第17話 穏やかな休日
文字数 3,318文字
ゴールデンウィークも残りはわずか一日半。僕は連休中も実家に帰らず、ロリババア・ハウス・東京にいた。
美紅ちゃんは連休初日から実家に泊まっているけれど、小夜さんは寮に残ることに。
休みだからといって、彼女の病気が治ったわけではなく。
息を吸って、心臓を動かすだけでも、人間には食事が必要だし排泄もする。
食事は執事さんがいるとしても、それ以外は僕が世話を担当しないといけなくて。
特に、お風呂。
美紅ちゃんがいないから、ふたりきりで入ってるんだよね。変に意識しちゃって、恥ずかしくなる。仕事をこなすのもツラいんだ。お経を唱えつつ、たゆんたゆんな胸を洗っているわけだけど、修行の成果を試されている気がする。
なので、授業がなくてもハードな日常を送っていた。
授業といえば、日向先生のことも気にかかる。二日間、連休谷間の授業があった。しかし、ずっと自習だったんだよね。研究が忙しいとかで寮の部屋に籠もりきりである。
朝夕の食事の時に会うだけど、そのたびに目の下にできた隈が大きくなっていく。見た目が小学生なだけに、余計に痛ましく感じるというか。
担任がそんな状態なので、連絡事項すら伝えられないという。 穂乃花が寮に来てくれて、最低限のことは教えてもらえるのが救いである。
テニスの日をきっかけに、頻繁に寮を訪ねるようになった幼なじみ。
積極的に小夜さんのトイレ当番を代わってくれるんだ。むしろ、僕がやろうとすると、真っ赤になって怒るんだよね。そのほかにも、美紅ちゃんがミニスカで僕を踏んだら、美紅ちゃんを遊びに誘ってくれて……。
僕としてはありがたいけど、時々、僕や女の子を見る目が怖くなる。なんでなんだろう?
なお、穂乃花は執事さんとも仲が良い。料理の腕前を認めあった、ライバル《友》らしい。特別に、彼の本名を教えてもらったという。ちな、鈴木さんである。
土曜日の昼下がり。昼寝中の小夜さんを見つつ、賑やかな生活を振り返っていた。
春の日差しが心地よくて、あくびが出る。
少しだけ休んでもいいかな?
スマホを見る。小夜さんのトイレタイムまで三十分を切っている。彼女が目を覚ましたときに、僕が寝ていたら大変なことになる。
眠気を堪えていると、ドアがノックされた。ドアノブに飾り付けていた猫のぬいぐるみがピョコピョコ揺れた。
執事さんかな。
「お紅茶をお持ちしました」
「あ、ありがとうございます。でも、小夜さんは昼寝中でして……」
「お嬢様の分は後でご用意しますので、伊藤様だけでも召し上がってくださいまし」
初老の紳士は僕みたいな若造にも丁寧だから、恐れ入る。
「せっかくだから、いただきます」
僕はドアを開ける。執事さんはワゴンを運んでくる。紅茶とスコーンが乗っていた。
紅茶の風味が心を落ち着けてくれる。スコーンは焼き立てで、柔らかくて香ばしかった。
「スコーンにハチミツを塗っております」
風味がよいわけだ。
「ハチミツは栄養食品。ビタミン、ミネラル、アミノ酸などが豊富に含まれてます。
特に、ハチミツの糖分は単糖類。腸壁から血管に取り込まれるので、胃腸にも負担がかからないようですな。
効率よく疲労回復するにはもってこいです」
博識なので、話を聞いていて面白い。
「日頃は学業だけでなく、お嬢様のことまで恐れ入ります。連休までお世話をしていただき、なんとお詫びをすればよいか……」
丁重に頭を下げられたので、気が引ける。
「いえ、好きでやっていることですから」
「ですが、好きなものだからといって、無限に体力が続くわけではありません。疲れは知らぬ間に溜まっているものですぞ」
「は、はあ」
「若いからといって油断してますと、大病に繋がりますゆえ」
なんとなく身体は重いけど、なんとかなるというか。休めないし。
とはいえ、せっかくの好意を無下にもできない。
「では、ハチミツをたっぷり摂りますね」
「本当に真面目な方で……神凪 家の旦那様にもお伝えしております」
「えっ?」
小夜さんのお父さんってことだよね?
