お正月が終わる
文字数 3,949文字
夕方になって小倉さんの一家は堀内本家を去っていった。
「一遥、おじいちゃんにお茶持って行ったげてくれや」
背中が疲れたので炬燵には入らず、台所の椅子に腰掛けておばあちゃんが片付けているのを眺めていたら、そう言いつけられた。
振り返るといつの間にか、おじいちゃんは縁側に座り込んでいる。
居間を挟んだ磨りガラスの向こうにシルエットが見えた。
多分あぐらをかいて、足の爪を切っているのだろう。ぱちんぱちんと軽快な音が響いている。
「寒そう。中に入れば良いのに」
「あのまんま、庭に捨てて土に返してはるんよ。あの人はなんでも土に返すから」
達筆な文字が一面に書かれた湯呑みをおばあちゃんから受け取ると、居間でごろごろしているお父さんたちを踏まないように歩き、戸を滑らせる。
あれ。
もういない。
庭に面した戸が開け放たれているので、そこから出て行ったのだろうか。
首を出して左右を見ると、干した柿が吊るされた向こうに、裏へと回り込んでいくおじいちゃんの後ろ姿が見えた。
「おばあちゃん、おじいちゃんまたどっかいっちゃったよ」
一遥は台所に戻って報告した。
「ああそう。ええよ。もうほっとき。あの人はじっとしとれん人やから」
おばあちゃんは怒りも呆れもせずにお茶が入ったままの湯呑みを受け取った。
「おじいちゃんのこと、なんでも知ってるね」
一遥が感心すると、おばあちゃんはほっほっほと笑った。
「そらあ、五十年近く一緒におったらそうなる。なんも喋らん人でも、見とったら分かる」
「昔のおじいちゃん、どんな人だった?」
「今とおんなじやわ。一日に一回声を聴いたらええ方やったよ」
「それでよく、結婚できたね」
「昔は、なんも喋らんでも結婚したもんや。お見合いやからな」
そうか、お見合い。
恋愛関係を経由しなくても、昔の人々は結婚していたのだ。
「お見合いって、相性が合わなかったらどうするの。昔の人たちって、離婚もできなかったんでしょ」
「そらあ、ばあちゃんも最初はなんやこの偏屈なあにさんはと思ったけど、そんなんはすぐ慣れたわな」
おばあちゃんは束の間、遠い目をして、スミレお嬢さんだった日のことを思い出しているように見えた。
「みんながみんなそうとは言わんけどな。中には旦那さんと相性が合わんままつらい気持ちで生きはった女の人もいたか知らんで。やけど仲人さんがたいうんはよう見てはるもんで、なんとなく合う相手というのが分かるんやな」
「へえ」
「亭主関白な旦那さんには、気立てのいい奥さんをあてがうんや。逆にうじうじしとるあにさんには、お転婆娘に活をいれてもらったらええ。女学校の友だちん中には、なんであんな旦那さんとこ行くねんと思う子もいたけど、この歳になったら、あんたあんときあこの家に嫁いどいてよかったなあって、仲人さんの采配に唸らせられたこともようあったで」
「おじいちゃんには、おばあちゃんが合うと思われたんだね」
「そや。あんなけ喋らん人には、ばあちゃんくらいやかましい娘が合うと思われたんやな。まああの小倉の梅ちゃんも昔からあんなんやし、あんたのひいばあちゃんというのもたいがい元気なひとやったから、おじいちゃんの周りはそういう女衆でいっぱいや」
おばあちゃんはさっき一旦はテーブルに置いたおじいちゃんのお茶を、グイッと飲み干した。
「私たちも、お見合いで相手を決めて貰えたら、楽で良いと思うな」
「なんでえな。あんたらはまだ若いんやからイケメン俳優とロマンスしたりできるやない。うらやましいわ。海まで車で連れてってもらいいな。あんたのおじいちゃんはひとりで勝手に山ばっかり行っとるがな」
「でも、怖くない? イケメン俳優なんかいっぱい女の人と遊んでそうだし、自分が選んだ人が悪い人じゃないって、どうやってあらかじめ分かるんだろう」
