第14話  七夕の頃

文字数 3,220文字

暑い。
とにかく暑い。

もうすぐ夏休みが始まるぞという、7月の始めはこれでもか、これでもかって言う位太陽が照り付けた。私達みたいに真面目に働いている人間を干物にしたいのだろうかと、ふと疑ってしまう様な暑さだ。そして思う。これは誰かの陰謀じゃないかって。・・誰のだよ。

 そんな暑さなのにこの思春期の真っただ中にいる人達はなんて元気なのだろう。まるで小さな原子炉を体の中に隠し持っているのではないかと思われる位によく動く。って言うか無駄に動く。そしてそのエネルギーを頭に回せと言いたい。

相も変わらず、廊下の端から端まで、・・・まるで短距離走だよ。私を追い抜いて走って行く。端まで行ったと思ったら蹴り合い、そしてまた戻って来る。それをやんややんやとはやし立てるビジターの群れ。女子の黄色い声も混じる。
気温が3度程上昇したように思える。暑さと騒音で目眩がする。
 全員プールに蹴り落としたい。頭冷やせって。

私の横を二度目に走り抜ける陸上部の木部、ちょっと遅れてバスケット部の浦上。
「危ないからやめなさい。」
なんて言っても誰も聞かない。
私って本当に教師なのかなって虚しくなる場面も多々あるが、今回も廊下に邪魔に置いてある要りもしない備品位の位置付けだろうなと想像する。

その時、山田多恵先生の野太い声が響いた。
「馬鹿者。お前達は何をしているか。」
 山田多恵先生は国語の先生だ。ソフトボール部の顧問である。廊下をその体でしっかりふさいだ先生は腕を広げ仁王立ちに立っている。とにかく横にも縦にも幅があるので、彼女をすり抜けるのは至難の技だ。
 それを木部がするりと抜けた。

「おお~。」周囲から感嘆の声が上がる。
拍手が沸き起こる。
木部に注意を取られたその隙を狙って浦上が走り抜ける。でかいくせになかなか敏捷な動きだ。さすがバスケ部。山田多恵先生の丸太のような腕をふっとかわして抜けた。
「おお~。」また歓声が上がる。しかし、浦上のシャツの背中をグローブ顔負けの手が掴んだ。そしてあえなく浦上は引きずり戻された。
「ああ~。」という落胆と同情のため息が周囲から漏れた。
 その後二人は先生に職員室に連行されて行った。その後ろ姿には惜しみない拍手が送られていた。

 玉砕は見事だとは思うけど、まさか私まで拍手を送るわけには行かない。
「はいはい。終わり、終わり。教室に戻って。」
私は手を叩きながら、まだまだ騒ぎ足りない人達を教室に追いやる。まるで羊飼いの様に。

はいはい。君はこっち。さあ、柵の中に戻るんだよ。・・・はい、そこの茶色の君、そのくりくり巻き毛に付いて行っちゃ駄目だよ~。君は違う柵でしょ。

 彼らはワイワイ言いながら、大人しく柵の中に戻った。本日のメインエベント終了。
 と、向こうから山崎と西が二人並んで歩いてきた。

珍しい。
犬猿の仲だというのに、暑さでやられてしまったのだろうか。山崎が何時ものようにケタケタ高い声で笑っている。そして私を見つけると笑いを止め、神妙に会釈をした。私も会釈を返した。私を殴ってから、山崎は妙に大人しい。何か魂胆があるのだろうかと訝しく思う時もあるが、今のところは何もない。
授業も、真面目に寝ている。まあ、うるさいよりはマシ。どうせ何時までも続かないから。いつかまた切れて
「てめええ、ぶっ殺したる。」が始まるよ。

 職員室に戻ると、さっきの二人は廊下に立たされていた。
その前を通る先生達は、皆
「うん?お前ら、何をやったんだ?」と聞いて行く。その都度
「いやあ・・ちょっと。」
「ちょっと?」
「ちょっと、廊下を走っちゃったかなあなんて。」
へらへら笑いながら彼らは答える。

