第40話

文字数 1,162文字

 毛艶のわるい犬や顔に食べこぼしを付けたままの子どもや無造作に置かれたゴミや酔っ払った男たちでゴタゴタとした路地裏には、えも言われる臭気が今日も漂う。そんな中をウィリアム・フォンダイン・ロンバネスはひとり歩きまわるのが好きだった。
 ああ、レディー・メイベル・ハンブルトンの退屈なことと言ったら! 何を話したところで反応が薄く

「ええ、ええ、そうですわね……」

「本当に、あなたのおっしゃる通りですわ……」

 なんて微笑しながら伏し目がちにうなずいてみせるばかり。貴族の淑女たるもの、紳士の前では決してでしゃばらず従順に振る舞うこと。厳格で色気のかけらもない家庭教師の女史からそんな教えでも受けて、それを忠実にばかの一つ覚えみたく守っているだけだろう。まったく、自分の頭で考えるという気はないんだろうか。あんなつまらない女と家庭を持つだなんて……まったくもって吐き気がする! 自分は美しいとすましこんでいるようだが、実際美人ではあるが、宝石やら髪飾りやらパリで作らせたドレスやらでゴチャゴチャと飾り立てれば誰だって見栄え良くもなるだろうさ。

 しかしお父さまの後を継いで第八代目ロンバネス伯爵家の当主となる自分には選択権などない。じき二十五歳になる私は年齢的にも結婚すべきだし、伯爵家としての尊厳を保つためにはハンブルトン家の財力は絶対に必要なものだ。ああ弟のアルベルトが羨ましい、家督を継がない次男にはもっと自由があるしある程度の選択権も、少なくとも私よりは、持っているのだから。

「ねえお兄さん……ステキなジャケットねえ」

 鼻につく安香水の匂いをプンプン振りまきケバケバしい化粧をし胸元を強調した女がすり寄ってきてウィリアムの腕に手をかけた。考え事をしながら歩いているうちに、いつのまにか売春婦が客引きをするエリアに足を踏み入れていたようだ。

「やめろ、触るな汚らわしい。私から離れろ!」

 心底軽蔑した冷ややかな視線を女に向けると、ウィリアムはきびすを返し元来た道を足早に戻っていった。

「なんだいお高く止まりやがって! オトコなんて一皮むけばみんなおんなじもんブラさげてンのにさあ!」

 ばかにされた女は、まわりに立っている仲間の娼婦たちとともに甲高い声で嘲るように笑いながらウィリアムの後ろ姿を見送った。まったく気分が悪い、私は「強調されすぎた女」が大嫌いなんだ! もっと自然で、にじみ出るような可憐さと女らしさを持つ娘、飾ることをしらない野に咲く花のような、初々しい娘がいいんだよ。仕方がない、今日もまた自分で探しに行くとするか……。ウィリアムは明るい盛り場の辺りまで来ると、電灯に浮き上がるダンスホールの看板を見つけた。ハンバートン・クラブ、Live Music & Fancy Drinks 、か。よし、今晩はここにしてみよう。
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