第2話:大学生活、パソコンソフト、バブルと崩壊

文字数 2,044文字

 1989年1月7日、昭和天皇が病気のため崩御。翌8日、昭和「1926~1989」から平成へ改元された。1989年1月に千葉裕一は、一橋大学を受験して落ちた。しかし、明治大学経済学部を受験して合格した。同じ頃、弟の千葉末吉も県立茂原高校を受検して合格した。そして家から成東駅まで自転車で行き電車で茂原駅まで合計1時間かけて通い始めた。千葉裕一の方は、神田のワンルームマンションに引っ越した。

 そして、明治大学の運動クラブ活動の勧誘を断り、経済研究会と言う同好会に入会した。そこで、為替、金「ゴールド」、原油などの商品、優良株選んでのまとめたファンド「投資信託」、優良株の束、エスアンドピー500、ナスダック100、ダウ300、株価指数などを学んだ。千葉裕一は、経済研究会で同期の益山明美、横峰桜子さんと角田義人の4人で親しくなり今後の夢を語りあった。

 しかし、益山明美は、上野の老舗質店の長女で実家を継いで欲しいと言われており悩んでいた。横峰桜子さんの父は、有名な火災保険会社のセールスマン。角田義人の実家は、下町の不動産屋をしていて景気が良い時代で3つの地区に事務所を構えていたので角田義人は、大学卒業後、その中の1店で働くことになっていた。そのため、将来どうするか決めかねていたのは、最終的に千葉裕一だけだった。

 ところが、この4人が全員で行動したのも半年足らずであった。益山明美は、積極的に千葉裕一を誘って映画を見たり、銀座で食事したり買い物に誘ったりして親しくなった。その後、益山明美は、千葉裕一を実家の質屋に連れて行くようになり益山明美さんのご両親、益山金吉さんと友恵さんと親しくなった。千葉裕一は、ソロバンが小さい頃から得意で1級の資格を取得。さらに1983年にNECのPC9800と言うパソコンを購入し使い始めた。

 その中でも「マルチプラン・バージョン2」が日本マイクロソフトから1986年に新発売された。それ以降、マルチプランと言う表集計計算ソフトを使った。それを知った益山金吉さんが驚いた。千葉裕一は、さらに日本語変換ソフトにも興味を持った。1985年、JX-WORD太郎から半年を経て、ジャストシステムは一太郎を新発売。一太郎のかな漢字変換部はATOK4と呼ばれていたが一太郎から切り放され独立して使うことができた。

 これが、本格的、日本語入力FEPとしてのATOKの登場である。1986年、一太郎Ver2の登場とともにATOKもバージョンアップされてATOK5となる。一太郎上のみという制限はあったがATOK5は変換操作を不要にする自動変換と言う画期的な機能を搭載していた。益山金吉さんもパソコンに興味を持ちPC9800を買ったが、遂に使いこなせなかった。この話を聞き益山金吉さんは、千葉裕一に興味を持ち始めた。

 そして、事ある毎に益山明美さんに千葉裕一君を誘ってくれと言い参加させてもらった。そして、質屋の仕事について益山さんが説明すると千葉裕一が実に合理的で儲かりますねと理解した。同じ頃、角田義人も話し上手な横峰桜子さんとデートを重ねていた。角田の父のスカイライン2000GTで夏は、富士山、伊豆、箱根に観光に出かけた。そして、冬は、松本、長野、新潟へスキーに出かけた。

1989年10月31日、三菱地所がアメリカのロックフェラー・センターを買収。この年は、日本はバブル時代の絶頂期でアメリカの有力な企業や象徴的に建物までも買収した。それに対し、米国は、日本のこの一連の行動に対してエコノミックアニマルと激しく非難した。こうして2つのカップルができあがった。千葉末吉も兄から投資の話を聞き興味を持った。

 その後、1989年11月4日、オウム真理教問題を追及していた弁護士の坂本堤とその一家がオウム真理教幹部により殺害される事件が起こった。12月29日、日経平均株価が史上最高値38915円を記録した。こうして1990年を迎えた。1月12日、礼宮文仁親王、川嶋紀子が結婚。秋篠宮家を創設した。1990年2月18日、第39回衆議院議員、総選挙が開票され、自民党が単独過半数を維持した。

 11月12日、明仁天皇の即位の礼が挙行された。11月21日、任天堂の家庭用ゲーム機「スーパーファミコン」が新発売され、飛ぶように売れた。この年、大蔵省「土地関連融資の抑制について」総量規制を通達して日本は、バブル経済から真っ逆さまに落ちて行き、経済が落ち込み始めた。1991年が明け、4月1日、丸の内から新宿副都心へ東京都庁舎が移転した。

 6月3日、熊本県の雲仙普賢岳の噴火の火砕流で死者行方不明者43名を出した。その後、千葉末吉は、千葉県立茂原高校に3年間通い続けを卒業した。その後、1992年1月に千葉大経済学部を受検し合格。千葉末吉は、大学のクラブ活動の勧誘を断り千葉大学の経済研究会に入会した。1992年1月26日、大相撲で貴花田光司が19歳5か月の最年少幕内優勝を飾る。
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