-porvenir-
文字数 2,560文字
まるで、止まっていた時が動き始めたかのように、
あたりに、ざっと風が吹き抜けました。
「…おい。狐塚、どうした?」
はた、と動きを止めた諒に、二階堂は不安げに語りかけました。
二階堂は、姿をぼんやりと浮かび上がらせる陰陽師をキッと睨みますが、その表情までは、彼には読み取れませんでした。
「…………。」
諒は、何も応えません。
ほんの僅かに表情に翳りを見せたように思えましたが、開いた目に迷いはないようでした。
「分かりました。俺も行きます。」
「!? な、何を言っている…!?」
唐突に示されたのは、当事者にしか解らない…、謂わば契約でした。
故に、傍らで見ていた二階堂には、理解できるはずがありませんでした。
「…思いの外、思い出すのに時間がかかったか。…まぁ、無理もない。刻の経過とは残酷なものだ」
諒の眼差しを受けた陰陽師は、くす、と笑うと、微笑みを諒に向けたまま、視線を狐へと送りました。
「その檻、すぐにでも壊してあげよう。」
陰陽師からの視線を受け止めた狐は、如何にも不満げに鼻で笑うと、最早何度目か解らない溜息を吐き出しながら言いました。
「…何や、結局うちかいな。」
「生憎だけれど、私には彼を解き放ってあげられるほどの力はないからねぇ。…私の持っていた力のほとんどは、君にあげてしまったのだし」
「…自分で創っておきながら。後始末のための力くらい、持っとかんかい」
「いや、全くその通り。…だが、君ひとりで気負う必要はないよ。君に命じたのは私なのだから。」
その顔は微笑みを湛えたままでしたが、どこか苦々しげに、陰陽師は言いました。
「…………。」
陰陽師を見つめて呆れ顔をしていた狐でしたが、その視線を少しずらすと、悲しみを含んだ声色で呟きました。
「…堪忍な、宵夢。」
いつのまにか狐は、仮の姿を捨て、本来の『狐』の姿を現していました。
それはそれは大きな狐の姿に、気おされた二階堂はただただ驚くことしかできずにいました。
「な…っ、これはどういうことだ!? おい、説明しろ狐塚!!」
二階堂は、やっとのことで言葉を紡ぎますが、その言葉に返答した諒は、あくまでもにこやかにしておりました。
「…その時間はないみたいです。…ごめんなさい、先輩。」
「大丈夫。俺は消えますが…、あなた方に変わりはありません。」
「は…!?」
二階堂はまだ何かを言おうとしていましたが、続く言葉は鋭い狐の鳴き声にかき消されてしまいました。
「敢えて、言うなら…」
諒の呟いた声は、恐らく二階堂の耳には届いていなかったでしょう。
声につられて見れば、狐は、あるいは悲しそうな眼をしておりました。
「一体、なんだというんだ…!?」
「…やれやれ。気負うな、と云っているのに。君はいつもそうだ…」
そう呟く陰陽師の手には、いつのまにか、緋色の扇子が握られておりました。
「どれ、少しばかり手を貸すとするか。」
落ち着き払った声で言うと、開いた扇子を諒に向けてさっと扇ぎました。
それと同時に駆け出した狐は、二階堂と諒がいる方向へ迫ってきます。
緋色の扇子から放たれた炎に驚いた二階堂は咄嗟にその場を離れますが、諒は、その場に縫い止められたかのように動きませんでした。
炎に包まれる諒にとって、どうやらその炎は熱くはないようでした。
なぜなら、彼は、炎に焼かれているとは思えないほど穏やかな表情を浮かべていたからです。
「姉さんのこと。どうか、よろしくお願いします。」
その穏やかな表情のままで、諒はただ姉を案じておりました。
聞いた宵夢の目からは、静かに涙が伝います。
「…哀しいのかい。…云っただろう? 何も案ずることはないと。」
目をやった陰陽師は、そっと己を励まします。
「どういう…!?」
炎を避けながら諒を見た二階堂は、その額に浮かび上がる紙の人形を見て、静かに息を飲みました。
「まさか…!!」
二階堂は、ばくり、という音と共に、幽かな声を聞いたように感じました。
――これだけは覚えておくがいい。『神に隠される』とはこういう事さ…
