第5話 決断
文字数 3,128文字
この男が灰になって死ぬか、それとも町の人間、三分の一が魔物化するか……選んでね。
少女の楽しそうな笑い声が耳の奥に根を張る。先輩か、街の人達か。絶望的すぎる二択。
先輩を選んだら、街の人達が魔物になって、残った人が悲しんで、魔物に殺される。
三分の一だ、私と先輩で守り切るのは難しいし、守れたとしても魔物化してしまった街の人達は消えて、灰になる。
街の人達を選んだら、先輩が死ぬ。それだけで終わる。
……けど
“クレア!”
あの人の顔が、私を呼ぶ声が、頭にこびりついて離れない。
だけ、なんて言葉で済ませられない。先輩の存在が大きすぎた。いや、あってそう経ってないとしても、誰かを犠牲にして誰かが助かるなんてそんなの嫌。
じゃあ、どうすればいいの。どうすれば皆を助けられるの?
この子を、ここで倒す?
……出来ない。実力が不明瞭だし、何より敵意を見せた瞬間先輩を殺すか、街の人を魔物化するに決まってる。
私と先輩がこの街に来たから……そんな理由で、この街の人が犠牲になるなんてそんなのおかしい。だからって、先輩が死んでいい理由にはならない。
選べない……こんなの。どうして?いつもいつも、私に選択を迫るの?
『お前が決めろ』
……いやだ。
また私のせいで誰かが泣くんだ。その分誰かを笑わせたって、悲しみを帳消しになんて出来ない。
だから頑張ってたのに……どうして?私の覚悟を試してるの?何故それに、先輩の命まで巻き込むの?どうして?
◆ ◆ ◆
「嫌よ!もう嫌!何で、こんな気味悪い子を育てなきゃいけないの!!」
「お、お母さ」
「黙れ!!」
母は、愛人だった。相手との子供が出来た途端、相手は蒸発。堕ろすにも育ち過ぎてもう堕ろせない。不本意に産み落とされた私が、今まで生きていたこと自体が奇跡なのかもしれない。
酒浸りで、よく叩かれていた。どうして生まれてきたのかも、どうして生きているのかも分からなかった。どうして母が、私を殺したり捨てたりせずにいたのかも、今では知る術もない。
物心ついて一年くらいで、母は殺されてしまったからだ。父を名乗る人に。
躾と称してクローゼットに閉じ込められていたあの時、人が尋ねてきた。声からして男の人だった。
母と再会を喜び合うような話をして、それから私のことを聞いた。だんだん雲行きは怪しくなっていって、最後には母がヒステリックな悲鳴をあげていた。
「どうして!?私はただ、ただ貴方を……!」
「お前は知りすぎたんだよ、ガキを出せ」
クローゼットの扉が開いて、外に引きずり出された。今思えば、あの時私はもう母に捨てられてたんだろう。
「お、おかあさ」
「この子はどうしたっていいわ!だか」
ビシャリという変な音と、体にかかる鉄臭くて生あたたかい液体。
「ガキ、お前が選べ。お前が死ぬか、この女が死ぬか」
訳が分からなくて、ただただ目の前の男が怖かった。母の傷は致命傷のようで、切られたところを抑えながら私の腕を掴む。声は出せないみたいだけど、目が全てを物語っていた。
私を犠牲にして、お前だけ助かるなんて許さない。
怖くて震えて、どうしようも出来なくて。
「……めんどくせえ、二人共殺しちまうか」
「ッ……や、やだ……」
男はゆっくりと、まるで死神のような冷たい目で私を一瞥してから、母を切り殺した。
「お前の名前はクレアだ。クレア、お前に親はいない、いいな。孤児院に金と一緒に預けてやる、あとはお前が選べ。これはお前の人生だ。」
私に名前をくれた人。私の母を奪った人。私に未来をくれた人。
「こんな呪い、終わっちまえばいいんだ。精々好きに生きろよ」
◆ ◆ ◆
……懐かしい。でも今なんで、あの人のことまで思い出したんだろう。
