第19話

文字数 1,283文字


 その情景は情緒的で、いっそ神妙ですらあった…──。

 雨雫の滴る(やしろ)の前の空間に淡い光が灯ったように感じた。
 浩太がそちらを見やると、視界の中、奥宮の神域を一匹の獣が横切っていった。
 獣──遠目にも(つや)やかな毛並みを雨に濡らしているのは、大きく美しい狐だった。

 そして、その超然とした狐の周囲には青白い燐光が付かず離れずに漂っていて、周囲を淡く照らしていたのが不思議だった…──。

 浩太が息を呑んで見守る中、その美しい狐は、人の姿へと変化(へんげ)していく……。

    *  *

 お(やしろ)の前まで来てお供え物と小袖の着物の入ったトートを置くと、わたし()は人の姿へと変化した──。

 一糸纏わぬ姿になって、お社の前に(つくば)った姿を現す…──さすがにこの瞬間は恥ずかしい。
 それでも、お供えは人の姿で捧げたかったし、この奥宮に〝他の人の目〟があるはずなかった。
 だからわたしは、必要以上の警戒はしなかった。

 立ち上がるとすぐにトートの中の小袖に伸ばしかけた手を止めた。
 もうだいぶ強くなっていた雨に袖を通そうか迷った末、結局、一時のあいだ雨を避けることにして、周囲を見回す。
 ご神木の(うろ)が目に入った。
 わたしは、トートで胸元を隠すようにして、その木の洞まで駆けだした──。

    *  *

 俺は(浩太)、視線の先で獣が人に変わっていく(さま)…──それは何とも夢幻的で、美しいと感じた──を見た次の瞬間には、視線を外して洞の奥へと退いていた。

 目ので起きた現象(こと)に頭の中が混乱する。

 ──なんで……。
 いったい……どういう──。

 樹皮の壁に身を隠した。
 本能的に息をひそめたが、もう無駄なのは判っていた──。

    *  *

 わたし()は、数歩で駆け出した足を止めた。
 呆然とする。

「──嘘……」
 何が起こっているのかわからない……。足が震えた。
「……葉山くん……なんで?」
 声が震えてしまった。──何で彼がいるの……。

 ここからご神木の内部(なか)は見えない。
 でも、気配で〝彼の居ること〟は判った。
 わたしは、身体を小さくして、そのまま固まってしまう。
 胸元の小さなトートが心許なくて、泣きたくなってしまう。


 わたしの操る狐火の淡い光のもとに、葉山くんが観念するように出てくる。
 すると、彼の目の中に、得体の知れないものに対する怯えの色を、確かに感じた気がした……。

 ──見られた……! そう、実感した。

 わたしはその場を逃げ出した。

 ──見られた……葉山くんに。コウちゃんに、見られた。何で……何で? ……どうして!

 動揺し、混乱したわたしは、後も見ずに山へと駆け込んだ。


    *  *

 浩太の目の前から茜は消えた──。
 そして浩太は記憶を取り戻した……。

 美しい狐へと変化(へんげ)して背後の山へと駆け込んでいく彼女の後ろ姿を見送った時──いや、彼女が背を向けるほんの一瞬前になって──

 浩太は思い出していた(ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ)


 置き去りになった彼女のトートバッグを、雨で湿った土の上から拾い上げる。
 茜の行き先は、たぶんわかっていた。

 すぐにも行ってやりたい。
 けれど、その前に決着をつけておく必要がある……。

 浩太は、山を下り始めた──。
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