第22話

文字数 3,614文字

「あんな胸糞悪い光景は二度と思い出したくない」
 後日、キース・ビー警部補は、今回の事件解決に貢献した人々を招いた内輪の会食会で重い口を開いた。
 場所は勿論、キングスストリート31番地〈家庭料理の店ハドソン亭〉だ。
「15人の娘たちは、どの娘も半睡半醒――夢うつつの状態だった。抵抗したり逃亡できないよう薬を与えられていたのだ。シメオン・コリンズ=グロブナーの不在中、実家の邸で世話をしていたのが乳母だったから薬の調合はお手の物だったろうよ」
 使用された薬は〈ウィンズロー夫人の鎮静シロップ〉だと乳母は逮捕後、供述している。
「シメオンは写真館の前に列をなす娘たちを物色して、好みの娘を誘い入れては薬を飲ませ、例の〝月〟に隠して出張撮影用の馬車でベルグラビア地区の実家へ運んだ。万が一途中で警官に馬車を止められても、著名な写真家で顔は知られているし、乗せている物は撮影用と言えば警戒されることはなかったろう。娘たちを収集(コレクション)するこのやり方で、唯一の例外が銀行家の姉妹だったのさ。彼女たちは一家で正式に撮影に訪れた際、娘たちが気に入ったシメオンは、後日、こっそり姉妹とだけ連絡を取り誘い出した。落ち合ったその場所が水晶宮だったわけだ」

『……ここ水晶宮も素晴らしいですが、何と言っても印象深かったのは1853年、世界初の水族館〈フィツシュハウス〉の誕生ですよ。リージェンツパークの動物園に併設されていたんですがね。私は子供ながらによぉく憶えています』
 その日の午後(・・・・・・)、ちょうど水晶宮へ向かって歩いて来た娘連れの紳士は熱心に水族館の歴史について語っている。
水族館(アクアリウム)と言う言葉が生まれたのもこの頃です。〈(アクア)〉と〈飼育場(ヴィヴァリウム)〉の合成語! まさにピッタリだと思いませんか?』

