第10話 「元クラスメートとの再開」~俺が妹になるってめちゃ楽しい~

文字数 7,622文字

 翌日の朝遅く水村さんの声で目覚める僕。僕の横では、相変わらずのキティ柄のブラトップとパンツ姿の柴崎さんがガーガーいびきをかいて寝ている。ブラトップからこぼれる彼女のはちきれそうな胸を見て、ふっとため息をついた僕。
「杏奈さま!昨日の事が新聞に載ってますよ。ネット記事にも!」
 水村さんが持ってきた新聞記事の地方版のコピー。それには僕と真帆ちゃん愛利ちゃんの三人の写真と共に、
(天国のお兄さん!雨止めて!)
 という見出しで他に高杉達も写っている空に向かって手を振るあたしたち?の写真が掲載されてた。それをじっと目を細めて眺めた僕は、ある事を思いつく。
「水村さん、これもらっていい?」
「どうぞー」
 僕はそのコピーをそっと折りたたみ、外出の支度をする。本当二ヶ月ぶりの一人での外出。しかも女の子で始めての。まだ男が残ってる僕も気に入ってる杏奈のノースリーブのブラウスにジーンズのミニスカ、股間隠しのショーツガードルで、まだ残ってる男性自身を押しつぶして、アンスコ忘れずに履いて、軽くメイク。二十四ちょいの杏奈のミュールも、あっきーさん事AKIさんの施術で小さくされた僕の足にはぴったりになった
 いろいろあったけど、昨日の女風呂での経験は僕に女としての自信を付けるのには十分だった。ていうか、僕女で人前に出てもいいんだってレベルの自信だけど。

 最初は買い物。鎌倉から藤沢まではJRですぐだけど、何故か僕の足は可愛げの有る江ノ電へ向かう。女の子の姿で始めての一人での外出。僕自身の立てるミュールの音がなんだか恥ずかしい。夏のこの時期、平日とはいえ車内は結構な混雑。誰も僕の事を不審な目で見る人はいない。こうまでくるとちょっと拍子抜け。そして、
「あー!海だ…」
 思わず小さく声をあげてしまう僕。何度か江ノ電は乗った事有るんだけど。それに久しぶりの外出でもあるんだけど、海や空ってこんなに青かったっけ?それに草木ってこんなに緑だったっけ?それに電車の窓ガラス越なのに、太陽の光って、こんなに暖かかったっけ?昨日半日外にいたのにわからなかった。海が見えなくなる所まで来ると、
「バイバイ」
 て小さく呟いて、はっとする僕。一体どうしちゃったんだろう?
 昨日温泉から帰ってきてビールのんで早々と僕というか杏奈のベッドの上で寝てしまった柴崎さんの横で、一人考えてた。たくさんの女の子の裸見て、大きくて可愛いおっぱい見て、男とは違う可愛い自然な女の仕草とか着替えとか見て、僕もうこの人達の仲間入りなんだと実感した時、もう杏奈の真似するんじゃなくて、女としての僕を作りたいって思った。そして今朝の新聞がそんな僕を後押しした。
「お買い物♪お買い物♪」
 そう口ずさみながら最初に行ったのは、女性ファンデーションショップ。いわゆる下着屋さん。
 流石に入るのには勇気が要ったけど、中に入って、ティーンズのコーナーに行って、もう見慣れた女の子下着を見ていると、程なく優しそうなお姉さんが手伝いましょうかと声をかけてくる。折角だからお任せする事にした。だって物は見慣れたけど、細かい事わかんないし。
 脱がなきゃいけないかなって思ったけど、服の上から採寸された結果が、Bの七十。Aだと思ってたんだけど、いつのまに。そして、
「どうですか、そろそろこういう大人っぽいのは?」
 店の人に薦められたのは、シルク感とレースのついた大人可愛いブラとショーツのセット。昨日あの柴崎さんの教え子とかいう二人にガキ扱いされた事がなんだか今になって悔しくなってくる。いつかあんた達みたいに、その、なんだろ…もうどうでもいい!僕男にはもう戻れないんだし!どうせなら!
