第1話

文字数 3,214文字

 ”夏はあっという間に過ぎ去っていく。”

 俺は部屋の掃除をしていて、その一節から始まる高校時代の日記を見つけた。掃除しなきゃ、でも日記も気になるし……。結局、1日分だけということで日記を読み返すことにした。それにしても、クサい文体だ。そういえば、あの頃俺は小説家を目指してたんだっけ。新人賞には箸にも棒にも掛からず、社会人になる前に夢をあきらめたんだけども。

 ”日が暮れていくのも早いし、だんだん夜も長くなってきた。きっと、そのうちフジファブリックの「若者のすべて」も身に染みてくるだろう”

 何を俺の好きな曲を持ち出して、感傷に浸っているんだよ。ずるいじゃないか。「若者のすべて」が聴きたくなった次の瞬間、俺はこの一文に釘付けになった。

 ”明日、さくらと花火を見に行く。別に緊張はしてない。ただ少し不安があるだけだ。彼女を楽しませることができるだろうか”

 あれからどうなったんだっけ?次の日のページには何も書かれていない。というか、次の日から日記やめてるし。記憶を呼び起こすが、宿題をギリギリまでやらずに残してしまったこととか、宿題のことで親とケンカしたこととかが思い出される。今はこの記憶はどうでもいいんだ! さくらと花火に見に行った時のことを思い出したい。


 さくらと花火大会に行く約束をしたのは、2週間前のことだった。それから、柄にもなく着る服を何にしようか、どういうプランで彼女をもてなそうか、などと考えては袋小路に入り込んでしまう日々を送っていた。今から思うと、その頃の俺は青春を謳歌していたと言ってもいいくらい、おめでたかったのだ。
「あー、俺どうしたらいいんだっ」
 などと意味もなく叫んでは
「うるさいなあ」
 と親父に言われる日々を送っていた。

 話を戻そう。さくらは高校の学年でのアイドル的存在だった。周りの男子は進路のことで頭がいっぱいなふりをして、さくらに夢中だった。ちょっと女子のいない場所になると、さくらの話になる。大体、シャンプーの香りがしたとか、ショートヘアから見えるうなじがそそるとか、そういう男子高校生が妄想を抱きそうなことだった。

 帰宅部の俺はどうやって、男子高校生の集団から抜け駆けして、さくらを花火大会に誘えたのだろうか。野球部の桜井も、サッカー部の木村も、吹奏楽部の長谷川もそれまで誘えなかったと嘆いているのに。確か、塾の夏期講習が同じ日程だったはず。そして、帰る方向も一緒なので、その時に話したんだっけか。

 そんな思い出に浸りながら、部屋を整理していると、別の大学ノートが出てきた。表紙にハートマークがいっぱい書かれており、真ん中に㊙のマークが鎮座している。俺は一瞬、ページを開くのを躊躇った。しかし、それはまさに一瞬で、気が付くとページを開いていた。


 ”俺がさくらに花火大会に誘われたのは、まさに奇跡といえるだろう。同じフジファブリックのファンで、話が盛り上がった。
「夏休みなんてあっという間だね」
って話をしたら、
「『若者のすべて』みたいに最後の花火を楽しまない?」
なんて、さくらのほうから誘ってきた。同じ町の花火じゃ友達に見つかるから、隣町の花火大会に行こうなんて、まるで2人で隠し事をしているみたいだ。もちろん、速攻でOKの返事をした”

 そうか、さくらの方から誘ったんだな。自分で誘えなかったことに、意気地のなさを感じ、タイムマシンがあったら説教を食らわせたいと思った。続きを読む。

 ”当日はあいにくの曇り空だった。天気予報によると、雨は降らないらしいが、それでも降り出さないかどうか心配だった。待ち合わせの時間には雨は降っていない。セーフ。さくらは黒いTシャツに、スキニーパンツをはいていた。一目見ただけで惚れてしまいそうになる。制服の時とはまた違う魅力があった。一方の俺は、大きめのTシャツに短パンだ。なんて魅力がない恰好なのだろう”

