古戸 晶の二日目 訪問者と用事

文字数 7,240文字

「……ん?」
 俺はどうやら窓のカーテンを閉め忘れたらしく、不本意ながらもそれなりに早起きをしてしまったようだ。
 当然ながら「お勤め」が終わった俺に職はない。つまるところ無職なのだ。もちろん予定はなく、どうすることもない。
「ふぅ……飯でも作るか」
 俺は冷蔵庫へと向かい、昨日買ってきた食材を確認し、作れるであろう料理を考える。が、
「めんどくさいな……これでいいか」
 俺が取り出したのは生ハムの安売りで5パックセットになっているやつだ。これが俺の朝食だ。
 ぺりぺりと端からパッケージをはがし、中から出てきた生ハムを口へと運ぶ。
「……うまいな」
 「お勤め」中はこういうものは出なく、味こそ低いものの栄養管理のされたものが出てくる。
『ピンポーン。ピンピンポーン』
 どうやら、来客のようだ。俺にようがあるのはやはり大体二つのパターンがある。
 この家の外観やその他で興味本位で来るやつら。
 俺の「お勤め」終わりを覚えている、もしくは知って復讐に来るやつ。
 例によって俺はどちらでも構わないのだ。どちらでもしょうがないことだからだ。
 来客が来たからには出なければならない。それにしてもこの前の女子高生もそうだが、よくこの外観の家に近づこうと思うな。俺が一般人だったら関わりたくないものだがな。
 そんなことを考え、ドアを開けるとそこには件の女子高生が立っていた。
「どうも。おはようございます」
 まず最初に挨拶とは、礼儀の正しい子だ。俺はそう思う。
「ああ、おはよう。で、今日は何の用だ」
 昨日の興味本位ということは、やっぱり嘘で殺しに来たのかもしれない。別にだからと言って抵抗するわけでもないが。
「昨日の……」
 女子高生がそう言いかけたところで、遠くから人の話し声が聞こえた。このままではこの状態を見られてしまう。俺は構わないが、俺のことを知らないこの女子高生がいろいろと不利になってしまう。
「ここは人目に付く。中に入るか?」
 この女子高生が俺を知らないとはいえ、人に見られればその見た人がい俺のことを知っているかもしれない。それなら、見られる前に見られないようにしてしまえばいいと俺は考えた。
「え、……あ、はい」
 女子高生は肯定の返事をしてきた。俺はそれにこたえるよう体をよけて女子高生が通れるぐらいのスペースを作った。
 遠くの話し声がだんだんと近づいてきた、これはまずいと思い、女子高生に早く入るように言った。
「早く入ってくれ。遠慮はいらん」
 俺がそういうと、女子高生は緊張か遠慮のせいかは知らないが、ぎこちなくも
「は、はい。お、お邪魔します」
 と入ってきた。それと同時に俺はドアをすぐにしめた。これで見られてはいないはずだ。
「ふう……さ、上がってくれ。しばらく留守にしていたから、埃っぽいが。それともこの後用事があるのか?」
 一度上げたからには、それなりのもてなしをするのが礼儀だろう。
 俺でも、そんなことぐらいは思うし、考える。
「い、いえ……用事は特にないので……お邪魔します」
 女子高生は再びそういうと靴を脱いで上がってきた。一応床の掃除もしてあるので、埃はつかないはずだ。俺は女子高生を茶の間まで案内した。幸か不幸か、庭側の大きな窓、……昨日女子高生がなだれ込んできた窓はブロック塀で外から見えないようになっているので、ここなら安心なはずだ。
「すまないな。埃っぽいだろう。さっきも言ったがしばらく家を空けててな。そこのソファにでも座っててくれ」
 俺はそういいながら、冷蔵庫からペットボトルのお茶を取出し、氷を入れたコップに注いだ。もちろん女子高生に出す用だ。
「どうぞ。すまないな。ジュースはないんだ」
 すると女子高生は、困った顔で言ってきた。
「い、いいえ。その、お構いなくと言いますか……あの」
 どうも、硬い。まあ普通はそうか。特に接点がないのに突然家に上がれと言ってこんなことをしているのだから。
 それにしてもこの女子高生は何か用があったから着たはずだったな。玄関でも何かを言いかけていたはずだ。
「どうした?そういえば今日は用があってきたんだろう?」
 すると女子高生は助かったというような表情を一瞬して、何かを出してきた。
「これ、昨日のお詫びと言いますか、勝手に入ってしまって、その……盗み聞きと言いますか、留守電の内容も少し聞いてまして……」
