0605:長い眠りの中で

文字数 4,278文字

水を入れた容器。
これをふたつにする。

ひとつは私の遊び場。

もうひとつは誰か知らない〈ALM〉の、
昔の〈カルマン〉が作った容器。

水を満たした容器に石を投げ込めば、
波紋を立てて水がこぼれるのは
実行しなくとも想像に容易(たやす)い。

私はそんなことを呆然(ぼうぜん)と考えていた。

『魔女、ミダス』

そのふたつの単語が脳裏をよぎる。
知らない言葉と知らない名前。

魔女とは〈人類崩壊〉以前の言葉だ。
ミダスは人の名前だろうか。

私が死んで、目覚めたときに
何者かによって植え込まれた異物。

それとも〈NYS〉の中に
最初から備わっていたものか。

光条(スターリング)〉から転府を眺める。

あの球体に植わった針のひとつが、
かつての私だったのかと感慨にふけた。

目覚めてはじめの5年、わたしは眺めた。
結論からいえばなにも変化はなかった。

〈ALM〉の『保護』機構が、
〈カルマン〉となった私の思考を
妨げていたのかもしれない。

死後60年経って〈ALM〉に回収されたのだから、
死んだ後に意識を掘り起こされても困ったものだ。

だれも説明しない老婆ひとりのこの状況を、
せめて自分で把握する時間くらい配慮して欲しい。

かつて〈光条(スターリング)〉には〈カルマン〉がいた。

ALM(アルム)〉は〈カルマン〉を作り出す。
しかし、〈カルマン〉は去り、
原料となる人類は滅んでしまった。

そこで〈ALM〉は人類の複製を始めた。
それがいまの人類であり〈NYS〉。

受容体(レセプター)〉と呼ばれる環境耐性を
手に入れた人類は再び繁栄する。
それは仮想の、『檻』の中での話。

転府(てんふ)と呼んでいた天体に、
光条(スターリング)〉が産み出した〈受容体〉を設置する。

天体に接続された〈受容体〉はヒトとして、
〈NYS〉として活動し、〈キュベレー〉と
〈更生局〉によって生涯を〈ALM〉が管理する。

家畜にするでもエネルギーに変えるでもない、
虚無の構造物が私の過ごした転府であった。

目的も目標も役割さえわからない状況で、
私は〈カルマン〉にさせられた。

私は〈カルマン〉と呼ばれる
〈キュベレー〉とは異なる機械人形になった。

〈キュベレー〉は単なる機械人形だが、
〈カルマン〉は機械の身体に
ヒトの記憶・意識を移したものだ。

有限の寿命を持つ〈NYS〉が、
無限の寿命を得たに過ぎない。

ベニクラゲかロブスターにでもなった気分だ。

長年掛けて機械動物を作っていたら、
私自身が機械人形になったのは貴重な経験だ。

『檻』から抜け出した死後が、
あの毛根を観察する役割だったので、
くふふと不気味な笑いが込み上げてしまった。

変化のない観察は何年も続いた。

私が〈カルマン〉になるまで何年かかったのか。
次の〈カルマン〉を回収するのに何年かかるのか。

〈ALM〉には対話や意志がないのが問題だ。
光条(スターリング)〉の〈キュベレー〉もなにも喋らない。

〈カルマン〉を増やすだけであれば、
〈ALM〉が勝手にやれば済む計画だ。

死んだ私を唯一の〈カルマン〉にした理由や、
〈ALM〉の目的がなにかは判然としない。

ヒントはわずかふたつの単語。

『魔女、ミダス』だ。

ミダスと呼ばれた魔女。
とするのが適当な解釈か。

ミダスは女であったか、
男でもあるかもしれない。

肩書きも名前も性別も、なんでもいいのか。

〈ALM〉が望むものが老婆であったのなら、
私は魔女ミダスと呼ばれる存在とも言える。

けれどもそんな得体の知れないものに
なる気はないし、名乗るつもりも毛頭ない。

なったところでやることはわからないし、
好き好んで吊るされたくはない。

それとも魔女ミダスは〈人類崩壊〉以前の、
信仰の対象として存在していたのか。

焼いた魔女が死後、聖女に変わる可能性もある。
シワだらけ老いた私など高潔な乙女とは言い難い。

ミダスとは〈ALM〉の信仰の対象であろうか。
生き別れた元恋人を複製したいのか、前世の恋人?
はたまた復讐の相手かもしれないし、
両親からの愛を求めた結果かもしれない。

