学から出されてふてくされてんな? まあ、わかるよ。転落1年目ともなれば、そんな感じだ。でも、お生憎さま。俺はもうそういう時期は通り過ぎたよ」
「そんなんじゃないよ。元気にやってるならいいさ」
「おかげさまで、いたって元気だ。早くお前もこっち側に馴染むんだな。学外は忙しくて日々早い。真新しい手術がやれるわけじゃないが、それなりに難しい手術をやれているし、お給金もそれなりだし、大学よりは早く帰れてマイホームで子供と遊べているしで、充実しているよ。うちの人事はうまくできてるよ」
 医者の業界では、名誉と給与はきれいに逆相関する。七刄会医局人事でも、その中枢である大学病院から離れれば離れるほど、給料は増えていくと聞く。
「葦原、家を買うなら今しかないぞ。医者でも30年ローンが組める限界の年齢だぞ」
「家か……そっか、もう大学の近くにいなくていいんだもんな」
 去年、家を建てた蛇塚

曰く、税金対策的に家を買うにはなるべく長くローンを組んで、かつ前倒しで返済するのが吉らしい。大学病院にいるときには家を建てるなんて考えもしなかった。大学に長くいるSキャリアとAキャリアには家は建てられないとはよく言われることだった。もう、自分はそうではなくなったのだ──とくよくよしながらも、とりあえず、葦原は脳内名簿の蛇塚には「(やめない)」をつけた。
 同専会もお開きとなった。公式の七刄会年次総会はこれで終わりだが、慣例としてその後は各学年の同期会となる。七刄会外科医一同で、七州随一の歓楽街・国分町の夜に溶け込んでいくのだ。葦原も蛇塚とタクシーを捕まえて、会場に向かった。
 23時──同期会会場のBAR『1996』。
 その昔、葦原らの大学院修了と同じ年の名前のバーを見つけたのを縁として、年次総会後の同期会の会場としていた。
「葦原、久しぶり」
 会幹事の祢津の挨拶中に、そう話しかけてきたのは日辻だった。
「日辻、久しぶりだな。何年ぶりだ。総会、ずっとサボってただろ」
「なかなか時間が作れなくてな」
 日辻秀樹。七刄会医伯。90年青森国立大学医学部卒、96年七大院卒。総合班Dキャリア。医学部卒後に地元宮城に戻り、葦原と同じく市民病院での実地修練後に七刄会入りした。今期から市内小規模(Eランク)の十宮病院外科主任医長だ。
「市病にはうちからも患者をよく送るから頼むよ」
「もちろんだよ。こっちからもいろいろと世話になるからさ」
 市民病院は急性期病院で在院日数の縛りがあるから、長期入院になる患者は下位ランクもとい後方病院に送って慢性期管理をしてもらうことになる。そこに勝手知ったる同期生がいるとスムーズだ。外科診療をトータルで運営する七刄会人事の妙だ。
「最近はどうだ?」
「胸腔ドレーン入れたり、胃ろう作ったり、だよ」
 うんざりとでも言いたげに日辻は話した。
「サムライからニンジャになる、だな。俺もニンジャだよ、これからは」
 七刄会ではそういうふうに自虐する──メスで切る手術より、針で刺す処置の方が増えるというわけだ。宮城県は医療にかかわらず、あらゆる事物がせんだい市一極集中だから、一歩市外に出ればどこでもなんでも過疎だ。七刄会人事で医局員は七州大学の城下町せんだい市内外を往来するが、市外の病院では外科医だからと上げ膳据え膳で手術だけしているわけにはいかず、外科で内科的な診療をカバーすることも多いと聞く。
「Bキャリアならマシだろ、俺たちドサ回り組に比べたら」
 日辻ら総合班の面々は、大学院卒後から学外関連病院を巡りつづけている。
「いやいや、ドングリの背比べさ。俺もこれからは行ったり来たりだ」
「うちらと同じもんかよ。俺ら、七転び八起きのDキャリアと」
「七転び八起き?」
「大学院卒後、俺らは帰学しない片道切符で市外大規模(Bランク)病院に出て、さらに市内中規模(Cランク)市外中規模(Dランク)市内小規模(Eランク)市外小規模(Fランク)市内零細(Gランク)市外零細(Hランク)病院まで合計七回下って、定年前にまた市内零細(Gランク)病院に戻って八起き──だからさ」
 七刄会の人事では、定年前は市内に戻れるようになっている。指を折りながらなるほどと思い、葦原は笑った──が、言った日辻が笑っていなかったのに気づいて、笑うのをやめて、言った。