 女子高生は、はやり興味本位で入ってきて、留守電の内容を少なからず聞いていたようだ。今日はその謝罪といったところか。
「そうか。気を使わせたようで悪かったな」
 別段差し出されたものを断る理由もないので受け取る。
 ……これは懐かしい。「お勤め」に出る前もこの店はあったのだ。
「これは……また懐かしい物だな。高かっただろこれ?」
 この和菓子は味も値段も確かなもので、俺も自分へのご褒美として買った時期もあった。
「いいえ……そこまで高いものではありません。すいません昨日は……」
 この女子高生はよほど悪いと思っているのかよく謝ってくる。
「構わないと言っている。それよりも、留守電の内容も聞こえていたんだろう?よくそんな奴の家に謝罪しに来ようと思ったな」
 最近の女子高生は度胸がすごいのか、それとも異常なまでに礼儀正しすぎてちょっとしたことでこうして頭を下げに来るのか。俺は何ともギャップを感じていた。
「いえ……昨日は散歩の途中でこの家を見かけて、入っていくのが見えたので、それでつい……それに、悪いものは悪いですから、それなりの……謝罪というか」
 そうか、そういえば、なだれ混んできた時も同じことを言っていたような気がするな。外観が外観だからわからないでもないが。それにしてもずいぶんとしっかりとした女子高生だな。悪いものは悪いから……か。
「そういば昨日のことはそう言ってたな。つまり、散歩の途中で偶然通りかかって、そこに偶然俺が入るところを見て、偶然興味がわいて、偶然ばれてしまった。というわけか」
 なるほどなるほど。これは何とも不幸な話だな。これ以上俺とかかわってしまうとこの女子高生のためにならないな。周りにばれてしまうといろいろと不都合だろう。
「そうです。その……本当にすいませんでした」
「だから、そう何度も謝るな。価値が下がる」
「あ……はい」
 女子高生はそういうとお茶に一口つけ、一息ついたようにも見えた。
「それでその……えっと……」
 女子高生は、こちらに向き直り何かを言いたげにしている。俺に聞くのをためらっているように見える。
「なんだ。聞きたいことでもあるのか」
 まあ、逆に聞きたいことはないのかと言いたくなるようなことばかりだがな。家の外観、そこに住んでる俺の素性。特に俺のことを知らない年齢のこの女子高生ならなおさらだろう。
「その……お名前を、聞いてないなと思いまして」
 名前……か、もしかしたら俺の見た目を知らないだけで、名前を聞いたら分かるかも知れないな。そしたら、近寄ってくることももないだろう。
「古戸 晶(ふるど あきら)だ。聞いたことはあるか?」
 俺は隠すこともなく、本名を口にした。これでいいんだ。傷は浅い方がいい。
「古戸さんですか……聞いたことはない……です」
 女子高生は、知らないことを申し訳なさそうに言ってきた。やはり、この世代の子たちは知らないのだろうか。俺の「お勤め」の理由を。俺がしたことを。
 知っていようと、どうであろうと俺とかかわるとろくな目に合わないのだけは確かだ。
「そうか。ならいいんだ。帰ってから家族に聞くといい」
家族ならば俺のことを少なからず知っているはずだ。そうすれば関わるのをやめろというだろう。そうすればこの女子高生は来ることもないだろう。
「はい……そうしてみます」
 この女子高生、どうにも度胸と礼儀がある割に緊張しいなようだ。今度はお茶にも手を付けず沈黙してしまった。
 俺は窓を開け、換気を兼ねて外の様子を音で伺っていた。どうやら遠くで車の音はするものの、足音や人の気配はしない。帰らすなら今が良い頃合いだろう。
「おい、お前。帰るなら今がちょうどいいんじゃないか?」
「吉瀬です。昨日も言いましたが、吉瀬 友菜子です」
 どうやら、お前呼ばわりしたのが気に入らなかったようで、名前を言ってきた。確かに、初対面同然に人にお前呼ばわりは悪い。俺はそう思った。
「昨日もそんなことを言っていたな。お前なんて言って悪かったな。吉瀬さん」
 俺は素直に謝ることにした。悪いには俺だからだ。
「いいえ。こちらこそなんか怒ったみたいな言い方で……すいません」
「構わんと言っている。それに、悪いのは俺の方だった。謝るのは当然だ」
 俺は思ったことをそのまま口にした。悪いものには、それ相応の何かがある。
