第21話

文字数 1,870文字

 言い出したのは田切だった。
「一つ引っかかっていたことがあるんです」
「聞こうじゃないか」若月が言うとマスター、ウェイター両名も手を止め、田切の話に耳を澄ませた。

「冒頭でドロシーが三階の支度部屋に行こうとしたときです。ドロシーが『部屋』の前に来たとき、たしかこう独り言を言ったんです。『何で階段を三つも上がらないといけないのか』と。

 一方で、四日経過した日の昼、きっと三人の休憩どきでしょうか。ドロシーが怒って支度部屋を出て、階段を降りていったときがありました。そのとき若月さんはこう言ったんです。『二つ目の踊り場』がどうとか。

 若月さんの言い間違えでなければ、これらは明らかに矛盾するんです。
 学校などにある階段は大体そうですが、踊り場がある階段の場合、一つ上の階に行くために上る階段の数は二つです【図1】。

 したがって、一階から三階へ行くために上る階段は四つであるはずなんです。当然この場合、踊り場の数は二つです【図2】。

 最初は今言ったように、若月さんの言い間違えかと思ってました。ただ『裏の厩の上の物置き小屋』が出た時点で確信しました。

 いいですか、核心を言いますよ。ドロシーが冒頭で何者かに首をつかまれたのは、支度部屋ではないんです。おそらく、建物の裏手にある物置き小屋だったんです」

「ほお」探偵は感心したように声を出した。そしてグラスを持ちかけたが、とっくに空になっているのに気づき、それをまた置き直した。

「物置き小屋には、誰か入った形跡はなかったんじゃ」ウェイターが不平そうに言ったが、田切の回り始めた口は止まりそうになかった。

「それも、むしろ怪しいと思ったんです。長い間誰にも入られなかったことが強調されていたわけですから。とにかく、それについてはあとで言います。まず僕が言いたいのは、『階段室の構造』についてです。

 踊り場のある階段の場合、三つ上ると、ちょうど上り始めた側とは反対側に行き着くんです【図3】。

 つまり言いたいのは、階段室は一種の二重螺旋(らせん)の構造を持っていたんではないか、ということです【図4】。もちろん、それぞれの階段からもう一方が見えないように仕切られた上で。

 通常は、一階の階段室の扉を開けると『四つある階段』が現れるんです【図5①】。当然この場合、階段を二つ上がるごとに一つ上の階にたどり着きます。

 しかし、若月さんの話の冒頭ではなぜか、『三つある階段』が一階から伸びていたんです【図5②】。階段室の内部を180度回転させることによって。

 階段室が回転する構造を持っていたといえる根拠もあります。
 ドロシーが一階に戻り助けを求めたとき、どこからか金属の音が聞こえてきました。それは何者かが、階段室の階段を回す音だったと考えます。

 そして、『三つある階段』の行き着く先ですが、物置き小屋の中に誰も侵入した形跡がなかったとしても、どこか例外的な場所がないか、と考えていました。

 タンスがありましたよね。絵に描かれていた用途不明の道具、どう考えても電話でしょうけど、それの下にあったタンスです。それが外装だけの物で、その中の狭い空間が『三つある階段』の先と接続していたとしたら」

「して、ドロシーの首に触れた人物は?」
 探偵に訊かれた途端、田切の話の勢いは急激に鈍った。自信のなさは声の落ち込みにはっきりと現れていた。

「……おそらく、おかみさんです。そこに潜んでいたおかみさんは」
「どうやって」若月が制した。「おかみさんはどうやって、タンスの中に身を隠せただろう」

 田切は言葉を詰まらせた。『階段室の構造』を看破した自信はあった。しかし、その鋭さをもってしても、犯人を言い当てる道筋は特定できないと悟らざるを得なかった。

「リンゴで時間稼ぎをして、その」
「リンゴね。まあいい。それで、ドロシーに逃げられたあとは」
「ドロシーに逃げられたあとは、そうですね、そのまま一階に降りてきてはいけません。二階の窓から」
「おかみさんは鍵を持っていたかね」

 ここで田切は完全に黙ってしまった。他に口を開こうとする者もいず、そこには余裕ある探偵の顔だけが、月に微笑みかける夜花(よばな)のように浮かんでいた。

「お待たせいたしました」
 突如、女の声がして田切は振り返った。
 見ると、若月の真後ろでウェイトレスが、銀色の蓋を載せた盆を持って立っていた。
「おつまみをお持ちしました。T大生の脳みそ(あたま)のポワレ[*6]でございます」



[*6]:フライパンで肉や魚をほど良い固さで焼き上げる調理法。おいしいよ⭐︎
 ちなみに、名探偵ポワロの綴りはPoirot(ポワロ)
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