第2話
文字数 2,100文字
「……で、ようやくファミレス見つけた! と思ったら、横から始発電車通り過ぎていった時のやるせなさよ」
「この話もう四回目だぞ。しつこい」
「でもさあ」
「うるさい。黙れ」
一口あおると、帯本 はジョッキをコースターにどんと置いた。
「いつまで無駄な時間を過ごすつもりだ。この比類なき阿呆め」
彼の口癖に、おれは肩をすくめる。
大学の同輩である帯本と、今日は呑みにきていた。学部は違うが、たまにこうして酒を酌み交わす仲である。
どうして知り合ったかといえば、帯本の話を小耳に挟んだからだ。いわく、並行処理のプロがいる、と。よくわからなかったが、たまたま食堂にいるというので見に行ってみて驚いた。
右手で携帯電話をいじりながら左手でコーヒーを嗜み、イヤホンでラジオを聞きながらテーブルに置いた新聞を読んでいたのだ。さらによく見ると足でリズムを刻んでいた。有線放送で好みの曲でも流れていたのだろうか。とかく、おれには真似できない芸当だった。
皆が遠巻きに見て近寄ろうとしない中、おれが声をかけたのは何故だったか。たぶん、あまりに自分と違いすぎて気になったのだろう。
「忙しそうだね」
「この方が時間効率がいいからな」
その時の真面目顔を、時々思い出し笑いする。リズムは関係ないだろと。
実際しゃべるようになってわかったが、極端な合理主義というだけで、帯本は冷血なわけじゃない。初めて件の日の話をした際には「それは理不尽な仕打ちを受けたな」と、気遣ってくれたものだ。今にして思えば自業自得な面もあるのに、そこは触れなかった。そして人と話す時は並行動作をやめる。無駄なことをしないと決めてるだけで、根はいい奴なんだと思う。
でも、おれは甘えすぎたようだ。酔っ払ってその度に管を巻かれては、いい加減腹に据えかねるものがあったに違いない。この呑み会以後、帯本からの連絡はぱったり途絶えてしまった。
一個人がいくらへこたれていようと、夏の日差しは容赦なく降り注ぐ。朝方、寝苦しさに目を覚ますと扇風機のタイマーが切れていたので再起動し、二度寝を決め込んだおれは昼前にようやく寝床から這い出した。水道水を一杯飲み、腹の足しにと冷蔵庫を開ける。
中にはバター! そしてマーガリンッ! が入っていた。
……一体どっちをどっちにつけるというのか、メインディッシュの座をどちらが拝命するのか。血で血を洗う戦いになるのは必定。もはや和解の道などない。正々堂々、純粋な罵り合いで雌雄を決することにしよう。
というのはさすがに忍びないので、そっと扉を閉めた。
ため息が漏れる。深刻な物資不足はともかく、無理に気持ちを高めようとしたところで逆効果だ。数ヶ月経ってもわだかまりは消えない。結局おれは、何一つ前に進めていなかった。
だらだらと着替え、アパートを出た。
コンビニで食料品コーナーを物色する。といってもコンビニはちょっとお高いので、あまり選択肢はない。歩いて十五分くらいのところに業務用スーパーはあるが、行く気が起きない。
仕方なくおれは二百九十八円の鶏丼を選んだ。味付けは濃い目だが、少量ながら野菜も載っており、やたらコストパフォーマンスがいい。週に二度は食べている。若干飽きてきているが、所詮学生なので贅沢は言えぬ。
そうだ、今日はバター足してみよう。マーガリン卿には悪いが、今回はバター公の汎用性に軍配が上がったということで。
会計を済ませ、アパートまでの道すがら、ふと自動販売機が目に入った。そういえば飲み物買うの忘れた、と。
水道水で充分じゃないのか? 買ってしまったらケチって鶏丼を選択した意味がなくなるぞ。いや待て、逆に節約したからこそジュースを買う余裕が生まれたとも言える。そこそこの田舎から上京してきたせいか、どうも都会の水道水というのはカルキ臭くてかなわん。さっき飲まなかったか? それはそれ。健康に害はなくとも、できれば気分的には避けたいものだ。むう、致し方あるまい。ならば許可しよう。
ちょっとした葛藤を乗り越え、小銭を投入したおれは、ざっと見渡してから炭酸飲料にすることにした。
ふいに妙な感覚が襲った。
ボタンを押そうとして伸ばした指が遠ざかっていく。これは一体どうしたことか。おれの意思とは無関係に、身体ごと、距離が開いていく。
いや、違う、これは。
両脇から生えてきた腕にがっちり押さえ込まれ、身動きが取れない。後ろにいるのは相当に屈強な人物らしく、おれの足は宙に浮いてすらいる。
「誰だ!」
ぎりぎりまで首を旋回して誰何した途端、おれは「うっ」と言葉に詰まった。無機質な瞳、民族めいた紋様、ぼうっと開いた口が描かれ、日差しにぬらりと光る木の肌。その人物は、白いハニワのお面をしていたのだ。
狼狽しながらも、おれはじたばたともがいた。しかしほとんど効果がない。と、その時小型のバスらしき車両がゆっくり横切った。
藁にもすがる思いでおれは叫んだ。
「助けてください! 捕まってるんです!」
声を振り絞った甲斐あってかバスは止まった。ところが安堵など束の間、出てきたのは黒いハニワのお面をした男だった。
お呼びでない!