***
絵空事のような日々の、すこし向こう側。
「…!!」
私は自分自身の悲鳴で、目を醒ましました。
誰かの名を呼んでいたような気がしましたが、それが誰なのか、思い出すことはできませんでした。
「――また、あの夢を視たのか。」
「あ…。ごめんなさい。起こしてしまって」
「いや、気にするな。――」
私は、知れず涙を流している自分に戸惑います。
「何か、大切なものを失ってしまったような気がする…」
ぽつりと口をついて出た言葉ですが、それにも心当たりはありませんでした。
***
「…何や。またその格好してんのか。」
「…、すみません。――一番、…その、馴染んでいるので…つい。」
何処か痛ましそうな視線を受けながらも、式神はどうにか微笑みます。
「気の済むようにさせてやるのが一番さ。」
「ああ。解ってる。…止めさせるつもりも、責めるつもりもない。」
「…、はい…。」
「…ああ、そうや。――あんたの部屋、繋いどいたったからな。好きな時に行っといで。…ときどき、な。」
「…! 有難う御座います。」
礼を言い、早速其処へ向かう式神を見つめ、式神の主は呟きます。
「――良かった。君も、変わったんだね。」
「……あんたは、どないするん?」
「…。………本当は、止めるべきなのかも知れないね。」
「…言うたやろ。たまには、あんたが決めや。」
「勿論。…あの子の主は私だからね。」
***
『*の髪は私に似て、少し癖毛なのよねぇ…。宵夢はお父さんに似たのね。』
『…――、―――――――。』
『あら、そうなの? そう言ってくれると嬉しいわ。お母さんは昔から気にしてばかりだったから。』
『…………。』
そう言うと、その子は照れ臭そうに、少し怒った顔をするの。――いつも、そうだったように思う。
けれど、それが誰だったのか…思い出せない。
――鏡を見る度に思い出す。
「誰、だったかしら………。」
***
どこかで、からから…と、風車が廻ります。
風を受けて廻るそれは、自ら止まる術を知らないのでした…。
あたりに、ざっと風が吹き抜けました。
「…おい。狐塚、どうした?」
はた、と動きを止めた諒に、二階堂は不安げに語りかけました。
二階堂は、姿をぼんやりと浮かび上がらせる陰陽師をキッと睨みますが、その表情までは、彼には読み取れませんでした。
「…………。」
諒は、何も応えません。
ほんの僅かに表情に翳りを見せたように思えましたが、開いた目に迷いはないようでした。
「分かりました。俺も行きます。」
「!? な、何を言っている…!?」
唐突に示されたのは、当事者にしか解らない…、謂わば契約でした。
故に、傍らで見ていた二階堂には、理解できるはずがありませんでした。
「…思いの外、思い出すのに時間がかかったか。…まぁ、無理もない。刻の経過とは残酷なものだ」
諒の眼差しを受けた陰陽師は、くす、と笑うと、微笑みを諒に向けたまま、視線を狐へと送りました。
「その檻、すぐにでも壊してあげよう。」
陰陽師からの視線を受け止めた狐は、如何にも不満げに鼻で笑うと、最早何度目か解らない溜息を吐き出しながら言いました。
「…何や、結局うちかいな。」
「生憎だけれど、私には彼を解き放ってあげられるほどの力はないからねぇ。…私の持っていた力のほとんどは、君にあげてしまったのだし」
「…自分で創っておきながら。後始末のための力くらい、持っとかんかい」
「いや、全くその通り。…だが、君ひとりで気負う必要はないよ。君に命じたのは私なのだから。」
その顔は微笑みを湛えたままでしたが、どこか苦々しげに、陰陽師は言いました。
「…………。」
陰陽師を見つめて呆れ顔をしていた狐でしたが、その視線を少しずらすと、悲しみを含んだ声色で呟きました。
「…堪忍な、宵夢。」
いつのまにか狐は、仮の姿を捨て、本来の『狐』の姿を現していました。
それはそれは大きな狐の姿に、気おされた二階堂はただただ驚くことしかできずにいました。
「な…っ、これはどういうことだ!? おい、説明しろ狐塚!!」
