おじいちゃんの青い顔

エピソード文字数 4,035文字

タイトル:おじいちゃんの青い顔
書いた人:甘らかん(かんらかん 祖父は天国で元気です)

 おじいちゃんの口はいつも「へ」の字だった。
「この青二才が!」
 とムキになって言う。お父さんも叔父さんも、いくつになっても子供扱いだよ。と苦笑いを浮かべていた。
 私はちいさな頃からどうしておじいちゃんはいつも怒っているんだろうと思っていた。
 おじいちゃんは「青びょうたんが!」と一蹴して話を聞こうとしない。
 おばあちゃんが亡くなってからおじいちゃんのことみんな心配しているし、おじいちゃんのことを思っているのに。
「そういうのが不愉快なんだ!」
 すぐ怒る。

 おじいちゃんは田舎で一人暮らしをしていた。帰省のたびにお父さんは一緒に暮らそうと言うのだけど、この土地から離れたら誰がばあさんの側にいてやれるんだ! とやっぱり怒る。
「おばあちゃん、もういないじゃん」
 つい口走ってしまったお盆休み。
「いつも怒ってばっか。みっともないよ、そんなのおばあちゃんも喜ばない」
「なんだとう!」
 おじいちゃんは毎日畑に出ていたからその日も農作業服。ほっかむりの麦わら帽子を地面に叩きつけた。
 おじいちゃん唯一の理解者という雑種犬のハチが遠吠えする。
「お父さんを悪く言うのやめて、お父さん悪くないよ」
「ケツの青い子供がなにを言うか!」
 このとき私は小学4年生。怒ってばかりのおじいちゃんに我慢ができなくなって、セミの声に負けない怒鳴りあいをしてしまったのだ。
「青くないよ!」
「青いわ! 空より青いわ!」
 小さな妹がいちばん大きな声を出して泣きはじめてしまい、あわてて飛び出してきたお母さんが私の口を押さえて平謝り。
「あんたの教育が悪い!」
 私は悪いこと言ってないのにお母さんが悪く言われてしまった。
 そのあとだされた畑のスイカは種が多すぎて食べにくかったから、私はおじいちゃんにはどうしても反省して欲しくなった。

 蚊取り線香の煙が天井にむかって伸びているのがはっきり見える。気合十分だったおかげで寝てしまうことはなかった。
 みんなが寝息をたてたのを確認して、私は布団から抜け出した。
 子供なりの作戦はこうだ。
 おじいちゃんの耳元でこう囁く。
「青くない青くない。お父さんは青くない。おじいちゃんのお尻がまだ青い」
 それだけのこと。
 今にして思えばなんのおまじないだろうと吹き出してしまうけれど。小学生の私は真剣そのものだった。
「おじいちゃんに反省してもらうんだ」
 おじいちゃんの部屋に行くには雨戸がガタガタ鳴る廊下を進まなくてはならなくて、去年までは怖くて私自身もガタガタ震えていた。だけど今年は違う。決心が震えを押し返した。おじいちゃんのおこりんぼを退治するためにひとつ強くなったのだ。
「ぬきあしさしあししのびあし」
 夜お手洗いに行くときはこう言って足音を立てなければお化けは寄ってこないのよ。とおばあちゃんから教わった。
 ガタガタ鳴る雨戸。それは風のせい。
「ぬきあしさしあししのびあし」
 言葉の意味はわからない。
 ガタガタガタ。
「おじいちゃんのお尻がまだ青い」
 ガタガタガタ。ガタガタガタ。
 天国のおばあちゃんに、私のやろうとしていることをわかって欲しい。うまくいくように側にいて欲しい。

 おじいちゃんの部屋の前に来た。
 障子が隙間なくぴったり閉まっているところがいかにもおじいちゃんって感じがする。
 ちょっとでも隙間作ったら起きちゃうかなと胸がバクバクしたけど、おばあちゃんが味方についてくれている。きっと大丈夫。
 そっと人差し指くらいの隙間を作って中を覗いてみる。おじいちゃんは布団の中。暗闇のなか、静かに寝息をたてていた。
 よし、いける。
 両手を添えて障子をあける。深呼吸をしてから体を部屋に滑り込ませた。第一段階成功。

