正義のヒーロー

文字数 1,997文字

 俺の幼馴染はヒーローだ。

 野上正(のがみただし)と出会ったのは、小学二年生。転校生としてクラスで紹介されたとき。正は俺の家から歩いて三分のところに引っ越してきた。近所で同じクラス、仲良くなるには充分だった。
「正はタダシイ」
 そう言って正はよく俺をいじめた。いじめと言っても嫌なものではなく、じゃれ合いみたいなものだ。
 正は足が速く、顔も良かったから女子にモテた。純粋に正を尊敬していた。俺のヒーローだった。
「俺ら、ふたりで正義のヒーローな」
 俺の名前は瀬川義郎(せがわよしろう)。二人の名前を繋げると「正義」だと正は言った。
「正しくあるように」名前をつけた両親の願いどおり、正は正義感が強かった。喧嘩が強いわけでもなかったが、クラスでよく発言した。間違ったことを指摘できる勇気があった。正のスーパーパワーは正義感だ。
「ターくん、カッコイイね」
 俺が言うと、正は決まって綺麗な白い歯を見せて笑った。

 しかし、そのスーパーパワーは正を幸福にするどころか、試練を与えた。
 中学に上がった頃、正はある生徒を不良グループのいじめから救った。同じ学区のいくつかの小学校がまとまり中学校に上がる。各々の小学校でやんちゃな奴が集まりグループは形成された。その面子に、俺たちの小学校は平和だと知った。
 翌日から正はいじめの標的になった。それはじゃれ合いなんてものではない。グループの中には俺たちと同じ小学校の奴もいて、目立つ正を疎ましく思っていたのだろう、きっとそいつの進言によるところもあった。
 正はグループからよく暴力を受けていた。正に助けてもらった奴は笑顔で学校生活を送り、そいつを憎らしくも思ったが、俺も同じように正から距離を置いた。最低だとわかってはいたが、その頃の俺にはどうすることもできなかった。
 中学二年生になって、正のいじめは突然止んだ。別に大きなきっかけがあったわけでもない。正をいじめることに、ただ飽きたのだろう。
 それでも正の肩身は狭いままだった。調子に乗った奴に蹴られ、正がそいつを睨むと「一丁前に睨んでやがる」とからかわれた。正がいじめられていた頃なら、グループが恐くてそんな真似できなかったはずなのに。

「あっ」
 中学三年生の頃、帰り道で偶然、正に出会した。俺と正の家は近所だったから、当然帰る方向も一緒だった。俺たちは無言のまま、いびつな距離を空けて共に歩いた。
 俺の先を歩く正の背中を見ながら、正直嫌だなと思った。一緒に歩いているところを誰かに見られたら、そんな風に思っていた。
「ターくん……」
 正の背中に向かって声をかけた。なんて言おうとしたのか、今では思い出せない。それでも思い切って声をかけたのは覚えている。
「俺、後悔してねえから」
 正は振り返らずに言った。俺の言葉の続きは宙に消え、そのまま俺たちは同じ道を歩いた。正は時折鼻をすすり、乱暴に目をぬぐった。泣いていた。きっと後悔していたのだろう。

 別々の高校に進み、正と顔を合わせることもなくなった。三年生になり受験を控えた俺は、正のことなんてすっかり忘れていた。
 しかし、ある日、俺は母親から不可解なことを訊かれる。
「ターくんのお通夜、行くんでしょ?」
 正が死んだ? 俺は母親に訊き返した。

 正は持ち前の運動神経で、運動部の強い私立の高校へと進んだ。朝練で始発の電車を駅で待っていると、サラリーマンがふらふらと駅の構内を漂い、そのまま線路へと落ちた。正は鞄を捨て、すぐに自分も線路へ降りた。正は助けを求め、その声に応じた一人の男性も線路へと助けに入った。
 しかし、正が乗るはずの始発電車は、すぐにホームへと入ってきてしまった。

 制服で通夜に参列すると、正の高校の制服を着た生徒が多く並んでいた。小、中学校で一緒だった奴らは見つけられない。そこにいた全員が悲しんでいたかはわからないが、皆、少なからず動揺しているようだ。
 列が進み、ふと、正の遺影を見た。そこには高校生になり別人のような、それでいて正だとわかる顔をした凛々しい青年が、綺麗な歯を見せて笑っていた。
「正はタダシイ」
 俺は慌てて列から抜け、焼香もあげないまま、その場を立ち去った。俺はひとり、夜道を彷徨いながら、声を上げて泣いた。

 受験も間近に控えたある日の学校帰り、前からベビーカーを押した若い女性が歩いてきた。女性の腕には明らかに多すぎる荷物、苦労しているようだった。
 すれ違いざま「きゃっ」と女性が声を上げた。俺はなぜか瞬間的にベビーカーの取手を掴んでいた。
 俺は女性の荷物を持ち、そう遠くない目的の場所まで一緒に歩いた。
「ありがとうございます」
 女性が俺に言った。
「正はタダシイ」
 そう呟く俺を女性は不思議そうに眺め、俺はそのまま名前も告げずに立ち去った。名前なんて、きっと聞かれなかったが、聞かれたとしても言わないつもりだった。
 だって、ヒーローってそういうもんだろ。なあ、ターくん。
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