二階堂は、やっとのことで言葉を紡ぎますが、その言葉に返答した諒は、あくまでもにこやかにしておりました。
「…その時間はないみたいです。…ごめんなさい、先輩。」
「大丈夫。俺は消えますが…、あなた方に変わりはありません。」
「は…!?」
二階堂はまだ何かを言おうとしていましたが、続く言葉は鋭い狐の鳴き声にかき消されてしまいました。
「敢えて、言うなら…」
諒の呟いた声は、恐らく二階堂の耳には届いていなかったでしょう。
声につられて見れば、狐は、あるいは悲しそうな眼をしておりました。
「一体、なんだというんだ…!?」
「…やれやれ。気負うな、と云っているのに。君はいつもそうだ…」
そう呟く陰陽師の手には、いつのまにか、緋色の扇子が握られておりました。
「どれ、少しばかり手を貸すとするか。」
落ち着き払った声で言うと、開いた扇子を諒に向けてさっと扇ぎました。
それと同時に駆け出した狐は、二階堂と諒がいる方向へ迫ってきます。
緋色の扇子から放たれた炎に驚いた二階堂は咄嗟にその場を離れますが、諒は、その場に縫い止められたかのように動きませんでした。
炎に包まれる諒にとって、どうやらその炎は熱くはないようでした。
なぜなら、彼は、炎に焼かれているとは思えないほど穏やかな表情を浮かべていたからです。
「姉さんのこと。どうか、よろしくお願いします。」
その穏やかな表情のままで、諒はただ姉を案じておりました。
聞いた宵夢の目からは、静かに涙が伝います。
「…哀しいのかい。…云っただろう? 何も案ずることはないと。」
目をやった陰陽師は、そっと己を励まします。
「どういう…!?」
炎を避けながら諒を見た二階堂は、その額に浮かび上がる紙の人形を見て、静かに息を飲みました。
「まさか…!!」
二階堂は、ばくり、という音と共に、幽かな声を聞いたように感じました。
――これだけは覚えておくがいい。『神に隠される』とはこういう事さ…
***
絵空事のような日々の、すこし向こう側。
「…!!」
私は自分自身の悲鳴で、目を醒ましました。
誰かの名を呼んでいたような気がしましたが、それが誰なのか、思い出すことはできませんでした。
「――また、あの夢を視たのか。」
「あ…。ごめんなさい。起こしてしまって」
「いや、気にするな。――」
私は、知れず涙を流している自分に戸惑います。
「何か、大切なものを失ってしまったような気がする…」
ぽつりと口をついて出た言葉ですが、それにも心当たりはありませんでした。
***
「…何や。またその格好してんのか。」
「…、すみません。――一番、…その、馴染んでいるので…つい。」
何処か痛ましそうな視線を受けながらも、式神はどうにか微笑みます。
「気の済むようにさせてやるのが一番さ。」
「ああ。解ってる。…止めさせるつもりも、責めるつもりもない。」
「…、はい…。」
「…ああ、そうや。――あんたの部屋、繋いどいたったからな。好きな時に行っといで。…ときどき、な。」
「…! 有難う御座います。」
礼を言い、早速其処へ向かう式神を見つめ、式神の主は呟きます。
「――良かった。君も、変わったんだね。」
「……あんたは、どないするん?」
「…。………本当は、止めるべきなのかも知れないね。」
「…言うたやろ。たまには、あんたが決めや。」
「勿論。…あの子の主は私だからね。」
***
『*の髪は私に似て、少し癖毛なのよねぇ…。宵夢はお父さんに似たのね。』
『…――、―――――――。』
『あら、そうなの? そう言ってくれると嬉しいわ。お母さんは昔から気にしてばかりだったから。』
『…………。』
そう言うと、その子は照れ臭そうに、少し怒った顔をするの。――いつも、そうだったように思う。
けれど、それが誰だったのか…思い出せない。
――鏡を見る度に思い出す。
「誰、だったかしら………。」
***
どこかで、からから…と、風車が廻ります。
風を受けて廻るそれは、自ら止まる術を知らないのでした…。