「ふんふむ」
おばあちゃんの目が聡く光った。
「一遥あんた、なんぞ悩んどるんな。高校の先輩にでも告白されたんか? とりあえず付き合っときいな。いい人でも悪い人でも、付き合ったらそれなりに慣れるし情も湧く。って、さっき言うたやろ」
「そんなんじゃないよ」
一遥は髪をバサバサさせながら首を振った。
「ビッグファミリーっていうマッチングアプリがあって、その中に、遺伝子情報に基づいて相性を判定してくれるコースがあるんだ。なんか、お見合いっぽいなって思ってたとこ。仲人さんの代わりに、アプリがやってくれる、みたいな」
「遺伝子情報て、あのマイナンバーたらいうのんを使ってるやつやな。好かん好かん。やめときあんた」
おばあちゃんは拍子抜けしたように言った。
「やっぱりそう思う?」
一遥は初めて、他の人からトゥルヒスに対する漠然とした恐れに共感して貰えた気がした。
なんだか百伊も、千咲も、彰人くんも、一遥の考えとは違うことばかり言うから混乱していたところだったのだ。
「仲人さんがたは普段から村の若い衆の面倒をみて、ええとこも悪いとこもよう知った上で進めてはるんやから、そんな遺伝子たらどこのもんとも知れんもんでなにが分かるかいな」
「でも、仲人さんたちにもよく分からないくらい、特徴のない子も、もしかしたらいたかも知れないよね。そういう人たちは、仲人さんの目に止まらなくて、選ばれなかったこともあったんじゃない?」
一遥は、もしそうならば、自分は確実に選ばれない側の人間だな、と思いながら訊いた。
「何の特徴もない子なんかいてへんで。本人はそう思ってたとしてもな。誰でも何かひとつは持ってるもんやし、生きてるうちにそれが何か気づくときがくる。だからそんな心配はせんでええねん」
みかんまだ残っとるわ。一遥あんた、食べ。
おばあちゃんは盛りかごを一遥に託して、台所仕事に戻ってしまった。
最後は、困らせるような質問をしちゃったかな、と一遥は反省する。
炬燵に刺さったまま眠りこけているお父さんの反対側に潜り込むと、ビッグファミリーを起動する。
探るように四つのアイコンの上をさまよわせた後で、プレヒスのアイコンをタップする。
【プレヒスを選びますか?】
それだけが、このコースの選択肢だ。
他の三つはどれも、顔、収入、遺伝子情報のいずれかを開示することへの同意フローが挿入される。
トゥルヒスのアイコンをタップして、
【トゥルヒスを選びますか?】
の選択肢に試しに「はい」を押すと、
【遺伝子情報の開示に同意しますか?】
に遷移する。答えは「いいえ」だ。
おばあちゃんの言うように、遺伝子情報なんかでその人のなにが計れるのだ、という疑念が、トゥルヒスに対する胡散臭さの原因の一つにあることは間違いない。
でも。と一遥は考える。
おばあちゃんは得られなかった自由に憧れているだけだとも思える。
恋愛結婚が当たり前の時代に生まれていれば享受できた自由を、おばあちゃんは味わってみたいと思っているのだろう。
しかし、一遥にとってその自由とは、裸で荒野に放り出されたような心許なさをもたらすものに過ぎない。
むしろお見合いのように、自分に相性の良い人を周りが勝手に選んでくれることの心強さにこそ惹きつけられるようになる。
結局、おばあちゃんも一遥も、隣の家の芝をうらやんでいるだけなのだ。
トゥルヒスは野放図な自由を少しだけ引き換えにして、わたしの知らないわたしの姿を教えてくれる先生たりえるのではないか。
――個人情報の一部を明け渡すことで、気持ち悪さの代わりに、それ以上の利便性を得ることができる。
――どちらを選ぶかはその人次第だからね。
ん? なんか言ってることが千咲みたいになってきたぞ。
一遥はみかんの剥きすぎで黄色くなった指で、プレヒスとトゥルヒスを行ったり来たりタップした。
