15*裸のスサノヲ

文字数 2,830文字

 駅前の那智勝浦海浜公園。昔は丹敷浦と呼ばれ、神話で天ツ軍と丹敷の姫が戦ったという。今は那智海水浴場(ブルービーチ那智)と呼ばれ、心の中で私が戦ってる。
 私とニウヒメさんは海を見てる。晴れた高い空の青色と海の青色が混ざる。眩しく目を細めると、陽が彼方の海をキラキラと照らしてる。私の心はどんより。
 駅の反対側に熊野那智大社、丹敷の姫の墓所のある熊野三所大神社がある。
「ここも十一面観音菩薩か」
 興味はないけど言ってみる。別のことを考えないと死にそうで。いや、殺されるんだけど。
 十一面観音菩薩は観音菩薩の変化身、六観音のひとつ。頭部に11の顔を持つ。昔は変化身のなかで千手観音とともに人気が高かった。昔のことはどうでもいい。
 熊野三所大神社の隣の補陀洛山寺に補陀落渡海の伝承がある。海の彼方、天(アマ)と海(アマ)の交じった処に補陀洛という浄土があり、みんなが浄土に行けるよう、僧侶は閉じこめられた船で海を渡る。浄土信仰の捨身行。そう、浄土と熊野は通じてる。
 浄土は常世、常夜、つまり黄泉。海の彼方の黄泉は、いつのまにか地下となった。黄泉は地上に湧きでる泉の意。地下の海。
 キューピーちゃんはここで浄土(常世)に渡った。
 熊野灘の南端、本州南端の潮岬にキューピーちゃんを祀る潮御崎神社がある。キューピーちゃん、また、渡ったのかな。帰ってきて。帰って、私を助けて。

「なんか思いだした?」
「まったく、さっぱりと思いだせません」
 ニウヒメさんを見られない。
 今朝を思いだす。あのとき、タカヒメさんに助けてもらえばよかった。
 天ツ軍に仕えた私の祖神に殺されたニウヒメさんが、天ツ軍に殺された私に、殺された処で、殺される前を思いだすように言われる。しかも思いだせないと、どうなるかわからない。
 どんなプレーだ。
「少しはァ思いだす努力をしろォ」
 苛だってるニギハヤヒ。
「……あ、あの、何時でしょうか?」
「んー17時41分」
 苛だってるようなニウヒメさん。
「あ、あの、東京(の隣の埼玉)に帰りたいのですが」
「帰るゥ?……ざけるな、帰れるわけェないだろ」
 怒ってるニギハヤヒ。
「あ、明日は火曜で、学校があって、バイトがあって。あと、肉じゃがの賞味期限があって……」
「聞いてんのかァ、帰すわけェないだろッ」
 眼前に剣を翳す。なんかニギハヤヒがおかしい。キレやすかったけど、こんな鬼気はなかった。
「姫様ー、キイ国に来たのは姫様の意思でしょ?」
 怒ってるようなニウヒメさん。
「ま、また、来年ということで……」
「……ざけんな……」
 翳す剣に黒い影が纏わりつく。この感じ、前に、あった。
「ざけるんじゃねェェ」
 剣を振り上げる。剣に纏わりつく、黒い影は……。
「助けてッ、オオクニヌシさん」
 コンビニ袋のキューピーちゃんを攫み、ニギハヤヒに翳す。首にかけてる品物比礼がコンビニ袋に絡まり、コンビニ袋を、キューピーちゃんを高く掲げる、舞い上がる。私もニギハヤヒもニウヒメさんも見あげる。
 頭上の空間に、長剣を構えたスサノヲさんが現れ、ニギハヤヒの剣を弾く。
「ス、スサノヲさんッ」
「兄神ッ、大丈夫か?」
 私の前に立ち、ニギハヤヒと対峙。ニギハヤヒは剣を構え直す。
「そうかァ、クマノはキサマの神域だったなァ」
 ニギハヤヒが斬りこみ、スサノヲさんが受ける。ギリギリと剣が唸る。
「ニギハヤヒ、また逃げなくていいのか?」
 スサノヲさんが笑う。
「うるさいィ。イヅモの神が来ることもォわかってたァ。だがァイヅモと違い、キイのクマノはァ従神タカクラジの神域ィ。カラス衆の本拠だァ」
 ニギハヤヒが剣を押す。スサノヲさんも長剣を押し返すが、なんか押されぎみ。

