第1話

文字数 1,275文字

 自分は地元(山形県庄内町)の居酒屋で飲んでいて、思わず寡黙になってしまう状況が2つあります。
 ひとつは、言葉の壁にぶつかった時です。庄内に着任して早12年になります。庄内弁にも慣れて(←慣れたつもりで)、病院の広報誌に「んだんだ通信」と名付けたコラムも書いて、いかにも庄内弁が堪能になった気がしていました。ところが地元の人が酔って興奮してしゃべる庄内弁は聞き取れません。「んだんだ」と所々で相槌(あいづち)を打つのが精一杯です。「もっけだの~」の意味は分かっていても、自分からは使うことはできず、ホント、まだまだ庄内弁の初心者なのです。「こ~」「け~」「く~」に至っては、日本で一番短い動詞だと思いますが、難しくて?使えません。例えば「ままけ~」の意味、分かりますか?
 さすがに外来診察で「まぐまぐでゅ~」「とかとかでゅ~」などの患者さんの訴えは理解できるようにはなりましたが…。
 もう一つは、この土地(庄内)の歴史を感じた時です。先日、焼き鳥屋のカウンターで隣席した人は「…15代だ…。」とのことでした。山形の全国的に有名な日本酒「十四代」の話ではなく、聞き取れた範囲の話では、その人の家は地元の農家で、分家して彼は15代目だそうです。ついこの間、450年祭を執り行ったとかで、本家は12代目?とのことでした。
 単純に計算して450年前の西暦1567年は戦国時代の永禄10年で、織田信長が美濃を制圧、東北では陸奥で飢餓が発生し餓死者が多数出た年です。その頃からこの庄内で庄内弁をしゃべって代々絶えることなく米を作り続けていた、この歴史の重さにはただただ圧倒され言葉もありません。
 ところで庄内町は明治30年に阿部亀次(あべかめじ)によって生み出された、美味しい米の品種として有名な「ササニシキ」や「コシヒカリ」の原種である「亀の尾」の原産地です。が、私の印象では、地元ではあまり話題にはなりません。聞くと農家では先祖代々、一種類の品種の米だけでは全滅した時のリスクを避けるため、毎年数種類の品種の米を作っていたそうです。その中で庄内の自然に耐えて代々生き残った米を創選して「亀の尾」が生まれたそうです。「亀の尾」誕生の背景には400年以上の庄内での稲作の歴史があるのです。なので庄内町にある亀の尾の里資料館では、阿部亀次は亀の尾の

という呼び方をされています。
 東京では3代東京に住まなくては「江戸っ子」を名乗ることはできないと言いますが、ここ庄内は歴史ではその比ではありません。庄内弁にしろ庄内の歴史にしろ、はは~、恐れ入りましたといった感じで、つい寡黙になってしまうのです。ふ~。

 さて写真は羽黒山の五重塔です。

 平将門(たいらのまさかど)の創建と伝えられ、現在の塔は約600年前に庄内の領主で、羽黒山の別当であった武藤政氏によって再建されたものとされています。昭和41年に国宝に指定されました。
 羽黒山参道、“一の坂”上り口の杉木立の中に、何の飾り気もなく、()き出しのまま建っています。その素朴な姿に感動しました。

 んだんだ!
(2017年10月)*(2022年1月 一部筆を加えた)
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