第9話:お留守番

文字数 2,986文字

「いってらっしゃーい」
「道中、油断せぬよう」
「……気を、付けろ」
 三者三様の見送りに、パンツスーツ姿の茉莉は一瞬声を詰まらせてから『いってきます』と呆けたように呟き、玄関のドアを開けた。途端、外から差し込む朝日に目を細める。外へ出て扉を閉める寸前、上がり框で横並びになっている身長2メートル超えのロボット達に視線を戻した。
「大丈夫よ茉莉ちゃん。そんなに心配しなくても」
「……分かった。何かあったら連絡してね」
「はいはーい」
 手甲のような手を左右に振りながら満面の笑みをたたえるガスター。その左右で腕組みをし深く頷くボルタと、まるで『いかないで』というような感じに右手がちょっと前に出かかっているロキソ。そんな彼らに後ろ髪を引かれつつも、出勤時間が迫る茉莉は、意を決して玄関ドアを閉めた。
 一風変わった同居人が3人揃った日の夜。明日は彼らを残して出勤しなければならない茉莉は、彼女が不在時に何かあった場合の連絡方法もレクチャーしていた。茉莉の仕事は、自席で携帯電話に出ても咎められないデスクワークだったため、自宅の固定電話から電話がかかってきても、メールが送られてきてもすぐに対処できる。
 そして迎えた本日。茉莉が出社後一番始めにしたことは、いつでも素早く帰れるようにと早退届を準備したことだった。カタカタカタと軽快に鳴り響くタイピングの音と、電話の呼び出し音や受け答えの声。係長からの指示や、ほぼ全員がスルーする課長のつまらない親父ギャグ。いつもと変わらぬ勤務風景の中、マナーモード中のスマホが振動しないかどうか、茉莉は一人神経を研ぎ澄ませていた。

 * * * * *

 『――疲れた』
 そう脳内で呟いた茉莉は、勤怠管理ソフトの退勤ボタンを定時きっかりにクリックし、デスクトップPCの電源を落とした。彼女が疲れているのは仕事内容ではなく、いつ来るか分からない連絡の待ち疲れである。人間とは不思議なもので、便りが無いのは無事な証拠といいつつ、もしかしたら連絡も取れないほどの大事故が起きているのでは、それとも研究所に見つかって捕えられてしまったのでは、はたまたあのロボット達自体が自分の妄想の産物なのではないか――等、マイナスイメージばかり膨らんできてしまう。
 何はともあれ、急いで家へ帰ろうと小走りする茉莉であったが、『あ、新しいハーブティー、何種類か買っていこう』と、帰宅途中にある茶葉専門店へ足を進めた。

 いくつかの茶葉を購入し、自宅へたどり着いた茉莉は、まだ玄関灯がついていなくても明るい夏の夕日を頼りに、扉へ鍵を差し込み開ける。ガチャリという音を聞きつけた3人のロボット達は、大型犬のように部屋の奥から走り寄ってきた。
「おかえりなさーい」
「無事で何より」
「おかえり……」
 朝と同じく三者三様の出迎えに、やはり一瞬呆気にとられた茉莉は『ただいま』と返事をした。
「お仕事お疲れ様! ご飯にする? お風呂にする? それともア・タ・シ?」
「わぁ、コントみたいなセリフ、リアルで初めて聞いた」
 どこから調達したのかピンクのフリフリ新妻エプロンを身に着け、さらにお玉まで持って登場したガスターに、茉莉は棒読みで対応。しかし、その作り笑顔はすぐさま『ん?』というクエスチョンマークを浮かべたものに変じた。
「なんだか凄くいい匂いがする……」
「分かるぅ? さあ2人とも、出番よ!」
「わわっ」
 上機嫌のガスターに指示を受けたロキソが、茉莉を一瞬で抱え上げる。突如お姫様抱っこされ驚く茉莉の足から、ササッとパンプスを脱がし、玄関へきちんと並べたのはボルタであった。目を丸くして大人しく腕の中に納まっている茉莉を、ロキソは壊れ物を扱うよう慎重に洗面所へと運んでいく。
「……帰ったら、うがい手洗い」
「ああうん、そうだね」
 洗面所でそっと降ろされた茉莉はロキソの見守る中、うがい手洗いを遂行。茉莉の顔や手についた水分を、戸惑う彼女をよそにタオルで拭き終えたロキソは、またもや茉莉を姫抱きし、今度はリビングダイニングへ向かっていった。

