第3話

文字数 3,771文字

また、来たのである。恵が。今度は、平日の夜。こんなカーテンでは、冬に防寒の効果がない、とペイズリ―柄の生地を触りながら言っている。冬用のカーテンは、別にある。つい一ヶ月前にしまったばかりだ。そうやって恵はいつも人の部屋の物に、思わぬケチをつける。私は、言い返さない。なぜなら、その事で無駄なエネルギーを使うのが、もったいないから。
「征二のことなんだけど」
 とりあえず、私とのことは言っていないと確信。征二が、何か言っていたら恵はこんなに穏やかではいられない。絶対に。
「かわいそうなのよー。なんと子供の頃、虐待されていたんだって。一昨日聞いて、びっくりしちゃって」
 そう来たか、征二。今度の目的は、何だ。
「話しながら、泣き出しちゃったの。私も、どうしていいかわからなくて、大丈夫よって声かけるくらいしかでき なかった」
 なるほど。もう一度ターゲットを恵に絞り直した、というわけか。それならそれで、ありがたい。あんまり黙っているのも怪しまれると思い、
「そうだったんだ」
 と、この世で五本の指に入りそうなどうでも良い相槌を打つ。
「今も、お父さんに殴られたところが、痣になって残ってるんだよー。腕をまくって、見せてくれた」
 身体の傷は、正直。見たまま、人の目に衝撃を与える。どんな形で何色なのだろうか。きっと、恵が驚いて興味を持ったから、腕まくりをしたのだ。私も、同じリアクションをしていたら、見せてくれたのか。あの店で。
 それは、ないだろう。まず第一に、私は絶対に同情しない。
「あー、本当にかわいそうな征二。私達は、幸せな子供時代を送ることが出来て、良かったね。お姉ちゃん」
 思考が、止まる。間隔の開きすぎたドミノが、次のピースに届かず、そこで倒れるのを止めてしまった時に訪れるあの残念な静寂。すっくと立ちすくむそのピースはこわばり、まるで罪を犯したかのように所在なげ。まさに、そんな感覚。考える余裕など、どこにもない。
 物心ついて以来の大きな謎が、今解けた。妹は、恵は、子供時代が幸せだと言った。それどころか、当然のごとく私に同意を求めてくる。
 当時から、気づいていた。母の態度に差があること。私と恵に対する扱いが、違うこと。しかしながら、恵に対しても厳格なところはあったから、妹で小さいから少し多く手をかけているのだ、くらいに思っていた。だから時々テストで良い点数が取れずに叱られている恵を見かけると、もっと悪い点数の解答用紙を持ち出して、叱責の矛先を私に向けさせた。姉として妹をかばっているというささやかな義侠心があったから、罵られても耐えることはできた。しかしながら、今思い返すと、その暫く後で、恵は母の膝の上にちょこんと座っていたではないか。私が決して座れなかった、子供にとって玉座とも言うべきその場所は、恵だけのものだったではないか。
 恵にとっては、虐待されていないどころか、幸せな子供時代だったのか。今さらながら、愕然とする。
 私にとっての母は・・・。とても、厳しい人だった。全ては、正しいか正しくないかで物事は決められ、そこからはみ出る人は、誰であろうと「悪い人」だった。
 怖かった。いつも身体中から棘が生えているみたいで、そばに行くと何か言われるのでは、とびくびくしていた。父の死後、後を追うように、この世を去ったのは、三年前。
「病気になった夫を誠心誠意看病するのが、妻の務め」
 が、母の正しさであったから、献身的に世話をしていた。そんなに愛し合っていたっけ。疑問が湧くほどだったが、親戚や母の友人は、
「こんなに早く亡くなるなんて、ご主人が呼んでらしたのね」
 と、善意の解釈をしていた。
 本当だろうか。父は、無関心だったのではないか。私が母にどんなことをされているか、知っていたのか。同じ家の中、全く気づかなかったのか。それとも、見ないふりをしていたのか。波風が立つのが、面倒だから。
 私だって、はじめから自分が虐待されているとは、思ってなんかいなかった。
「うちのお母さん、厳しいから」
 友達に、よく言っていたセリフ。小学校の時は、友達との外出は一切認めてもらえなかった。
「子供同士で、電車に乗って遊びに行くなんて、とんでもない!」
 絶対許してくれなかった。私が、事件、事故に巻き込まれるのを心配していたからではない。自分の管理下に置いておけなくなると、何かと不都合だから。コントロールすることが、母の最も大切な役目。または、生きがい。けれどもちろん、そんなことは言わない。
「あんたのことが、心配だからよ」
