9.一歩、両歩、三歩

文字数 3,446文字

シンガポールを徒歩で横断してみよう

春節が近付いて、市中は赤と黄金色の飾り付けできらきらとしています。この期間は学校も休みになるので、一時帰国したり、周辺国へ旅行にいくクラスメイトも多いのですが、日々の糧を稼ぐだけの私費留学生に余裕はありません。しかし学校も一緒に遊びにいく友達もアルバイトも無いので、ヒマです。そうだ、と思いついたのは、42km徒歩の旅。何事にも無理はしないという信条なので、一日で完歩しようなどとは考えない。バレスチアが丁度中心地辺りなので、二日かけて、まずMRTで東か西のできるだけ端まで行って、歩いて家まで帰ってくるようにすればいい。そうだ、ニューイヤー・イブに、ハーバーサイドで花火が打ち上げられるらしいから、二日目は最終目的地をそちらにしよう。

俄然楽しくなってきました。地図は持っているし、お弁当はいつも通りオニギリで、水と休憩用のお菓子を買うため、下宿しているショップハウス前の車道を蔓花の絡まった歩道橋で渡り、バレスチア・プラザ地下のスーパーマーケットに向かいます。何でも揃う全国チェーンのスーパーマーケット、NTUCフェア・プライスはいつも忙しい。何台も並んでいるキャシアーの女性たちは、品物を手際よく会計に流してくれます。チャイニーズやマレーシアンやヒンドゥーの珍しいパッケージを眺めつつ、つい大白兎を手に取ります。ミ○キーを思い出させる味の大白兎は、疲れた時にもってこいです。安いし。

相変わらず霞がかったような空模様の当日は、朝MRTに乗って東の終着駅パサ・リス駅まで。チャンギ空港の付近で、海に向かって開けており、倉庫が並んでいるものの、人影は少なく、シンガポールにもこういう場所があるんだなあ、と変な感慨を抱きました。どこもかしこも熱心につくりかえようとしているシンガポールで、こういうほったらかしの生活感というのは却って新鮮です。暫くコンクリートの舗装に草が生えたような道をてくてく歩いていくと、いつの間にか高速道路のど真ん中にいました。おかしいな?歩道沿いに来たはずなのに…時々草地を横切ったせいかしら??通行量が多く、そもそも高速道路を渡るという危険行為はできず、しおしおと戻ります。先が思いやられる。

やがてHDB群が見えてきます。高層アパートなのに、一階部分は軒廊のように空いている(高床みたいになっている)ことが多いのは何故なのでしょうか。暑さ湿気避けなのかもしれませんが、日本人からすると、耐震性はどうなのかとちょっと困惑してしまいます。アパート住民の公共施設になっているらしく、よくお爺ちゃんやお婆ちゃんと子供たちが遊んでいたりします。また打ち立ての太い柱には大概公衆電話が備えつけられていて、メイドさんらしき女性が母国語で話している姿を見かけます。言葉は全く分からないのに、仕草からなんとなく、故郷の母親と、そこで面倒を見てもらっている子供と話しているのだろうな、とか、遠距離の彼氏か夫と揉めてるな、とか想像がつきます。(覗き見しなさんな)

春節が近付いているからでしょうか、このアパートが何棟か集まった広場に、ちょっとお洒落をした華人系住民が集まっていろいろなお祝いごとをしています。料理を持ち寄ってピクニックしていたり、それに加えてカラオケを楽しんでいたり、ああ、楽しそう、習った中国語を活かすチャンスなのに!話しかければ多分きっと歓迎してくれるのに!小心者の私は遠巻きに見ているしかありません。今でもそうか知りませんが、戦争と革命の荒波を乗り越えてきた華人の人々は猜疑心が強いようでいて、同じ言語を話す相手にはとてもフレンドリーです。一度“身内“(この場合、同じ文化を解する敵対しない者という意味です)と認識されると、とことん親しく寛大に接してくれます。私個人の経験からだけですが…

