第5話 嘘つきマラーイカ

文字数 3,195文字


 夕食の支度は終えたけど。
 テーブルの向かいに座るハルジの顔を、まともに見れなかった。

「おぉっ! パスタ・マンジャーレ!」

「……なにそれ」

 動揺して生クリームを買い忘れたまま作った、カルボナーラとサラダ。
 それでもハルジは、なんだか嬉しそうに意味不明な歓声を上げている。

「あ、確認なんだが」

「……な、なに?」

「今日は、一緒にメシを食っていいんだよな」

「だから昨日は、ごめんって……」

「いや。よく考えたら保護対象(パッケージ)を守るという意味では、安全(セキュア)な部屋から出さない方が正しいだろう。むしろ今日の体育館のような状況こそ避けるべきだったと、オレの方が反省している」

「……それも、すいませんでした」

「ん? なんでアマネが謝るんだ?」

「そりゃ、謝るでしょうよ……」

 あれってハルジを楯にして、あたしは逃げたようなものじゃない。
 全然、ハルジは悪くないよ。

「まぁ、いいや。食っていいか?」

「ど、どうぞ」

 フォークをシャカシャカと巻いて、器用にパスタをすくい上げるハルジ。
 この姿だけを見れば普通の同い年の男子だけど、体育館ではまったく別人だった。

「ん! うまい! アマネは料理上手なんだな!」

「恥ずいからやめて……それ、手抜きだし」

「そうか?」

 じっとハルジに見つめられて、重苦しい沈黙が流れた。
 心臓が締め上げられるこの感じは、学校で味わう孤独とは違う。

「いや、まぁ……あたしには、それが全力かな……」

 ハルジは「玉遊び」だと言っていた1on1で、男バスのキャプテンを完封した。
 オフェンスでは、踊るようなステップのフェイクとドリブルで、ほとんどの時間がフリースロー状態。
 ディフェンスは、相手の動きを完全に見透かしていた。
 つまりあの刈り込みキャプテンに、なにもさせなかったのだ。

 その突き抜けた身体能力と、合間に見せた余裕の笑顔。
 それが静止画の連続となって、頭から離れない。

「元気ないな」

「えっ!? そう……かな」

「そういえば学校でも、妙におとなしかったけど」

「いや、いつもこうです」

「ウソだろ。昨日は玄関で、チーフにまくし立ててたじゃないか」

「学校では、なるべく静かに生きてるの」

「器用だな。使い分けるの、辛くないか?」

 考えていることも見透かされているのではないかと、思わずフォークが止まった。
 まっすぐなハルジの視線が、今は特に痛い。

「あたしのことは……いいじゃない」

「なら、オレのこと聞いてくれよ。お互い、もっと知り合うべきだろう」

「……え?」

 その眼は、あの写真と同じ。
 キラキラとした、3歳のハルジと同じ色をしている。

 コーカサスの平原でも日本でも、ハルジは変わらずこの瞳で生きている。
 そう考えると、学校で身を隠すようにやり過ごしている自分が恥ずかしくてたまらない。

「ほら、なんでも聞いていいぞ」

「じゃあ……質問。ハルジって、向こうでバスケやってたの?」

「ふごうべ?」

「た、食べてからでいい」

 野生のハムスターはこういう感じなのだろうかと考えたら、なぜか耳まで赤くなった。

 なんで、あたしが照れてんのよ。
 バカみたい。

「あれって、ラングレー(アメリカ人)の奴らが好きだったからな」

 同い年のハルジがまったく知らない単語を使う時、住んでいた世界の違いを痛感する。
 厳しいや辛いを通り越し、想像のできない世界だ。

 物心ついた頃には、見知らぬ国で独りぼっちだったハルジ。
 両親の顔も知らず、異国の長老に10年以上も育てられたハルジ・アリムジャノフ。
 あの写真だけを心の支えにしながら生き抜いた、西澤(にしざわ)ハルジ。