「俺ら七刄会外科医は一所懸命だ。どこにいたって役に立ってるはずだ」
「一所懸命……ハハッ」
 七転び八起き人事と聞いて笑った葦原より、日辻は笑った。
「なにが面白いんだよ」
「ハハッ、悪い悪い。いやはや……しかし、葦原には学外は退屈だろうなあ」
「まあ、大学がアホみたいに忙しすぎたからな、いまはやりやすいよ」
「手術で困らない限り、外科の時間はあっという間に過ぎていくよ」
 日辻の言う通りだった。表現はよくないのだが、医者の仕事を診療と雑用に分けられるとしたら、大学はこの雑用が非常に多かった。市民病院に来てからというもの、その割合は確実に逆転している。日々の診療をこなしていればそれだけでよいのだ。外科医として当たり前の毎日が物足りないくらいだった。
「しかし、香取とかも来ないよなあ。毎年のことだが……」
 葦原の学年(96年院卒)の医局員は、院卒直後に辞めた1名を入れて12名だったが、狭い店内を見渡しても全然足りていない。沢渡、門馬、香取、新沼がいない。来ないやつには辞めるかどうかも訊きようがない。
「そうそう、いま市民病院にいるから懐かしいよ、祢津と日辻と、研修してた頃」
「あったな、そんな頃も」
 日辻と葦原、それから同期会幹事の祢津は、旧仙台市民病院時代に実地修練をした仲だ。過酷な研修時代の苦楽をともにした絆というのは医学部同期以上に強固なものだ。同期の中でも人一倍真面目だった日辻が医局を辞めるとは思えないが、例のミッションについて訊こうとしたところ、噂をすればの影が差した。
「葦原、日辻、久しぶり」
「これはこれは、祢津医伯監どの。同期の出世頭のおでましだ」
 祢津遼一。七刄会医伯監。90年七大医卒、96年七大院卒。血管班Sキャリア。七州大学医学部講座講師。血管班最高研究責任者。いずれ、医学部教授になる男──。
「それやめろって。みんな葦原のマネするんだから」
 そう言って、祢津は座った。七刄会Sキャリアは、大学院で同期一の業績を上げて抜擢され、医学部教官コースをひた歩く。院卒後、講座助手(文部教官)として採用され、その身分のままに海外留学する。最先端の研究室でノウハウを学び、さらに業績を上げる。帰国してからは研究班を主宰し、大学院生の指導に当たる(通称、S研究班)。ここが最もよい研究業績が出やすいため、歴代のSキャリアもこのS研究班から出てくることがほとんどだ。そうして指導した院生の論文は指導者としての自分の業績にもなる。講座講師昇格と並行して新しい研究班を主宰し、また業績を上げていく。助教授昇格後は、天の時(チャンス)地の利(ブランド)人の和(コネクション)を活かして、どこかの大学医学部教授に輩出されるというわけだ。医伯監会議で決められる大学病院診療スタッフの人事とは異なり、Sキャリアの人事は総裁が決める。
「忙しく働かされてるんじゃないか、市民病院だと」
「全然。講座のほうがキツイだろ。研究・教育・診療・雑用の四重苦だ」
「それほどでもないさ」 
 いつの間にか日辻がいなくなっていた。葦原は小声で祢津に訊く。
「そうそう。空知先生が茨城の教授だろ。お前はどこになりそうなの?」
 空知先生は祢津の先輩の血管班Sキャリアで、このたび、茨城国立大学医学部に新設された血管外科学講座の初代教授に就任し、さっきの総会でも挨拶していた。祢津もいずれどこかの教授になるが、七州大学の

は道南から、七州、新潟北陸、甲信越、それから北関東あたりだ。そこから先となると、北は北大、南は東大やら名大やらのシマだし、東京・関東の私立医大は、やはり東大や私大トップのK大医学部のシマだから、七刄会出身とはいえ、なかなか簡単ではない。
「さあな」
 色々と面倒なことが多い業界だから、教授選考関係の話を当事者がべらべらと話すことはないだろう。葦原もわかって、冗談で訊いている。
「関東の目的別医科大学のどれかだと俺は思ってるが」
「わからんよ。総裁のご意向に従うだけだ」
 教授養成コースにあるとは言え、Sキャリアも大局的に見れば、他の医局員と同じだ。下っ端医局員が医局のオーダでどこに飛ばされても従う必要があるように、彼ら教授候補とて総裁の推挙があればどこの大学の教授選考であろうと、そこに