 四つん這いでおじいちゃんの枕元へ向かう。
 覗き込むと寝顔のおじいちゃんはニコニコしていた。はじめて見るおじいちゃんの笑顔。しばらく眺めてしまう。
「いつもこんな顔してくれたらいいのに」
 呟くと同時にスイッチが入ったかのようにおじいちゃんの目が見開かれた。
 悲鳴をあげそうになって自分で口を押さえる。雨戸のガタガタよりびっくりして心臓が縮みあがる。
 おじいちゃんが上半身だけを起こした。起こしてしまった。早くも作戦は失敗だ。どうしよう。言い訳、考えないと。
 あ、そうだ。お手洗い、に行こうとして雨戸がガタガタ鳴るのが怖くて逃げ込んだって言おう。
「せいこ、おまえなにしてる?」
 おじいちゃんが腰を抜かしている私を見てそう言った。
「せ、いこ?」
「なに言ってる。おまえの名前だろう」
 私はあおいだよ、と言いそうになって気がつく。せいこはおばあちゃんの名前だ。おじいちゃんは寝ぼけている。私をおばあちゃんだと思っている。
「なにしに来た」
「えっと……」
「はっきり喋れ」
 いけない、いくら寝ぼけているとはいえ人の本質は変えられない。ちゃんと喋らないと大きな声だされちゃう。
「おとう……晴一は、もう子供じゃない」
 おじいちゃんは無言で私を見つめている。
「だから、青い青い言うのやめて、ください」
 お父さんを呼び捨てにしてしまったのは後にも先にもこれが最初で最後。おばあちゃんになりきるため。ごめんなさいお父さん。
 おじいちゃんは私から視線をそらし、うつむいてしまった。おとなしくなったみたいでかえって緊張する。
「お願いだから、話を聞いてあげて」
 言いすぎてないよね。大丈夫だよね、おばあちゃん。
 おじいちゃんは自分の手のひらを見つめている。畑仕事でタコだらけで節々の太い手。
「青二才、青びょうたん、青っぱな。子供の言うことはみんな青いんだよ」
 言うことはいつものおじいちゃんだけど、怒鳴ったりはしていない。
「せいこだってここを離れたくないだろ」
 田舎の家は雨戸がガタガタ鳴って、ハチが遠吠えして、スイカの種が多い。いとこの清太は虫がいっぱいいて楽しいと言ってるけれど、私はそんなの全然プラス要素じゃない。
「なぜ黙ってる、はっきり喋れ」
 おじいちゃんは、おばあちゃんとふたりきりだと怒鳴らないんだ。
「え、えっと、いつまでも、ひとりきりでは暮らせないでしょ」
「あと10年は大丈夫だ」
 たしかにおじいちゃんの足腰はしっかりしている。背筋も伸びているし、よく食べるし、お酒もよく飲む。
 でも……。
「10年は長いよ。80歳になっちゃうよ。せめて5年。5年待ってもらうのはどうかな。それまでに気持ちの整理つけて、一緒に暮らそうよ」
 おじいちゃんがきょとんとした顔で見つめている。私もこんな提案がでてくるなんて思ってもいなかったから首をかしげてしまった。
 その視界に白い筋が見える。おじいちゃんの部屋にも蚊取り線香があったから、その煙だ……と思ったとたん、クラッとめまいがした。
「静太郎さん。私はいつでもあなたの側にいますから、この土地を離れても寂しくなんかありませんよ」
「おまえの言いそうなことだ」
 おじいちゃんはそう言って布団をかぶってしまった。

 部屋を出て、障子をぴったり閉めたら体が急に軽くなって、雨戸のガタガタが鳴り止んでいた。
「最後の言葉、私じゃなかった」
 驚いたけれど、怖さはぜんぜんなかった。

 翌朝、おじいちゃんがあと5年待ってくれと言い出したとき、お父さんが手に持っていたお箸をポロリと落としたのをよく覚えている。
 おじいちゃんはその日を境に怒鳴らなくなったし、青二才も青びょうたんも口にしなくなった。
 お父さんはいったいなにがあったんだとことあるごとに頭を抱えている。
 誰の言うこともはねつけていたおじいちゃんが、おばあちゃんの言うことは受け入れたんだ。
 そんなことお父さんに言っても信じてもらえないだろうし。
 おじいちゃんは気位が高いから内緒にしてあげなさいね。とおばあちゃんに言われた気がするので私はしらんぷりを決め込むことにした。

 5年経って、おじいちゃんは約束通り田舎の家の整理を終えてハチと一緒に我が家へやってきた。
 お父さんはおじいちゃんのためにレンタルの農園を探してくれていて、私と妹も一緒にハチの散歩にでかけた。
 ハチは都会に来てからときおり遠吠えをすることはあったけれど、それも次第になくなっていき、13歳で天国に召された。
「ハチは子供に返って青い空に帰っていったんだ」
「どういう意味?」
 とたずねる妹におじいちゃんは。
「青二才になって死んでいくってことだ」
「あおにさい、ってなに?」
 なんでも知りたがる小学4年生の妹。
「人間も一緒だぞ。青白い顔して死んじまうだろ。あれは子供に返った証拠なんだ」
 わかるような、わからないような。
「おじいちゃん、ハチは犬だよ。青白いかわかんないよ」
 妹の言うことはもっともで、おじいちゃんは久々に口を「へ」の字にして。
「おまえは青びょうたんだからわからないだろうよ」
 妹はブーブー反論を続けて、高校生の私は苦笑するしかなかった。
 そんな私をおじいちゃんが目を丸くして見ている。
「え? なに」
「おまえ、せいこに似てきたな」
 一瞬、おじいちゃんの顔が青ざめて見えた。
「おじいちゃん、お姉ちゃんはあおいだよ、せいこじゃないよ」
 妹につつかれておじいちゃんはみるみる赤くなっていき。
「ば、ばあさんの名前だっ! あおいはあおいだ、わかってるわ!」
 うちに来て、はじめて怒ったおじいちゃん。
 びっくりした妹が泣き出してしまい、なだめるのはあの夏の日以来だったかもと思ったり。
 おじいちゃんの赤い顔はそれから7年、青に戻ることなかった、と思う。

                  〈完〉
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