しばらくすると、山田多恵先生が職員室から出て来た。
「はい。二人とも罰で今週の部活はソフトボール部ね。球拾い。ずうっと。陸部とバスケ部の顧問の了承得たから。って言うか、ずっとソフト部で球拾いさせてくれてもいいですって言っていたよ。君達人望ないね。」
「マジっすか。」
「はあ~。冗談きついっす。俺ら女子部の下働きっすか。」
二人はさも嫌そうに言っていたが、先生は一向に動じないし、笑いもしない。
「うるさい。つべこべ言うと、二週間にするよ。」
「はあ~。」二人はうなだれた。
「もう、戻ってよし。放課後遅れないように。」山田先生はそう言うと職員室に戻った。

 私は笑いを堪えて職員室に入った。彼らの横を通り過ぎると、
「宇田先。多恵やんにちくったな。」と浦上が言った。
多恵先生は生徒に人気があるのだ。
子供たちは陰では「多恵やん」と呼んでいる。

「はあ?そんなわけないじゃん。私、ずっと廊下で君達止めていたし。私の言うことなんか聞かない癖に。・・・・大体あれだけ大騒ぎすれば職員室に聞こえないわけないよね~。」
「くっそお。もうすぐ大会なのに。何考えてんだよ。ウチの大西さんまは。」
木部が言った。

ちなみに大西さんまとは陸上部の顧問の先生である。痩せて真っ黒に日焼けをして、常にジャージ姿とサングラスの体育主任兼生活指導主任。怖いおっちゃんであるが、サングラスを取るとさんまはんに似ている。
「大西さんまなんて言っていいの?怖いくせに偉そうに。だって、『人望ないね。君達』って山田先生おっしゃっていたでしょう?」
「うるせえ。」
「いっそのことユニフォーム着てやれば?ソフト部の。」
私はニヤニヤしながら言った。
「あっ、それよりもこれを機にマネージャーとかやれば?男子いないからモテるよ」
「うるせえ。」
ははは。中坊からかうのは面白い。

 階段を下りて来た佐伯先生に気がついたのは二人よりも私の方が早かった。
「やばっ。」って心の中で思った。
「宇田先。調子乗ってんな・・」
浦上が言った途端に「誰に言っているの?」と佐伯先生が後ろから言った。
二人は振り返って、佐伯先生を確認すると、
「やべ。」と呟いた。

「君達、何?その言葉遣い。誰に対して言っているの?」
佐伯先生に睨まれて、二人は目を合わせて下を向いた。
私も連られて下を向いた。
「目上の人に対しての言葉遣いじゃない。・・少し、考えた方がいい。」
佐伯先生は笑わないと冷たい顔になる。その場の空気が一気に凍る。

「誰に言っているの?君と生徒は友達ではないのだから、少し考えた方が良い」
そう言われた気がした。

私達三人は佐伯先生の冷たい視線にじっと耐えていた。
「もう教室に行きなさい。言葉遣いは反省した方がいいね。」
私と木部と浦上は小さく「はい。」と言ってすごすご教室に向かった。
「あれ?ちょっと宇田先生。宇田先生。お話があるんですが。」
佐伯先生に呼ばれた。

私は振り返り、叱られた生徒の様に佐伯先生の方にまたすごすごと歩いた。木部と浦上は気の毒そうに私を見ていた。
「宇田先。フラグ立ったな・・。」
木部の言葉が私の背中に届いて、私は力なく後ろを振り返った。
私と目が合うと、ふたりは下を向いたまま、そそくさと廊下を速足で去って行った。

「はあ・・。何でしょうか。」
私はてっきり生徒への対応が悪いと叱られるのかと思った。
佐伯先生は下を向いて反省している私を見ると少し笑った。
「宇田先生。・・・大丈夫ですか?(笑)・・あのですね。『煌香展』の事でお話がありますので、放課後切りのいいところで、書道教室までお願いできますか?私はずっと書道教室にいますから。」と言った。
私は佐伯先生の笑顔にほっとした。

そうだよ。あたし先生じゃん。私が叱られた訳でもないのに、何でこんなびびってんの?
私は時々自分の立場を忘れる。
でも「分かりました。」と答えた顔がまだ引き攣っていた。

苦手過ぎるこの先生。
明確な理由があるわけではないのだが、佐伯先生と対応すると緊張する。こいつはお前とは違う種類の人間だから、用心しろよって私の秘書が囁く。
笑顔の素敵な先生なのに、怖い感じがする。
だから出来るだけ近寄らないようにしている。
それなのに私も書道部の顧問なんて馬鹿じゃないのかな管理職。
少しは空気読めよって言いたい。あーあ。
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