「この話もう四回目だぞ。しつこい」
「でもさあ」
「うるさい。黙れ」
一口あおると、
「いつまで無駄な時間を過ごすつもりだ。この比類なき阿呆め」
彼の口癖に、おれは肩をすくめる。
大学の同輩である帯本と、今日は呑みにきていた。学部は違うが、たまにこうして酒を酌み交わす仲である。
どうして知り合ったかといえば、帯本の話を小耳に挟んだからだ。いわく、並行処理のプロがいる、と。よくわからなかったが、たまたま食堂にいるというので見に行ってみて驚いた。
右手で携帯電話をいじりながら左手でコーヒーを嗜み、イヤホンでラジオを聞きながらテーブルに置いた新聞を読んでいたのだ。さらによく見ると足でリズムを刻んでいた。有線放送で好みの曲でも流れていたのだろうか。とかく、おれには真似できない芸当だった。
皆が遠巻きに見て近寄ろうとしない中、おれが声をかけたのは何故だったか。たぶん、あまりに自分と違いすぎて気になったのだろう。
「忙しそうだね」
「この方が時間効率がいいからな」
その時の真面目顔を、時々思い出し笑いする。リズムは関係ないだろと。
実際しゃべるようになってわかったが、極端な合理主義というだけで、帯本は冷血なわけじゃない。初めて件の日の話をした際には「それは理不尽な仕打ちを受けたな」と、気遣ってくれたものだ。今にして思えば自業自得な面もあるのに、そこは触れなかった。そして人と話す時は並行動作をやめる。無駄なことをしないと決めてるだけで、根はいい奴なんだと思う。
でも、おれは甘えすぎたようだ。酔っ払ってその度に管を巻かれては、いい加減腹に据えかねるものがあったに違いない。この呑み会以後、帯本からの連絡はぱったり途絶えてしまった。
一個人がいくらへこたれていようと、夏の日差しは容赦なく降り注ぐ。朝方、寝苦しさに目を覚ますと扇風機のタイマーが切れていたので再起動し、二度寝を決め込んだおれは昼前にようやく寝床から這い出した。水道水を一杯飲み、腹の足しにと冷蔵庫を開ける。
中にはバター! そしてマーガリンッ! が入っていた。
……一体どっちをどっちにつけるというのか、メインディッシュの座をどちらが拝命するのか。血で血を洗う戦いになるのは必定。もはや和解の道などない。正々堂々、純粋な罵り合いで雌雄を決することにしよう。
というのはさすがに忍びないので、そっと扉を閉めた。
ため息が漏れる。深刻な物資不足はともかく、無理に気持ちを高めようとしたところで逆効果だ。数ヶ月経ってもわだかまりは消えない。結局おれは、何一つ前に進めていなかった。
だらだらと着替え、アパートを出た。
コンビニで食料品コーナーを物色する。といってもコンビニはちょっとお高いので、あまり選択肢はない。歩いて十五分くらいのところに業務用スーパーはあるが、行く気が起きない。
仕方なくおれは二百九十八円の鶏丼を選んだ。味付けは濃い目だが、少量ながら野菜も載っており、やたらコストパフォーマンスがいい。週に二度は食べている。若干飽きてきているが、所詮学生なので贅沢は言えぬ。
そうだ、今日はバター足してみよう。マーガリン卿には悪いが、今回はバター公の汎用性に軍配が上がったということで。
会計を済ませ、アパートまでの道すがら、ふと自動販売機が目に入った。そういえば飲み物買うの忘れた、と。
水道水で充分じゃないのか? 買ってしまったらケチって鶏丼を選択した意味がなくなるぞ。いや待て、逆に節約したからこそジュースを買う余裕が生まれたとも言える。そこそこの田舎から上京してきたせいか、どうも都会の水道水というのはカルキ臭くてかなわん。さっき飲まなかったか? それはそれ。健康に害はなくとも、できれば気分的には避けたいものだ。むう、致し方あるまい。ならば許可しよう。
ちょっとした葛藤を乗り越え、小銭を投入したおれは、ざっと見渡してから炭酸飲料にすることにした。
ふいに妙な感覚が襲った。
ボタンを押そうとして伸ばした指が遠ざかっていく。これは一体どうしたことか。おれの意思とは無関係に、身体ごと、距離が開いていく。
いや、違う、これは。
両脇から生えてきた腕にがっちり押さえ込まれ、身動きが取れない。後ろにいるのは相当に屈強な人物らしく、おれの足は宙に浮いてすらいる。
「誰だ!」
ぎりぎりまで首を旋回して誰何した途端、おれは「うっ」と言葉に詰まった。無機質な瞳、民族めいた紋様、ぼうっと開いた口が描かれ、日差しにぬらりと光る木の肌。その人物は、白いハニワのお面をしていたのだ。
狼狽しながらも、おれはじたばたともがいた。しかしほとんど効果がない。と、その時小型のバスらしき車両がゆっくり横切った。
藁にもすがる思いでおれは叫んだ。
「助けてください! 捕まってるんです!」
声を振り絞った甲斐あってかバスは止まった。ところが安堵など束の間、出てきたのは黒いハニワのお面をした男だった。
お呼びでない!