第1話

文字数 2,509文字

「先生、ちょっといいですか」
「ちょっととはどのくらいだ」
「ですからちょっとです」
「時間単位で言ってくれ」
「では十五分くらいで」
「きみにとって十五分はちょっとかもしれんが、私にとってはその十五分で救える命もあれば、死なせてしまう命もある。曖昧な言動は慎んでいただきたい」
「はぁ、すみません。言うてもですよ、先生。先生は臨床医ですよ、リハビリでは名医ですが、命をとやかく言える立場ではないかと。外科医ならともかく」
「失礼だなきみは」
「曖昧な言動では伝わらないようでしたので」
「うむ」
「で、十五分くらいお話をしてもいいですか」
「もうすでにしている」
「ですね。じゃあ本題。友人が数年前にちょっと事故っちゃいまして。自転車で小学六年生ですかね、少女にぶつかって、足首を脱臼させてしまったんですよ」
「骨折ではないのか」
「ええ。翌日病院でMRIを撮ったらしくて、脱臼だそうです」
「ならばいまごろ回復しているだろう」
「そうなんですが、じつは今年になってから後遺症が認められたらしくて、裁判起こされちゃったみたいで」
「ほう」
「で、これがその資料です」
「見ていいのか」
「ええどうぞ」
「ふむ。足首および股関節の可動域制限が認められると」
「そうなんです。賠償金の請求額なんて三千万ですよ。どう思います?」
「そうだな。いくつか矛盾点が認められる。まず、この記述によれば現在見られる足首および股関節の関節可動域制限の因子は、五年前の脱臼にあるとされている。だが病歴からすれば、適切な治療を受けているようだし、すでに回復していておかしくない。現に、中途のカルテによれば、可動域制限における記述はまったく記されていない。MRIを撮った担当医の当時の診断書にも、とくべつ骨への歪曲は報告されていない。後遺症の可能性の指摘もなければ、保護者への説明もなされていないようだ。二年前のこの時期だな、突然、足首の鈍痛を訴え、その半年後に股関節の可動域に異変――拘縮が認められると報告されている。一般的な療法士であれば、まず初期の炎症期の段階で拘縮が患部に認められないか、確認する。記載がないということは、一時期、それこそこの二年前までは順調に回復し、ほとんど全快していたと見て不自然ではない」
「ならどういうことになります?」
「おそらく、現在の病状と、五年前の脱臼に因果関係はないだろう。二年前になんらかの外的圧力が加わり、新しく受傷したと考えるのが合理的だ」
「ならなぜ向こうの医師はそのような診断書を?」
「知らん」
「そんなこと言わずに何かあるでしょ、ほら言って。まだ五分ですよ、あと十分残ってます」
「厚かましいなきみは。まあいいだろう。考えられる可能性は四つだ。一つ目は、五年前の診断時からすでに後遺症の可能性はあったが、それを医師が見落としており、現在、症状が悪化した。二つ目、五年前の診断に瑕疵はなかったが、二年前の受診時に、適切な治療を行えず、症状が悪化した。三つ目は、そもそも少女に後遺症はなく、慰謝料をふんだくりたくて、詐称している。医師はその片棒を担いでいる。まあ、三つ目の可能性は極めて低い。医師側にメリットがない。医師が少女側の親族だというなら話はべつだがな。それから一つ目と二つ目の可能性だが、いずれも医療ミスだ。責任逃れのために、すべての因子を、五年前の脱臼に負わせようとした」
「なーんだ。じゃあ裁判は大丈夫そうですね」
「ただし、四つ目の可能性を無視できない」
「と言いますと?」
「少女は五年前の時点で、当時十二歳だ。第二成長期のさなかだ。基本的に関節可動域制限は、骨格、筋肉、皮膚組織と、いくつかの因子が絡みあって生じる。骨格が未熟で、かつ筋肉が成長段階の少女の場合、診断時期によって、骨格も、筋力も、外観ですら変わってくる。わかりやすく言い直せば、診断するごとに、骨格や筋繊維の数値は、上昇傾向にある。すなわち、過去のほうが低くて当然、という状態だ。関節可動域制限の前兆を見逃してしまっていてもおかしくはない」
「ですが、それだってミスはミスですよ」
「そうだな。しかしそうなると、五年前の脱臼が直接の因子だとする因果関係は成立する。臨床医としての見解は以上だ。まあ、せっかくだ、個人的な意見も述べておこう」
「おねがいします」
「きみのご友人の裁判は民事だろう? 刑事事件では基本的に、真実を暴くことを目的に裁判は進む。しかし民事はそうではない。必ずしも真実を暴く必要はないのだ」
「と言いますと?」
「結論から言おう、私の見解を利用するのは構わないが、おそらく裁判は余計不利になる。なぜなら、そもそも三千万という、慰謝料の請求は多すぎる。端から示談目的だろう。それから、医療ミスを指摘すれば、病院側も黙ってはいないだろうから、より強力な弁護士が向こう側につくことが予測できる。さきにも述べたが、民事は真実の解明を目的にしていない。状況証拠さえそろえば、みなが支持した見解が、そのまま勝敗に結びつく。よりらしくあればいいのだ。もっと言えば、病院側の医療ミスだとしても、五年前の脱臼が因子になっている可能性は残る。状況的にかなり不利だと推測するものだが」
「そんなぁ」
「私見だが、病院側を味方につけるのが得策だな。示談金の七割くらいを請け負ってもらうことを条件に、話を進めるのがいいだろう。そのためにもまずは、二年前の受診時に、なぜ突然診断結果が書き足されたのか、後遺症がなぜそのときになって指摘されたのか、その点を突っこんで調べてみる必要があるだろうな」
「解りました。ありがとうございます、これでなんとか三千万を払わずに済みそうです」
「なに?」
「あ、これ、わたしの裁判なんです。あのコにはわるいことしちゃったなとは思うんですけど、通院費とかは支払ってるんですよ、さらに三千万なんてそんなのないなって」
「私を利用したのか」
「あ、十五分経ってましたね、ありがとうございました」
「あ、おい」
「いやー、助かりました。また何かあればお話聞かせてくださいね。では!」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み