。医学部教授になるべく医局のリソースを選択的に投下されて育成されている以上、教授になって七刄会外科医学を敷衍していくのはSキャリアの使命であるが、本学教授の座席は唯一無二なので、教授代替わりのタイミングでもなければ、自家を継ぐより他家に嫁ぐしかない。結果的に、出身地でも出身大学でもない大学の医学部の教授になるもののほうが多い。
「それとも……次の本学教授は祢津だったりしてな」
 あと数年後、総裁教授が病院長(ホップ)医学部長(ステップ)本学総長(ジャンプ)とくれば、教授定年まで待たずに教授代替わりになる。祢津と葦原が46歳になるくらいだ。若すぎず遅すぎず、教室を率いていくにはちょうどよい頃合いだろう。教授になるのも適齢がある。若すぎても選ばれないが、60歳も見えてきた年齢としては遅い。
「血管班から本学教授はむずかしいだろ。また、中部班なんじゃないのか」
 七刄会内部も時代に合わせてさまざまに変遷してきたが、代々の本学教授はいまでいう「中部班」、もとを辿れば「第二外科学」から輩出されてきた──が、例外もあった。
「蔵王名誉教授は血管班だったんだから、そういうわけでもないだろ」
 七刄会史上、外科学教室2講座時代には、中部班出身と血管班出身の教授を同時に戴いたこともあった。
「また七刄会が割れるのか? 縁起でもない」
 苦い顔をした祢津の言う通り、確かに縁起でもない。当代総裁の代になって外科学教室はまた統合されて、今に至る。大外科こそ七刄会なのだ。
「でもま、俺が本学教授になれでもしたら、葦原、お前に医局長をやってもらうかな」
「やだよ、めんどくせえ。同期でやるかよ」
「それこそ、蔵王名誉教授と用瀬医局長は同期だろ」
「ああ、そうだったな」
 祢津の出世話もたけなわではあるが、葦原は例の件を切り出してみた。
「祢津もいろいろと大変だろ。大学なんか辞めちゃおうって思ったりしないのか?」
「……辞められると思うか?」
 噛み殺したような口ぶりに苛立ちがこもっていた。そうではないと思って、雑に訊いたのがよくなかった。
「祢津に辞めてもらったら俺らが困るよ」
 祢津らSキャリアは単に出世コースに座ったのではない。Aキャリアを筆頭とする大学病院診療スタッフが研究や教育といった学術面の業務をSキャリアに丸投げし、自分たちを「手術屋」とうそぶいて外科診療だけに明け暮れている間、Sキャリアらは手術は人並み以上にこなすのはもちろんのこと、学術面で朝も夜もなく粉骨砕身している。なんのためか。それは医学部教授になるためだ。そしてそれはSキャリアに課せられた使命なのだ。
「俺らにしたって、同期から教授を輩出して自慢したいしな」
 七刄会医局員は、同期を出し抜こうという競争意識とは比べものにならないくらい、学年同期から医学部教授を出すことに連帯意識、いや、連帯責任を感じている。
「務めは果たすさ。俺はお前にSキャリアを譲ってもらったようなもんだからな」
 祢津は鼻から息を抜いて、そう言った。
「はっ? なんだそれ。俺は中部班、お前は血管班だ。競争した局面はないはずだ」
「お前が大学院2年目のときにおとなしくS研究班に入っていたら、どうなっていたか」
「どうもならんよ」
「いや、お前がS研究班だったら、もっと業績を上げてたよ」
「なんでそう言える」
「お前の学位論文はJASAに載った」
「おいおい、もう10年近くも前の話をなにを今さら」