「で、帰る時間にはちょうどいいんじゃないか。外には人もいない。いい状況だ」
 すると、女子高生……いや、吉瀬さんは俺の言っている意味が分からないという表情をしながらも、携帯の時計を見でハッとした感じで立ち上がった。
「すいませんでした。長居をしてしまって。もうお昼近いですから、ここら辺で帰らせていただきます」
「ああ、そうしたほうがい。人目につかないようにな」
 俺がそう言うと吉瀬さんは妙な表情をして、質問をしてきた。
「あの……何でそこまで人の目を気にするのですか?」
「……もし吉瀬さんの友達が近くにいたとして、この家から出ていくところを目撃されたらなんていわれると思う。この家の外観に、住んでるのは俺一人。そこに吉瀬さん一人出ていくんだ」
 俺はつらつらと思いを口に出した。事実でもある。
「それは……」
「世間の目というのは厳しい。いかなる事情でもな。さ、今なら人は近くにいないから出ていくには良い頃合いだ」
 そう、いかなる事情があろうとも、だ。
 俺がそういうと吉瀬さんは不思議な顔をしていた。なんというか、妙に納得しようとしているというような表情だった。
「……そういうモノですか」
「そういうものだ」
「肝に銘じておきます。今日は本当に長いことお邪魔して申し訳ありませんでした。茶までごちそうになってしまって」
「いや、こちらこそ気を遣わせてしまって悪かったな。お茶ぐらいしかなくてろくなもてなしもできなくてすまなかったな」
 そう言葉を交わしながら吉瀬さんを玄関まで、見送った。
「それでは、お邪魔しました」
「いや、構わないさ。気を付けて帰るんだぞ」
「はい。では」
 別れ際にもそう会話をし、玄関から吉瀬さんを見送った。あらかじめの、様子見通り、辺りに人はいなく、静かだった。
 空を見ると、俺を歓迎する様な太陽は真上に上ろうとしていた。
「お昼か……」
 俺は、特に用事という用事は思い浮かばず、家の中へ戻り、窓を閉め、吉瀬さんに出したお茶の片づけをすることにした。
 コップを見ると、お茶はなく、とけて小さくなった氷だけが中にあった。
「……」
 新しく継いでやればよかったなと思いつつもコップを流しへ持っていき、洗う。
 洗いながら俺はこれからのことを考えていた。長い間「お勤め」をしてきたのだ。そう簡単に就職もできまい。蓄えこそ少なからずあるもののいつまで持つか……。それに、テレビが映らない。「お勤め」の時にも一度テレビが変わったことがあったな。おそらくもう、古いテレビでは映らないのだろう。かといって、買い替える金もないし、なくても不自由はしないだろう。
 次に……時計か。電池を買てくるのを忘れてずっと止まったままだな。今度買いに行くか。
 俺は洗い終わったコップを布巾の上に置き、流しを離れた。
 もう一つ、俺はやることがあるのを思い出した。服だ。箪笥はきれいに拭いたが、中にある服がどうなっていることやら。
 俺は、自分の部屋へ行き、箪笥の中を見た。予想通り埃が舞った。
「うお……」
 思わず声が上がる。ここまでひどいとは思ってなかった。そして服の中には自分で洗える類のモノもあれば、自分では無理なものもある。スーツなどのモノだ。
「……クリーニング屋が潰れていなければいなければいいが」
 俺は「お勤め」前はよく着ていたものだ。少し懐かしむがすぐに思う。もう戻れはしないんだと。
 このスーツの類は一応はクリーニング屋に持って行ってみるか。自分で選択できるものはしてしまおう。世の中はすごく進んでいて、洗濯機を洗う用の洗剤なんてものができていた。なので洗濯機の心配はない。普通に使える。
「さてと……」
 俺は気が進まなかったもののクリーニング屋へ行くことにした。スーツ類は俺ではどうしようもできない。
 箪笥の中から埃をかぶったスーツを取出し、クリーニング屋へ向かう準備をした。このついでにコンビニへ寄って電池も買ってしまおう。
 俺はそんなことを考えながら家を出た。
 歩きながら再び思う。「お勤め」が長かったのだなと。クリーニング屋に向かう道ですら広く拡張されている。「お勤め」前は狭い路地と言ってもいいほどだったのに、だいぶ広くなっている。
 こうなると嫌でも実感させられる。時間というモノが。
 そして、歩くこと五分。あった。昔から利用していた、クリーニング店。すっかりと店舗は新しくなっているが、間違いなくあのクリーニング店だ。