「これにします!」
 そして…、すごーい、どうして?店でブラだけ試着してそのまま服を着て出てきた僕だけど。ずれない、揺れない、着けてる気がしない!それに、胸元見ると明らかにバストアップしてる!つんと形も良くなってる!すっごい嬉しい。女の下着ってすごい!
 女ってこんな喜びとか楽しい事有るんだ。もう歩いてる時の僕の顔は始終にこにこ顔。お腹に女の子の生殖器を埋め込まれた二ヶ月前の自分がもう信じらんない。
 次!服!バッグ!アクセ!!

 昼過ぎ、大きな紙袋を手に帰ってきた僕。部屋に戻るとまだベッドで寝ている柴崎さん。傍らにビールの缶が二本増えてる事見ると、起きて飲んだ後また寝なおしたんだろうか。僕が横でがさがさやってるとようやく大あくびの後目を覚ました様子。
「…どこへ…行ってきたのよ…」
「お買い物」
「…買い物って、あんた一人で?」
「そうよ」
「…いつのまにそんな度胸ついたのよ…」
 僕は彼女の目の前でこれみよがしにブラウスとミニスカをアンスコごと脱ぎ、杏奈の綿パンを脱いで、買ってきたブラとお揃いのショーツをそそくさと履く僕。傍らの鏡に映る、女の子の下着姿の水着の跡もくっきりついた白く綺麗になりつつある僕。
「…何、買ってきたの?まさか…」
「何よ?悪い?」
「…どういう風の吹き回しよ…」
 そこへ部屋をノックして水村さんも入ってくる。
「えー、どうしたんですかぁ。ひょっとして今買い物に?」
「うん、初めてファンデーションショップにね」
「良かった!もう気持ちも女の子になったんですね」
 水村さんが嬉しそうに言ってくれるけど、
「ちがうの、どうせ男に戻れないならさ、女らしく振舞おうって。それだけ」
「ふーん、言葉とか仕草とか、すごく女っぽくなってますよ」
 そんな言葉を無視し、
「出かけてくる」
 と柴崎さんに声かける僕。
「どこ行くのよ」
「ちょっと…」
「…、男で?女で?」
「もう!こんな体でもう二度と男で外へ歩けないわ…歩けねーよっ」
 普通に女声で無意識に出てくる女言葉をわざわざ直し、ちょっと肉付きが良くなって丸く可愛くなり始めた自分の体とヒップを後ろ向きに姿見で映し、買って来た薄いピンク地に花柄のAラインのワンピを頭から被り、バサッと髪を直す僕。そして買って来たバッグに小物とか、今朝水村さんにもらった新聞記事のコピーを入れ、
「いってきまーす」
 と声をかけ再び部屋から出る僕。後ろで何か声してたけど、振り向いてやんない。
(あ、そうだった。真帆ちゃんへの返信…)
 駅で東京行きの電車を待つ間、僕はアイフォン取り出して真帆ちゃんにメールを打つ。
(ごめんね真帆ちゃん。昨日柴崎さんとか、周りに人が一杯いたからさ)
 生前の杏奈が使ってた絵文字とか文体とかいろいろ気を使いながら。でもこの後どうしよっか…。ううん考えない!なんとかなるわ…よっ!
