文字数 4,271文字

 ぼくは、旅を続けた。
 どこまで行っても、たたみかけるような山また山だった。
 峠に立つと、視界全体に巨大な山脈が迫ってくる。雲を貫くほどに高く、黒ずんだ尾根は万年雪を抱いていた。晴れた日などは、空を引き裂くかのようにくっきりとそびえ立ち、見る者を威圧した。
 それでも、三日か四日ぐらいおきに、リョーの村のような集落に行き着くことができた。たいていの人たちは、ぼくの話を喜んで聞いてくれた。そこで宿をかしてもらえるのが、何よりありがたかった。野宿には、なかなか慣れることができなかったのだ。
 焚き火の側にうずくまって、夜の中に身を浸していると、オンのことだけが思い出された。オンの声、オンの眼差し、そして動かなくなった彼の身体。ぼくは、ふたたびオンのところに帰ることができるだろうか。
 孤独と不安に押しつぶされそうになって横たわると、月の光が目に入った。
 この世界の月は、満ちても欠けても同じ位置にとどまったまま沈むことはない。太陽の光にかかわりなく、自ら発光するのだとアオは言っていたっけ。
 常にそこにある月になんとなく慰められながら、ぼくは眠りについたものだ。
 そして山を渡り、飛び石のように散らばっている村々をいくつ訪ねたことだろう。
 季節は、秋から冬に変わっていた。山地帯は終わりつつあった。
 ひとつの村と村の間隔は目立って短くなってきて、野宿しなくても次の村に行き着くことができる。耕作地は広く、豊かなものになり、人の往来も盛んになった。平地にたどり着いたのだ。
 ぼく以外の語りにも、何人か会うことができた。といってもぼくのはアオの話の写しに過ぎず、彼らの語りは真実この世界に根ざした昔話や伝説だ。ぼくの語りを耳にして、まったくのでたらめだと怒り出す者もいた。でたらめもりっぱな娯楽だと、認めてくれた者もいたけれど。
 ぼくの生まれたこの世界、地陸について、アオはいろいろ教えてくれた。しかし、地陸生まれではないアオがすべてを知っているわけではなかった。ぼくの足りない知識を補ってくれたのが、語りたちの話だ。オンの家にいた時よりもずっと多くのことをぼくは学んだ。
 地陸は、けして沈むことのない月を天空に浮かべた平たい円盤世界だった。平地に降りてからも見はるかすことができる灰色の山脈は〈世界の縁〉。地陸をぐるりととりまき、そこを超えた者は誰ひとりいない。越えたとしても、縁の向こうにあるのは雪崩落ちるような宇宙の虚無だと言われている。
 世界が形づくられようとする混沌の時、まずはじめに月が虚空へと飛び出した。地陸の真ん中にある大海は、月があった跡なのだ。
 月では、月界を統べる月界王が生まれた。一方、地上でも人間が生まれ営みをはじめた。文明が築かれ、多くの国々がその時々に栄え、滅んだ。戦乱と平和を繰り返し、何千年もの間、数々の歴史が彩られた。
 現在は、東西南北の四つの大国と、それに隷属する数個の小国が均衡を保ちながら存在している。小さな領地争い程度のもめ事はあるが、長く平和な時代が続いていた。
 ぼくが後にしてきたのは、西方の山地帯だ。ぼくはまず、西国の都を目指すことにした。人の集まるところ、情報も集まるはずだから。
 四つの国は、どれも大河の河口に都をかまえている。川が多い地陸では船が重要な交通手段だし、他国との交流も海を渡った方が便利だからだ。
 都に向かう街道は、川沿いにずっと続いていた。川幅が広くなるにつれ、道もだんだんと整備されたものになってきた。通行人が多くなり、荷車や馬車の姿も頻繁に見うけられた。
 川に浮かんでいる船も、大きな帆船が目につくようになった。やがて小高い丘の上に立つと、突然間近に海が見えた。ぼくが一度もかいだことのない匂い、おそらく潮の香りがかすかにした。
 きらめく水平線の向こうに、彼方の〈世界の縁〉のぎざぎざが、雲のようにうっすらと見てとれた。
 西都に着いたのは、翌日の夕方だ。港を見下ろす丘の上に、たくさんの尖塔を持つ王宮がそびえ建っていた。緑が多いのは広々とした王宮の敷地だけで、あとは灰色の石造りの建物がひしめいていた。石畳の道や、港になだれ込むようにして並んでいるそれら建物群に、薄い冬の夕日が反射している。
 屋根の平たい箱めいた建物は、どれも四層か五層あり、一階はさまざまな商店になっていた。酒屋、パン屋、八百屋、小間物屋などなど。買い物や仕事帰りらしい人々で、道は賑わいを増すばかり。
 これほど多くの人間を見たのははじめてだ。めずらしさにきょろきょろしながら、ぼくは、街の中を歩きまわった。
 港の近くに、食堂を兼ねた宿泊所が何件かあった。船乗りや旅の商人が泊まるのだろう。そのころには語りの報酬を小銭で貰うことも多かったから、宿賃はどうにかなりそうだ。陽が落ちたころ、ぼくは宿屋の狭いけれど小綺麗な一室に落ち着いた。
 食堂に下りていくと、暖炉の前に歳とった語りが腰を下ろしていた。食事を終えた客たちが、何人か彼のまわりに集まって物語に耳をかたむけている。
 どちらかというとぼくは、話すより聞く方が好きだ。だから語りに会った時はいつも、他の人に混じって聞いてしまう。