私みたいに、悲しんだり苦しんだりしてる人を助けたいと思って、少しずつ近くにいる人に手を差し伸べることから始めた。母を見捨てるようなことをした事への、償いのような気持ちもあったかもしれない。そんなことを続けながらひとり立ちして、先輩と出会った。もし先輩と出会ってなかったら、今頃私、何してたんだろう……
いけない、そんなこと考えてる暇じゃない、考えないと、先輩を助ける方法。
先輩なら、どうするかな。私の事、助けてくれるかな。
あの時、先輩……なんて言ってたっけ。
『クレアが危ないなら、何があっても助けてやるからな』
『……そうですか』
『そこは私もって言うところだろー!』
『先輩なら、きっと自力でなんとかできるでしょ?信じてますよ、先輩』
『…………ッ!!』
『何してるんですか』
『鼻血出た、ティッシュくれ』
『置いて行きますね』
……ごめんなさい、先輩。絶対助けるから。だから、ちょっとだけ、待っててください。
「決めた。」
「もーっ、早くしてよね!待ちくたびれちゃったじゃない!で、どうするの?」
ゴスロリの少女は頬を膨らませる。何も知らない人が見たら、可愛いただの女の子なんだろう。けど、もう悪魔にしか見えなかった。
この子が望むのは、絶望だ。絶望はおいしそうとか、そんなことを言っていたから。だからきっと大丈夫。作戦、絶対上手くいくはず……!
「私は……街の人を、助ける」
「……はは、あっはははは!!」
甲高い笑い声が響く。少女は散々笑って、腹を抱えたまま指を鳴らした。
「はい!これで街の人は助かったわ」
「……」
大丈夫……この子なら、絶対そうする……大丈夫、絶対大丈夫。先輩を、助ける!
「……じゃあ、精々可愛く踊ってね」
先輩の体から、途端に灰が溢れる。吐き気を催す程の瘴気が辺りを満たし、それはやがて先輩の体に吸い込まれて緑色の体を形作っていく。
先輩は、六本足の魔物になった。
私が先輩を倒せば、あの子は先輩の灰が手に入り私は絶望する。
私が先輩に殺されれば……先輩の魔物は、より深い絶望に陥る、あの時おじさんには意識があった。きっと、優しい先輩ならそうなる。そうだったらいいなと言うのもあるけど。けどそれを灰にすれば、あの子の欲するものが手に入る。絶望はより深い方が良いはずだ。
けど、そこに勝機もある。
殺されてしまえば、助けようもない。けど、あの状態なら……!
魔物は絶叫しながらそこかしこの木をなぎ倒し、暴れる。私の二倍の高さと六倍くらいの胴体。先輩の体は半分埋まっていて、飛び出している上半身はぼんやり宙を見つめていた。
どこか……どこか、登れる場所は……
考えている間にも、魔物は暴れる。前足を大きく振り上げて私目がけて薙ぎ払ってきた。
それを避けながら、迫ってきた足を武器で叩き斬った。魔物が悲鳴をあげる。魔物の姿でも、先輩がくっついていると思うと心苦しかった。
「あははっ!そんなことしてどうするの?」
「うるさい!!」
もう一本の前足も切り倒す。残った足で攻撃しようとした魔物が、バランスを崩してその場に倒れた。
魔物自体にその人の知性等は現れないんだろうか。
倒れた体に武器をつきたてて、それを足がかりにして体の上に飛び乗る。
先輩みたいな賢い人でも、魔物化してしまった人を助けることは出来なかった。私に本当に出来るのか。怖くて怖くてたまらない。指先から冷たくなっていくのが分かる。震えが止まらない。背中に冷や汗が伝う。
でも、信じるしかないんだ。先輩のことも、私のことも。私が助けるしかないんだ。
「戻って来てください!先輩ッ!!」
意識のない先輩の胸倉を掴んで、キスをした。勢いが付きすぎて歯のぶつかる音がする。
ファーストキスは、血の味がした。