 これからの僕の行き先は、実は僕が右京だった頃の高校だった。右京の妹として、昨日の海開きイベントでのお礼として、いや違う。もうむしょうに高杉達旧友に会いたくて!女になりかかっていた頃はそんな恐ろしい事考えもつかなかったけど、今こうして堂々とワンピ着て、胸つんさせて、普通の女の子姿になった僕。右京の妹として懐かしい彼らに会いに行くんだ。僕が学校に着く頃は丁度放課後が始まる時間。
(あいつら、元気なんだろな。僕が突然いなくなった後どうしてるんだろ)
 電車の中でなんだかわくわくどきどきしつつ、右京だった頃の事を窓枠に頬杖ついて、車窓の風景をぼんやりと思い浮かべる僕。
 母校になってしまった高校の最寄り駅に着いたのは六時間目の終わる三十分前。ほんの二ヶ月前の事だっていうのにもう何年も帰らなかったみたい。駅前の商店街、よく行ったカレーショップから漂ってくる香辛料の香り、ペットショップの犬の鳴き声、パチンコ屋の喧騒…。なにもかもが以前のまま。変わったのは、胸にブラを着けてワンピース姿の女の子になった僕だけだ。
 ゆっくりと商店街を通り、住宅街を抜けると、そこにも二ヶ月前と変わらない僕の母校の校門。終業チャイムはまだだというのにぽろぽろと私服の何人かが駆け出してくる。あ、そうか夏場は私服許可されてるんだった。
(僕もそういえば、六時限目の終わり、先生の目盗んであいつらと抜け出したっけ)
 そして懐かしいチャイム音と共に、校門から出てきた第一集団の中に、奴はいた。二ヶ月前と同じ。違うのは僕が横にいないくらい。僕はちょっと駆け足気味で、高杉の前に行く。
「あの、高杉さん、ですよね」
 いきなり声かけられていぶかしげに僕の顔を見た奴の顔が驚いた表情になる。
「あーっ、昨日の、右京の妹さん…。いや、そのよく覚えてくれてて、しかもこんな所で!」
 周りの生徒のなにごと?という目線も気にせず、奴も僕の所に駆け寄ってくる。
「あ、あの、あたし記憶力はいいので…この間はどうも…、ありがとうございました」
 僕は女の子らしく両手を前に深くお辞儀。でもさ、本当はさ、体叩き合って再開を祝いたい気分なんだけどさ。
「あの、昨日の海開きの事、地元の新聞に載ったんですよ。ほら」
 そう言って僕はバッグの中から畳んだ新聞のコピーを取り出した。
「ほら、これ。天国のお兄さん、雨…止め…」
 と、僕の鼻が急に詰まって痛みを感じ、目頭が熱くなり、次の瞬間どういう訳か目から水、じゃない、これ涙だよ!なんで?なんで僕泣いてるの!?
 たまらなくなり僕は両手で鼻と目頭を押さえるけど、ちょっと待ってくれ!だから僕なんで泣いてるんだよ!
 話をしたいのに、体がそうさせてくれない!喉から嗚咽がひっきりなしに出てくる。それをこらえるのがやっとだった。だって、天国のお兄さんなんてさ、泣けるじゃん!しかも旧友との再会も重なってさ!
「いや、わかる、僕には十分わかるよ君の気持ちがさ…」
 そう言って必死で僕をなだめる高杉。と彼の後ろにからあの時一緒にいた、あいかわらずダテ眼鏡のがり勉スタイルの烏丸の姿が見えた。
「あ、あれ?あれ?あれー!あの時の、京極の…、えー、わざわざ来てくれたんですかあー!」
 と烏丸は高杉の前にいる僕がどうやら泣いている様子だとわかったらしい。
「高杉!おめ!何泣かしてるんだよ、このやろー!」
 そう言って高杉の後頭部をはたく烏丸。行動するガリ勉らしさは変わってない。と、更に僕達のまわりを何事かといぶかしげに回りをぐるぐる回ってる女の子。白のノースリーブのブラウスに水色のスカートの
(あ…)
 その女の子の顔を見た瞬間、僕の涙はすっと止まり、そして今度は恐怖にも似た恥ずかしさで顔を赤らめる。
 その子は浅井穂香。活発で面白くて、僕が密かに思いを寄せていた女の子だった。
「え?何?誰?ひょっとして高杉の彼女?」
 ずけずけと高杉と僕の間に入ってくる穂香。と僕の顔を見た瞬間驚きの声上げる彼女。
「あっ!彼女って、ひょっとして今朝話してた望月君の妹さん!?望月…じゃなくって京極杏奈ちゃん?」
「な、なんでわかるんだよ?」
「だーって、ほら、望月君そっくりじゃん!望月君女にしたみたい!」
 僕を指指して高杉に言い放つ穂香。そうだよ!その通りだよ!僕女にされちゃったんだからさ!