 ぼくは、語りの側に行った。白い髪に白い髭、細い目をした語り。月界王の話をしている。
 月の世界の主、月界王。その歳は世界が経た歳月に等しく、その姿はみずみずしい少年のままだとも、知恵と力にあふれた壮年のものだとも言われている。月界王の知らぬことは何ひとつない。月は満ち欠けしながら常に中天にあり、世界を見守っているからだ。
 まだ人間が若く、獣と大差ない暮らしをしていた時代のことを老人は語った。夜ともなれば洞窟にこもり、月の光だけが頼りだった人間たち。人々は、月に呪いをかけようとした。いつまでも満月で、夜を明るく照らし続けるように。人間の分限を越えた振る舞いに、月界王は怒った。月は赤く膨れ上がり、地陸にのしかかった。地上は大嵐に見まわれた。
 人間は、あわてて月界王に許しをこうた。ようやく怒りをおさめた王は、人間を哀れと思い、太陽から火を手に入れてくれた。火は、人間にはかりしれない恩恵をもたらした。
 こんなふうにして、月界王は常に厳しくも慈愛をもって地陸を見守ってくれている。月がふたたび海に沈み、世界が終わるその日まで。
 誰だって知っているおとぎ話のたぐいだろうに、文句を言う者は一人もいなかった。みな心地良げに聞き入っていた。
 ぼくが生きてきた何倍もの年月を語り続けてきただろう彼の声はゆったりとして深みがあり、心そのものに染み込むようだった。ぼくなどは、語りのはしくれにもすぎないということを思い知らされた。
 語り終えた彼のもとから、人々が離れて行った後も、ぼくはその場に残っていた。彼はぼくを見て、微笑んだ。
「どうしたね、語りはもう終わりだよ、坊や」
「あなたに訊きたいことがあって」
 語りは、白い眉を上げた。
「あなたは、きっといろいろな所を旅して来たのでしょう。魔法使いについて、何か知りませんか?」
「魔法使いの話なら、いくつか話してやれるがね」
「物語ではなくて、いま実際にいる魔法使いについてんなんです。たいていの人は、もうこの世に魔法使いはいないというけれど」
「それが正しいかもしれんよ」
 老人は、さらに目を細め、
「わしも魔法使いになど、会ったこともない。だが」
「だが?」
 ぼくは、一歩踏み出した。老人は、にっと笑った。
「語りに、だだで話させるつもりかな」
 ぼくも笑い返した。
「食事は、まだなんでしょう」
 ぼくたちは、細いテーブルを挟んで向き合った。この宿屋の自慢だという魚の揚げ料理を食べながら、ぼくは気もそぞろだった。どんなことでもいい、ハマの手がかりが欲しかった。老人は、何を話してくれるのだろう。
「魔法使いについて、何を知ってるね?」
 食事も終わりごろ、ビールをいかにもおいしそうに一口飲んでから老人は言った。
「はかりしれない力を持った連中です。どうやら不死らしいし、さまざまな世界を自在に行き来することができる。魔物を生み出したり、別の世界から連れて来たり。退屈屋のくせに、飽きっぽくて傲慢で」
 老人は、面白そうにぼくを見ていた。
「魔法使いが、まったく気に食わんような口ぶりだな」
「ええ、でもぼくが求めていることは、魔法使いからしか得られない」
「ずいぶんと、大それた問題を抱えているようだが」
「僕のかけがえのない人を、蘇らせたいだけなんです」
「別れは、必ずおとずれる」
 一呼吸おいた後、老人は静かに言った。
「どんなに愛しあったものでもだ。それを受け入れるのが人間ではないのかね」
「受け入れ切れずにじたばたするのも人間だと思います」
「なるほど」
 老人は、ちらと歯を見せた。
「そうすることが、あんたなりの鎮魂なのかもしれんな」
 老人も、アオと同じようなことを言う。ぼくは、だだ、オンの死を認めたくないためにあの家を飛び出したのだろうか。見つかるあてのない魔法使いを探し求めることで、オンの死から逃げているのだろうか。
 いや。
 ぼくは、きつく唇をかんだ。ぼくは、必ずオンを取り戻す。
「さてと、こうしてご馳走になったし」
 老人は、ビールの残りを飲み干した。ぼくは、期待を込めて彼を見つめた。
「お役にたてるかどうかはわからんよ。魔法使いには会ったことはない。ただ、魔女の噂なら聞いたことがあるんだ」
「魔女?」
「もう十年以上も前に聞いたことだが、ハクサ山に魔女が住んでいるという。ハクサ山がどこにあるか知っているかね?」
「いえ」
「北方の山地帯にある高山だよ。〈世界の縁〉にも近い。いや、あれはもう〈縁〉の一部といっていいかもしれんな。せいぜい狩人が入り込むぐらいの未開の地だ。魔女はその山奥に城を建てて、ひとり住んでいるという」
「今も?」
「そりゃあ、わからん。だれも確かめてはいないだろうて」
 では、ぼくが確かめてみよう。
 昔の噂でしかなくても、目的地がないよりましだった。たとえ魔女がいなくても、魔女の城は残っているかもしれない。他の魔法使いの手がかりなりとも見つけ出せるかも。 
 老人は、ぼくの顔をのぞき込んだ。
「もう、決めたらしいな」
「ええ」
 ぼくは、うなずいた。
「おかげさまで」
 





 
 

 
 


 
 


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