文字数 2,221文字

 人気の少なくなった刑事部屋のソファで、一条は呆けたようにだらりと座っていた。
 デスクで課長が黙って彼女の様子を伺っている。しかしどう言葉を掛けて良いのか分からず、小さく首を振っては手許に視線を戻すのだった。
 間仕切り戸を開け、鍋島と芹沢が戻ってきた。芹沢は通り過ぎざまにソファの一条をちらりと見たが、すぐに目を逸らして課長の前へと行った。
「二人を連行しました」芹沢が言った。「女の子の方は少年課で預かってもらってます」
「ご苦労さん。で、あの子の母親はどうや。知らせは行ったんやろ」
「……まともでいられる方がおかしいでしょうね」
 鍋島が重い口調で言った。
「どうします? 取り調べますか?」芹沢が訊いた。
「いや、今日はもう遅いからええやろう。だいたいのところは認めてるんやろ?」
「ええ。三件とも自分たちのやったことだって」
 芹沢がそう言うのを聞いていた一条はがっくりと項垂れた。彼女は今でも、美登利が共犯だったとは信じられないでいたのだ。
「とにかく、これで事件は半分解決や。おまえらも疲れてるやろうから、今日のところは帰ってええぞ」
 そして課長は芹沢を見て、「芹沢、おまえ確かアパートは中津(なかつ)やったな?」と言った。
「ええ。それが何か?」
「それやったら、一条くんを送ってやってくれへんか」
「俺がですか?」
「せや。彼女の宿泊先も中津に近いし。タクシー代は経費で落とすから。な?」
「はあ……」
「送ってやれよ。彼女、だいぶ疲れてるみたいやから」
 鍋島が真面目くさった顔で言った。
「……ああ」
 そして芹沢はゆっくりと後ろを振り向き、青白い顔で長い溜め息を漏らしている一条をぼんやりと見た。

 一階のロビーでタクシーを待っていると、後ろから鍋島が近づいてきて芹沢に訊いた。
「お嬢さんは?」
「トイレだろ」
「ふうん……」
 鍋島は意味ありげに頷き、にやにや笑って芹沢を見た。
「何だよ、余計なこと言うなよ」
「『一触即発』、やな」
 そう言い残すと鍋島は先に帰っていった。
 その背中を見送りながら、芹沢は困ったように笑って俯いた。
 やがてタクシーが到着した。芹沢は一条が廊下の奥から出てくるのを待って乗り込んだ。

「──信じられないわ。あの子が共犯だったなんて」
 タクシーの中で一条が口を開いた。
「厳密に言うと彼女は首謀者だ。中年女の方は実行犯ってとこだな」
「あんなに無邪気でいい子だったのに」
「言ったろ。近頃のガキは器用なんだって」
 一条は芹沢を見た。「あなたの穿った見方が正しかったわけね」
「別に、そんなこと言ってるんじゃねえよ」
 芹沢は小さく笑うと、すぐに真顔に戻って一条に振り返った。
「まだ強盗の方が残ってるんだからな。それがあんたの本来の事件なんだし、いつまでもがっくりしてらんねえぜ」
「分かってるわ」
 そう言いながらも、一条はまた深く溜め息を吐いた。
 タクシーが一条の泊まっているホテルに着いた。ドアが開き、彼女はゆっくりと両足を下ろした。
「大丈夫か? 足、痛めてるんじゃねえのか?」
「ほとんど治りかけてたんだけど、さっきまた──」一条は苦痛に顔を歪めた。
「部屋まで送ってくよ」
「いいのよ。このまま乗って帰って」
「かまわねえさ。ここからなら歩いたってすぐだし」
 そう言うと芹沢は笑顔を浮かべた。「心配するなよ。俺は送り狼なんかじゃねえからさ」
「そんな意味じゃないけど」と一条も微笑んだ。「……じゃあ、助けてもらうわ」
 タクシーを降りて二人は中に入った。一条は芹沢に支えられながらエレベーターに乗り込んだ。

 部屋の前まで来ると芹沢が一条からカードキーを受け取り、ドアノブにかざしてドアを開けた。そして一条にカードとバッグを渡して言った。
「じゃあな」
「いろいろごめんなさいね」
 芹沢は首を振った。「疲れてるんだったら、明日はゆっくりでいいぜ」
「大丈夫よ。こんなくらいじゃヘコんでらんないわ」
「無理すんなよ」と芹沢は笑った。「じゃ、おやすみ」
「……おやすみなさい」一条は俯き加減で言った。 
 芹沢は分厚い絨毯の敷かれた廊下を戻っていった。実際、彼自身も今夜は相当疲れていた。

「──ねえ、待って」

 声を掛けられ、芹沢はゆっくりと後ろを向いた。
 一条はさっきの様子のままで、ドアにもたれるようにして立っていた。
 芹沢は何も言わずに彼女の言葉を待った。
「……分かってるんでしょ。わたしが何を言おうとしてるのか」
「そりゃあ分かるさ」
「だったら、お願い」
「いいのかよ、そんなこと言って」
 芹沢はじっと一条を見据えた。「彼氏がいるんだろ」
「でも、今ここにはいないわ」一条は俯いた。「いるのは──あなたよ」
「確かに」
「……ひとりになりたくないの。やっぱり……怖かったから」
 そう言うと彼女は顔を上げた。
「……そばにいて」
 芹沢は戻ってきた。そして空いた手でドアを押さえて顔を覗き込み、言った。
「自分は送り狼じゃねえって言ったやつで、実際その通りだった試しはないんだぜ」
「よく覚えておくわ」
 一条はほっとしたように微笑んだ。その笑顔は、彼女が大阪へ来て初めて見せた、穏やかで優しい笑顔だったように思えた。
 芹沢は一条の手を取ると、彼女にキスをした。二人はそのまま部屋に入り、芹沢が後ろ手でドアを閉めた。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み