第1話 サリエル

文字数 3,336文字

『ごめんね。ありがとう』

よかった。君の最期の言葉が『ごめん』じゃなくて。さよなら。大事な君。


***


「それでは次のニュースです。本日、新たな獣能力(じゅうのうりょく)が発表されました。開発元のクリスタル大学附属病院によりますと……」

テレビに映る記者会見。要点をまとめたテロップを読み、本田咲乃(ほんださきの)は箸を止めて言った。
「最近増えてますね。新しい獣能力」
「そうねえ」
目の前に座る本田の上司、佐々木琴子も、本田同様ニュースに耳をそばだてている。

広い休憩室の端に一台だけ置かれたテレビ、その目の前のテーブル。ここが彼女たち定番の昼休憩場所だ。

獣能力、それは後天的に付加できる特殊能力。
具体的には、特定の動物の身体能力を人工的に体内に組み込み活用することを意味し、主に職業柄有利に働く能力を増幅させるために使われている。例えば警察官であれば、犬の能力を組み込んで嗅覚や聴覚そして脚の速さの増強を行い捜査に活かすといった具合だ。この能力は意識的にオンオフの切り替えができるため、日常生活に支障が出ることはほぼ皆無だ。また、年齢を問わず組み込むことが可能で、老化による体力の衰えを補う場合にも用いられる。医師の許可は必要になるが、比較的誰でも気軽に身につけられるものなのだ。

ここ岩長市役所でも獣能力を持つ職員が過半数を超えているが、本田たちの所属する文化財管理課では八竹雅斗(やたけまさと)以外は能力を有していない。
「なるほど、人気になりそうな能力ですね。八竹さん、やっぱり獣能力って便利ですか?」
隣に座る八竹へ本田が質問を飛ばす。彼は摘んだ卵焼きを一旦弁当箱に戻し、穏やかに答える。
「どうでしょう。私の場合は前職で必要になり組み込んだだけで、今はさほど使用していません。必要がなければ、宝の持ち腐れですね」
「何の能力でしたっけ?」
「犬の脚力です」
「なるほど。脚速いんですね。あ、もしかして犬の能力を組み込んでるからそんなに穏やかでのんびり屋さんなんですか?」
「ちょっと咲乃ちゃん、八竹さんに失礼でしょう」
「いえ、お気になさらず。先ほどのお話ですが、獣能力を組み込んでも性格までは影響を受けませんから、恐らく持ち前の性質だと思いますよ」
「咲乃ちゃんてば。八竹さん、いつもテキパキお仕事なさるじゃない。大人なんだから、配慮ってものをなさい」
「はーい」
本田咲乃という人物は、深く考える前に言葉が口をついて出るタイプらしい。だが、明るくさっぱりした性格からか、それを悪く思う者はいない。そして課内で一番年下ということもあり、割と可愛がられているのだった。

『番組の途中ですが、速報が入りましたのでお伝えします。都州中央市で不正に獣能力開発を行っていたグループの主犯格が、たった今逮捕されました。犯人グループは人体実験を行い……』

もちろん本田と佐々木はテレビ画面に釘付けになった。その横で、八竹は悠然とお弁当を食べ進めている。

「こういうのなくなったと思ったのに。まだあるんですね」
「そうねえ。久しぶりに聞いたわねえ」
「でも人体実験って、そんな簡単に行えるものなんですかね?」
「私に聞かれても困るわよ咲乃ちゃん。まあ、一般的な観点から言えば、獣能力を組み込む専用機器を準備するために莫大な費用がかかるでしょうし、誰にもバレないような場所の確保も必須でしょうから、アブナイ組織が絡んでいそうよね」
「たしかに。それに、実験台にする人を誘拐とかしてそう。やだ! こわっ!」
「ホントよねえ。早く完全解決してほしいわ。ね? 八竹さん?」

テレビから視線を外した二人が目にしたのは、すでに食べ終えて弁当箱を巾着にしまう八竹の姿だった。
「ええ。まったくその通りですね」
一見、いつもどおりの彼だ。しかし本田は、彼の目元にわずかに影が差したように感じられた。あれは影か、それとも闇か。

「あの……」
彼に声をかけようとした瞬間、午後の業務開始十分前を告げる鐘が響き渡る。彼は「歯磨きをするので」と言い残して先に席を立った。
「八竹くんたら、今日も今日とてイケメンだわあ。あの知的なメガネ姿がたまらないわよねえ」
「佐々木さん、心の声がダダ漏れですよ」

