第1話

文字数 5,810文字

「いらっしゃいまブー」
 コンビニの店員が言う。正確には最後は言ったのではない。店員が不思議そうな目でこっちを見ている。
 ぼくはかまわずに雑誌コーナーに向かう。毎月買っている雑誌を手に取り、レジに向かった。
「600円になりまブー」
 ぼくは600円を払い商品を受け取る。まだ不思議そうにこちらを見ている。ぼくは顔を真っ赤にしながら、指を唇の当てて「ぷっ」と音を出した。すると店員が気の毒そうな感じで、
「ありがとうございまブッたー」
と言った。

 ぼくはコンビニを出てから心の中で悪態をついた。
 だから嫌なんだ。もうこのコンビニには入らない。これで何件目だろう。入れなくなったコンビ二は。
「ぷー」
 美女が隣を通った。ぼくは振り向きもせず、歩きはじめる。
「ブッ」
「プー」
「バホッ」
 もううんざりだ。もう外には出たくない。そんな思いを引きずりながら、家に着く。
中に入ると、万年床の布団にダイブする。なぜだろう、ぼくはなぜこんな時代に生まれてきたのだろうか。
 しばらく天井を見上げながらぼーっとしていた。そういえば雑誌買ったな。ぼくはビニール袋から雑誌を取り出す。
『おならスタイル』
 表紙にはそう書いてある。ぱらぱらページをめくった。おならがよく出るレシピ、いい音色を奏でるためには――、この夏はこの香りで決まり! 夏のおしゃれおなら。どこのページもおならおならおなら。猫も杓子もおならだ。実際猫もぷーぷーやるし、おなら機能つき杓子も売っている。なんなんだ。おならがどうだって言うんだ! しかしぼくがどう喚こうと、時代の流れをぼく一人で変られるわけがない。
 
 そう世の中はまさに大おなら時代。スマホやネットのように、おならは生活になくてはならないものとなっていた。

 ぼくは生まれつきおならができない体質だ。生まれた時医者に言われたらしい。その時母親はたいそう悲しんだという。いっそぼくと心中しようかと思ったと大きくなってから聞かされた。ぼくのその体質のせいで親同士はよく喧嘩していた。おならをこきながら。父はおならができないぼくを外に出すのを嫌がった。一時監禁のような状態になったこともある。母はそんな父からぼくを守ってくれた。心中しないと心に決め、何があっても見捨てないと心に誓ったのだそうだ。しかしそんな状態が続くとやはりと言うべきか、二人は離婚した。ぼくはというと母親のほうに引き取られた。六歳ごろのことだ。

 それから二十三年たったが、ぼくはいまだにおならをしたことがない。この二十三年でおなら時代はさらに加速して成長しているような気がする。政府もおなら事業を推進している。ぼくの居場所はますます無くなっていった。

 ぼくの日課は夜中に近くの公園を散歩することだ。昼間は人がいる。夜中にもいないことはない。だが圧倒的にひるより少ない。だからおならを聞くこともない。
 歩いているとランニングをしている男とすれ違った。すれ違いざまに、
「ボッ」
 とその男は挨拶おならをかました。ここで普通の人なら「ボッ」と似なようなおならを返す。これはおなら時代である現代の常識であり礼儀だ。ちょっと小粋な男ならそれにかぶせて「ボボッ」っとやる。しかし残念ながらぼくには両方ともできない。おならをしないぼくを不審に思いランニング男はぼくに話しかけてきた。
「なんだ君。ちょっと失礼じゃないか? ブッ こんな夜中に何しているんだ? ブッ おならもせずに」
「す、すみません。ぼくは生まれつきおならがでない体質なんです」
「そんなわけないだろぉ。ブブッ おならができなきゃこの世の中生きてきてないぞ。君いくつだ?」
「二十九です」
「ええ! 二十九!ブピー そんな歳までおならのひとつもしたことがないって。まあ体質ならしょうがないけど。ちゃんと病院行きなよ!ビビッ」
 ランニング男はそう言うと、そのまま走り去っていった。
 大きなお世話だ。おならが出来て何になるんだ。確かにおならが出来ないぼくを会社はどこも雇ってくれない。そんなの会社が頭悪いんだ。なんであんな臭くて失礼で下品なものが時代の主流なんだ。ひと昔前までは恥ずかしいことだったのに。
 ぼくは悶々としながら歩いていた。
「わかいの」
 急に声がして、その方向を見ると浮浪者がこっちをじっと見ていた。
「こんな夜中に何をしている」
 今日は良く話しかけられるな。
「面白い星のもとに生まれた男よ」
 なにを言ってんだこのおじさん。ぼくは無視して通り過ぎようとした。
「お前の悩み事はわかっている」
 ぼくはいったん立ち止まった。星、悩み。占ない師かなにかか? 少し興味が湧いた。
「おじさん、占い師?」
「ミスコンに行きなさい」
「は?」
「ミスコンに行きなさい」
 占い師らしきおじさんは一文字も違わず言った。この人はヤバイ人かも知れない。
「じゃ、じゃあ、ぼく用事があるんで……」
 ぼくは足早に家へ向かった。