 葦原の大学院博士課程学位研究の英語論文が掲載された全米外科医学会誌(JASA)は、臨床外科医学系のトップ学術誌(ジャーナル)で、インパクトファクターが2桁ある。インパクトファクターとは、簡単に言えばその学術誌の業界注目度だ。その数値が高い学術誌に掲載されることで、その研究(論文)の価値が間接的に担保されるというのが医学業界での暗黙の了解だ。研究そのものの価値は本来、肯定的な文脈でのその論文の被引用数(サイテーション)で測られるべきなのだが、よくもわるくも、この業界はインパクトファクター至上主義だ。教授選考では候補者の評価対象項目の中で、論文(の掲載された学術誌)のインパクトファクターの合計数が最も重視されるとも言われるくらいである。
「あれは吉良先生のおかげだよ」
 葦原も、JASAに論文が掲載されたことは今でも密かな自慢であるが、正直、研究指導教官だった吉良先生の懇切丁寧な指導のたまものであって、葦原のような大学院生一人でやれる業績ではなかった。
「お前だって一流雑誌に載っただろ。まして、俺はお前みたいに、在学中に何本も論文を出せてないし、短縮年限で卒業してもいない」
 祢津の学位論文もインパクトファクターの高い基礎系医学雑誌に載ったし、葦原は学位審査申請期限ギリギリで論文1本の掲載がなんとか間に合ったのに対して、祢津は在学中に複数の論文が掲載済みだったどころか、業績優良者にのみ許される短縮年限という制度で半年早く大学院を卒業している。だから、厳密に言うと、92年入局同期であっても96年院卒組ではない。それこそが当該学年で唯一人、Sキャリアであることの証明なのだ。
「葦原が外に出てしまったから言えるのかもな。ずっとそういう気持ちはあったんだ」
 どうにも慰められる夜だ。もしかしたら、学外転落した自分は想像以上にみんなの目にはみじめったらしく映っているのかもしれない。なんだか、情けなくなった。
「俺は研究はいいんだよ。真田先生の後を追っかけて入ったんだから」
 そう言って、気づいた。日中、見学に来た学生さんにどうして外科に入ったのかと訊かれた。医学部卒後はなんとなく外科医志望だったのだが、実地修練中、旧仙台市民病院にいた真田先生に憧れて、同じ外科に入ったのだ。七刄会外科がスタンダード・オブ・サージャリーであるということは、真田先生の手術を見よう見まねで学び始めた頃の言葉にならない予感から、それなりの年月をかけてたどり着いた確信だった。
「ああそうか……そうだよ。俺はそれで七刄会に入ったんだった」
 だからこそ、祢津の言うようにはS研究班に入らず、A研究班を選んだ。七刄会では、七大卒はS研究班に入って出世コースを争うのが暗黙の了解だが、葦原は出世なんか考えたこともなく、ただ、できる手術を増やし、誰よりも巧くやれるようになりたかっただけだった。そのためには真田先生のいる中部班一択で、それへの配属を前提としたA研究班に入ったのだ。しばらくして、真田先生は医局長になって、中部班から抜けてしまったのはさておき──。
「あっ、そのことを話しておくんだった」
 今夜の総会にあの学生さんを連れてきたのは、「外科医を見て外科医になる」というのを外科医の集まりを通じて伝えるためだったのに、これでは本当にご飯を食わせただけになってしまった──葦原は頭をかいた。
「葦原は変わってるよな」
 祢津は相好を崩してそう言った。
「はっ? お前のほうが変わってるだろ。アホみたいに研究して論文書きやがって。とっとと偉くなれ。早く教授になって、製薬会社(メーカー)と癒着して、酒池肉林的な接待してくれよ」
 25時──七刄会の長い夜は終わらない。


