3
文字数 2,908文字
――それから一年の時間が経って。
彼女は、かつて生きていた頃に通いたいと思っていた高校の校門前で、空を見上げながら人を待っていた。
周囲には楽しそうに、騒がしく行き交う多くの人が居る。
彼女が立っている場所、そのすぐ隣には色鮮やかな造花で縁取られた看板が立っていて、そこには文化祭という文字がでかでかと書かれていた。
今日はこの高校で催される文化祭の最終日であり。
少女にとってこの世界で過ごす最後の日でもある。
「……そう。私の本当の命日は、今日なんだよね」
彼女はそう呟きながら目を閉じて、笑みを浮かべた。
思い返せば、きっかけは偶然で。本当に、私は運が良かったんだなぁとしみじみ思う。
色々なことがあった。悩むこともあった。嘆いたこともあった。
しかしそれらを含めていい時間を過ごせたと、彼女はそう思う。
「待たせたかな?」
そんな風に思索にふけっていると、不意に、視界の外から声がかけられた。
聞こえた声は、彼女にとって聞き覚えのある彼のものだ。
目を開けて、彼女は彼に笑いかける。
「いいえ、別にそれほど待ってはいませんから、気にしなくていいですよ。
それに、あなたが来なければ、私はこの私のままでもう少し長く居られるわけですしね」
「はは、言うねぇ」
そう言って笑う彼の姿を上から下まで眺めると、彼女は浮かべた笑みを困ったようなものへと変えた。
彼は彼女の表情の変化に気付いて、視線だけで問いかける。何か問題でも? と。
だから、彼女は答える。
「いえ、相変わらず目立つ格好だなぁと」
「……わかりやすくていいんじゃないか?」
「それに、周囲のこともあまり気にしていない」
「それは――別に格好だけの話じゃあないだろうよ」
そう言って、彼は溜め息を吐いた。
彼女の言葉は彼の服装についてだけではなく、彼の行動そのものに対して告げられたものだった。
彼女は幽霊であり、普通の人には見えないものだ。
一方で、彼はヒトではないかもしれないが普通の人間にも見えるものだ。
そんな二人が会話することになれば、もちろん――
「……まぁ、確実に変な奴だと思われてるんだろうなぁ。何も無いところと会話をしてるんだから、当然と言えば当然か。
幸いにして、今日は祭りの雰囲気で周囲も活気付いている。多少のお目溢しはあるだろうさ」
「だといいんですが」
彼女はそう言うと、周囲に視線を向けてみた。
すると、行き交う人々が奇異な行動をする彼に変な目を向けることはあっても、積極的に関わろうとする様子はないことがわかった。
ただ、と彼女は思う。
「視線を向けられている理由は、行動よりも格好のほうである気もしますけど」
「春先にコートは変かね?」
「あなたはいつも全身黒っぽいですからね、喪服みたいでちょっと浮いてるのかもしれませんね。
とは言え、有象無象の視線なんて、あなたが気にすることはないんでしょうけど。
――それじゃあ、そろそろ行きましょうか。このまま、迷惑をかけることになると思いますが」
彼女はそう言うと、校門をくぐって学校の敷地に足を踏み入れた。
そのまま進もうとする彼女の足を止めるように、彼はその背中に声をかける。
「いいのか?」
彼女はそのまま足を止めることなく、しかし歩調を緩めた後で、首だけを動かして彼を見る。
「置いていきますよー?」
彼の問いかけは今更だ、と彼女は思う。
だから笑った。笑って、彼の問いに問いを返して進んでいく。
彼は彼女の反応に対してそうか、と短く呟いて頷いた後で、彼女の背を追うように歩き出した。そして言う。
「置いていかれるのは困るな。俺はこういう所とはあまり縁がないから、迷子になっちまいそうだ」
「その時はアナウンスでも頼んであげましょう」
「それは無理な話だ。君は幽霊だ、生きている人間の殆どは認識できない」
「そうでした、そうでした」
彼と彼女は会話をしながら、祭りの活気を楽しんでいく。
彼女は先導するように歩きながら、周囲に見える光景について説明をして。
彼は彼女の後を追うように歩きながら、彼女の説明に耳を傾ける。
「この喫茶店、実は豆をひいてコーヒー煎れてるんでおいしいんですよ。衣装は手作りです。すごいですよね、純メイドルック」
「この劇のヒロイン、実は男の子がやってるんですよ? その男の子が華奢で、童顔で、女の子みたいなんです。……見えてるからわかりますよね? 最後にバラして笑いを取るつもりらしいです」
「あ、ここ、ちゃんと出たんだ。――ああ、すいません。このたこ焼き屋、前日に仕入れやら……何かよくわからなかったんですけど、失敗しちゃってるのわかったみたいで。揉めてたんですよ、色々。でも、ちゃんと間に合わせてきたみたいですね。よかった」
そうやって歩き続けていた最中のことだった。
「――――」
彼女が案内している足を急に止めて立ち止まった。
彼は彼女より二三歩遅れる形で足を止めると、どうしたんだ? と首を傾げながら彼女の視線を追う。
すると、そこには一人の少年が立っていた。
引き締まった体躯に、日に焼けた肌。短く刈り上げた黒髪が特徴の、いかにもスポーツ少年然とした少年だった。
――事実として、その少年がスポーツをやっていることを彼女は知っている。
「あの子は確か……」
少年が彼の視線に気付いて怪訝そうな顔をしたものの、それ以上の反応をすることなく彼の横を通り過ぎる。
もちろん、すぐそばに居る彼女には気付いていない。
彼女は目を浅く伏せて、口元を力なく歪めながら、彼の言葉を引き継いだ。
「幼馴染ですよ。今は、私の親友と付き合ってるみたいですね」
「そうか」
「急に立ち止まったりしてすみませんでした。
さあ、行きましょう。――まさか、見かけることになるとは思わなかったら、びっくりして足を止めちゃいました」
「…………」
彼はそう言った彼女の顔をみやる。
視線に気付いた彼女は、どうかしました? と首を傾げてみせる。
その顔には、ただの微笑が浮かんでいるだけだ。
「いや、なんでもないよ」
「……私は大丈夫ですよ?」
彼女の切り返しに、彼は苦笑を浮かべた。
「何も言ってないじゃないだろう、俺は。……ただまぁ、俺はそのあたりのことは全然心配してないさ。君は強い。
ただ、溜め込むのは良くないと思ったりはするけどな」
「強い、というのは女子に対する褒め言葉としてはどうかと思いますけど。
……まぁそれはおいといて。
溜め込みすぎることがよくないというのは、私も同意見ですよ。
でも、その中には秘めて――自分の中に溜めておかないといけないこともありますから」
彼女はそう言ってから、にへらと目が無くなる笑みを見せると、止めていた足を動かし始める。
「行きましょう。そして、見て回りましょう。まだ、楽しいところはいっぱい残ってますから」
「……そうか。案内、よろしく頼むよ」
彼の言葉に、彼女は、
「はい」
と笑顔で頷いた。