王女ミカル(だったもの)
文字数 2,037文字
ダビデは羊たちを牧場へ導くと、大きく伸びをしてさらに言った。
戦士の長となったダビデに特別休暇が与えられたのは昨日のことであった。サウルは朝六時から深夜二時まで、うち朝八時から夕方五時までのほかは無給で福利厚生もなし、さらに宴会と運動会には強制参加という奴隷も真っ青の過重労働を課すつもりでいたが、長となった者には報奨と休暇が与えられるべきと民が訴えた。こうして民はダビデを救ったので、ダビデは一週間ぶりに寝床で睡眠をとった。
「だが忌まわしいことだ。奴らめ、落としても落としても湧いてくるとはウジか何かか※?」
※イスラエルやエジプトでもハエはものっそい湧く(実体験)。でも聖書で『むやみと湧くモノ』といえばウジの方が登場回数が多く、地獄もウジだらけということになっている。ぜったい落ちたくない。
十分な睡眠に冴えわたる頭で空を見上げ、ダビデは舌を打った。
ダビデと彼の一族が住むベツレヘムは山中ながら都エルサレムからの街道が通る町であった。今日もそうである。後に救世主が生まれるこの町の空を黒い船団が覆い尽くしたのはもう何年も前のこと。ペリシテ星人と名乗る天からの来訪者はイスラエル人を奴隷や食料として扱い、幾度にも渡って略奪を繰り返した。
幸いというべきかペリシテ星人にイスラエル人を殲滅する意思はないらしく――持続可能な資源、という概念をもたらしたのはペリシテ星人である――イスラエルはかろうじて国家としての体を保っている。
六本足に四つの眼、海洋生物を思わせるぬるりとした体表。視界の隅に現れた巨獣にダビデは立ち上がった。
ペリシテが襲来したとき、イスラエル軍は宇宙戦艦やレーザー砲を恐れ、地下に立てこもり戦った。それでペリシテは、地上の生物を囚え、生体兵器へと改造して送り出した。これが『カインの獣』である。
人々は醜い生き物たちがイスラエルの陣地と町を打つのを見た。青銅の槍で武装したイスラエル軍は敗走し、それを知った男も女も荒布※を身にまとい泣いた。
※荒布:山羊の毛などで作られる布、またはそれで作った服。人の死など深い悲しみを抱いた時に着るほか、宗教画では預言者がたまに纏っている。とてもごわごわしている。
並の兵士なら出会えば即死の生物だが、ダビデは件の戦場で両手両足の指では足りないほど倒している。ダビデは羊を下がらせ、石投げ紐に滑らかな石をつがえた。
「俺は獅子や、熊が来て、群れの羊を取って行くと、その後を追って出て、それを殺し、その口から羊を救い出した。それが襲いかかる時はひげをつかんで打ち殺した。(サムエル記Ⅰ/17章 34-36節)
『カインの獣』になった獅子や熊も案外普通に殺せたが、さて、あれは何の改造か」
ダビデを敵と認めたか、『カインの獣』はまた一声吠えて地を蹴った。その足は音速もかくや、岩を砕き風を切り、頭の鋭い角をダビデの喉元に突きつけ、そして。
ダビデの鉄拳で打ち上げ花火となった。石は投げなかった。面倒だったからである。
予想外の反撃に赤い目を白黒させながら、『カインの獣』はよろよろと立ち上がる。
どうやら一石を食らうだけでナツメヤシ色※の体液をブチまけた戦場の獣どもよりは上手らしい。それを見たダビデは、動きを鈍らせた獣の腹の下へ滑り込んだ。何の動物の改造体か知らないが、大抵の動物はそこが弱点だからである。
※イスラエルにいっぱい生えてる植物。実は食用。
見よ、獣の腹が開いている。傷によるものではなく、元より扉のように開くようにできているらしい。そこから覗くものを見た時、ダビデは服を裂いて※言った。
※服を裂いて:聖書では悲しい時や絶望した時、憤慨した時などに着ていた服を裂く。そのまま脱ぎ捨てて前述の『荒布を纏う』につなぐこともある。
獣の腹の扉を開いたそこには、おそらく改造前の姿、すなわち王女ミカルの裸体が埋め込まれていた。
「見よ、~~」
「AはBがCであるのを見た」
「さあ、●●しに行こう。××なのだから」
本文でも取り入れているこれらの書き方は、新改訳聖書によく見られるものです。スタイリッシュではないけど正確に伝わる文体ですね。正直すごく書きづらいです。