「以上、この他に何か訊きたいことはあるかい?」
 今回の件では借りて来た猫のごとくむっつりと口を閉ざしているヒューに変わって、エドガーが声を上げた。
「そうか! だから、姉妹のポートレートだけが、装丁は子羊革でシメオン・コリンズ写真館の銘が入っていたんですね?」
「うむ、その後の我々の調査でロンドン市内で子羊革を採用しているのは、現段階では美意識に(こだわ)るシメオン・コリンズ写真館だけだと判明した」
 更に詳しく警部補は説明してくれた。
「被害者の中で、捜査のための資料としてポートレート版を提出した家は他に2家族いたが、どちらもシメオン・コリンズ写真館ではなく別の写真館で作成したものだった。従って装丁は子牛革と紙製。銘もそれぞれ別の写真館だ。この娘たちは既にポートレートを持っていたが人気のシメオン・コリンズ写真館を覗きに来て災難に会ってしまったのさ」
「僕は疑問に思うんですが、シメオン・コリンズは何故、銀行家姉妹だけ、それまでのやり方を破って従来のパターンとは違う拉致の仕方をしたんですか?」
 こう訊いたのは薬屋の青年アシュレーだ。
「そこだよ。どうもね、連続して同一の犯罪を犯す犯罪者と言うのは、途中で少々違うアプローチを試みる傾向があるようだ。まぁ、この場合、シメオンは何人も誘拐を成功させて、より大胆になっていたとも言える。その微細な〝変質〟部分をヒュー君が気づき、見逃さずに食らいついた――」
 警部補はじっとヒューを見つめた。
「君の鋭敏な感性と卓越した推理力がなかったら、今もシメオン・コリンズはおぞましい犯罪を続けていただろう。それを思うと僕は心底ゾッとする。だから、今回の事件も、君と大親友のエドガー君の手柄だ。君たちの存在無しには、解決はしなかった。君たちの知恵と勇気は賞賛に値する。心からお礼を言うよ、メッセンジャーボーイズ!」
 ここでウィンク。
「勿論、今回はかなりきわどかった。自らの命に関わる無茶な行動は褒められたものじゃない。大いに反省してもらう必要はあるぞ」
「その通りよ! ほんと肝を潰したわ!」
 そう叫んだのはレッドドラゴン座の劇団長アレン・ディアスである。
「あの日、黒猫を抱いたミステリアスな青年と警官たちをゾロゾロ引き連れた警部補があんた(・・・)の住いにやって来て辺り一面嗅ぎまわってるのを見た時は何事が起ったかと仰天したわよ! ったく、警官御一行様ときたら、ウチの観客数より多かったんだから」
 騒ぎに気づき、上演を中断して飛んで来た団長が〈十二夜〉のヴァイオラ役の衣装のまま、ヒューとその友人がシメオン・コリンズ写真館へ赴いたこと、どんな装束(すがた)だったか等々、詳細に情報提供してくれたと言うわけだ。
「劇団長の証言した、ヒューとエドガーが向かった場所と、ヒューのお守りを結んだ新月が僕を引っ張って行った場所がシメオン・コリンズ写真館ということで一致したから、警部補は時を移さず乗り込んだ……」
「ブラボー! 素晴らしい行動力だわ! 私の心臓を鷲掴み!」
 警部補に抱きつく劇団長。 
「でも何より、私が警部補をカッコイイと思うのは、今回の事件で被害者の娘の実名報道を許さなかったことよ。まさに私たち女性の味方!」
 逞しい腕の中で警部補は答える。
「ハハハ……被害者は皆、未婚の若い娘さんたちですからね、当然です。でも、お褒めの言葉、光栄です。胸に刻みます」
 キース・ビー警部補が一歩も譲らず押し通した報道規制のおかげで、黒衣と白衣の姉妹の名もまた永遠の謎としてロンドンの霧の中へ消えたのである。
「僕がカッコイイと思ったのは、あいつをブチのめしたことだよ!」
 エドガーは、まさに少年らしいことを言った。
「それを聞いて胸がスカッとした。ねぇ、ヒュー、君もだろ? 今回の警部補はホントにカッコよかった。正直に言いなよ」
「……僕がキース・ビー警部補、あなたを心底カッコイイと思ったのは」
 今日、初めて口を開いたヒューは、まさにヒューらしいことを言った。
「あの夜、あなたがシメオンの邸の庭で焚火(たきび)をしたことです。新聞で読みましたよ。シメオンを殴り倒した後、娘たちが救出される間中、警部補はずっと焚火をしていたそうですね?」
 キース・ビー警部補はニヤリとした。
「そうだな、あの夜は夏にしては肌寒かった。嫌な事件で寒気がしたし、その震えを止めるためには盛大に火を燃やすほかなかったのさ」
 劇団長の熱い抱擁から逃れて、警部補は姿勢を正した。
「さて、陰鬱な話はここまでだ。改めて今回の事件に置ける皆さんの連携プレイに感謝します。今日はどうぞ存分に飲んで食べて楽しんでください。おっと、勿論、猫君もだ。ほら、君のためにちゃんとスターゲイジーパイも注文したぞ!」
 警部補はそう言ってパイ皿から飛び出している魚一匹、丸ごと新月に与えた。
「それで思い出した。アイルランドには黒猫に纏わる面白い伝承があるんです」
 満足げに魚を味わう愛猫を見つめてアシュレーが含み笑いをする。
「〝けっして黒猫を墓や棺の上に乗せてはいけない〟」
「やめろよ、縁起でもない!」
 実際に、棺のような月の中で同様の体験したヒューが烈火のごとく怒って抗議した。
「いや、僕は君たちのことを祝福しているのさ。君たちは棺の上に黒猫が乗って、それで起死回生、まさに生き返ったわけだから、これは逆転の構図だ。君たちは末永く、20世紀の遥か彼方まで幸福に生き延びることだろう!」
「これぞ、ポン・フィン……美しき結末、幸福な終わり、と言うことで――」
 ヒュー・バードの手首に揺れる真新しい腕輪に目をやりながらキース・ビーが杯を掲げる。
「君たちの」
 続けて劇団長、
「そして、我々の」
 一同声を合わせて、
「未来に乾杯!」
「乾杯っ!」
 ニャァーー

        *

 物語を締め括るに当たって以下補足。
 薬屋の飼い猫新月は遂に首輪をして野良猫と間違われる心配はなくなった。
 薬屋の月に一回の猫市はその後も続いている。
 ニュー・スコットランドヤードのキース・ビー警部補は、逮捕した容疑者に暴行を働き、貴重な証拠品を破壊したにもかかわらず、この事件の後、晴れて警部に昇進した。
 そして――
 エドガーの願い通り写真は永久不滅です。昨今のサイトにはアンティーク写真としてその種の写真、所謂(いわゆる)〈ペーパームーン・ショット〉が溢れていて、筆者はぜひともこの物語の最後に掲げたいと探し続けていたのですが残念ながら間に合いませんでした。そこでお願いです。
 月の上に乗って寄り添うテレグラフ・エージェンシー社の制服姿のメッセンジャーボーイ二人と妙齢の美女と愛くるしい少女の写真を何処かで見かけた方は、どうか筆者までご一報ください。

 
    A NEWMOON CAT・新月猫・  FIN

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