第 8話 鎮守の杜

文字数 3,382文字

 ここは忘れ去られた鎮守(ちんじゅ)(もり)の中にひっそりと(たたず)(やしろ)の前である。

「 ルゥルゥルゥルゥルゥ 」
「 ちょっと店長 キタキツネの餌付けじゃないんだから 怒られちゃいますよ 」
「 かの賢人 ムツゴロウさんを舐めるなよ 」
「 それってムツゴロウさんでしたっけ 合ってるような違ってるような 」
 私たちは社の陰からひょっこり姿を現した小さな女の子をおびき寄せ … じゃなくって、手招きしているんだが警戒してなかなか近づいてはくれないのだ。
「 ほれ ルゥルゥルゥルゥルゥルゥルゥルゥ 」
「 本当に怒られても知りません …… てか お前も近づいて来てんじゃねぇよ 」
 店長のルゥルゥ作戦が功を奏したとは思いたくないが女の子が接近して来た、視線は依然お弁当をロックオンしっぱなしだ。
 てか、今どうやって移動した、歩いたかこの子。
 女の子はもう私たちを警戒してる様子はない。店長は女の子をひょいと抱えて社の端にちょこんと座らせた。
「 月夜君 手足を拭いてあげよう 」
「 はい 」
 私は除菌のウエットシートで女の子の白い小さな手足を拭いてあげた。最初はびくりとされたが足を拭く時は自ら片足ずつ差し出してくれた、なんか可愛い。女の子の手足はしっとりとそして冷たかった。裸足で歩いてる筈なのに足の裏はまったく汚れて無いのは不思議だ。
 私たちは女の子を挟んで腰掛けた、女の子は依然私の手にあるお弁当を凝視している。
「 どれがいい 」
 女の子の前にお弁当を差し出すと ごくりと生唾を飲み込んだ。私は卵焼きを一口サイズに箸で切り女の子の口の前に持っていく。
 はい あぁぁん パクリ
 女の子の顔が花が咲いたようにパッと明るくなる。女の子は私に向けて小さなお口をあぁぁんする。やっぱり可愛い。
 唐揚げに蓮根、人参に海老フライ、お腹が空いていたのか次々に平らげていく。
「 ちゃんと噛んでる お腹痛くなっちゃうよ 」
 女の子は差し出される物すべてを まるで蟒蛇(うわばみ)のように丸呑みにしていった。
 結局、女の子は私と店長のお弁当をすべて平らげてしまった。食べかけとはいえ一つ以上はあった筈だが女の子はまだ物足りない様子である。
「 お供えのお饅頭を開けてやろう どうせ腐るだけなんだし 女の子は甘い物は別腹なんだろう 」
 そう言って店長はお饅頭の箱を開けた。私がお饅頭を二つに割ると餡子の甘い香りが広がった。女の子の顔がまたパッと華やぐ。
 はい あぁぁん パクリ
 お饅頭を三つ食べてようやくストップした。
 するとお供えに置いてあるお酒の五合瓶を指差した。
「 ささ 」
 初めて聞くその声は可愛らしい綺麗な声だった。ささとはお酒のことだろうか。
「 おっとこれはいけない 飲み物を忘れていたよ月夜君 余分に買ったのがどっかにあったよな 」
「 ありますよ 待ってください 」
 私はお茶のペットボトルの蓋を開け女の子に差し出した。女の子はほんの一瞬、恨めしげにお酒を見遣りペットボトルを手にした、戸惑っているようだったので飲み口を口に持って行ってやるとゴクリゴクリと飲み干した。
「 お前ら村の者か 」
 女の子の突然の問いかけにびっくりする。
「 いえ 旅の者です 」
 店長が答えた。
「 名はなんと申すのじゃ 」
「 私はとりさ…
「 僕はユウリ でこっちのおっちょこちょいはツクヨです 」
 店長は何故遮った。おっちょこちょいと紹介された事よりそっちが気になる。フルネームで名乗ってはダメなのか。
「 ユウリとツクヨか よい名じゃ 村の者は何故来んくなったかユウリとツクヨは知らんか 」
「 村はもう無いからです 今居る人達は違う人達です 村は無くなりました 」
「 そうか もう無いのか 」
 知っていた筈だ、私は最初から知っていた。この子は人間では無いと。

