第4話

文字数 2,645文字

 受話器から聞こえてきたのは失笑、いや嘲笑とでもいうべき笑い声だった。
「いやいやこれは失敬。よろしいですか、一旦冷静になってよく考えてみてくださいよ。芸能人の誰かが自分に似ていると言って肖像権の侵害を訴えるのってナンセンスだとお思いになりませんか? あなたそれがわからないような人ではないのでしょ?」
「だから、似ているとかじゃなくて同じだと言ってるんです。公開されてるプロフィールも同じなんだ。顔も声も同じだし。同じでしょ声。おたくで扱ってる俳優なんだからわかるでしょ。わたしおたくの茅ヶ崎時夫さんと同じ声でしょ?」
「たしかに似てはいますね。でもまったく同じってことはありませんよね。ものまねの人だってそっくりな声出せたりしますけど、電話口で聞いてそっくりだからって本人だって話にはなりませんよね。あなた、ご自身のおっしゃってることが極めてナンセンスだってことに気づいていらっしゃいますか? 芸能人の誰それに似てるとかいう話は方々に溢れてますでしょ。大部分はそもそも似てすらいなくて笑っちゃうような話なんですけど。わたし誰それに似てるんだあとかいううすら寒い話はあちこちで聞きますよね。どの顔でそういうことをおっしゃいますかあなたっていうようなね。溢れてますでしょ。出歯亀みたいな顔で容姿端麗な女優に似てるとか言ったりね。あなた鏡見たことないんですかというような。そういう身の程知らずは掃いて捨てるほどいますけどね、それで肖像権の侵害を訴えるなんていう気ちがい、おっと失礼、ええと変わった人はちょっと聞いたことがありませんよ。プロフィールが同じだとおっしゃいました? 何が同じなんです? 生年月日と血液型、それに出身大学ですか? ああ、あと身長と体重? あなた鎮鉾大学の情報学部って何人いるかご存じですか? ご存じですよね、通っていらしたんですから。そこにまったく同じ誕生日で同じような背格好の二人が在籍するなんてこと、たしかに確率は低いですがそれほどありえないような数字じゃありませんよ。だって365人いたら全員違う誕生日になるほうが確率低いんですよ。300人もいれば同じ学年に生年月日が一致する人はいる方が自然です。まして血液型なんて数えるぐらいしかないんだから同じだからってどうということもないでしょう」
「そりゃひとつひとつの確率はそうですよ。でもそれ全部が一致する確率は低いでしょ。そんなことはありえないと言ってるんです。その上顔と声まで同じなんてこと考えられますか。わかりますか。これだけの項目がみんな一致するってことは確率がどうこうっていう次元の話ではありませんよと申し上げているんです。茅ヶ崎時夫っていう俳優は実在しないんだ。あれは精巧なCGなんです。わたしを盗撮して作り出したデジタルヒューマンなんだ。そうでしょう?」
「ご高説は大変面白いんですけどね。映画のあのシーンがCGだっていう指摘ならわかりますけどそもそも存在しなくてCGだけだなんてあなた、そんな突拍子もないことをよく思いつきますね。それこそ人格の否定じゃないですか。ある人物が実在しないと主張するのは名誉棄損かなんかに問われるんじゃないですか? それにあなた、どこの誰だか知りませんが、あなた不法にCG化されるようななにか特殊な方なんですか? ちょっと私にはただの被害妄想にしか聞こえないんですよね。いいですか。茅ヶ崎時夫はですね、尾仁社が出している「ミドル・ダンディズム」という雑誌の企画に読者枠で応募してきたのをきっかけにモデルデビューした、いわば読モなんですよ。読者モデル。わかります? それをうちがマネジメント契約を結んでボイストレーニングやら芝居の稽古やらをしてね。身体もすこし鍛えさせて、それで映画に出してるんですよ。しっかりうちでもコストをかけて育ててるんです。あなたと同じですか? 違うでしょう?」
「まったく埒が明かないな。話にならない」
「お言葉ですけども、私どももまったく同じ感想です。埒が明かないし話になりません。もしあなたがうちのタレントとそっくりだとしてですよ、肖像権を云々するのであれば、こちらからも同じ理由で肖像権の侵害を訴えることだってできそうなものじゃありませんか? あなたと茅ヶ崎時夫がそっくりだとして、どうしてあなたの方がオリジナルだってことになるんです? あなたのほうが茅ヶ崎時夫のパクりだってこちらから訴えたらどうするんです。あなた本気でそんなことをおっしゃってるんですか? まあこうした芸能事務所などでタレントのマネジメントなどをしていますとね、わけのわからないのから電話がかかってくることは日常茶飯事なんですよ。あなたはどうもそういうあんぽんたんとは違うようだからこちらもここまで丁寧に対応させていただきましたけどね、これ以上押し問答を続けても堂々巡りですから、切らせていただきますよ。よろしいですね?」
 おれは歯切れの悪い相槌を打つよりなく、電話は切られた。おれからすればおれの主張は完全に正しく、どこにも穴など無いのだ。でもそこには客観性がまったくない。おまえの戯言であり言いがかりであると言われると反論する手段がない。まったく同じ人間が二人いることはありえないけれど、どこまでもそっくりな人間なら存在する可能性はある。その場合たしかにどちらがオリジナルだなんて話はできない。もし逆に茅ヶ崎時夫がおれを訴えてきたら。おまえは偽物だと言ってきたとしたら。もちろんおれは、そんなものは言いがかりだとしてはねつけるだろう。やはりここはなんとかして茅ヶ崎時夫が実体のないデジタルヒューマンであることを暴き出さねばならない。それさえ証明することができれば、あれを作った連中を訴えることができるはずだ。しかしその証明は難しい。実在することを証明するのであれば本人を見つけさえすればいいのだから簡単だが、実在しないことを証明するのは困難だ。おれは立ち上がって部屋の中をうろうろと歩き回った。いまいましい。あのなんだかポテンツみたいな名前の事務所を黙らせるような復讐をしなければ気が済まない。狭い部屋をうろつきまわったり座ったり立ち上がったりを繰り返しているうちに夜がやってくる。もはや仕事もプライベートもなにも手につかない。どうやって茅ヶ崎時夫を引きずり下ろすかを考えながら眠りにつき、目覚めてはその可能性の薄さに絶望する。おれは文字通り生活のすべてを茅ヶ崎時夫に奪われていた。
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