言いながら、自分も残りのおかずを急いで食べきる本田。自席に戻るころには、先ほどの八竹の表情などすっかり忘れ去っていた。


***


その週の金曜日。本田は八竹と夕食に出かける約束をこぎつけていた。大きな仕事が片づいたお疲れ様会という名目で、初めて二人きりになる機会を掴んだ。普段は定時退所することの多い彼だが、この時は珍しく応じてくれたのだった。所内の人間と鉢合わせぬよう、職場からは少し離れた場所にある店を本田が予約し、現地で待ち合わせをしている。店内には陽気な笑い声が響き、人気店とあって、ほぼ満席になっていた。

私たちは洒落たカーテンで仕切られた半個室に通された。薄暗い部屋の中では、八竹さんがいつも以上に魅力的に見えてしまう。少し長く見つめすぎたのか、彼は一度微笑んで視線を外し、メニューを渡してくれた。

「わざわざ予約してくださってありがとうございます。素敵なお店ですね」
「ですよね!気に入ってもらえてよかったです」
お互いの食の好みを言い合いながら、とりあえず最初の飲み物と料理を数点オーダーした。
「八竹さん、お酒飲まないんですっけ?」
「ええ。あまり得意ではなくて。所内の行事で集まる場合には、少し口をつけるようにはしてますけどね」
そうなんですね、と相づちを打ちながら私はお手拭きを広げる。
「あの、なんかここ暑くないですか?空調があたってるのかなあ?」
私は上着を脱いで半袖になった。八竹さんはというと、長袖シャツにネクタイをきっちり締め、何ならカーディガンも羽織っているが、私と違って涼しい顔をしている。
「私は特に暑くはないですね。場所、交換しましょうか?」
「あ、大丈夫です。ありがとうございます。そういえば、八竹さんって汗かくイメージないかも。あまり半袖姿も見ないですし、寒がりですか?」
「いえ、普通だと思いますよ。汗をかくこともありますしね。本田さんの私に対するイメージ面白いですね」
たわいない話をしているうちに、オーダーした品が運ばれてきた。
「では、かんぱーい!」
「乾杯」
とても落ち着いた「乾杯」だった。他の誰も知らない彼の姿を見た気がして、私は思う存分優越感に浸る。
「あの、八竹さんて……」
『そう言えば見たぁ?あのニュース。ホントヤバくない?あんなのドラマの中だけの話だと思ってた』
『わかるわかるぅ。それでぇ…』
隣室の女子グループの声量に遮られ、私の言葉は届かずじまいだった。半個室とはいえ防音効果はないようだ。
「ははは。本田さんも気圧されることがあるんですね」
「ありますよー。まあ、今週はどこもあのニュースで持ちきりでしたから、気持ちわからなくもないですし」

あのニュースとは、もちろん獣能力の人体実験についてだ。第一報のインパクトもさることながら、関係者の中に有名な大学病院に勤める医師がいたという続報にも世間がざわついている。隣の彼女達の熱に影響されたのか、思わず私も意見したくなった。

「事件が明らかになればなるほど、許しがたい犯行ですよね。唯一、死人が出ていないことは救いである気もしますが」
八竹さんは意見を言う代わりに烏龍茶を口に含んだ。そしてメガネのブリッジを上げてこちらを見やる。

「本田さんは、」
彼は少し間を置いて、質問を続けた。
「その報道が、真実だと思いますか?」
「え?」
「ニュースに流れているものが、この事件の全てだと思いますか?」
「えっと、はい……?」

彼の表情はいつも職場で見ている穏やかな八竹さんそのもの。だけどほんの一瞬、その目元にいつかの影が差す。あらためて垣間見たそれは、嫌悪と猜疑心を抱き合わせたような冷酷さを秘めていた。気づくと私は、無意識のうちにグラスを両手で握りしめていた。

八竹さんはふわっと笑って私に言った。

「そうですよね。すみません、変な質問をしてしまって。あ、そろそろ次の飲み物を頼んでおきましょうか。このペースだと、すぐ飲み干しちゃいそうですから」
その後はあの影が顔を出すこともなく、和やかな時間が過ぎていった。そしてお酒の助けもあって、私は影のことをまたすぐに忘れた。
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