第3幕

文字数 3,141文字





 昼休み、晶が図書室を訪れると、真澄の姿は、既にそこにあった。

 書架を背にして机の前に座り、ドフトエフスキーの『罪と罰』を読み耽っている。

 けれど、それがポーズでしかないことを、晶は容易に見て取ることが出来た。

 たとえ教師達の目はごまかせても、感度の鋭い少年達のアンテナには引っ掛かってくるのだ。

 案の定、近付いてみると、真澄の視線が夢中になって辿っているのは、頭の中の配線が混乱してくるような難解な文章などではなく、その手前に立て掛けてある本の方だった。

 そこには多彩なイラストがふんだんに盛り込まれており、文字組みも、読みやすいように工夫されている。

 人の気配を察したらしく、晶が声を掛けるよりも先に、真澄は二重にしていた本から顔を上げた。

 そこで晶の姿を認めると、途端に朗らかな笑顔を見せた。

 それも、無邪気な子犬を彷彿とさせるような、人懐こい笑顔だ。

 「晶! わざわざ来てくれてありがとう。

 今朝の話の続きなんだけど…‥」

 勢い込んで話を続けようとする真澄を、晶は手振りで一旦制した。

 そうして、真澄の隣の椅子に腰掛けながら、こう切り出した。

 「その前に、タロット占い初心者の僕にも、理解出来るように説明して欲しいことがあるんだけど、タロットカードって、全部で七十八枚あるって言ってたよね?

 そのうちの一枚がなくなると、どんな影響が出てくるんだろう?」

 「…‥ああ、そうだよね。

 そこを説明しないといけないよね。

 まず、端的に言うと、占いそのものが出来なくなる。

 タロット占いっていうのは、一度に七十八枚のカードの意味を読み解くことはしないんだけど、それでも、何枚かのカードの意味を組み合わせて、その時の運勢を読み解くことを考えると、どれか一枚でも欠けた状態っていうのは、占いが成り立たなくなることと等しいんだ。

 例えば、万物を構成している四大元素ってあるだろう?

 そのうちのどれが欠けても、世界は成り立たないって言われてるよね?

 それと同じことなんだ」

 晶は思案顔になりながらも、おもむろに頷いた。

 「…‥うん。大丈夫、理解出来るよ。

 ただ、もう一つ、疑問に思うことがあるんだけど、今あるカードが使えない状態なら、他に新しいカードのセットを買えば、それで済むことなんじゃないかな?

 そうしないで探す理由は、何かあるのかい?」

 そのように水を向けると、真澄は途端に歯切れが悪くなった。

 「…‥うん。それは、まあ、そうなんだけどね。

 …‥僕が今使っているタロットカードっていうのは、十歳の誕生日に買ってもらった物なんだ。

 それ以来、肌身離さず、ずっと大事に扱ってきた。

 もう今では、身体の一部だと錯覚するくらいにね。

 だから、大げさかも知れないけど、僕にとって、今あるカードを失うってことは、指の一本を失うってことと等しいんだ。

 だけど、どれだけ探しても出てこないんだったら、その時は潔く諦めるよ。

 ただ、何もしないで、簡単に諦めるのだけは、嫌なんだ。

 行方不明のカードのために、出来るだけのことはしてやりたい」

 「…‥でもさ、生徒会室の中は、散々探したんだよね?」

 「ああ、そりゃあ、勿論」

 「じゃあさあ…‥他に出来ることって、何がある?」

 晶がそう問い掛けると、真澄は俯き加減になり、黙り込んでしまった。

 出来る限りのことをしてやりたいという気持ちはあるものの、それについての有望な案を用意しているわけではなかったらしい。

 晶は溜め息を吐くと、持参してきたスケッチブックをぱらぱらと捲り、白紙のページを準備した。

 それから、隣にいる真澄に声を掛ける。

 「行方不明になってるカードの絵柄って、今僕に説明出来る?」

 真澄は、その問い掛けに弾かれたように反応した。

 先程まで読み耽っていた本を、スケッチブックの左隣に置くと、慣れた手付きでページをぱらぱらと繰っていく。

 何が何処に載っているのか、熟知している様子が窺える。

 どうやらタロット占いの解説書らしい。

 間もなく該当のページを探り当てると、そこに掲載されているイラストを、指先でびしっと射止めた。

 「これっ! この絵柄だよ!

 ペンタクルのエースっていうカードなんだ」

 それは、雲海を思わせる表情豊かな一塊の雲の中から、巨大な右手が差し伸べられている絵柄だった。

 そして、その掌には、五芒星が刻印された金貨が収まっている。

 タロットの世界では、その意匠をペンタクルと呼ぶらしい。

 更にカードの下方に控え目に登場しているのは、薔薇のアーチが設けられたイギリス式の庭園である。

 晶は、カードの構図をじっくりと観察すると、スケッチブックの白紙のページに向き合った。

 そうして、真澄が惚れ惚れするような指使いで鉛筆を操り、ペンタクルのエースの絵柄を、そこに再現してみせた。

 しかし、その工程は、真澄の予想に反して、一枚だけでは終わらなかった。

 晶はどういうわけか、迂闊に声を掛けるのが憚られるほどの、驚異的な集中力とスピードでもって、同じ絵柄を十枚近く一気に描き上げた。

 それからやおら身体を起こすと、深く息を吐き出しながら、椅子の背に凭れ掛かった。

 「さてと…‥このくらいでいいかな」

 「晶、これ…‥こんなに沢山描いて、一体どうするつもりだい?」

 晶は、戸惑う真澄に向かって、悪戯っぽく微笑むと、得意気にこう答えた。

 「決まってるじゃないか。

 これを、全学年の全クラスの教室に貼り出すのさ。

 そうやって、全校生徒を巻き込んでしまえば、ペンタクルのエースだって居たたまれなくなって、自分から出て来ざるを得なくなるよ」

 それを聞いた途端、真澄はレンズ越しの瞳を輝かせ、指をぱちんと鳴らした。

 「それ、とんでもないナイスアイデア!

 一体どうしたら、そんなクリエイティブなことが思い付けるんだろう? 晶、凄いな。

 …‥あ、でも、今思ったんだけど、絵だけだと、何のことだか分かりにくいよね。

 これを一目見ただけで、何を探せばいいのか、分かるようにしておいた方がいいな。

 うーんと…‥ペンタクルのエースは行方不明…‥だと、シャープさに欠ける気がするしい…‥」

 独りでぶつぶつ言い出した真澄を、晶は半ば呆れ顔で眺める。

 「おいおい、一体何を思い付いたんだい?」

 考え事に耽り出した真澄ははっとなり、晶に向かって片手で拝む仕草をした。

 「晶、ごめん!

 放課後まで、僕に時間をくれないか?

 それまでに、皆を唸らせるような、素晴らしいキャッチコピーを考え出してみせるからさ。

 じゃあ、先に戻ってるよ!」

 言うが早いか、真澄は椅子を鳴らして立ち上がり、ドフトエフスキーの分厚い本を片付けると、持参した本だけを大事そうに抱えて、図書室からばたばたと出て行った。

 その時、昼休みの終了を告げる鐘の音が、行き急ぐ真澄の背中を追い掛けるようにして、のんびりと鳴り渡った。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

・・・ 第四幕へと続く ・・・


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