第10話 青春の思い出

文字数 731文字

記録的猛暑の夏だ。コンクリートは焼け、向日葵すらも困惑するように頭を垂れている。
高田が現場に到着すると、施工管理の男が汗を拭いながらにこやかに挨拶してきた。

事故物件の解体。
夜になると、最上階に2つ、人の形をした影が揺れているのを見たのだという噂が立っていた。
まるで、それは首吊りしたように頭を垂れて仲良く揺れていると。だから、心中のビル、心中屋敷などと呼ばれている。

こんな鉄筋コンクリートのビルにお屋敷とはおかしなセンスだ、と変なところに笑ってしまう。

実際に遺体は見つかっているらしい。一体だけ。だから心中というのは、何も由来のない尾鰭が付いた噂だろう。

刺すような日差しの中で、防塵シートに囲われたそこだけが闇の中に見えた。何て言ったら笑われるだろうけど。

「あの。」
先ほどからチラチラと視界に入っていた広い日傘が近づいてきた。
何か不備や迷惑があったのかも慌てて目を向けると、華奢な髪の長い婦人が恥ずかしそうに立っていた。
なんだか少女のようだな、と高田は一瞬見惚れてしまった。
「何か、ご迷惑がありましたか?」
平静を装って話しかけると、婦人はモジモジしながら小さな声で言った。
「ここ、解体するんですか?」
「はい!古くて危ないですし、ね。」
何だかこの婦人に心霊スポットだ、などと言ったら笑われてしまうのではないかと思った。
「そうなんですね…」
悲しそうな声だった。
「何かありましたか?」
少し屈んで日傘の下の表情を見た。婦人は少女のように恥ずかしそうに微笑んだ。
「私の、青春の思い出の場所なんです。」
「へえ、ここが。」
「そう。とても大切な、懐かしい思い出なんです。」
二度と会えない、ね。

一際大きな音がビルの中から響いた。
婦人は一際美しく微笑んで、ビルに向かって手を振った。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み