第8話 暗黙の了解 公然の秘密  1

文字数 2,292文字

 徹夜明けの目に青空はきつい。
 研究室の窓から見える本日のドームの空模様は快晴。現実の天候はどうだか分からないが。
 小川は口元を手で隠して、あくびをかみ殺した。わずかな涙が乾いていた両目を潤す。
「今日からメンバーになる小川博士です」
 ソフィア博士の凛とした声に小川は思わず背筋を伸ばした。横目で見ると、薄化粧したソフィア博士の射るような瞳にぶつかり、ヒヤリとする。
 私物を持たない小川には、ドーム側から身の回りの物すべてが用意されていた。いま着ている服はクローゼットの中から選んだ。白衣と糊のきいた薄いブルーのシャツ、オリーブグリーンのパンツ。初日ということでネクタイを締めて髪も整えてきた。
 小川は丁寧に頭を下げた。と、いっても目の前にいるのは昨日会った丸子博士だけだ。
「小川晴哉です、よろしくお願いします」
 お辞儀が終わらないうちに声をかけられた。
「きみ、あれでしょ? ブルー・ジェイド社で看取りロボット作ってたでしょ?」
 小柄な丸子は白衣の袖をまくり、両手をポケットに突っ込んで小川を見上げた。
 白衣は微妙にくすみ、耳の両側にわずかに残っている髪の毛は大切に扱われている様子はない。
「ええ。ご存じでしたか」
 膝を軽くまげて丸子博士を見ると、そこはかとなくアルコール臭がした。
「情報は入るから。こっちから出せないだけで。ソフィア博士、彼にイヌ作るの手伝ってもらえば?」
 だみ声のくだけた口調で丸子博士はソフィア博士に水を向けたが返事は素っ気なかった。
「結構です」
 にべもなく答えると、小川に背を向けた。
「だってむこうはクリスマスのプレゼントとして希望してるんでしょ? あと半年だよ、間に合うの?」
「間に合います」
 感情を交えない事務的な受け答えだ。
「なに意固地になってんの。ソフィア博士だって誉めてたじゃない、看取りロボット」
 誉めてた、の言葉に小川の心臓が跳ねた。ソフィアは丸子の声など聞こえなかったように、ブラインドのかかったガラス張りの個室へと去っていく。
「……危ういと思ったのよ」
 後ろ手でドアを閉めるとき、ソフィア博士は小川を振り返って抑揚のない口調で言った。
「当面は清掃用とドームメンテナンス用のロボットを作ってちょうだい。仕事内容は丸子博士に聞いて」
 静かに扉が閉じ、会話は鍵のかかる音とともに終了した。
「来て早々、女王さまのご機嫌をそこねたらしいな、ルーキー」
「そのようです」
 理由は不明だが。
「ロボット研究所はぼくたち三人だけですか? 昨日、丸子博士と一緒だった方たちは」
「あれは放射線調査室の奴ら。あそこが、いちばん人数が多い。二十五人いる。地震予知は十四人、うちは三人。あとは事務と医務や施設維持管理に二十人かな」
 椎葉室長は百にも満たないと言っていたが、実際はさらに少ない人数だ。
「いつでも人手不足だから、雑務をこなすロボットが必要だろ?」
 そういうと、作業台の上の作りかけの機体を叩いた。直径三十センチくらいの、清掃用ロボットらしい。
「ヒト型は……自律システムを乗せたロボットは、作らないのですか?」
 丸子博士は呆れたというように、しばし口を開けたまま動きを止めた。
「作らないよ、ていうか作れないよ。自律システムの仕組みを知ってるのはソフィア博士だけだし」
 昨日、夜通し見たデータから、ソフィア博士は九条博士の妻であり仕事上も優秀なパートナーだったと知った。
「でも、実はいま作ってる。政府からの要請でさ」
 丸子博士はソフィア博士の個室を指さした。ブラインド越しに彼女が作業をしているのが見えた。
「犬?」
「そう、イヌ型ロボット。自律システムを入れたイヌを作ってくれってさ。ソフィア博士は最初反対したけど、ヒト型じゃなくてイヌ型ならって承諾した。しぶしぶだけど」
 丸子博士は工具を手に取ると、作業を始めた。太くて短い指が意外なほど器用に動き、複雑なコードを手際よく繋いでいく。
「誰かに『ドームに行けば自律システム入りのロボット作れるよ~』とか言われてここに来ちゃたの?」
「いえ……そうじゃない、ですが……」
 小川は口ごもった。
 確かに田嶋は言わなかった。作れるとは。けれど、作れないとも言わなかった。
「自律システム入りのロボットは扱いづらいよ。カナタを見たろ? ロボットのクセにひどい気分屋だ。ボクのいうことなんか聞きやしない」
 まるで、ヒトだ。本来ならばロボットは人の命令に従うはずだ。あの行動は機械としてありえない。
「とりあえず、午前中にこれ仕上げたいから、手を動かして」
 小川は丸子に命じられるまま、組み立てを手伝った。時おりガラスのむこうをそっと見ると、腕組みするソフィア博士がいた。作業は順調とは言いがたいようだ。
 唇をかみしめ、厳しい表情で何かを確かめている。
 そうしているのを見ていると、ソフィア博士は大理石で作られた彫刻のようだ。硬質的な雰囲気。氷の女王。
 と、ソフィア博士の表情が和らいだ。まるで幼い子に向ける眼差しのようだ。ローズレッドの唇が何かをつぶやく。
 なぜだろうか。小川はソフィア博士に惹きつけられた。
 思わず頭を振る。きっと寝不足のせいで頭のネジがゆるんでいるからだ。小川はそう結論づけソフィアから視線を外した。
「手が止まってるぞ」
 丸子博士のだみ声にあわてて目をさます。単純作業と暖かいひざしが、眠気を誘う。
 小川が眠気を払うため、大きく伸びをしながらあくびをしたときに、ブラインドの隙間から向けられたソフィア博士と目が合った。
 間が悪すぎ。
 ソフィア博士の冷ややかな視線を受け、小川は両手をあげた格好のまま、体が凍りついた。
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