シュガーとスパイス (3)
文字数 1,470文字
「うん。嬉しいな、気がついてくれて」
しまった、あたし彼の顔に見とれてて気づかなかった。ああ、出遅れた……。
だが、ヴァレ兄はミラ
あんがい、ばかなのかもしれない。
「ご注文をうけたまわってもよろしいでしょうか?」せきばらいして、つんとして言ってみるアリアだ。
「アルコールはないよね」また爽やかに笑う。「アリアちゃんのおすすめは?」
「当店特製のコーディアルです。ハーブやベリーやスパイスを漬け込んだシロップを炭酸で割ります。
「ああ、コーディアル。なつかしいな」そうだこの人も
「ラズベリー、ジンジャー、ミント、エルダーフラワー……」
「じゃエルダーフラワーを」
エルダーフラワーは初夏に咲く樹の花だ。淡いクリーム色の小花がまとまってつき、レース細工のように見える。強い芳香を持つ。
奥に伝えに行こうとしたら、いまちょっといい?と言うので、注文をクラスメートにまかせて、アリアはミランダと並んでヴァレンティンの前に座った。
「渡したいものがあって」とヴァレ兄。そう言えばその袋、さっきから気になっていた。めったに大きな荷物を持ち歩かない人だから。貴公子は基本手ぶらなのだ。
「おみやげですか?」
「うん。いや、本当はぼくのほうからのお願い。君たちに持っていてほしいんだ」
袋から出てきたのは、二つのタンバリン。少し大きめのと、小さめのと。
大きめのに赤いリボン、小さめのに青いリボンが結んである。
「わああ、これ欲しかったの、ずっと! ありがとう! 本当にもらっていいの? 家宝なんでしょ、お兄さまのお家の」
嬉しくてアリアは小躍りした。ああ、これ打ってひさしぶりに踊りたい。思いっきり!
サンバ。マンボ。サルサ。チャチャチャ。
「いま叩いちゃだめ! ――ごめん」
いきなり手をつかまれ、息が止まる。
放された後も、じんじんと痛い。
何?
ふと姉をふり返ると、蒼白になっている。
「赤いほうがミランダさんで、青がアリアちゃんね」何ごともなかったかのように穏やかに微笑むヴァレ兄だ。「たぶん。ぼくの勘だけど。試してみて、鳴らなかったらおたがい交換して」不思議なことを言う。
「誰が叩いても鳴るでしょ、タンバリンなんて」
「そうでもないよ」
「とにかく、使いかたはこれに書いたから、かならず読んでから使ってね。約束だよ」
すらりと長い人さし指と中指のあいだに、小さく畳まれた紙をはさんで振って見せる。
まじめくさった顔で、その紙を、いきなりアリアの胸の谷間に押しこんだ。
「!!」
「ははは」
運ばれてきたコーディアルのソーダ割をひと口すすって、立ち上がる。
「二人とも元気そうでよかった。会えて嬉しかったよ――
二人に会えて
、楽しかった
。じゃね。これでお会計しといて」「ヴァレ兄」
ミランダが腕をつかんだ。「どこ行くの」
「うん、一回りしてくる」
「そうじゃなくて。今度はどこ行っちゃうの」姉の声の激しさにアリアは驚く。「これ何の真似? 何の身辺整理? 形見分け――」
「はは、まいったな」
なにそれ両頬にちゅっちゅって、あたしもやってほしい!!とアリアは思うのに、
「ごまかさないで」ミランダは真剣そのものだ。
「どこへも行かないよ。ぼくに行く所なんてどこにもないじゃないか」
最後にもう一度ふり返ったヴァレンティンの笑顔は、寂しげだった。
「思ったより、時間がなかったんだよ。それだけ」