盲信する国(執筆者:美島 郷志)

文字数 5,030文字

 この国の雰囲気にも慣れてきた。アスファルトで舗装された道を歩きなれている私にとってそれは、あまりにも不安定で落ち着かない足場だった。それが今では、足に触れた時にどこを歩いたらいいのかがわかるようになった。

「君も随分と馴染んできたね、ヒマリ。」

 チェシャはお腹に携えた細剣をぶら下げながら、後ろ足だけで器用に歩行して先導してくれている。長靴を履いて猫が歩くさまは見ていて楽しいが、バランスがとりずらいのか、尻尾がよくふらふらしているのが気になる。

「そうだねー。でももうちょっとこう……豪華なイメージだったかなぁ。」

「豪華……装飾が凝っていたり、ということかな?」

「うん……なんかこう、綺麗な模様の飾りが、キラキラしていてパーッと!」

 私が腕を勢いよく広げると、チェシャは気まずそうに苦笑いを浮かべた。

「はは……そうだね、この国はどちらかというと、「飾る」よりも「掘る」という感じだね。ヒマリが想像しているお城はたぶん、ダイヤシティにあると思う。」

「本当!? ちゃんとあるんだそういうお城!」

 お伽話の中だけだと思ってた!

「あるにはあるよ。スペードキングダムにも、小さいけど幾つか……。僕は写真で見ただけだけど、機会があったら行ってみるといい。」

「うーん……行く機会があるかなぁ?」

「そうだね……行こうと思えばいけなくもない……かな?」

 正直心配だ。この世界がどうなっているのかとか未だによくわからないし、何よりも先が見えない。この先どうすればいいのかもよくわからない。とにかくお兄ちゃんを探したいけれど、何にも手掛かりになりそうなものがない。

(お兄ちゃん……無事だといいな。)

 私とお兄ちゃん、二人が突如として巻き込まれた未曽有の大災害。亀裂に飲み込まれた私たちは、繋いだ手が離れるのと同じく分かたれてしまった。あの時もっと強く手を握っていれば……まだ少し、最後に触れた兄の手の感触が残っている。

 死んで……ないよね? きっと私と同じようにどこかで……。

「ヒマリ……ヒマリ!」

「ひあぁっ!?」

 ヒマリがぼーっとしていると、突然にチェシャがお尻をぽんぽんと叩いた。

「な、何するのっ!?」

「ぼーっとしていては危ない。……何か気になる事でもあるのかい?」

「えっと……なんでもない。それよりも、女の子のお尻を気安く触っちゃダメだからね!」

「ん? あぁ……すまない。何分背が届かない物だから。次からは気を付けよう。失礼した。」

「もうっ……。」

 なんだか辱めを受けたみたいで気に入らないヒマリはふくれてしまう。

(チェシャは紳士なのかデリカシーがないのか、よくわからないなぁ……。)

 そんな事もあったが、二人は順調に街中を歩いていった。歩きにくい道にも慣れた。またお尻を叩かれてはたまらないと、ちゃんと前を向いて歩く。

 だが、そうしているうちにふと気が付いたことがあった。

「ねぇチェシャ……なんだかみんな元気ないね。」

「ん? そうかい?」

 道行きすれ違う人達が皆、よく見れば下を向いて歩いている。誰かと話している時はとても気丈で賑やかだが、そうではなく、一人で一抱えの荷物を持って歩いている青年や、杖を突いて歩く老人も、みんな不思議と下を向いて歩いている。

 そして、下を向いて歩く顔の表情が、心なしか陰って見える。

「なんだか疲れているみたい……。」

「……そうだね。ここの所景気もよくない。だがそれは仕方のない事だ。女王様も苦労している。」

「……そっか、そうなんだ……。」

 なんだかお世話になってしまっている自分が申し訳ない。やっぱりバイトとか探した方がいいんじゃないかな……。

「おいジジイ! もたもたしてんじゃねぇ!」

 ヒマリがまた物思いに更けようとした、その時だった。物がなぎ倒されるような大きな物音が周囲にどよめきを作る。気性の荒い男の声と、いつの間にか出来上がっていく蟠わだかまりが、勝手に場所を教えてくれる。