 あの写真――あたしだけを見て。

「けど、一度も会ったことないんでしょ?」

「ん?」

「その、写真の子と」

 フォークを置いて、ハルジが真顔になった。

「名前も知らない。でも、いつか絶対に会える気がしてたんだ。だからチーフがこの仕事をくれるって聞いた時は、嬉しくてテレク川に飛び込んだね」

「……実際に会ったら、がっかりするかもよ」

「なんでだ?」

「なんか、その……よくあるじゃん。想像と違って、ブスでデブで暗くて色気がなくて」

 あたしのことは、あたしが一番よく知っている。

 ハルジの天使(マラーイカ)と、あたしはかけ離れすぎている。
 見た目も性格も、ハルジが思い描いてるような素敵な子じゃない。

 なのにハルジは、ケラケラと笑い出した。

「ここ、笑うとこじゃないんですけど」

「だってさぁ。デブなら運動すれば痩せられる、暗いなら笑えば明るくなる。だろ?」

 さらっ、と正論っぽいこと言ってるけど。
 それって、もの凄く難しいからね。

「……色気は?」

「恋すれば出る」

「真顔でなに言い出すの!?」

「恋もせずに色気をまき散らすのは、生物学的にムリじゃないか?」

「じ、じゃあ……ブスは?」

 あたしは、なにを確信したいんだろう。
 なにを許してもらいたいんだろう。

「それは他人の評価。オレには関係ないね」

 ふっ、と笑ったハルジに見つめられた。

 なにも言い返せなかったのは、なぜか励まされているようで嬉しかったから。
 なにかを許してもらったようで、安心したから。

 でもこれは、あたしの話じゃない。
 ハルジが10年以上見つめてきた、マラーイカの話だ。
 そうわかっていても、ざわめきが内側の一番やわらかい場所を締め付けてくる。

「そうだね、きっと……うん、ハルジの天使(マラーイカ)は美人でいい子だよ。大丈夫、問題ないよ」

「けどマラーイカも、アマネのような料理上手だったらいいんだけどな」

 これほど自然にウィンクできる男子って、いないと思う。
 そんな無意識の追い打ちをかけた挙げ句、ハルジの節くれ立った手が頬に伸びてきた。

「ちょっと、なに――」

「ここ、クリームが付いてるぞ」

 ハルジの触れた指が電気を流し、体はびくっとショートした。

「やめてよね、そういうの慣れてないし!」

「ふはっ。やっぱアマネは、こっちの方が魅力的だ」

「だからそういう単語、恥ずかしいんだってば!」

「はは。学校でも、その調子でいいと思うぞ」

「いや……それはムリだよ」

 ハルジは指のクリームを舐める違反行為をしながら、無邪気に笑っていた。

 話をすればするほど、急速にハルジを身近に感じる。
 昨日会ったばかりなのに、やけに敷居が低い。
 まるで「いつでも入って来いよ」と言ってくれているようで。

「ところで、アマネ。マラーイカがニホンで立ち寄りそうな所って、どこだと思う?」

「立ち寄る?」

「ほら。マラーイカって、たぶんアマネと同い年だろ? だったらニホンのコーコーセーとして、ホーカゴにどこかへ立ち寄ってると考えるべきだ」

「あー、なるほど」

 それ、あたしなんだよね――。

 って言うなら、今かもしれない。
 けど、それができるぐらいなら、こんな陰キャな生活は送ってないから。

「明日、捜しに行ってみようと思ってるんだ」

 なんの疑いもない、キレイな瞳のままで見つめてくる。

 本気で、マラーイカを捜し出すつもりなのかな。
 だって「日本にいる」ってだけの情報でしょ?
 あたしなら、たまたま来た町には期待しないけど。

「……この町には、いないんじゃない?」

「それは『いる可能性』を否定してから考えるべきだ」

「前向き、なんだね」

「そりゃあ『いない可能性』ってのは、不安を煽るだけだからな」

「まぁ、そうだけど……」

 たぶんその笑顔のことを「自信と希望に満ちている」って言うんだと思う。
 ハルジはそうやって、見知らぬ大地で生きてきたんだね。

「ってことで、明日はよろしくな」

「えっ!? あたしも行くの!?」

「そりゃ、そうだろ。オレはアマネのボディーガードが仕事で来てるわけだし」

「けど――」

「どこかマラーイカが立ち寄りそうな所へ、連れてってくれよ」

「いやいや、想像つかないから」

「じゃあアマネなら、放課後はどこに行きたい?」

「あたし!?」

「マラーイカと同じ、コーコーセーの女子としてさ」


 あたしはこの純粋な笑顔に、逆らえなくなっていた。

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