 そうしてダイニングテーブルの前で再度優しく降ろされた茉莉は、その上に載っている料理の数々を見て絶句。艶々と輝く白米に、豆腐とワカメの味噌汁。里芋とイカの煮物に、きんぴらゴボウや小松菜のおひたし。絵に描いたようなザ・和食が並んでいたからだ。
「じゃじゃ~ん! どう? 茉莉ちゃん」
 ガスターが得意気に両手を広げ、茉莉のコメントを求める。
「……す、凄い。これ最新の3D映像?」
「違うわよ! アタシ達で作ったのよ!」
 斜め上の返答にガスターはプンスカと仁王立ちだ。キッチンのゴミ箱にはネットスーパーの買い物袋が見て取れた。素材はそこで購入し届けて貰ったようである。
「3人で?」
「正確に申すと、拙者は初っ端から役に立たず、ほぼガスターとロキソが作っていたのだが……」
 茉莉の問いかけに、ボルタはバカ正直に真実を答えてしまう。
「ボルタは、不器用……」
「ぬぐぅ……、返す言葉もござらん」
 ボソリと溢したロキソへ、ボルタは申し訳なさそうに肩を縮めた。
「――でも掃除、頑張っていた」
「そういえば、部屋中ピッカピカ……」
 ロキソの言葉を受け、部屋を見回した茉莉は、まるでモデルルームのように輝く自宅に感動を覚えていた。今までも決して汚い部屋ではなく、それなりに掃除をしていた茉莉だが、やはり女手一つで一軒家を完璧に仕上げるには無理があり、近々プロの清掃会社へ頼もうと思っていたところであった。
「さあさ、冷めないうちに召し上がれ。貴方に食べて欲しくて作ったんだから」
「……はい。いただきます」
 ガスターに引かれた椅子へ座った茉莉は、神妙な顔で両手を合わせたあと、おずおずと箸を伸ばし、里芋を口へ運ぶ。黙々と咀嚼する茉莉を、ロボット達はハラハラと見守っていた。

「――もの凄く、美味しい……」
 コクンと飲み込んだ真顔の茉莉から、吐息のような声が漏れた。
「まあ、本当に?」
「うん。こんなに美味しい手料理食べたの、何年ぶりだろう…」
 そう言いつつ、他の料理も嬉しそうに食べていく茉莉。その様子を見守るロボット達3人は、彼女よりも嬉しそうな顔をしていた。
「みんな、色々ありがとう」
 ふと箸を止め、我に返った茉莉は、彼らに対し礼をしていなかったことを思い出した。
「お礼をいうのはアタシ達の方よ。茉莉ちゃんには助けて貰ったし、こうして匿ってまでくれているんだから」
「左様。返しきれぬ恩がある」
「役に、立ちたい……」
 何とも律儀なロボット達に、茉莉は持っていた箸を箸置きに戻す。
「私がやりたいことをやっているだけだから、そんなに気にしなくていいよ」
「そうはいっても――」
 まだ何か言いたげなガスターへ、茉莉はテーブルの端に置いていた紙袋を見せた。
「今日のお礼には足りないと思うけど、新しいハーブティー買ってきたの。みんなで一緒に飲もう?一人だけ食べているの申し訳ないし」
「ありがとう…茉莉ちゃん。でも貴女は席についていて。お茶はアタシが入れるわ」
 どこまでも謙虚な茉莉に心打たれたガスターは、席を立とうとした彼女をやんわり制し、代わりに紙袋を受け取った。
「拙者も手伝おう」
「……俺も」
 ガションガションという金属音を立ててキッチンへ向かうロボット達を、茉莉はどこか懐かしそうな目をして見送っていた。
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