「んでさ!モデルまでやってた可愛い子を何泣かせてんのよ!」
 いきなり僕の横に立ち、僕の保護者みたいに振舞う穂香。そっか、自分より年下とわかると、女って…。
「いや、違うって。昨日の事新聞に載ってたってわざわざ新聞のコピー持って知らせに来てくれたんだけど、彼女それ見て右京思い出したらしくてさ」
 必死に弁解する高杉が可愛い。もう少し泣き真似続けてやろうか?
「でも良く似てるわよね本当…望月君がそこにいるみたい。ね、ね、ね、折角来てくれたんだからさ、サテン行かない?高杉のおごりでさ」
「なんで俺のおごりなんだよ!」
「彼女泣かせた罰じゃん!」
「だから、違うって言ってんだろ!」
「いーのいーの、えと、杏奈ちゃんだっけ?いいからいいから、行こ行こ!」
 夏なのに冷たくて柔らかい穂香に手を握られて、僕もよく知ってるこの道の先の喫茶店へ走り出す穂香。男女の仲で無くなった今初めて手を繋いだ。でもお前さ、女が自分ひとりの時って絶対僕達が誘ってもサテン行かなかったよな?あ、そっか…。僕今女なんだ…。

「俺、カツサンド」
「あ、僕いつものピラフ」
 その喫茶店でよくこいつらと放課後だべってたりしたもんだ。しかし、毎回毎回同じもの食って飽きんよなあこいつら…と思う僕。
「お…あ、あたし、ホットケーキ」
 久しぶりにここのホットケーキ食べたかったんだ…て、あ!しまった!!やばい!高杉と烏丸がぎょっとして僕を見てる!
「あれ?杏奈ちゃん…ここ、来たことあんの?」
「右京ってさ、ここへ来るたび毎回ホットケーキ頼むんだぜ」
「いや、毎回同じ物ばっかり食って良く飽きないなって思ってたんだけどさ」
 そりゃ、僕がお前らに言いたいよ!
「あ、あの、兄から学校近くの喫茶店で良くホットケーキ食べたと…」
 小声でぼそっとごまかす僕。
「アイスコーヒーでいいかしら。そちらのお嬢さんは?」
「あ、あたし、アイスミルクティー」
「あたし、アイスレモンティー」
 二ヶ月前と変わらない懐かしい店のおばさんに、僕と穂香がオーダーする。
「ねえ、兄妹だもん。好みが一緒だって不思議ないわよねーぇ」
 僕の方を見ておおげさに同意を求める穂香。真似して微笑む僕。
「ねえねえ、こいつらバカだからさ、適当にあしらった方がいいわよ」
 そう言いながら、ソファー席の僕の横に座って僕に体をぶつけてくる穂香。そして、暫く望月右京、そう二ヶ月前の僕の話で盛り上がるこいつら。宿泊研修旅行、文化祭、体育祭、友達、男女関係等々。みんな知ってる話だけど、一部は僕を出汁にして高杉と烏丸のいいように改変されていた。僕が知らなかった僕の陰口もぽろぽろと出てくる。
 話に混じりたい衝動をぐっとこらえ、僕は始終笑顔で相槌打つしかなかった。時々僕は体をくっつける様にして僕の横に座ってる穂香を時折眺める。男だった時は横に立つ事さえためらわれたけど、女みたいになった僕には逆に向こうから寄ってきてくれる。
 白く透き通る様な肌、レモンの香り、ノースリーブの脇からチラチラ見える白いブラ。同じ物着けてるんだって感じで胸に付いたブラの感覚をつんと感じる僕。こんな可愛い生き物に僕もなりつつあるんだ。出来るなら同じ位可愛くなりたい…て、何考えてるんだろ僕。
「ねえねえ、望月君てさ、杏奈ちゃんにはどうだった?優しかった?」
 突然僕に聞いてくる穂香。
「う、うん。とても優しいお兄ちゃんでした」
 無意識にあさっての方を見ながら言う僕。
「うそつけ!あんな何考えてるかわからん奴が」
「嘘じゃないもん!」
 高杉の言葉に、杏奈を妹として本当愛していた僕がきっとなって言う。
「バカ相手にしないの。ねえ杏奈ちゃんライン交換しよう」
 杏奈はあんまり使っていなさそうだったけど、僕のアイフォンを手にいろいろと操作し始める穂香。