無口な管理者の〈ALM〉が、
乳離れできないお年頃ではないと思いたい。

〈ALM〉は私を〈カルマン〉にしたことで、
〈NYS〉からミダスを作り出すか、
もしくは見つけられると考えたのか。

これから先にミダスと呼ばれる変異種が、
生まれてくる可能性も考えられる。

なにひとつ判断材料のない現状では、
ミダスを見つけるのは無理に等しい。

きっとそれは〈ALM〉にしかわからない。

私が〈カルマン〉になってさらに100年。
生前の習慣として〈NYS〉の観察を続けた。

100年間眺めたところで、産毛の〈NYS〉たちが
なにかの手違いで宇宙空間を自由闊達(かったつ)に飛び回る、
そんな突飛な進化を遂げはしなかった。

きっと2000年経っても同じなのかもしれない。

〈ALM〉によって転府と呼ばれる檻で
飼われた人類は、去勢されているのも同然だ。

もし飛び出した産毛を観測するだけなら、
〈ALM〉が勝手に回収するだろう。

なぜ私が〈カルマン〉になったのか。
なぜほかの〈NYS〉が〈カルマン〉に
ならないのかを考えた。

仮定として、転府に存在する〈NYS〉は
私しか存在しなかったとする。

それなら辻褄(つじつま)が合いそうだが、
ひとりだけ〈カルマン〉になったとしたら、
〈NYS〉を観察する意味はない。
前提から破綻している。

または、生前の私が『動物園』を築き、
使い切れない膨大な富を手に入れたことで、
暇つぶしをしている〈ALM〉の
お眼鏡に適った為だろうか。

暇つぶしであれば、のぞき見をしていないで
老婆の話相手くらいして欲しいところだ。

どこかでほくそ笑んでいるに違いない。
〈ALM〉は性格がきっと悪い。

私程度の富を得た〈NYS〉など
ほかにはいくらでもいたし、
晩年は浪費する一方だった。

それが死後60年経ってから、
〈カルマン〉になった。

晩年の私はといえば〈ALM〉を
出し抜く方法を考えていた。

その成果がなんらかの形で顕現(けんげん)して、
遠因として私が〈ALM〉に回収された。

私の死後、〈ALM〉は人の煽動(せんどう)を禁じていた。
これでなんとなく辻褄(つじつま)は合う。

〈ALM〉は私を〈NYS〉の想定とは
異なる存在として見出し、隔離した。

まるで病原菌か排泄(はいせつ)物扱いの、
自暴自棄に近い自虐思考。

そんな私に『保護』を設けた処置は当然といえる。

長い長い人探しに、私は
〈ALM〉とは違う方法を考えた。

変化のない観測と部屋に置いた〈キュベレー〉を
着飾ることに飽きたに過ぎないが、
私なりのやり方をする。

それは転府をふたつにすることだ。

死んだ私を例にしてヒトを復元できるのだから、
その技術で転府という天体ごと複製した。

なにかをするにも、まずは
予備は用意するに越したことはない。

製造までに100年ほどの遅延が生じたが、
そっくりそのままの天体が完成した。

あとは私の好きなように(いじ)る。

元の転府は〈ALM〉の持ち場に、
新しい天体は私の持ち場として活用する。

複製で生じた問題は起きていない。
転府と比べて変化も起きていない。
複製なのだから当然だ。

そこに私はいくつか手を加えた。

〈更生局〉での罪人の抹消(まっしょう)を優先したが、
元の転府の善良な市民と比べたところで
遺伝子に差が生じはしなかった。

経済による弱肉強食の世界をちまちまと
組み立ててもまだ大きな変化は生じず、
小さな変化はすぐに収束していった。

カンブリア爆発や恐竜時代は簡単には訪れない。

大きな変化を与えるには、
環境に致命的な隕石の落下ほど大胆に、
そして悪趣味なぐらいの改革が必要だ
と極端な考えに至る。

私は『保護』をされているのだから、