 朝。ぼくは起きるとすぐにおなら活性剤を飲んだ。腸が活性化していいおならが出るらしい。通販で買った。飲み始めて一ヶ月くらい。いまだおならが出る気配がない。
「おはよう」
「あら。おはよう」
 母に挨拶をする。普通の家庭ならここで挨拶おならをするのだろうが、母はぼくの前ではおならはしない。そとでは愛想おならはするらしい。母の同僚に聞いたことがある。もちろんそんなことをぼくには言わない。気を使っているのだろう。
「あんた、これ行ってみない?」
 母は台所でしていた料理の手を止め、チラシをテーブルの上に置いた。
 そのチラシには『無音の集い』と書いてある。
「最近多いらしいのよ。おならしたくないって若い人。知り合いの友達が主催者でね。行ってみたら?」
 母はこういった類のチラシをよく持ってくる。普段ぼくはあまり乗り気ではない。大抵カウンセリングなどだ。今回はなにやらおもむきが違うみたいだ。
「なんの集まり? これ」
 ぼくは聞く。
「なんだかね、おならをしたくない若い人に向けた講習会らしいわよ」
「ああ、うん。行ってみようかな」
 本当のところあまり行く気がしないのだが、母の気持ちを考えると行かないとは言えないのだ。
「ああよかった! きっと行くって言ってくれると思ったわ。今日、しかも近くでやってるから。今お弁当作るからね」
 母はご機嫌で台所に向きなおり、弁当を作りはじめた。
 ぼくは母の弁当を入れたリュックを背負い、外へ出た。テレビによると今日はおなら注意報がでている。おなら注意報とは危険な成分が含まれているおならが一定値を超えると発令される。お隣の大国から風に乗ってやってくるのだ。その大国はおなら科学が発展途上な上、人口も多いので。この国にその影響が出るのだ。
 ぼくはマスクをして「無音の集い」の会場へと歩を進めた。やたら人が多いな、と思っていると女子大生らしきかわいい子ふたりが、おならしながら会話して歩いている。
「昨日のテレビ見た? ぷっ 橋本屁(へ)のやつ ぷぷ」
 片方の女子大生風がかわいい系おならをしている。雑誌でよくのっているおならだ。このかわいい系をするのには出し方があるらしい。今時の女子はこのかわいい系をだすためにおならジムに通い必要な筋肉を鍛えているらしい。
「見た見た。かわいいよね屁ちゃん。 ぷっぽ 私大好き~ ぷっぴ」
 もう一方の女子大生らしき子がしたのはあまり聞かない個性的なおならだった。
「知ってる~。 ぷっ ここで今コンテストやっててさ。ゲストで来てるらしいよ。 ぷり」
「まじ? ぷっぴ あー行きたいけど私単位やばいんだよねー ぷぽ」
「いいじゃんいいじゃん。 ぷぽ こんなチャンス二度とないよ! ぷっぴ」
 ぼくは驚愕した。これが世に聞く『誘いおなら』。おならの音を相手に合わすことにより親近感が増し相手に同意してしまうという高等技術。おなら嫌いなぼくも思わず感心してしまった。この女子はかなりの使い手だ。
 しばらく衝撃の余韻に浸っていると、女子二人は右に曲がった。ぼくは右を見る。そこには国際おなら大学があった。アーチにはミスファート決定戦と書いてある。ミスファート。つまりミスコンだ。
(ミスコン? なんだっけ? なんか最近……)
 ぼくはそこまで考えて全身に雷が走った。ように感じた。
(もしかして! あのおじさんが言ってたやつじゃないか!?)
 おじさんを信じたわけではなかったが僕の足はなぜか大学へと進んでいた。

