【手紙】
文字数 1,469文字
何度かお伺いさせて頂いたのですがご不在でしたので、この様な形でのご挨拶になります事を何卒ご容赦下さい。
──の父です。
お久しぶりです。
その後如何お過ごしでしょうか。
もしかしたら、何も思い当たるところがないかもしれません。
もしかしたら、このせいで気分を害してしまうかもしれません。
ですがどうしても、貴方へお伝えしたい事があります。
なのでどうかこの駄文を
どうか、お願い致します。
先んじて、要件を記しておきます。
娘が、貴方の名前を呼びました。
ご存知かとは思いますが、娘はあの時から植物状態にあります。
8年。
8年の間、全く自分の意識を持たなかった娘が。
ぽつりと貴方の名前を呼んでみせたのです。
それが娘にとって何を意味しているのか、娘は何を伝えようとしていたのか。
私には考えが及ぶところではありません。
しかし。
誠に勝手ながら、私には。
娘が貴方に会いたがっているのではと、そう思えて仕方がありません。
しかし体力的な問題もあり、あと二週間程で娘は延命治療に入ります。
本人の望まぬ措置であるかもしれません。
私共、親である身のエゴでしかないのかもしれません。
ですが、諦めたくないのです。
まだこれからという時に止まってしまった娘の人生を、絶対に諦めたくないのです。
ただ、延命治療に入ってしまうと。
娘に残された僅かな意思さえもいよいよ閉ざしてしまう事になるのではないか、とも思っております。
なので、どうか。
その前に、一度だけでもお目通り願えないでしょうか。
そして失礼を承知で申し上げます。
決して短くはない月日が流れましたが、もちろん貴方の身に起きた出来事は忘れてはいません。
あの事故の日から、娘の事に関する一切の記憶を失くされている事。
担当医の方から、心的外傷の負担を減らす為に極力娘には会わないようにと意見されていた事。
それまでとは全く畑の違う業種の仕事に就き、新たな人生を歩まれていた事。
それらを踏まえた上で。
当時にも進言させて頂いておりましたが、改めて言わせて下さい。
娘は、誰よりも貴方を愛しておりました。
口を開けば貴方の事を嬉しそうに語るあの子の姿が、今でも脳裏に過ぎります。
あの時の事は私も聞いております。
元々体の弱い子でしたので、小さな頃から病院にお世話になる事が多く。
娘が成人を迎える頃には、大きな手術を受ける事も決まっていました。
その手術を1ヶ月後に控え、娘は。
貴方へ別れを切り出したと。
もしかしたら、手術が成功してもそれまでと同じように貴方と過ごす事が出来ないかもしれないと考えたのだと思います。
子煩悩な物言いになってしまい申し訳ありませんが、貴方の重荷になるまいとしたのではないかと、そう感じます。
ですが、いざ手術当日に起きたあの交通事故は。
娘と貴方のその先を打ち消す全てになってしまったのだと存じます。
ですが、娘は今も貴方を想っているはずです。
しかし。
貴方にとっては、もはや娘や私共の存在は忌まわしき過去と言っても過言ではないのだという事も理解しています。
私はもちろん、娘の顔すらも貴方の記憶の中には既に無いのだという事もわかっております。
なので、これは本当に。
単なる、ただのお願いでしかありません。
応えて頂けなかったからと言って私共が貴方に何か失礼を働く事は、娘に誓って絶対に致しません。
ですが、どうか。
どうか。
どうか。
一度だけでも、娘に会って頂けないでしょうか。
どうか、お願いします。