 6月──。
 休日の病棟回診を済ませて病院エントランスから出たところ、早朝の出勤時にはおとなしかった暑さはいまや圧迫感を伴うほどで、葦原はたまらず一度病院内に戻ってしまった。歩きではなく地下鉄で帰ろうと思って、覚悟を決めてまた出たところ、外から入ってきた人影に「葦原先生!」と呼びかけられた。
「おいおい、東京のクシ君じゃないか!」
「先月はお世話になりました」
 先月外科に研修病院見学に来ていた学生さんだった。不思議なもので、医者の世界では一度知遇を得ると、その後しばらくはよく会うものだ──早い話、狭い業界なのだ。
「今日はこちらの面接試験だったんです」
「そうだったか、暑い中、おつかれさまだ。マッチングできるといいな」
 先月の見学終了後、葦原はこの学生さんを「◎」と評価し、大和先生に伝えていた。こういう評価をもとに病院側は研修希望者を採用したい順に順位づけをする。医学生側も複数の研修病院から行きたい病院から順位づけする。そして、お互いの順位が高いもの同士がマッチングされるアルゴリズムで研修病院が決まる。
「そうそう、大学病院は滑り止めにしないほうがいいみたいだぞ」
 ちなみに、希望上位の研修病院にアンマッチだった医学生は希望下位の病院とのマッチングが組まれるが、それもだめなら次に……となっていく。どうやら、医学生側は最下位に滑り止め的に大学病院をリストしているようで、そして大学病院側は研修医受け入れ枠を無尽蔵に用意しているので、どこの学外病院ともマッチングできないと、医学生は研修医として大学病院に吸収される。そうして七大病院に来て外科ローテートをすることになった研修医がたいそう愚痴っていたので、初期研修環境としてはあらゆる面で不向きな大学病院に万が一にも行きたくないのであれば、一旦アンマッチになって二次募集を狙うという手もあるらしい……ということを話してやった。
「なるほど。大学病院での研修は考えていないので、そうします」
「参考になれば幸いだ──ところで、この暑い中、戻ってきたのか?」
「思ったより早く面接が終わってしまって。新幹線までまだ時間があるので、せっかくだからこれを聞いていこうと戻ってきました。外、暑いですし」
 学生さんが示したのは、「第2回七州総診セミナー」のチラシだった。例の、総合診療部の白神医師が主催するものだ。今日、病院の大会議室でやっているはずだ──外部からの参加者のため院内にも案内表示が貼ってあった。
「へえ、真面目だねえ。医者になったら遊んでられないんだから、今のうちに遊んでおけばいいのに」
「白神先生は研修医にいま大人気ですから」
 人気という言葉に驚いた。有名とか有能とかはあるだろうけれど、医者の業界で人気という言葉が今まであっただろうか。しかも医学生にまで名前を覚えられているとは。
「俺もちょっと覗いていこうかな」
 ちょっとだけ興味がわき、葦原もついていくことにした。
 セミナーはすでに始まっていた。薄暗い会場の中で、空席を2つ見つけて学生さんと座ったところ、会場前方スクリーンの端で、外科ローテート中の2年目研修医宮田がなにやら英語で発表(プレゼン)しはじめた。入口で受け取ったプログラムを目を凝らして見ると、セミナー前半は「スパレジコンテスト」と銘打って、研修医が経験した症例を英語で発表し、考察の適切さなどを競うコーナーのようだった。
 宮田の発表が終わると、それが最後だったようで小休憩となり、会場は明るくなった。
「クシくん、新幹線の時間はまだ大丈夫か?」
「ええ。それにしてもすごいですね、さっきの症例発表で最優秀賞のスパレジ・オブ・ザ・イヤーに輝くと、副賞として海外の短期留学に行けるんですって」
「なに? なんともまあ、豪勢な話だな」
 プログラムを見返すが、製薬会社などがスポンサーとしてついていない勉強会のようだった──白神医師の資金源はいったいどこだろうと思ったところ、その白神医師に話しかけられた。スーツ姿だった。
「外科の葦原先生、ようこそおいでくださいました」
「白神先生、お邪魔してます──盛況ですね」
「おかげさまで。この後の特別講演は葦原先生と同じ外科のドクターですから、お楽しみに」
「外科の医者が総合診療ですか?」
「総合診療には内科も外科もないんですよ。now and thenのnowを担当するのです──では、そろそろ」
 白神医師はそう言って、座長席に進んだ。
「わあ、本物の白神先生ですね」
 隣の学生さんが嬉しそうにしていた。Tシャツにジーパンの葦原は少し恥ずかしくなった。
 白神医師が座長として特別講演開始を告げ、演者の紹介を始めた──聖馬可国際病院外科部長の時枝翔。青森国立大学医学部卒業、神奈川米軍病院で研修し、渡米。ニューヨークの有名病院で人気の外科研修プログラムに入り、競争を勝ち抜きチーフレジデント選出。その後も競争の激しいシアトルの有名病院のフェローシップをクリアし、一般(消化器)外科の指導医(アテンディング)、同チーフを務めたあと、帰国して現職。米国外科専門医(American Board Certified Surgeon)──とのことだ。
「……時枝先生には米国における救急医療と外科研修について、そして日本における総合診療とこれからの外科系診療科の関わりについて貴重なお話をしていただけることと思います。よろしくおねがいします」
「聖馬可国際病院の時枝と申します。白神先生、過分なご紹介をいただき、ありがとうございます。その紹介にもありましたが、日本の医学博士も外科専門医も持っていない外科部長は私くらいではないでしょうか……」
 拍手の中、登壇した男はそう切り出した。聖馬可国際病院といえば、東京の一等地にある超一流有名民間病院だ。葦原と同年代でそこの部長ポストというのも驚愕だが、米国の外科専門医資格は持っているとはいえ、日本の学位も専門医も持っていないというのは衝撃だった。
 時枝医師は、米国での外科を含む医者の研修環境や、聖馬可国際病院でスタートした研修制度について、流麗な弁舌で紹介していった。象徴的な事例を交えながら解説される日米の医療や研修制度の違いは興味深く、葦原も飽きることなく聴講できた。同じ外科ということで話題の共通点も多い。自身のWhipple手術──PDのことだ──の執刀時間が平均6時間台と話していたから、口だけでなく腕も確かなようだ。しかしながら、アメリカに単身留学して成り上がった医者だからか、講演内容が概して日本的な医者のキャリア形成、つまり大学医局を中心としたそれを否定するような言い方なのが耳ざわりだった。
「これからはどこの大学出身だとか、どこの大学医局に所属しているかという肩書ではなく、どこでどんなトレーニングを積んだかという職歴が問われる時代になるでしょう。聖馬可(マルコ)国際病院では初期研修だけではなく、来年、平成18(2006)年から開始の後期研修プログラムも画期的な体制でお迎えします。出身大学や研修病院を問わず、真にやる気と誠実さを兼ね備えた人材を募集します」
 