ちょっと気になる。お金持ちかもしれないけど。娘を学校に預けたまま、連休にも帰らせないんだ。どうしても冷酷な印象を受けてしまう。
「お嬢様のために怒って下さり、恐れ入ります」
うっかり顔に出てしまったらしい。
「ですが、旦那様はご自分を責められているのですよ」
執事さんの声音からは尊敬の念が感じられた。
「すいません」
この人を信じよう。
鈴木さん、名前は教えてくれなかったけど。そのことは冗談として。
「お嬢様は幼少時からお優しくて、頭脳も明晰でした」
執事さんは懐かしむような目で言う。
「ご主人様が褒めると、ニコッと微笑んで、より一生懸命に勉強をなされて。
複数の会社を経営なさる旦那様。多忙でもお嬢様のためには時間を割きました。
お嬢様にねだられると、どんなことでも受け入れる方なのですよ。
お嬢様が幼稚園の頃のこと。『月に行きたい』とお嬢様がおっしゃいました。
すると、『大きくなったら、パパが連れていくからな』と旦那様はお答えになって」
それはすごい。
「お嬢様が私立中に合格された時のことです。お嬢様は会社の経営に携わりたいと告げました。
案の定、旦那様はグループ会社のひとつをお嬢様にプレゼントします。女子中学生社長は合併直後の混乱を鎮めました。
社員人気も高く、将来を有望視され、旦那様も我がことのように喜ばれます。
中学二年生の時でした。お嬢様はあるベンチャービジネスを起こしたのです。
四十歳未満の人生うまく行ってない人が手に職をつけ、イキイキと活躍できることを目指したい。そんな経営理念です。
というと、夢物語だと思われるかもしれませんが、お嬢様は違った。
大手銀行の役員を唸らせるようなビジネスプランを生み出したようです。爺やには理解できませんでしたが……。
そんなお嬢様のご活躍が政財界の目に留まったのでしょう。
中学二年の秋。お嬢様は未来ある若者に選ばれました」
執事さんが口を閉ざした瞬間に、僕は訊ねていた。
「もしかして、次世代若者支援プロジェクトですか?」
彼は無言でうなずいた。
小夜さん自身の口から聞いた内容と辻褄が合う。
「今思えば、あの頃がもっとも幸せでした」
「……」
「数ヶ月後にはロリババア病が発症してしまったのですから」
「っっ」
なんど聞いてもやるせなくなる。
「昨年の春。政府のお役人様が屋敷を訪ねてこられました」
「えっ?」
「ヴァージニア記念高校にて、密かにロリババア病の治療をしている。優秀な研究者がおりますゆえ、お嬢様を預かる。そういうことになりました」
もしかして、優秀な研究者って日向先生のこと?