 野次馬のように集まったヒマリは衝撃を受けた。ヒマリとそう歳の変わらない青年が、杖を突いた老人を突き飛ばしていたのだ。横たわったおじいさんは呻きながら眉をしかめている。

「ちょっと! おじいさんになんてことするの!?」

 ヒマリはおじいさんの側に駆け寄ってその肩を支えた。おじいさんは小さな声でありがとう、と呟きながらヒマリの肩に縋り付く。

 その様子を睨みつけた青年は、ヒマリを女だと侮って体を前のめりにして迫る。

「チンタラしてるからどかしただけだ! ただでさえ買える飯は限られてるんだ! 急いでもらわないと飢え死にしちまう!」

 青年は威張りながら、露天の品台を指差しながら叫ぶ。

「これを見ろ! なんでこの店の商品が、台の上半分しか乗ってないかいないかわかるか!? これはこの国の女王が、国民に重税を課しているからだ! 自分だけいい思いをして、俺達が飢えて死んでもいいって見殺しにしてるんだ! お陰でこっちは腹ペコさ! イライラするのも仕方ねぇってんだ!」

「だからって、おじいさんを突き飛ばして言いわけないでしょ!」

「どうせすぐ死ぬじいさんを今殺したって変わりゃしねぇよ! むしろ死ぬまで食料が浮くってもんだ!」

「ッッ! こんのおっ!!……。」

 ヒマリの中でなにかが真っ赤に燃え上がった。こいつ一発殴りたい! でも殴ってケンカになったら流石に怖いな……。そんな善悪の葛藤がバチバチとせめぎ合う。

(いいや! そんなのどうでもいいからとりあえずコイツぶん殴りたい!)

「何の騒ぎだ!?」

 ヒマリが喰ってかかろうとしたその時だった。人だかりの向こうで、また若い男の声がした。

「しまった! ……ヒマリ! 急いでこっちへ!」

「チェシャ! でもこいつが!」

「駄目です! とにかく早くこっちへ!」

 突然に焦りだすチェシャとは裏腹に、怒りを抑えきれずに睨み合うヒマリと青年。二人の間に火花が飛び交い、一触即発の状態だった。

 それを唐突に横切ってきた、銀色の先端が切り落とす。

「両名、そこまでです。」

 穏やかでありながら強い威厳を感じさせる声の主は、寄って見れば少し畏怖を感じさせる背が高い青年だった。簡素な作りだが動きやすそうな鉄鎧と磨き抜かれた鉄剣は、彼が持っているせいかとても強そうに見える。学校の先生に居たら絶対にモテそうな、凛々しい目つきをメガネの裏に隠す麗人は、ヒマリと荒っぽい青年の両方を睨みつける。

「ちっ……女王の側近(飼い犬)か。」

 青年は麗人を睨み返すどころか、まるで強い恨みがあるかのように歯をむき出しにしている。

「元はと言えばてめぇらがだらしねぇからだろ! 俺たちはこんなに貧しい暮らしをしてんのに、威張り腐るばっかりの無能どもが! この国の女王は民の苦しみなんてわっかんねぇだろうなぁ!!」

 無音の空に響く不満の声、彼の言うことは最もで、この場にいる人々の格好や体つきは、決して豊かとは言えない状態だ。

 しかし周りにいる人たちの反応は、彼の望むようなものではなかった。

「お前は何を言うとるんじゃ!」

 叫んだのは突き飛ばされたおじいさんだった。

「わしらが今こうしておれるのはみんなあの子のおかげなんじゃ! あんな事があっても、あの子は立派に王様としておってくれとる! なんでお前はそれがわからんのじゃ! あの子の辛さに比べたら、わしらなんて大した事ないのがどうしてわからんのじゃ!」

 ヒマリの隣で叫ぶおじいさんは涙ながらに語った。そして誰もがその言葉に頷き、青年を批判するような視線を送っている。

 ヒマリにはそれが懐疑的だった。人々の姿はとても疲弊しているように見えて、この中の誰が不満を言ってもおかしくはなかった。それなのに、まるで女王を庇うようなおじいさんの言葉には同情できなかった。

(どうして……どうしてそんなに辛そうなのに、誰も女王を責めないの?)