という言葉を聞いて、葦原はにわかに苛立った。医者の初期研修は制度化されてしまったので仕方ないが、後期研修という制度はない。初期研修が終わったらとっとと大学に入局してもらわないと困る。こういう民間病院が、後期研修とたぶらかして、若手医師を確保しようというのはやりすぎだ。初期の次は後期だ、さらに晩期研修、末期研修だなんて、いつまでも学外病院でのんべんだらりと研修医として過ごしていては医者としての成長は見込めない。とっとと一人前になる、というのは医者の義務だ。
「葦原先生、僕はそろそろこの辺で──」
 傍らの学生さんが小声でそう言ってくるまで、その存在を忘れていた──そろそろ新幹線の時間のようだった。
「おう、元気でな。うちに来たら、研究医志望でも虫垂炎(アッペ)くらい切らせてやるからな」
 学生さんは嬉しそうにうなずいて帰っていった。
 特別講演終了後、研修医の症例発表コンテストの選考結果発表が行われ、スパレジ・オブ・ザ・イヤーには宮田が選出された。外科志望の若手が優秀でなによりだが、研修医で海外に行けるというのはなんとも贅沢な話だとも思った。
 あっ──。
 そうだ、あの学生さんに、葦原が七刄会外科を選んだ理由を話してやりたいのだった──締めの挨拶に登壇した白神医師を横目に、葦原は会場を出た。
 急いで病院の外にまで出たが、もう学生さんの姿はなかった。通りまで出て仙台駅方面を眺めても、暑さで空気が歪んでいるだけだった。一気に汗が吹き出した。
 さっきよりも暑さが増していた。もう、夏だった。あっという間に、夏になっていた。
─────
©INOMATA FICTION 2019-2020
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登場人物紹介

葦原建命(あしはら・たてる)

 七刄会医伯正

 七州大学病院外科診療助手(中部班)

久斯創(くし・つくる)

 せんだい市民病院「アラサー」初期研修医

 論文モンスター

 

真田善次(さなだ・ぜんじ)

 七刄会医伯総監

 七州大学病院外科特命教授

 七州大学医学部外科学講座医局長

藤堂壮平(とうどう・そうへい)

 七刄会医伯監

 元七州大学病院外科診療助教授・中部班最高執刀責任者

 せんだい市民病院副院長

 「雷神藤堂」「七刄会ラパ胆のパイオニア」

大和達郎(やまと・たつろう)

 七刄会医伯監

 元七州大学病院外科診療助教授・中部班最高執刀責任者

 せんだい市民病院外科部長

 「肝臓手術の名手」

押切慶二(おしきり・けいじ)

 七刄会医伯監

 元七州大学病院外科診療助教授・中部班最高執刀責任者

 せんだい市民病院外科副部長

 「七刄会PD最速」

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