さっさとプレヒスを選んでしまえば良いのに、逡巡する気持ちが、堂々巡りしている。
いっそ、選ばなければいいか。と何度も立ち止まるのだが、そうこうしているとあっという間に新学期が始まるのが目に見えている。
たぶん休み明けの教室は、ビッグファミリーの話題で一色になるんじゃないか。
その雰囲気に乗り遅れるのは、それはそれで悪目立ちするかもしれないな。
「アン!」
ばさばさっと音がして、四つ足を駆動させたアンスリウムが居間に入り込んで来た。
「え? なんで?」
深い思索から一気に引き戻されて、一遥の心臓がドクンと跳ねた。
「あ、ダメ!」
アンスリウムは、テーブルの上のチョコレートに狙いを定めている。
行く手を塞ぐため、一遥はスマホを放り投げた。犬はチョコレートを食べられない。
欲しがって伸びる手を叩いて叩いて、四つ足の身体を抱き留める。
「アンちゃん、おまえこの家は入っちゃダメだよ」
アンスリウムは、一遥の家では室内犬にしているが、脚部を拭えない他の人の家には上げず、庭先止まりにしている。繋いでいたリードが何かの拍子に外れたのだろうか。
立ち上がってとことこと玄関まで愛犬を誘導する。
再びしっかりと繋ぎ直して炬燵までもどると、おばあちゃんかお母さんに、絨毯 を拭く必要があると報告しないとな、と考えながらおもむろにスマホを取り上げた。
【ようこそ、ヒストリーオブトゥルースへ!】
【トゥルヒスはいつもあなたを見守っています!】
え?
表示されているのは、遺伝子情報開示に同意したことを示す画面だった。
「アン! アン!」
庭先でアンスリウムが吠える声が、急に遠くなったように感じた。
マジか。
信じられない気持ちになった。
「もう、どうするのよ、押しちゃってるじゃん!」
思わず独り言を言うと、んむむ・・・と寝ているお父さんがくぐもった声をあげた。
えぇ、どうしよう。
ゴタゴタの中で、一遥はトゥルヒスに向かう最後の「はい」を押してしまっていたのだった。
「一遥、おじいちゃんにお茶持って行ったげてくれや」
背中が疲れたので炬燵には入らず、台所の椅子に腰掛けておばあちゃんが片付けているのを眺めていたら、そう言いつけられた。
振り返るといつの間にか、おじいちゃんは縁側に座り込んでいる。
居間を挟んだ磨りガラスの向こうにシルエットが見えた。
多分あぐらをかいて、足の爪を切っているのだろう。ぱちんぱちんと軽快な音が響いている。
「寒そう。中に入れば良いのに」
「あのまんま、庭に捨てて土に返してはるんよ。あの人はなんでも土に返すから」
達筆な文字が一面に書かれた湯呑みをおばあちゃんから受け取ると、居間でごろごろしているお父さんたちを踏まないように歩き、戸を滑らせる。
あれ。
もういない。
庭に面した戸が開け放たれているので、そこから出て行ったのだろうか。
首を出して左右を見ると、干した柿が吊るされた向こうに、裏へと回り込んでいくおじいちゃんの後ろ姿が見えた。
「おばあちゃん、おじいちゃんまたどっかいっちゃったよ」
一遥は台所に戻って報告した。
「ああそう。ええよ。もうほっとき。あの人はじっとしとれん人やから」
おばあちゃんは怒りも呆れもせずにお茶が入ったままの湯呑みを受け取った。
「おじいちゃんのこと、なんでも知ってるね」
一遥が感心すると、おばあちゃんはほっほっほと笑った。
「そらあ、五十年近く一緒におったらそうなる。なんも喋らん人でも、見とったら分かる」
「昔のおじいちゃん、どんな人だった?」
「今とおんなじやわ。一日に一回声を聴いたらええ方やったよ」
「それでよく、結婚できたね」
「昔は、なんも喋らんでも結婚したもんや。お見合いやからな」
そうか、お見合い。
恋愛関係を経由しなくても、昔の人々は結婚していたのだ。