「旦那様はお嬢様の病気をご自分のせいになされていて……多額の私財を研究機関に寄付しました。自分が会っても病気は治らない。自分のなすべきことで、お嬢様の病気を治してみせるとおっしゃっております。そのために、事業規模も拡大させ、さらにお忙しくなられてます」
それで、小夜さんはゴールデンウィークも帰らなかったのか。
見捨てられたわけではないことに安堵しつつも、悲しくなってくる。
介護には正解はない。いや、正確に言うなら、家族の分だけ答えがある。
けっして他人がやり方に対して口を出す問題ではないんだ。
僕もやるべきことをしなければ。
「お話しくださり、ありがとうございます。僕、がんばりますから」
「あはは。プレッシャーをかけたわけではないのですがね」
山田さんは頬をかく。
部屋から出て行く執事さんを見送る。椅子から立ち上がろうとして、目の前が暗くなった。軽い立ちくらみだ。ちょっと疲れたかも。
その時、スマホが音を鳴らす。
穂乃花だった。僕は笑顔を作ると、通話ボタンを押した。
美紅ちゃんは連休初日から実家に泊まっているけれど、小夜さんは寮に残ることに。
休みだからといって、彼女の病気が治ったわけではなく。
息を吸って、心臓を動かすだけでも、人間には食事が必要だし排泄もする。
食事は執事さんがいるとしても、それ以外は僕が世話を担当しないといけなくて。
特に、お風呂。
美紅ちゃんがいないから、ふたりきりで入ってるんだよね。変に意識しちゃって、恥ずかしくなる。仕事をこなすのもツラいんだ。お経を唱えつつ、たゆんたゆんな胸を洗っているわけだけど、修行の成果を試されている気がする。
なので、授業がなくてもハードな日常を送っていた。
授業といえば、日向先生のことも気にかかる。二日間、連休谷間の授業があった。しかし、ずっと自習だったんだよね。研究が忙しいとかで寮の部屋に籠もりきりである。
朝夕の食事の時に会うだけど、そのたびに目の下にできた隈が大きくなっていく。見た目が小学生なだけに、余計に痛ましく感じるというか。
担任がそんな状態なので、連絡事項すら伝えられないという。 穂乃花が寮に来てくれて、最低限のことは教えてもらえるのが救いである。
テニスの日をきっかけに、頻繁に寮を訪ねるようになった幼なじみ。
積極的に小夜さんのトイレ当番を代わってくれるんだ。むしろ、僕がやろうとすると、真っ赤になって怒るんだよね。そのほかにも、美紅ちゃんがミニスカで僕を踏んだら、美紅ちゃんを遊びに誘ってくれて……。
僕としてはありがたいけど、時々、僕や女の子を見る目が怖くなる。なんでなんだろう?
なお、穂乃花は執事さんとも仲が良い。料理の腕前を認めあった、ライバル《友》らしい。特別に、彼の本名を教えてもらったという。ちな、鈴木さんである。
土曜日の昼下がり。昼寝中の小夜さんを見つつ、賑やかな生活を振り返っていた。
春の日差しが心地よくて、あくびが出る。
少しだけ休んでもいいかな?
スマホを見る。小夜さんのトイレタイムまで三十分を切っている。彼女が目を覚ましたときに、僕が寝ていたら大変なことになる。
眠気を堪えていると、ドアがノックされた。ドアノブに飾り付けていた猫のぬいぐるみがピョコピョコ揺れた。
執事さんかな。
「お紅茶をお持ちしました」
「あ、ありがとうございます。でも、小夜さんは昼寝中でして……」
「お嬢様の分は後でご用意しますので、伊藤様だけでも召し上がってくださいまし」
初老の紳士は僕みたいな若造にも丁寧だから、恐れ入る。
「せっかくだから、いただきます」
僕はドアを開ける。執事さんはワゴンを運んでくる。紅茶とスコーンが乗っていた。
紅茶の風味が心を落ち着けてくれる。スコーンは焼き立てで、柔らかくて香ばしかった。
「スコーンにハチミツを塗っております」
風味がよいわけだ。
「ハチミツは栄養食品。ビタミン、ミネラル、アミノ酸などが豊富に含まれてます。
特に、ハチミツの糖分は単糖類。腸壁から血管に取り込まれるので、胃腸にも負担がかからないようですな。
効率よく疲労回復するにはもってこいです」
博識なので、話を聞いていて面白い。
「日頃は学業だけでなく、お嬢様のことまで恐れ入ります。連休までお世話をしていただき、なんとお詫びをすればよいか……」
丁重に頭を下げられたので、気が引ける。
「いえ、好きでやっていることですから」
「ですが、好きなものだからといって、無限に体力が続くわけではありません。疲れは知らぬ間に溜まっているものですぞ」
「は、はあ」
「若いからといって油断してますと、大病に繋がりますゆえ」
なんとなく身体は重いけど、なんとかなるというか。休めないし。
とはいえ、せっかくの好意を無下にもできない。
「では、ハチミツをたっぷり摂りますね」
「本当に真面目な方で……
「えっ?」
小夜さんのお父さんってことだよね?