なかでも面白かったのは、広場に設られた人形劇の舞台でした。恐らく明日が公演日なのでしょう、平面はたたみ一畳分よりももうちょっと大きいくらい、座った視線よりも少し高めの位置に枠がくるようになっており、草木やお城の背景が既に整えられ、脇には操り糸のついた人形たちが行儀良く座っています。人気が無かったことをいいことに、好奇心に勝てずこっそり近づくと、京劇の登場人物たちがもっと可愛くて簡素になったような人形たちがにっこりとこちらを見ています。どんなストーリーで、人形たちはどうやって動いて、どんな台詞と音楽が付くんだろう。まだまだ知らないことが沢山有るんだなあ…他にも通りがかった小さなお寺の境内には等身大の簡易舞台も有って、こちらは俳優たちが演じるものだと思われました。

そう言えばリサ(マユミさんのシェアメイト)の友達でインド人ホテルマンのサイが、絶対見てね!とおススメしていたシンガポール映画『881(バーバーイー、邦題:歌え、パパイヤ)』は“歌台“を巡るお話でした。“歌台“というのは、鬼節(華人文化のお盆)に街角で櫓を組んで開催される歌謡大会のことです。豪勢な衣装を纏って情歌を歌うパフォーマンスを競うもので、シンガポール独自の文化をテーマに、国際的な評価を得た初めての映画として、シンガポール人の友人たちはこぞって興奮気味なのでした。舞台芸術というものは、テレビもインターネットも無い時代から、文化を伝える手段として最も有効なものです。HDBの影に隠れて、こっそりと今も息づいているのでした。

二日目は南洋理工大学の明るいオーバルを眺めながら歩き始めると、木々の向こうにジュロン工業団地が姿を現します。ブキティマは古くから商工業が盛んで、旧マレー鉄道跡なども有り、ちょっと昔、私が子供時代の日本の下町に雰囲気がよく似ています。日に焼けたコンクリートの道とか、苔むした鉄道高架とか、工場の煙突とか、草いきれ、とても懐かしい感じがするのでした。市中に近づくにつれ、HDBとホーカーがあちらこちらに見えるようになり、春節の飾りの下で、店員さんたちが忙しく働いています。もうすぐ夕暮れ。赤道に近いシンガポールはほぼ毎日午前六時に日が昇り、午後六時に日が沈みます。

ラッフルズ・ホテル脇を通り、ぐるぐるとハーバーサイドの入り組んだ道を降りていくと、だんだんと人が増えてきます。プロムナードと呼ばれるシンガポール川の河口に架かる橋では、観覧者たちが安全テープの後ろに集まり始めていました。花火の開始予定時刻は八時、日本での経験からするとここは最前列で超混むはずなのですが、まだ三々五々といったかんじです。のんびり待とう、私には大白兎も有るし。二日歩き回って脚はかなり疲れていたのですが、私にとって、毎年八月に祖母宅から眺めていた江戸川の花火が定番で、海外でのニューイヤー・イブの花火に期待が高まります。

人はどんどん増え、安全テープの内側は人で埋めつくされていきます。こりゃ河岸に戻るのは一苦労だなあ、と思って見渡すと、インド系の親子連れが子供を肩車していたり、マレー系のカップルがお喋りしていたり、今日も仕事だったのか白シャツを着た同僚らしい若い華人のグループや、いろいろな見た目のいろいろな言語に取り囲まれています。この状況が、ちょっと楽しい。ところが、八時になっても花火は始まりません。それどころか、九時近くになっても始まりません。まずこれだけ遅れることが日本では無いと思いますが、流石に疲れのせいもあって呆れてきた私よりも、周囲のシンガポール人たちはずっと我慢強いのでした。眠そうな子供をなだめ、じっと夜空を見上げて花火を待っています。みんなの視線が無心に天上に集まっているのを感じて、私はなんとも言えない気持ちになってきました。一体感というか、民族もバックグラウンドも全然違うのに、同じものを熱心に見つめている、同じものを目指している。

十時近くになって、やっと第一打が上がりました。わあ、とささやかな歓声がここかしこから響いてきます。しかし、日本の花火からすれば随分小ぶりで、ものの五分ほどで終わってしまいます。それでも誰も抗議する訳でもなく、また働き者のシンガポール人に戻って、夜道を帰っていく多くの背中を眺めながら、私は暫く立ち尽くしていました。花火と一緒に、シンガポール人の、シンガポールに住むさまざまな人々のささやかな願いのようなものが、まろびあって天に駆け上がっていくように見えたのです。まるで天に舞う逞しくて優しい、陽気なドラゴンのように。
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