「お見合いって、相性が合わなかったらどうするの。昔の人たちって、離婚もできなかったんでしょ」
「そらあ、ばあちゃんも最初はなんやこの偏屈なあにさんはと思ったけど、そんなんはすぐ慣れたわな」
おばあちゃんは束の間、遠い目をして、スミレお嬢さんだった日のことを思い出しているように見えた。
「みんながみんなそうとは言わんけどな。中には旦那さんと相性が合わんままつらい気持ちで生きはった女の人もいたか知らんで。やけど仲人さんがたいうんはよう見てはるもんで、なんとなく合う相手というのが分かるんやな」
「へえ」
「亭主関白な旦那さんには、気立てのいい奥さんをあてがうんや。逆にうじうじしとるあにさんには、お転婆娘に活をいれてもらったらええ。女学校の友だちん中には、なんであんな旦那さんとこ行くねんと思う子もいたけど、この歳になったら、あんたあんときあこの家に嫁いどいてよかったなあって、仲人さんの采配に唸らせられたこともようあったで」
「おじいちゃんには、おばあちゃんが合うと思われたんだね」
「そや。あんなけ喋らん人には、ばあちゃんくらいやかましい娘が合うと思われたんやな。まああの小倉の梅ちゃんも昔からあんなんやし、あんたのひいばあちゃんというのもたいがい元気なひとやったから、おじいちゃんの周りはそういう女衆でいっぱいや」
おばあちゃんはさっき一旦はテーブルに置いたおじいちゃんのお茶を、グイッと飲み干した。
「私たちも、お見合いで相手を決めて貰えたら、楽で良いと思うな」
「なんでえな。あんたらはまだ若いんやからイケメン俳優とロマンスしたりできるやない。うらやましいわ。海まで車で連れてってもらいいな。あんたのおじいちゃんはひとりで勝手に山ばっかり行っとるがな」
「でも、怖くない? イケメン俳優なんかいっぱい女の人と遊んでそうだし、自分が選んだ人が悪い人じゃないって、どうやってあらかじめ分かるんだろう」
「ふんふむ」
おばあちゃんの目が聡く光った。
「一遥あんた、なんぞ悩んどるんな。高校の先輩にでも告白されたんか? とりあえず付き合っときいな。いい人でも悪い人でも、付き合ったらそれなりに慣れるし情も湧く。って、さっき言うたやろ」
「そんなんじゃないよ」
一遥は髪をバサバサさせながら首を振った。
「ビッグファミリーっていうマッチングアプリがあって、その中に、遺伝子情報に基づいて相性を判定してくれるコースがあるんだ。なんか、お見合いっぽいなって思ってたとこ。仲人さんの代わりに、アプリがやってくれる、みたいな」
「遺伝子情報て、あのマイナンバーたらいうのんを使ってるやつやな。好かん好かん。やめときあんた」
おばあちゃんは拍子抜けしたように言った。
「やっぱりそう思う?」
一遥は初めて、他の人からトゥルヒスに対する漠然とした恐れに共感して貰えた気がした。
なんだか百伊も、千咲も、彰人くんも、一遥の考えとは違うことばかり言うから混乱していたところだったのだ。
「仲人さんがたは普段から村の若い衆の面倒をみて、ええとこも悪いとこもよう知った上で進めてはるんやから、そんな遺伝子たらどこのもんとも知れんもんでなにが分かるかいな」
「でも、仲人さんたちにもよく分からないくらい、特徴のない子も、もしかしたらいたかも知れないよね。そういう人たちは、仲人さんの目に止まらなくて、選ばれなかったこともあったんじゃない?」
一遥は、もしそうならば、自分は確実に選ばれない側の人間だな、と思いながら訊いた。
「何の特徴もない子なんかいてへんで。本人はそう思ってたとしてもな。誰でも何かひとつは持ってるもんやし、生きてるうちにそれが何か気づくときがくる。だからそんな心配はせんでええねん」
みかんまだ残っとるわ。一遥あんた、食べ。
おばあちゃんは盛りかごを一遥に託して、台所仕事に戻ってしまった。