 会場は大いに盛り上がっていた。僕は良く知らなかったのだが、テレビの撮影が入るほど有名なミスコンらしい。このミスコンから何人も有名な女優が出ているという。
 会場は女7男3で、意外と女の子が多い。人が多いので声援おならすごかった。ぼくは普段一人でいるし、唯一の同居人の母はおならをしないようにしている。なのでおならに慣れていない。色々なにおいがして気持ち悪くなる。ぼく以外の人達は平気そうにきゃっきゃっしている。みんなはおならに慣れっこなのだ。
 壇上ではきれいな女の子達が水着を着て、順番におならをこいている。その端にひときわ目立つ女の子がいた。一目見てわかった。あれが橋本屁だ。屁なんて名前、ぼくなら死にたくなる名前だ。でもこのおなら時代、むしろ怖くてつけられないくらいマッチしている。おならのなかのおなら。選ばれし者の名なのだろう。
 コンテストは順調に進んでいく。観客はおそらくコンテスト出場者を見ていない。屁のことを見ていると思う。こんなぼくでも見とれてしまう。だからこそそう思うのだ。気付くとコンテストは優勝者を決定する場面となった。優勝者を発表するのは屁だ。しかしそんな言葉はぼくの耳、脳には入らなっか。あまりにも美しく、愛嬌たっぷりなのだ。ぼくはまずその見た目でもう駄目だった。しかしそんなふにゃふにゃなぼくに屁は追いうちをかけた。芸能人の中には一般の女の子と違い、おならを連発しない人達がいる。女優などは特にそうで、絶賛売出し中の彼女は特にそうらしい。以前なにかの雑誌で読んだ。彼女らはここぞと言うときにおならをするのだ。そして屁はやったのだ。そのおならを!! ぼくはもう骨抜きだった。それはまわりにいた観客達も同様だ。なんと美しく香しいおならなのだろう。あんなおならはいままで聞いたことも嗅いだことも無い。
 橋本屁の出番は終わり、コンテストは幕を閉じた。それと同時に観客は三々五々に散っていく。ぼくは動けなかった。観客は呆然と立ち尽くすぼくにぶつかりながら帰っていく。心なしかみんなおならが弾んでいる。ぼくは屁のおならの衝撃から現実へ帰ってくることが出来なかった。彼女のおならを聞いて、嗅いで今までとは違ったおならへの思いに駆られた。
「大丈夫ですか? ぷっ」
 ぼくはおならの音で我に返り、おならの主をみる。
「具合でも悪いんですか? ぷりっ」
 このかわいい系おならは聞き覚えがあった。ぼくをここへ導いたおなら上級者の女の子
だと思う。
「いや、なにも……」
「どうしたの? ぷっぽ」
 やはりそうだ。個性的おならの子、さっきのふたりだ。ふたりはしばらくぼくを見つめて
いた。おそらくぼくの挨拶おならをまっているのだと思う。
「すみません。ぼくかおならが出来ない体質で……」
「え?」
 ふたりは顔を見合う。
「弱おならじゃなくて? ぷっ」
 かわいい系のおならの女の子が言った。弱おならとは生まれつきおならが出にくい体質
の人のことだ。
「いや、全くなんだ」
「へえー ぷり」
 なんとなく三人の間に気まずい雰囲気がただよっている。
「じゃ、じゃあ。がんばってくださいね。 ぷ」
 ふたりが去ろうとする。ぼくは反射的に、
「ちょっと待って」
 と言ってしまった。
「?」
「あの……おならの仕方教えてください!」
 
 今日はおなら注意報が出ていなかった。そとは日が照り、少し暑いくらいの晴天。ぼくは
ある建物の中に入る。受付の前には例の彼女、あのおなら上級者の佐々木楢子(ならこ)さん
が待っていた。
「きたきた。 ぷ 待ってたよー ぷり」
 楢子さんは元気良く手を振り、おならをした。今日もかわいい系おならだ。おそらく
色々なおならが出来るのだろう。
「す、すみません。お待たせして」
「だいじょぶだいじょぶ。さっ行こう」
 彼女は言った。ぼくたちは建物の奥へと歩いていった。

 奥の扉を開くとその部屋には様々な器具が置いてあった。そう、ここはジムだ。それも
おなら専用のジムだ。そこにはひとり男が立っていた。
「待ってたわよ。そのこが例の子? ドカン!」
 ぼくは何重にも驚いてしまった。まずムキムキおねえと言うこと。その次にアフリカ系
だと言うこと。そして極めつけはおならの音だ。その音はまるでダイナマイトを爆破した
ような音だった。実際地面も揺れ器具もカタカタと音を立てている。
「おねえは嫌いかしらん ドドン!」
 おならと言うより、爆発だ。ちょっとうるさいし。
「い、いえ。よろしくお願いします!!」
 ぼくは首がもげるかと言う勢いでお辞儀をした。

 爆発おならの男(おねえ)の名はジョン・ヘデル。楢子さんのおならインストラクターで
あり、『爆発おならコンテスト』の優勝者だ。この人がまためちゃくちゃ厳しいのだ。お
なら筋トレのみならず、食事制限もある。ちなみにおなら筋とは、おなら時代中期に発見
された筋肉であり、普通の人なら標準装備の筋肉だ。今時の女の子はこのおなら筋を鍛え
ている。ぼくにもそれはあるようだった。
「おなら筋のことは知っているわね」
 ヘデルさんのレクチャーが始まった。
「は、はい」
 ぼくはビビリながら返事をした。
「思うに、あなたはおなら筋が停止してるようね。だからおならが出ないんじゃないか
らん」
「え……?」
 ぼくの頭の中は真っ白になった。あまりに唐突に、そして少なくともぼくにとって衝
撃的なことをいわれたからだ。
「ぼくにもあるんですか……? おなら筋が……」
「おなら筋がない人なんていないのよ。大丈夫。あなたは普通の子。皆と何も変わりはな
いわ」
 へデルさんはやさしく言った。ぼくは目頭が熱くなるのを感じた。
「さっ、早速はじめるわよ」
「はい!」

 まずはおなら筋の説明から入った。おなら筋を動かすにはまずおなら筋がおならにとっ
てどういうものか。と言うことだ。おなら筋は腸にくっつく様についている。それが伸び縮みさせておならを出すらしい。
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