 俺が行ったらどういう反応をするのだろうな。
 俺はそんな思いを胸に、クリーニング店へ入った。
「いらっしゃいませー」
 出迎えたのはカウンターに座っているきれいな女性だ。流石に俺が利用していたころの人ではなくなったようだ。
「このスーツ四着。防水もお願いします」
 俺はもってきたスーツ四着をカウンターの女性に預けた。
「かしこまりました。お急ぎでしょうか?」
「……はい。せめて一着は」
「かしこまりました。いつまでに仕上げればよろしいでしょうか?」
「一番早くていつごろ仕上がりますかね?」
「そうですね……今でしたらそれほど、ほかの衣服のお預かりがないので、二日ほどで仕上がると思います」
「でしたらそれでお願いします」
「かしこまりました。では、スーツ四着のクリーニングと防水加工、内一着がお急ぎということでよろしいでしょうか」
「はい。それで構いません」
「では、お会計の方が、八千四百五十円となりますがよろしいですか?」
「はい」
 俺は財布からちょうどの金額を出した。思っていた以上に手痛い出費となってしまった。
「八千四百五十円ちょうど、お預かりいたします。仕上がりましたらお電話しましょうか?」
「いえ、二日後のお昼に来ます」
「かしこまりました」
 俺はその会話を最後に、店を後にした。
 なぜ、早く仕上げてもらわねばならぬのかというと、就職活動のためである。「お勤め」に出ていていくら再就職が難しいといえども、働かねば生きてはいけない。
 ……俺は生きていていいのか疑問だが、死ぬなら自分でじゃなく殺されて、の方がいいだろう。スッキリして。
 さて、クリーニングも任せたことだし、今度はコンビニへ寄って電池を買わねばならないな。そのために、俺はコンビニへと歩き出した。
 再び五分ほど歩くとコンビニに着いた。
 コンビニもなんだか新しくなっているような気がしてならない。何より内装が新しい気がする。「お勤め」終わりのコンビニは何だかすごいことになっている。コンビニ一つあれば生活用品は一通りそろうのではないかと思うほどに品ぞろえが豊富で種類自体も多くある。
 コンビニ内で商品に目移りしていると小さい卓上カレンダーが目に入った。
 そういえば、カレンダーもあの時のままだ。買ってこう。
 俺は電池とカレンダーを手に取りレジへと向かった。そこでもまたある商品が目に入った。煙草だ。懐かしい。
 だが、「お勤め」の間にもテレビでやっていたが、煙草の値段が高騰しているのは知っていたし、本当に大分高くなっていたので俺はしぶしぶあきらめた。
「八百五十円になります」
 例によって俺はちょうどの金額を財布から取り出した。
「はい、八百五十円ちょうどお預かりします」
 そうして、袋に包まれたこの二つを持ってコンビニを出た。
 帰りはゆっくりと歩いた。変ってしまったこの街を知っておきたかった。俺が「お勤め」に出ている間に何がどう変化したのか。変わらないところはあるのか。
 俺はゆっくり歩きながら、昔の、「お勤め」前の風景と今の風景を比べながら帰った。
 帰宅後は、昼食として生ハムのパックを開け、洗濯をして、風呂掃除をする。こうしていたらもう日は完全に沈んでいる。
「ふう……」
 まるで主婦だ。いや、主夫か。まったく、暢気なものだ。家の外観を除けば意外と普通の暮らしをしてしまっているではないか。
「……意外とこんなものなのかもしれないな」
 俺は、自分の能天気さに嫌悪感を抱いていた。どうして自分はこうものうのうと生きているのだろうと。
 夜食はもちろん生ハムのパックだ。旨いものだ。
「そういえば電池をセットしてなかったな……」
 俺は電気をつけ、電話の時報を聞きながら電池をセットした時計の針を合わせていた。
 後はカレンダー、今日は五月六日だったらしい。
「……ん?」
 カレンダーを見て気が付いたが、昼間、謝罪に訪れた女子高生の吉瀬さんは制服姿だったな。何か行事ごとでもあったのだろうか?
 俺はそんな他愛のないことを考えながらソファに横になった。やはり、ベッドよりソファか敷き布団が俺には合っているようだ。だんだんと眠気が襲ってくる。心地よくも少しだけ恐ろしい感覚だ。
 俺はそんな感覚に身を任せ、眠りについた。
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