最後は、困らせるような質問をしちゃったかな、と一遥は反省する。
炬燵に刺さったまま眠りこけているお父さんの反対側に潜り込むと、ビッグファミリーを起動する。
探るように四つのアイコンの上をさまよわせた後で、プレヒスのアイコンをタップする。
【プレヒスを選びますか?】
それだけが、このコースの選択肢だ。
他の三つはどれも、顔、収入、遺伝子情報のいずれかを開示することへの同意フローが挿入される。
トゥルヒスのアイコンをタップして、
【トゥルヒスを選びますか?】
の選択肢に試しに「はい」を押すと、
【遺伝子情報の開示に同意しますか?】
に遷移する。答えは「いいえ」だ。
おばあちゃんの言うように、遺伝子情報なんかでその人のなにが計れるのだ、という疑念が、トゥルヒスに対する胡散臭さの原因の一つにあることは間違いない。
でも。と一遥は考える。
おばあちゃんは得られなかった自由に憧れているだけだとも思える。
恋愛結婚が当たり前の時代に生まれていれば享受できた自由を、おばあちゃんは味わってみたいと思っているのだろう。
しかし、一遥にとってその自由とは、裸で荒野に放り出されたような心許なさをもたらすものに過ぎない。
むしろお見合いのように、自分に相性の良い人を周りが勝手に選んでくれることの心強さにこそ惹きつけられるようになる。
結局、おばあちゃんも一遥も、隣の家の芝をうらやんでいるだけなのだ。
トゥルヒスは野放図な自由を少しだけ引き換えにして、わたしの知らないわたしの姿を教えてくれる先生たりえるのではないか。
――個人情報の一部を明け渡すことで、気持ち悪さの代わりに、それ以上の利便性を得ることができる。
――どちらを選ぶかはその人次第だからね。
ん? なんか言ってることが千咲みたいになってきたぞ。
一遥はみかんの剥きすぎで黄色くなった指で、プレヒスとトゥルヒスを行ったり来たりタップした。
さっさとプレヒスを選んでしまえば良いのに、逡巡する気持ちが、堂々巡りしている。
いっそ、選ばなければいいか。と何度も立ち止まるのだが、そうこうしているとあっという間に新学期が始まるのが目に見えている。
たぶん休み明けの教室は、ビッグファミリーの話題で一色になるんじゃないか。
その雰囲気に乗り遅れるのは、それはそれで悪目立ちするかもしれないな。
「アン!」
ばさばさっと音がして、四つ足を駆動させたアンスリウムが居間に入り込んで来た。
「え? なんで?」
深い思索から一気に引き戻されて、一遥の心臓がドクンと跳ねた。
「あ、ダメ!」
アンスリウムは、テーブルの上のチョコレートに狙いを定めている。
行く手を塞ぐため、一遥はスマホを放り投げた。犬はチョコレートを食べられない。
欲しがって伸びる手を叩いて叩いて、四つ足の身体を抱き留める。
「アンちゃん、おまえこの家は入っちゃダメだよ」
アンスリウムは、一遥の家では室内犬にしているが、脚部を拭えない他の人の家には上げず、庭先止まりにしている。繋いでいたリードが何かの拍子に外れたのだろうか。
立ち上がってとことこと玄関まで愛犬を誘導する。
再びしっかりと繋ぎ直して炬燵までもどると、おばあちゃんかお母さんに、
【ようこそ、ヒストリーオブトゥルースへ!】
【トゥルヒスはいつもあなたを見守っています!】
え?
表示されているのは、遺伝子情報開示に同意したことを示す画面だった。
「アン! アン!」
庭先でアンスリウムが吠える声が、急に遠くなったように感じた。
マジか。
信じられない気持ちになった。
「もう、どうするのよ、押しちゃってるじゃん!」
思わず独り言を言うと、んむむ・・・と寝ているお父さんがくぐもった声をあげた。
えぇ、どうしよう。
ゴタゴタの中で、一遥はトゥルヒスに向かう最後の「はい」を押してしまっていたのだった。