海蛍 43

文字数 2,832文字

「おい、アラン。本当か!?」
「カオルが本物の医者になるのか!」
「この町に医者が二人も?素晴らしいじゃないか!!」
アランの口から出た、薫の医科大学進学宣言に町は一気に沸き返った。
「みんな、慌てず聴いてくれないか」
若干トーンの低くなったアランの声に、皆は静まりアランを見つめる。
「実はその件も兼ねて私はセイラムへ行ったんだ。戦争が終わってまだ日も浅い。
正直、いくらカオルが優秀であっても、そう簡単に思いが叶うとは私も考えてはいなかった。だが、ここが無医村状態になっては大変だ。私はこの件にかかわる部署を回り続けた」
「おい、アラン。お前がいるのに無医村状態って……?」
訝し気にアランを見つめ問いかけるジョージ。
「実は私の身体の中に厄介なものが見つかってしまってな。除隊したのも上からの命令だったんだ。そう長くはない余生を、思うままに静かに過ごした方がいいってな」


そうだ、出会って間もなく、確かにアランはこのことを薫に告げていた。
それから、あまりに色々なことがあり過ぎて、そのうちアランがいるのが当たり前になっていて……
いや、違う。薫はその真意をアランに問うことが怖かったのだ。
やっと得た兄であり親友であるアランを失う恐怖に、何事もなかったかのように背を向け続けていたのだ。姉を失い、日向を失い、そして、今度はアランを失うのか……
薫の身体が小刻みに震えて来る。
「嘘だよね、ねぇアラン?そう、アランはいつもこんな冗談を言って、オレを笑わせてくれる。
でもね、アラン。こんなたちの悪い冗談はだめ。
だって……冗談だって、わかっ……ていても、オレ、わ、笑えない……し」
アランを仰ぎ見たまま、薫の瞳から大粒の涙が止めどなくこぼれ落ちる。
「冗談なんだろ。な、アラン!?」
苛立つジョージの声が、無音になった闇に吸い込まれる。
「私に選択権があるのなら、すぐさま拒否したんだがな。
残念ながら神様がそう決めてしまったらしい。
なぁに、ライナスに会うのが少しばかり早くなっただけさ」
アランは笑った。
「俺は絶対に認めないぞ、お前がいなくなっちまうなんて!
お前らマイヤーズ家はもっと友達を大切にしなきゃだめだろ?
ライナスにしろお前にしろ、一体、どうなちまってるんだよっ!!」
ジョージはそう叫びながら、アランに掴みかかった。
「だから……だからこそ、この町で今後も安心して住めるように、無医村にならないようにみんなで考え行動しないといけないんだ。カオルがドクターになれば、私は安心して逝ける」
自分の胸ぐらを掴むジョージの手を解くアラン。ジョージもまた泣いていた。
「州立医科大学へ進学すべき要綱はどうにかクリアできた。
しかし、奨学金を利用してもまだ医科大へ進むには難しいんだ。
そこで私はここにいる町のみんなに心からお願いしたい。
みんながここで貧しく、日々の糧をやりくりしながらやっと暮らしていることは私もよく知っている。それを知りながらも私は声を大にしてお願いしたい。
みんなで協力してカオルが卒業して医師になるまでの環境を整えてやって欲しいんだ。これはカオル個人の夢を果たすためではない。この町に医師がいなくなるという大事を解決する手段なんだ。
私の命は今日明日直ぐに召されるって訳じゃない。まだ猶予はある。
来年の受験までは今まで通り、この診療所で私の片腕として働いてもらうつもりだ。
確かな言語と必要な知識を、来年の受験まで私が責任を持ってきっちりとカオルに教える。
どうだろう、このカオルに町の未来を託してはくれないか?」
アランは薫の背に触れ、前へ押しだした。
「無理です!そんなこと無理に決まってます。第一、荷が重すぎます、自分には……
私が育った土地も貧しく娘を身売りしなければ、家族が生きていけない程の地獄でした。だから、この町が今、どうなのかっていうことは私にも理解できます。
そんな皆さんから援助を得ての進学なんてあり得ません!」
後退りする薫の背を止めるアランの大きな手。そこからアランの震えが伝わってくる。
アランは決して思い付きなどで言いだした訳ではない。
アランもまた、町の存続にかかわることを真剣に考えてのことだったのだ。

「カオルは医師になることが夢だった。
しかし、家が貧しくてその夢は叶わなかった。でも、夢を捨ててはいなかった。
いなかったからこそ、カオルは衛生兵という道を選んだんだ。
カオルの人柄や能力はもう、町のみんなもよくわかっているだろう。
私の不在中に耐えがたい傷を負ったにも関わらず、カオルは診療所にあった薬を殆ど、自分のために使ってはいなかった。クロエやジョージのために使っていたんだ。
人として、医師としてカオルがこの町に必要な人材だと、戦争を終えてこれから復興していくこの町にカオルは絶対に必要だと私は、この命を懸けて断言する」
アランは自分の命よりもこの町の行く末を考えていてくれていることが、痛いほどにわかった。本来なら命の刻限を告げられ、絶望し自暴自棄になっていても仕方ないというのに、アランは自らの人として、医師としての生命を薫に懸けると宣言した。


立ち尽くすアランと薫の前で、皆がひそひそ話を始めていた。
「……食事や洗濯や家事は私たちで分担してもいいね。食事だってみんなの家から持ち寄れば、アランとカオルの二人分ならどうにでもなるし」
「時間内にドクターにかかるようにして、できるだけカオルの勉強時間を確保しないといけないな」
「じいさんやばあさん達を俺たちが診療所へ運ぶようにして、往診は出来るだけ避けよう」
「金は今から少しずつ貯めたほうがいいな。酒代削るぜ」
「カオルのおかげで亭主の酒が減るなら、大歓迎だよっ!」
話の輪が広がっていく。薫を医師にしようと、町の者たちが瞳に夢を輝かせながら話し合っている。
「アラン、今夜のこの集い、名目が増えたぜ。『カオルの医科大学進学の前祝い』ってな。みんなもそれでいいんだろう!?」
ジョージの声に
「おぉぉぉっ!!」
と、皆が拳を掲げ歓声が沸き起きる。
「学生になれても、贅沢はできないと思う。贅沢はさせられねぇが、お前さんが医者の夢を持ち続ける限りこの町の者たちは皆、アンタの味方だ。来年の入学までアランに鍛えてもらって、堂々と6年間を過ごして来い」
ジョージはそう言うと薫の肩を叩いた。
「お、オレには……」
尚も躊躇う薫に
「カオル、もう逃げてはいけない。立ち向かう時が来たんだ」
と、アランが薫の頬の涙を拭う。
「ありがとうございます、ありがとうご……ざい、ま、す……」
深く深く薫はみんなに向って頭を下げた。
「一生懸命、勉強します。自分の生活が皆さんのおかげで成立っていることを忘れることなく。アランの病気だってきっと私が治してみせますっ!」

夜更けまで人々はアランと薫を囲み、未来を語りあった。
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