 ここは村を守りし鎮守の杜 鎮守の杜のその奥に住まいしは村の守り神 蟒蛇の姫 その御姿は小さき愛らしい女の子 近隣五ヵ村から水の害を遠ざけ日照りを潤し疫病を退け続けし守り神 新年を祝い 豊作を祈り 恵みに感謝する 唄を奉じ 踊りを奉じ 酒を奉じた 人々が集いし場所 子らが遊びし場所 慎ましくも健やかな生活がそこにはあった

 空に大きく黒い鳥が飛び始めた頃から村人らの姿は減っていく
「 おそらくB29だろうね この辺は関東空爆のルートに入っていたんだろう あの戦争がこの国のすべてを壊した 」
 そしてここは用の無い場所として忘れ去られた ごくたまに杜に踏み入る者もあるがそのまま出ていくだけである

 ここは忘れ去られし鎮守の杜 ここに住まうは今は名も無き小さなもの

 呼ぶものが無ければ名は失われる、当然の道理だ。私たちは彼女をヒメと呼ぶことにした。
 私たちは耳を傾けた、彼女の語る むかしむかしのお話しに。
 私たちは一緒に唄を歌った、彼女が教えてくれた豊年を祝う唄を 綺麗な唄だった。綺麗で可愛らしい声だった。
 私たちは一緒に遊んだ、木登りに影踏み鬼、しりとりにスマホゲーム、3人でケラケラと笑った。
 気がつくと日が傾きかけていた。
「 月夜君 そろそろ帰るか 」
「 …… 」
 店長の言葉に私はびくりとする。それは言わなければならない言葉、そして言ってはならない言葉だ。
 店長が私の手を取り一歩踏み出す。
「 ダメじゃ 」
 背中からヒメの声がした。
「 ダメじゃ ユウリとツクヨは帰るな ここにいるのじゃ 」
「 それは叶わぬこと 僕たちには帰る場所がある ヒメとは住まう世界が違うのです 」
「 嫌じゃ ユウリとツクヨがおればもう淋しくない だからずっと一緒におるのじゃ 」
「 無理です 帰ります 」
「 おぬしらも わしを忘れると言うのか 」
 ヒメが泣いている。私は…
「 ヒメちゃん……
「 月夜 ふり向くな 帰れなくなるぞ 」
 ドクンっと山が脈打った。シュルシュルと音がする、(とぐろ)(ほど)ける音だ、何かが地面の下をのたうつ。
「 月夜 しっかり掴まれ 目は決して開けるな 」
 そう言うと店長は私を抱きかかえた、私は店長の首に手をしっかり回した。
 シャァァァッ 凄まじい咆哮が空気をつん裂く、と同時に店長が走り出した。バキバキと木々が砕け散る音がする。私はただ店長の肩に顔を埋めた。どうして、どうして

 気づけば山の入り口のお地蔵さんの前にいた。店長は左のふくらはぎの辺りがばっくり裂けて血を流していた。
「 店長 大丈夫ですか 」
「 大丈夫だ 見た目ほど深くないから 」
 私はジャンパーの下に着ていたTシャツを脱いでそれで傷を強く縛り付けた。
「 ありがとう もう大丈夫だから泣くな 」
「 うん 」
「 帰ろう 」
 辺りはすっかり暗くなっていた。私は店長に肩を貸し車まで行くと山の上に置いてきた筈の荷物が車の前に置かれてあった。車にあった薬箱から痛み止めと化膿止めを店長に飲んでもらい荷物を車に積んで出発した。来た時とは逆に車の中からお地蔵さんに手を合わせていったのだが、来た時には7体あったお地蔵さんは何故か6体しかなかった。
「 すまない月夜君 ヒメが現れた時からこうなる事はわかっていた なのにどうする事も出来なかった ズルズル時間ばかり引き伸ばしてしまい結局辛い思いをさせてしまった 」
「 他に方法は無かったんですよね 」
「 ああ 帰るか残るかの二択しかない 」
「 残ったらどうなったんです 」
「 永遠にヒメの夢の中に囚われてしまうだろう 月夜君 2度とあの場所には近づくな 次は無い この話に続きなんていらないんだ 約束してくれるかい 」
「 わかりました 店長との約束は絶対破りません 」
 帰りはナビに従って最短ルートで帰った。途中、嫌がる店長を病院に連れて行って手当てしてもらいお店まで送り届けて帰路についた。
 家に帰って私は泣いた。

 それから2人はこの話をする事は無かった。

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