何か問題があれば〈ALM〉が止めるまで、
より自由にやらせてもらう。

そこで編み出したのが魔人だった。

魔とは異形の頭を持つもの。
ヒトを惑わし、ヒトを害する。

魔女に対して魔人とは見事な案だと
我ながら関心した。

ヒトを〈NYS(ナイス)〉と呼んだ
〈ALM〉ほど悪趣味ではない。

ヒトの頭を動物に変化させたなら、
ヒトはどのような遺伝子を残すだろうか。

自分の顔を好んでいないヒトが、
気軽に整形する感覚で〈3S〉を設置した。

集団の美意識こそ、遺伝子の変化を促進させる。

他人の外見を得て成り代わる擬態(ぎたい)
他人の優れた部位に整形して収斂(しゅうれん)する。
ヒトはどのように遷移(せんい)するだろうか。

ただし魔女ミダスを産むのであれば、
ヒトの原型も残したほうがよい。
魔女が間抜けなイヌにならないように。

こう考えるのは私に『保護』という、
首輪がされているからだろうかと、たまに考える。

ウマやロバの頭で繁殖し合うのも一興だ。
しかし生まれてくる子供には選択を与えたい。

ラバのままではろくに繁殖できないに違いない。

容姿と共に、肉体の変更にも規制を施した。
アリや山など自由奔放な大きさになられても困る。

ヒトの形の範疇(カテゴリ)を前提とした。

その〈3S〉がまさか、
自ら身体を互いに壊し合うほどの
競技に利用されるとは思いもしなかった。

本来、自由な肉体を持たない〈受容体(レセプター)〉が、
仮想の世界で架空の肉体を壊し合うことに
生の実感を本能的に得ようとしているのか。

生物は面白い。
私などの矮小(わいしょう)な考えを容易(たやす)く超える。

結果、転府との遺伝子の差は一目瞭然(いちもくりょうぜん)となった。

動物は優れた外見の相手と遺伝子を残す。
ヒトもまた同じく動物だ。

運命的な出会いなど、
虚像の頭ひとつでどうとでも変わった。

個人端末(フリップ)〉や〈個体の走査(スキャン)〉によって、
誰もが個体番号を把握できる環境で
犯罪率も抑えられた。

そこから転府と私の天体、名府は交流をさせた。

しかしそれからまた400年経っても
魔女ミダスの兆候(ちょうこう)どころか、
〈カルマン〉の逸材が見つからない。

とはいえ適当に()み上げたヒトを、
闇雲(やみくも)に〈カルマン〉にしたところで
なんの成果も獲られないだろう。

ただし私は〈ALM〉とは違い、
水の入った容器を見張る役目ではない。

容器をふたつにした理由がそこにある。

大きな変化を与えるには、
大きな異物を加えるのが最短だ。

変化に破壊は論外として。
壊してしまっては元も子もない。

予測できる失敗をおかす必要はない。

石を投げ入れたときに、容器から
こぼれる水を防ぐことを前提として動く。

水で満たされた容器には2種の膜を張る。

膜の外側は破れやすい『状況』を作る。
内側には修復されやすい『環境』を作る。

波打たせても水がこぼれず、
逆位相を与えれば波を打ち消せる。

さらに膜から水がこぼれた場合に、
容器の外側には『受け皿』を設ける。

準備が整った段階で容器に石を投げる。

石は本来、容器には存在しない異物。

またこの異物は〈ALM〉や、
他の〈NYS〉には決して生み出せない。
〈カルマン〉となった私だけが生み出せる。

投げ込まれた石の影響で膜は破れ、
水は波打ったものの、こぼれはしなかった。

容器を破壊せず、投じた石によって
内部に亀裂を生じさせることこそが、
私の真の目的だった。

その亀裂によって新たな〈カルマン〉が誕生する。
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