《饑に冒されよ。されば大神を超える神威を得よう》

「スサノヲ、どうだァ。死んだァカラス衆のォ霊威をォ感じるかァ。妬みィ、嫉みィ、僻みィ、恨みィ。神に成れなかったァ、快い怨讐をォ感じるかァ」
 砂浜のニギハヤヒの影が、スサノヲさんの足を捉える。
「足が動かない」
 ニギハヤヒはゆっくりと離れる。黒い影はニギハヤヒを中心に広がり、湧き上がる。物ノ怪のような無数の黒い影がスサノヲさんを囲む。
「クマノに棲むゥ怨霊にィ斬り刻まれろォォ」
 黒い影がスサノヲさんを鎌鼬のように襲う。黒衣が破かれ、血飛沫が散る。剣を振りまわすが、足を捉われて踏んばれない。
「剣で戦うつもりなんかァないんだよォ」
 ニギハヤヒが私を見る。
「ニウゥ、ツクヨミをォ連れていけェ」
 スサノヲさんが私を見る。逃げろと目で言ってる。だけど逃げられない。
「姫様、行くよー」
 ニウヒメさんが呼ぶ。怖い。足が竦む。手が震える。ニウヒメさんが怖い。
 ニウヒメさんが近づく。手を出す。怖い。
「行きたく……」
 後ずさる。
「行かせるかッッ」
 熊野の山々を震わせるスサノヲさんの咆哮。
 スサノヲさんとニギハヤヒの周囲を風が廻る。旋風。砂浜の砂が舞い上がる。
 スサノヲさんの髪が金色に変わり、逆だち、広がり、躰を包む。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
 な、なに、スサノヲさんが……?
 旋風は高くなり、速くなる。黒い影を撒き散らす。
「……ニギハヤヒが浮いてる?」
 砂塵ではっきり見えないが、ひとつのシルエットが浮いてる。
「ツ、ツクヨミィ、ぜったいにィ逃がさ、な……」
 シルエットは旋風に巻き込まれ、消える。……飛ばされた?
 風が弱まる。舞い上がった砂が落ちてくる。
「か、風が……」
 大きく抉られた砂浜に傷だらけの、裸のスサノヲさんだけがいる。
 スサノヲさんは山のほうを見てる。振り返り、私に拳を見せる。ガッツポーズ?

「……ニ、ニギハヤヒ様は?」
 ニウヒメさんが恐る恐る聞く。
「また翔んで逃げた。ニギハヤヒの本貫、カワチのほうだ。赤の女神。オマエは敵でない。行ってやれ」
「わ、わかった……」
 私と同じく、なにがあったかわからないニウヒメさんが去っていく。
「大丈夫か、兄神」
 裸のスサノヲさんが近づく。
「ありがとう、スサノヲさん。できれば、前の、その、それを隠して」
 前を隠し、怪訝に私を見るスサノヲさん。そして周囲を見わたす。
「ここは哀しい処だ。あまり居たくない。オレらも行こう」
「どこに行くの、スサノヲさん」
 怪訝に私を見る。
「兄神、なにかへんだぞ」
 ……あ、そうか。
「……あ、そうか。兄神は記憶も、神威も戻ってなかったな」
 前を隠してた、触ってた手を伸ばす。
「すまないな、スサノヲ」
 ごまかす。
「そうか、それでヘンなのか。……花窟の社に行く」
「遠いの、か?」
 クエビコさんの言うとおり、脳髄が弱いのか。異常に鈍いのか。
「翔べば、すぐだ」
 触ってた手で私を抱える。
 裸のスサノヲさんに抱かれる。
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