 その呪文のような言葉を論破できる小学生というのは、果たして地球上に存在するのか。心配と言われれば、引き下がるしかない。成長すればするほど、私は母により色々な制約を受け、がんじがらめになっていった。
高校一年の頃。友達と映画に行こうと、準備をしていた。小春日和の日曜日の午後。あとはコートを着て出かけるだけ、と言う時に、母が全く普通の表情で近づいて来て、
「深澤さんに行かないって、断っておいたわよ」
 と友人の名前を出す。いい加減高一、昼間の外出、これはいくらなんでも許可されると思い、前日に予定として伝えたのに。学校の名簿を見て、勝手に電話をしたらしい。まだ名簿が、健在だった頃のこと。
 絶句するしかなかった。とても楽しみにしていた。初めての外出だったのに。
「どうして、そんな勝手なことするの?」
 抗議してみる。
「当たり前じゃないの。女の子が、盛り場をうろちょろするなんて。深澤さんのお母さんだって、そうですねぇ、と賛成してたわよ」
 威圧的。取り付く島のない怖い顔。私は、肩を落として、普段着に着替え直した。他の友達に、連絡する勇気なんかなかった。泣いちゃいそうで、または軽蔑されそうで。
 どうして母親に向かって行かないのか。制止を振り切り、出かけて行かないのか。それは、今までの経験上、できないのだ。ありとあらゆる罵倒を投げかけられ、
「親の言うこと聞いてれば、間違いないんだから!」
 の常套句から、
「まったく素直じゃないんだから。一体誰に似たんだろ?」
 または、
「かわいくない子ね。せっかく産んでやったのに」
 など、手裏剣でも飛ばすように、次々と罵りをぶつけてくるのが、わかりきっているからだ。余計に傷つき、立ち直れなくなってしまうくらいなら、黙っていた方が良い。
 その時の母の目の中に光る悪魔のようなまなざしは、
「それは娘を心配する親なんだから」
 とか、
「せっかく生んでくれた親のことを悪く言うなんて」
 など他人が言いそうな見立てなど、絶対に納得できないほどの恐ろしさを含んでいた。そして、母はそれを外では見せないし、私も理解をしてくれる人がいるとは思えないので言わない。
 あの日の翌朝、皆に平謝りをしたことを思い出す。
「ごめんね、行けなくて」
 どうして、私が謝罪をしなければいけないのか。聞けば母は、深澤さんの家に電話して、友達がたまたま電話に出たら、
「今日映画か何か行くそうですけど、うちの娘は行かせませんので、皆さんで行ってください」
 と言ったらしい。さらに、
「お母様いらっしゃいます?」
 と母親に替わらせ、
「お宅のお嬢さん、お友達だけで映画に行くそうですね。うちの娘は、そのような場所へは行かせませんから」
 と言うだけ言って、切ったという。
「奈津のお母さんて、厳しーんだねー」
 無邪気に言ってくれるが、これでもう二度と誘ってはくれないだろう、と確信した。本当にそれ以降、誘われた記憶は、ない。
 また母のせいで、友達を失ってしまった。母は、人の友達を選別した。それも、本人の人柄でなく、データで。離婚家庭は、論外。プライドが高すぎ、子供を介して友人になったいわゆる「ママ友」は一人もいないので、情報収集は、専ら名簿。父親欄に名前がないと、死別もあり得るのに、それだけでつきあってはいけない子のリストにエントリーしてしまう。携帯電話を使う年頃ではなかった小学生の頃は、友達は家の電話に掛けてくるのが当たり前だった。
 電話が、鳴る。母が、出る。
「はい。少々お待ちください」
 この不機嫌丸出しの声色で、誰からの電話かわかる。小学生の子に対して、この敬語。それは、思い切り突き放していることの意思表示のつもりなのだろう。普通なら、
「あらー、久しぶり元気? 今奈津に替わるわねー」
 だろう。案の定、父親のいない友達からだった。この声色を聞くだけで、うんざりする。彼女だって、気づいていただろう。しかも、本人のせいではないのに。出来るだけ平静を装って電話口に出るが、もちろん背後で会話を逐一聞かれているのは、百も承知だったし、後で必ず長電話だと叱られた。
 息苦しい。何のために。このような意地悪としか思えないことをするのか。母の異常性に気づいた頃は、恵のことも、考えた。きっと、私と同じ思いを、しているだろう。私が守ってあげないと、恵は傷ついてしまう、と妙な使命感を持っていたが、恵に対しては、それほどひどい仕打ちをしているようには見えなかったと感じたのは、あながち間違いではなかったのだ。
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