 ヒマリには、まだ不満をぶちまけている彼の方がまともに見えた。

 麗人は無言のまま、目を閉じて話を聞いていた。

 誰も声を出さないまま、束の間の静寂が流れていく。

「……連れていけ。話はあとで聞く。」

「うるせぇ! 捕まってたまるか!」

 青年は雄叫びを上げながら麗人へと殴り掛かる。麗人はそれに、ピクリとも反応しない。

「危ない!」

 咄嗟にヒマリが間に入ろうとしたその時だった。忽然と麗人の姿が消え、青年の拳が空振りする。麗人はいつの間にか青年の後ろに回り込み、握った細剣の柄で青年の首筋を強打した。

「ぐあっ!」

 断末魔を上げ、青年がその場に伏す。麗人は顎をくいっと上げて見せると、麗人の付き人達が気絶した青年をずるずると引きずっていく。

「……あの、ありがとうございました。」

 もしかしたらあのまま殴られていたかもしれない。心臓の鼓動が鳴りやまないヒマリはとりあえず彼に一礼した。

 すると麗人は、づかづかとヒマリの下へ歩み寄ってくる。

 そして、その手を少し乱暴につかみ上げた。

「へっ!? あ、あの!?」

「あなたにも一緒に来てもらう。事情を話してもらいたい。」

「えっ……あ、はい。」

(これって、任意事情聴取ってやつ? もしかしてサスペンス劇場みたいなことになっちゃう?)

 とりあえず起きたことそのまんまお話すればいいよね? そう思っていた矢先だった。

 ブォン、と突風が空気を押し上げる音が耳を劈く。麗人が咄嗟に私の手を離し、飛んできたそれを細剣でいなした。

 突如飛来したのは、何故か細剣を構えたチェシャだった。

「チェシャ!? どうして!?」

「いいから早く! ここは私に任せていきなさい!」

 何故だかチェシャがとても必死だった。そして怖いぐらいに麗人を睨みつけ、一歩でも踏み込めば細剣の先端が突き刺さってしまいそうだ。

「あなたは……なるほど、それなら尚更連れて行かなければ。」

「ヒマリには……指一本触れさせません!」

 麗人の形相が変わった。それはまるで、戦士が戦場で見せる表情だった。

 刹那、その姿が瞬く間に消えた。しかしチェシャは瞬時に体を傾ける。

 麗人の細剣がチェシャのふわふわな毛をはらりと切り落とした。咄嗟に反撃に出たチェシャが大きく踏み込み、鋭い突きを何度も繰り出す。麗人は少し苦しそうに体を何度も傾けながら、細剣も上手く使って綺麗に躱していく。

 いつの間にか逃げろと言われている事も忘れ、ヒマリは二人の剣技に魅入られてしまう。キン、キンと甲高い音がぶつかり合うさまはまさしく命を懸けた決闘だった。だが体格と手数で勝る麗人の方が、徐々にチェシャを追い詰めていく。

「相変わらずの身のこなし……ですが、」

 ニィヤァッッ!! とチェシャが気魄を飛ばし、渾身の突きを繰り出した。が、無情にも麗人の服の脇を抉りとっただけで、躱した勢いそのままに後ろ回し蹴りがチェシャの体を薙ぎ払う。

 呻き声が一声、そのままゴロゴロと地面に転がされたチェシャの手から細剣がはなれてしまう。

「チェシャ!」

 咄嗟に駆け寄ろうとしたが、麗人の付き人に遮られてしまい身動きが取れない。

「時間を稼ぐのなら、もう少し手数を細かくした方が良いですよ。」

「ぐうっ……ヒマリっ! ……。」

 地面に這いつくばったチェシャが土を掴んででも動こうとするが、蹴られた衝撃が強いのか体が満足に動かない。ヒマリは隣に立った麗人を怒りを込めて睨みつけた。

「……先に仕掛けたのはそっちだ。殺さないだけ感謝して欲しい。それと、もしアレを死なせたくなければ、大人しくついて来い。」

「このッ! ……わかった。一緒に行けばいいんでしょ?」

「話が早くて助かる。」

 冷ややかな麗人の目は何をするかわからなかった。ヒマリには、彼に黙ってついていく他なかった。

「くっ……マズい事になった……。」

 転がったまま動けないでいるチェシャは、自分の事を心配そうに見つめるヒマリの背中を、ただただ見送る事しかできずに土を握り締めていた。
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