ちょっと気になる。お金持ちかもしれないけど。娘を学校に預けたまま、連休にも帰らせないんだ。どうしても冷酷な印象を受けてしまう。
「お嬢様のために怒って下さり、恐れ入ります」
うっかり顔に出てしまったらしい。
「ですが、旦那様はご自分を責められているのですよ」
執事さんの声音からは尊敬の念が感じられた。
「すいません」
この人を信じよう。
鈴木さん、名前は教えてくれなかったけど。そのことは冗談として。
「お嬢様は幼少時からお優しくて、頭脳も明晰でした」
執事さんは懐かしむような目で言う。
「ご主人様が褒めると、ニコッと微笑んで、より一生懸命に勉強をなされて。
複数の会社を経営なさる旦那様。多忙でもお嬢様のためには時間を割きました。
お嬢様にねだられると、どんなことでも受け入れる方なのですよ。
お嬢様が幼稚園の頃のこと。『月に行きたい』とお嬢様がおっしゃいました。
すると、『大きくなったら、パパが連れていくからな』と旦那様はお答えになって」
それはすごい。
「お嬢様が私立中に合格された時のことです。お嬢様は会社の経営に携わりたいと告げました。
案の定、旦那様はグループ会社のひとつをお嬢様にプレゼントします。女子中学生社長は合併直後の混乱を鎮めました。
社員人気も高く、将来を有望視され、旦那様も我がことのように喜ばれます。
中学二年生の時でした。お嬢様はあるベンチャービジネスを起こしたのです。
四十歳未満の人生うまく行ってない人が手に職をつけ、イキイキと活躍できることを目指したい。そんな経営理念です。
というと、夢物語だと思われるかもしれませんが、お嬢様は違った。
大手銀行の役員を唸らせるようなビジネスプランを生み出したようです。爺やには理解できませんでしたが……。
そんなお嬢様のご活躍が政財界の目に留まったのでしょう。
中学二年の秋。お嬢様は未来ある若者に選ばれました」
執事さんが口を閉ざした瞬間に、僕は訊ねていた。
「もしかして、次世代若者支援プロジェクトですか?」
彼は無言でうなずいた。
小夜さん自身の口から聞いた内容と辻褄が合う。
「今思えば、あの頃がもっとも幸せでした」
「……」
「数ヶ月後にはロリババア病が発症してしまったのですから」
「っっ」
なんど聞いてもやるせなくなる。
「昨年の春。政府のお役人様が屋敷を訪ねてこられました」
「えっ?」
「ヴァージニア記念高校にて、密かにロリババア病の治療をしている。優秀な研究者がおりますゆえ、お嬢様を預かる。そういうことになりました」
もしかして、優秀な研究者って日向先生のこと?
「旦那様はお嬢様の病気をご自分のせいになされていて……多額の私財を研究機関に寄付しました。自分が会っても病気は治らない。自分のなすべきことで、お嬢様の病気を治してみせるとおっしゃっております。そのために、事業規模も拡大させ、さらにお忙しくなられてます」
それで、小夜さんはゴールデンウィークも帰らなかったのか。
見捨てられたわけではないことに安堵しつつも、悲しくなってくる。
介護には正解はない。いや、正確に言うなら、家族の分だけ答えがある。
けっして他人がやり方に対して口を出す問題ではないんだ。
僕もやるべきことをしなければ。
「お話しくださり、ありがとうございます。僕、がんばりますから」
「あはは。プレッシャーをかけたわけではないのですがね」
山田さんは頬をかく。
部屋から出て行く執事さんを見送る。椅子から立ち上がろうとして、目の前が暗くなった。軽い立ちくらみだ。ちょっと疲れたかも。
その時、スマホが音を鳴らす。
穂乃花だった。僕は笑顔を作ると、通話ボタンを押した。