「あ、俺も!」
「うっせえ!なつくんじゃねーよ!」
 高杉の声に手で追い払う仕草をする穂香。
「いいじゃねーかよ、ほら」
 そう言って穂香の手から僕のアイフォンを取り、
「はいはいはいー」
 と勝手に登録してしまう高杉。
「あ、俺は?」
「いいから、後で教えてやっから」
 烏丸の申し出を軽く流して僕にアイフォンを手渡す高杉。
「杏奈ちゃん、即効ブロックな。あ、ねえ海行かない?」
「あ、いきてー!」
「おめーじゃねーっつーの!杏奈ちゃんに聞いてんの!」
「なんだよそれー」
 半分本気でふくれる高杉を尻目に、僕にありったけの笑顔を向ける穂香。
「ねえ、杏奈ちゃんさ、昨日はビキニだったんでしょ?ビキニでおいでよ。あたしと友達も全員ビキニで揃えるから…、おめーらついてくんなよ!女子会!望月君偲んでの!」
「へいへい」
 僕としては、高杉とか烏丸とか、あと本間とか池辺がいた方が楽しいんだけどなあ。と思いつつ喫茶店の向かいの席の後ろの壁にかかってる鏡を見た時、
「ぎょっ!!」
 全身凍りついた様になり、口からなんだかわからない悲鳴が出る。なんと、そこにはオレンジのミニワンピ姿の杏奈が空中に浮く様にして穂香の背中にもたれかけ、腕を彼女の胸元にだらーんとたらしている…
(あ、杏奈…)
 驚いて横の穂香を見る僕。しかしそこには穂香しかいなかい。
(兄貴の好きな女ってさ、この程度の奴なの?)
 頭の中でまたもや杏奈の声が響き、うつろな顔をして鏡越しに僕の顔を見ていた杏奈は、
(いーーーだ)
 という様な表情をしてすっと消えた。
「え、どうしたの??」
 皆口々に僕の方を見るけど、もう僕は取り繕うのに必死だった。
「あ、なんかやっと肩治った。なんかさっきからこってるというかぴりぴりしてさー」
 やばい、あの野郎冥土にも行かず、ずっと僕の事監視してやがる…。
 
 夏の陽が沈む頃までそのままだべった後、僕は兄である右京、といっても僕なんだけど、僕の祭壇へのお供え物を買って帰りたいと言うと、
「あ、いいのがあるぜ」
 と言った高杉が案内してくれた、僕も良く知っている最寄の駅の商店街の横道入った所のたい焼き屋。
「あいつさー、ホットケーキ食った後、ここでたい焼き二個食って帰るんだぜ」
 いいじゃねーかほっとけよ…。
 そして、駅の改札で僕を見送ってくれた三人。良かった今日ここへ来て。みんな僕の事を忘れていなかったし、僕も奴らの事を忘れていなかった。あの頃に戻りたいよ、戻れるならさ。
 電車で二駅。次に僕が向かったのは、僕の実家だった。懐かしさと、今どうなってるんだろうって思いで、家までの懐かしい風景なんて見るのそっちのけで、軽いミュールの音をたてて急ぐ僕。でも、そこで見たのは。
「…」
 何も言えず立ち尽くす僕。実家のあった場所はすっかり整地され、何かの建物を建てる為の基礎工事が既に行われてた。と、夕闇の中、ぼーっとその基礎工事の現場に有った資材置き場の足場器材の上にぼーっと白い人影が現われる。別にもう驚かない。それはさっきのオレンジのワンピース姿の杏奈だった。
 じっと新しい基礎工事の現場の方を寂しそうに見つめている杏奈。僕の方なんて振り向きもしない。ふと横の立て看板には建築計画と完成予定の建物の図。そして下には[京極不動産]の文字。どうやらマンションが建つらしい。
(わかったよ、もう、来ることも無いだろうし)
 僕は最後に近所の風景を目に焼き付けた後、まだ寂しそうににしている杏奈の幽霊に向かって、
「杏奈、帰るぞ」
 と声をかけ再び駅の方へ向かって歩き出す。あいつ、まさかここで自縛霊でもやるつもりなんだろうか…。
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