 雨が降りそうだったんだな。思い出した、あの時はてるてる坊主を作ってまで、晴れになるように祈っていたなあ。

 ”花火大会の会場最寄り駅まで各駅停車で10分かかる。やってきた電車は混雑していて、二人で離ればなれにならないようにするにはどうしたらいいか、迷った。俺は勇気を出して、電車に乗るときにさくらの手を握った。彼女も手を握り返してくれた。おかげで、満員電車の中でも離ればなれにならずに済んだ。何より、女の子と初めて手を握ったのだ。初めての感触は柔らかくて、温かかった”

 夏なのに暖かいとはどういうことなのだろうか? 暑いではなくて、温かい。大人になった俺はそんな感覚もなくしてしまったのかと、絶望的な気持ちになる。でも、ノートの中の俺は順調に進んでいるようだ。

 ”花火大会の会場に到着した。やはりと言うべきか人でごった返している。俺は腹が減ったので、
「まず露店で腹ごしらえをしよう」
 と提案した。
「うん、いいよ。何食べる?」
 さくらも乗ってくれたので、露店を巡る。いろいろ巡って、結局焼きそばとブルーハワイのかき氷を買った。それを2人で分け合って食べる。正直言って、腹が満たされる量ではないが、彼女と食べられるだけで気持ちがいっぱいになった。ブルーハワイのかき氷を食べたので、
「舌青くなってる」
とさくらに言われても、照れ笑いを浮かべるのが精一杯だった
 そのうち辺りが暗くなり、晴れていたら星が瞬きはじめる時間になった。いつものようにさくらと会話したかったけど、彼女の横顔を見ていたら、なぜだか緊張してしまう。彼女からフジファブリックの話を振られて、ちょっと話をしたけど、2,3回会話のラリーが続いただけで、すぐに会話がなくなった。電車の中で、つないでいた手もいつの間にか離れていた。
「もうすぐ、花火が上がるね」
「うん、そうだね」
この会話だけでも、やっとだった”

 青臭いなあ、俺。今の俺だったら、ペラペラしゃべるのにな。つい、そんなことを思って、当時の自分に歯がゆくなる。好きなフジファブリックの話題もできないくらいだたんだなと、改めて振り返る。

 ”花火が上がった。2人とも黙って、会場から打ちあがる花火を見ていた。それは1時間半くらい続いただろうか。でも、俺には倍くらいの時間に思えた。打ち上げ花火に、ナイアガラ、いろいろ上がったけど、さくらと見る花火はどれも美しかった。
 花火が終わり、俺は無意識に「若者のすべて」を口ずさむ。すると、さくらも一緒に歌い始めた。最寄りの駅まで、一緒に歌った。帰りの駅は混雑していた。また離れないように、俺はさくらの手をつないだ。電車に乗るまで1時間かかった。家の最寄り駅に到着すると、俺は決意を固めた”

 なんだろう。何の決意を固めたんだろう。俺は必死に思い出そうとした。花火大会が終わって、「若者のすべて」を口ずさんで、混雑した電車に乗って……。徐々に思い出してきた。完全に思い出した瞬間、俺の体温は一気に上昇した。

 ”俺は帰ろうとするさくらに言った。
「ちょっと待って、俺は……俺は……」
「ねえ、どうしたの? 顔赤いよ」
さくらが心配そうに見つめる中、
「俺はさくらが好きだ。付き合ってください」
と夜の街に響く声で、告白した。さくらは、顔を赤らめて
「ごめんね」
と一言告げて、それきり何も言わずに、俺に手を差し伸べた。駅に親が迎えに来たのを見つけると、
「今日はありがとう。またね」
と言い残して、車に乗り込んでいった”

 風邪をひいてしまったときみたいに、体がポカポカして、気だるい。そうだ、明確な答えはなかったけど、俺は振られたんだ。あれから、気まずくなってしまって、塾の帰りにも話さなくなった。それから、お互いの進路も決まり、卒業後はお互いにバラバラになってしまった。意気地もなく、せっかく交換したメールアドレスにもメッセ-ジを送れずじまいになってしまった。そこまで思い出すと、ノートを閉じ、また部屋の片づけを再開した。

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