アマノとジャク

文字数 3,925文字

 本当は『すずめ』にして欲しかった。
 麻雀で生計を立てようとして何度も何度も失敗した父親が名づけ親だった。

「麻雀の『雀』だから『ジャン』に決まってんだろ」
「孔雀の『雀』だから『ジャク』でしょうよ」

 父親と母親の間で大喧嘩になって、女には絶対に手をあげなかった父親と母親が酒で勝負した結果、私の名前は『ジャク』になった。
 当時、母親は小さなスナックを経営していた。

 ギャンブラーの父親とスナックのママの母親の元で大きくなったけれど、特に道は外れなかった。
 でも、勤め人にはなりたいなと漠然と思っていたので、勉強も人付き合いもそこそこやりながら大人になった。
 希望通り、大手の食品会社に入れた時には、ほっとした。
 よくある苗字だったので子供の頃からずっと『ジャク』と呼ばれていたけれど、会社に入ってからもそれは変わらなかった。

 同期には、天野という驚くほど仕事の出来る女がいた。
 同じ営業部の配属で、同じ年で、同じ女で、同じ誕生日という不思議な縁だった。
 違っていたのは、私の仕事はそこそこで、天野の仕事はバリバリだったことだ。

「『アマノ』と『ジャク』で『天邪鬼』ってチームでも作れよ」

 そう言って冗談交じりにチームにされた。
 そして、私たちのチームは新人なのに驚異的な営業成績を叩き出した。
 しばらくして、私は総務部に移り、天野は企画部に引き抜かれていった。
 所属部署が離れても、天野とは仲がよかった。
 なんだかんだとご飯を食べたし、なんだかんだとよく飲んだ。
 シンプルに言えば、気が合ったのだと思う。
 そして、気がつけば、二人とも独身で二十代と三十代を過ごし、三十代最後の年になっていた。


「新しいプロジェクトの責任者になった」

 天野が言った。
 私は、天野が買ったマンションのリビングで缶チューハイを飲みながら彼女の顔を見た。
 彼女は企画部から商品開発部に異動になったばかりだった。

「嬉しそうに見えないけど」
「嬉しいけど、ちょっと不安かな」
「天野でも、そんな風になるんだね」

 強い彼女しか知らないわけではなかったけれど、からかってみた。
 天野の表情は明るくならなかった。

「何か私にできることある?」
「ある」
「なに?」
「ジャク、お願い。プロジェクトのメンバーとして入って」
「ずっと総務にいた人間にできることなんてあるの?」
「作るから」

 天野の顔は真剣だった。

「作るって、また無茶を」
「もう、総務部長には話、通してあるから」
「私、退路なしなの?」
「そう」

 私は思わず笑ってしまう。
 新入社員時代、配属された営業部で『チーム天邪鬼』だった時のことを思い出す。
 周到な準備と着実に作っていく人脈で、交渉相手の逃げ道を笑顔で封じていく彼女の営業スタイルを思い出した。
 私はそんな彼女の働きぶりを見ながら「ああ、こいつは出世するなあ」と、ぼんやり思った。
 実際に、天野は男女問わず同期の誰よりも早く出世している。

「また、ジャクと『チーム天邪鬼』やりたいんだけど」
「わかったよ」
「ありがとう」

 私は、すっかり酔いが醒めた頭で、商品開発部って何を着て行ったらいいんだろうと考えていた。


    *


 輝かしい仕事ぶりで、入社してから目立ちっぱなしの天野に比べ、私は出世から外れた地味な社員だったので、プロジェクト内の若手に舐められるのは早かった。
 あからさまにバカにされたりはしなかったけれど、天野と同じ態度で接する必要はないと思われているのは、何となく肌で感じていた。
 同期とはいえ、プロジェクトの責任者とただのメンバーなのだから当たり前と言えば当たり前だった。
 初めての業務ばかりで分からないことも多かった。
 若いメンバーに質問に行くと、あしらわれることもあった。
 デスクまで行っても、パソコンの画面から目を離さない人もいた。

 そんな中、一人だけ優しい人がいた。
 入社二年目の赤坂さんという女性だった。
 彼女は私がデスクまで行くと、そっと立ち上がってくれた。
 それだけで、ほっとした。
 質問も、あしらうことなく丁寧に答えてくれて助かった。
 気付いたら、彼女と話すのが楽しみになっていた。
 朝起きて、鏡を見る時、肌の状態を気にするようになった。
 カーディガンの小さな毛玉を気にするようになった。
 美容院に行く頻度が上がった。
 私は明らかに彼女を意識して身なりに気をつかうようになっていた。


 ある日、出先から戻ってくるとプロジェクトルームで赤坂さんが泣いていた。
 他のメンバーは天野の指示を受けて動き始めている。
 私は黙って様子を伺った。
 何かの不備が起きて、それをリカバーしようと動き出したことは何となく分かった。
 泣いている赤坂さんの様子から、失敗したのが彼女らしいということも分かる。

「赤坂は、しばらく小会議室に行ってて」

 天野が赤坂さんの背中に鋭く言い放った。
 赤坂さんは頭を下げて部屋を出て行った。
 天野は私を見つけるとジャケットのポケットから小銭入れを取り出し、私に投げてきた。

「ジャク、赤坂にココア飲ませといて。あったかい方ね」
「了解」

 私は彼女の小銭入れを持って部屋を出た。


 休憩室に設置してある自動販売機でココアを買ってから小会議室に向かった。
 ノックして部屋に入ると、テーブルに突っ伏していた赤坂さんが顔を上げた。
 涙は止まってないようだった。

「駄目ですね、私」

 赤坂さんが、ぼそっと言った。
 私は彼女にココアの缶を渡しながら、彼女の隣の席に座った。

「これ、天野のおごりだから」
「え? リーダーからですか?」
「そう」

 赤坂さんは、両手でココアの缶を包み込んだ。
 また泣きそうになっている。
 でもたぶん、これは悔しいのではなく、嬉しいのだと思う。

「天野ってね、昔から格好いいのよ」
「そんな感じがします」

 赤坂さんは缶のふたを開けようとしながら言った。
 彼女の爪先は短く切り揃えられていて、ふたが空けにくいように見えた。

「天野とは同期でね、新人時代にも今日と同じようなことがあったの思い出した」

 私は彼女の手から缶を取り、ふたを開けてから返した。
 赤坂さんは「ありがとうございます」と頭を下げてココアを飲んだ。
 見るからに表情が和らぐ彼女を見て、胸の辺りがキュッとした。

「どんなことがあったのか訊いてもいいですか?」
「ん? ああ、大丈夫」

 私は少し動揺しながら話を続けた。

「同期の女の子が大失敗して泣き出した時、天野はすぐにリカバー体制に入ってね。それから私を見つけて『あの子にあったかいミルクティ飲ませといて』って自分の小銭入れを投げてきたのよ」
「へえ、格好いいですね」
「でしょう? 『なんであったかいミルクティ限定なの?』って訊いたら、『あの子、いつも飲んでるじゃない』って」
「……すごいですね」

 赤坂さんは両手で挟んでいるココアの缶を見下ろした。
 私は、しばらく彼女を見ていたけれど、ココアをよく飲んでいたことを知らなかった。
 あの時、失敗して泣き出した同期と天野が少しだけ付き合ったことを私は知っている。
 今回もきっと、私が二人の縁を結ぶのだろう。
 私は、天野の小銭入れの残額を思い出しながら、帰りに一番高い缶コーヒーを買ってやろうと考えていた。
 それくらいは許してもらいたい。
 いろんなことで彼女のアシストをしてきたのだから。

「佐藤さん」

 赤坂さんが私を見つめている。

「なに?」
「私も佐藤さんのこと、『ジャク』さんって呼んでいいですか」
「どうぞ」
「よかった。天野リーダーが『ジャク!』って呼んでいるのを見るの、すごく好きなんです」
「それって、天野が好きってこと?」

 私は、自分の退路を自分で塞いでどうするんだ、と思いながらも冗談っぽく訊いてみた。

「いえ。私もいつか呼んでみたいなって思ってました」
「ん?」

 話が予想外の方向に流れていることに気付く。

「ジャクさん」
「はい」
「私と付き合ってもらえませんか?」
「え? どこに?」
「いえ、そういう意味ではなくて」
「え? え?」

 私はあきらかに動揺していた。
 首の下あたりから、心臓がポロッと飛び出しそうだった。

「こういう意味なんですけど」

 赤坂さんが顔を近づけてくる。
 いい匂いだなと思った瞬間、キスされていた。

「もう一度言いますね」
「へ? あ、はい」
「ジャクさん、私と付き合ってもらえませんか?」
「……はい。よ、よろこんで」

 今の私、相当な間抜け面だろうなと思いながら赤坂さんを見た。
 弾けるような笑顔だった。

「私、先に部屋に戻ります。なんか、パワー全開なんで、いろいろ挽回してきますね!」

 赤坂さんは小さくガッツポーズしながら小会議室を出て行った。
 一人残された私は、心臓が早く動きすぎて吐きそうになっていた。
 ひとまず、赤坂さんが飲み残していったココアを飲み干して一息つく。
 赤坂さんがココアをよく飲んでいたことを知っているように、私が赤坂さんに惹かれていたことを、天野は気付いていたんだろうなと思った。
 私はポケットから自分の小銭入れを取り出し、中身を全部、天野の小銭入れに移した。
 プロジェクトが終わったら、改めて、天野におごろうと思いながら、私も小会議室を後にした。



<完>


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